13.不可能な魔法
「え……………………」
頭の中に響き渡った声を、アルクは耳にした。
その意味を理解するのに、しばらく時間がかかる。
そして自分の体から、みるみる力が抜けていくのに気づく。
俺と共有されていたスキルが失われ、魔力が砂のように体から零れ落ちているのだ。
アルクにはもともと魔力はない。
俺との従魔契約を解除すれば、魔法を使うことはできない。
アルクはまるで蟻地獄に落ちていく感覚を味わった。
魔力が抜けているからだけではない、契約解除の事実がアルクの体を呑み込み、その意識を底なし沼へと引きずり込んでいった。
「しょこら、やっぱり、そうだったんだね……」
絶望の中でアルクは呟いた。
その夜、アルクは国王の前へと呼び出されていた。
アルクが王宮に滞在していることを、国王は承知していたのだ。
そこは執務室で、アゼリア国王は机に向かい、椅子に腰かけている。
アルクはその机の向かいに立たされ、そこに置かれた婚姻届けを見下ろしていた。
アルクの隣にはユリアン王女が立ち、その斜め後ろにはミーシャが控えている。
「……勇者アルク殿。其方は、ユリアンとの婚姻を、決断してくれたということかな」
国王はゆっくりとアルクに問いかける。
アルクは紙を見下ろしたまま、返事をしない。
ユリアンは心配そうに、アルクの顔を横から見上げた。
そしてぎゅっと、アルクの腕をつかむ。
「あの、アルク様。どうぞ、ご無理なさらないでください。まだ時間はあります、今すぐに署名する必要は……」
ミーシャはその後ろで、またニコッと笑みを浮かべている。
そして一歩踏み出し、アルクの肩に手を置いた。
「王女の言う通りですよ。急ぐことはありません。貴方にも心の整理が必要でしょう」
しかしその手で肩に触れられると、アルクは思わず前へと踏み出していた。
そして、ほとんど意識せず、そこに置かれたペンを手に取る。
「アルク様……」
ユリアンは少し驚いて、アルクを見つめる。
アルクは遠い意識の中で、その紙にインクを滲ませ始める。
まったく、誰とも結婚しないんじゃなかったのかよ。
ドオオオオォォォン!!!!!!!
「きゃあああああ!!な、何!??」
突然の大音量に、ユリアンは思わず叫んで耳を塞ぐ。
ミーシャはさっと振り向き、隠し持っていた短剣を構える。
国王はただ茫然として、蹴り破られた扉を見つめた。
俺が執務室の扉を、足で思いっきり蹴破ったのだ。
大音量を立てて開いた扉は壁に跳ね返り、木材の破片がバラバラと床に落ちた。
「な、貴様、一体どうやって……!!」
ミーシャが唖然として口を開くが、俺は無視してずかずかと部屋に入り込む。
そして、ペンを持ちながら同じく唖然として俺を見つめるアルクの前に立った。
「帰るぞ」
そう言って俺はアルクを抱え、肩に担ぎ上げた。
「ええっ!しょ、しょこら……」
俺は次の瞬間、忍者のスキルで俊足で駆け出す。
そして突風を巻き起こしながら、一瞬でその部屋から走り去った。
部屋を出て、ウィルが待機している廊下へと戻る。
そして俺はアルクを連れ、ウィルと共に宮殿の外へと脱出したのだ。
今朝、アルクとの従魔契約を解除した後、俺はウィルに問いかけていた。
「お前、転移魔法の研究をしていたと言ったな」
ウィルは不意をつかれたように目を見開く。
「あ?ああ、そうだが……けど、実際に転移魔法を使える訳じゃないぞ。理論は確立されてるけど、そもそも人間には不可能だ……」
俺は考える。俺の中に、ずっと何かが引っかかっていたのだ。
ウィルが転移魔法の話をした時から。
俺は四百年前、ハジメが図書館で言っていた言葉を思い出す。
「この世界では人間が行使できる転移魔法は存在しない。しかし理論上それは可能だと証明されているらしい。」
ハジメは本を読みながら、そう言っていた。
