壱話
イヤホン、猫、ラーメン
「ちょっとにいちゃん!ちゃんと袋いれてもらってええかなあ!?」
皆の衆、久方ぶりである。
夏の夕刻、お天道様も顔を隠し体感温度で少しは涼しく感じられるであろうこの頃に、変なオジサンにクレームと唾を吐きつけられてる不憫さんこと私である。
客がレジ袋をご入用かなど我々店員にはわかったものでは無いので、大体レジ打ち時に客に質問しその答えによって袋をつけるのだ。
仮に私が客にレジ袋の有無を確認しないなどといった怠慢を行ったのであればこのクレームとも取れる発言は瞬時に正当な主張に変わり、私は激しく四肢を打ち付け五体投地にて謝罪を行うが今回はわけが違う。
なんのことはない、私は確認を怠っていないのだ。
私の声が特別小さくボソボソ喋ったため聞き取れなかったということもない。
なぜなら私はかなり声を張って接客する方であり、電話に出る母親のように地声から2段階ほど声の高さを上げて話すタイプである。
この声の大きさは後輩氏の折り紙付きであり、
「先輩って声大きいですよね笑」
と言われたときには少しにはとどまらないダメージを心に負い、三日三晩寝込んだものだ。
閑話休題。
では何故私は今現在、客に激詰めされている真っ最中なのか。
答えは単純明快。
このおじさん、耳にイヤホンを装着しているのである。
私の声が小さいならいざ知らず、イヤホンをしていて聞こえていないなど言語道断。
私が給料を貰い労働に勤しんでいる最中でなければその耳から垂れる素麺のようなイヤホンコードを引き千切っているところである。
つまるところこのイヤホン&おじさん、略してイヤオジは私の優しさと最低賃金たる給料に救われたのだ。危なかった、長男じゃなければ耐えられなかった。
「はやくしてくれるかなあ!?」
前