この世界には、人間が行使できる転移魔法は存在しないと。
そして俺は同時に思い出す。
俺は一度この世界で、転移魔法が使える者に出会っている。
そいつは戦場で命を落としたハルトの体を、魔王の元へと転移させたのだ。
魔王は言った。
「我が愛しの従魔はこの世で唯一、物体を転移させる魔術が使えるのだよ。」
そう、それは、俺の母猫だった。
俺は考える。
俺の中には魔族の血が流れている。俺の母猫が転移魔法を使えるのなら、俺にも使える可能性はないだろうか。
そして俺はウィルを連れて、王室図書館へと忍び込む。
正確にはただウィルと一緒に図書館に入れてもらっただけだ。ウィルは王族なので、ハジメのように特別な許可がなくても、図書館を利用することができる。
つい数か月前、実際には四百年前に、ハジメと共に訪れたその図書館を俺は見回す。
そして入り口からは程遠い、本棚が入り組んだ一角で、その本を見つけた。
ハジメはそこに座り込み、この本を読み耽っていたのだ。
そこには理論上確立された、転移魔法陣の図形が描かれている。
ウィルはそれを見て、驚嘆の声を上げた。
「ええっ!すげえ!な、なんでこんな本があること知ってんだよ!?俺もずっと転移魔法について調べてきたが、これは初めて見たぜ!」
「説明している時間はない。で、お前から見てどうなんだ」
「あ、ああ、信じらんねーぐらい複雑な魔法陣だけど……」
ウィルは指で図形をなぞりながら言った。
「でも、俺が研究してきた理論上の図形と、要所要所は一致してる。魔法陣ってのはその複雑な図形に魔力を流し込んで、そこに刻まれた術を具現化するんだが……」
しかしウィルはそこで手を止め、俺を見る。
「だけど無理だ、そもそも転移魔法には、膨大な魔力が必要だ。それに今まで成功した例はない。ずっと昔、何十人もの魔法使いが集まって、転移魔法を行使しようとした記録がある。だけど、魔力量以前の問題だった。魔力を流し込むことがそもそもできないんだ。見えない何かに妨害されるみたいに」
ウィルは再び本に目を落とす。
「魔法陣の図形が未完成でも、魔力自体は流せるはずなんだ。発動はもちろんしねえけどな。だけど魔力を注ぐことすらできないのは、他に原因がある。おそらく人間向きの魔術じゃないんだ。闇魔法と同じように」
「そうか。ならやってみるか」
「ええっ!?おい、人の話聞いてたか!?」
ウィルによると、ここまで複雑な魔法陣は、呪文で簡単に発動できるものではない。
その図形を完璧に暗記して、一瞬で頭の中に展開できなければ、魔力を流しても発動前に消えてしまうらしい。
まったく、異世界とはいえ、いとも簡単に転移魔法を使っていたロベルトは、本当にすごい奴だったのかも知れない。
俺達はその夜、行動を起こす。
ウィルが図書館から借りだした本を何時間も眺めた俺は、完全にその図形を記憶した。
しかしウィルによると、転移魔法を使うには、転移先の座標を細かく指定する必要があるらしい。
ウィルは俺に、宮殿の間取りを紙に書いて説明した。
俺達は部屋の中ではなく、人目につかなそうな廊下に座標を合わせる事に決める。
そして俺は宿屋の部屋の床に、魔法陣を展開させたのだ。
俺が魔力を注ぎ込むと、魔法陣はそれを受け入れ、真っ赤な光を発する。
ウィルは茫然としてそれを見つめた。
「す、すげえ……。てか、お前、本当に何者なんだ……?」
目の前に完成された魔法陣を、ウィルは目を輝かせて眺める。
「お、俺の、長年の夢が……!すげええええええ!!」
ウィルは俺にガバっと抱き付こうとするが、俺はむぎゅっと手でその顔を押しとどめる。
「喜ぶのは後だ、さっさと行くぞ!」
「お、おお!」
そして俺達は、真っ赤な光の中へと足を踏み入れた。
そうして次の瞬間には、宮殿内の廊下へと転移していたのだ。




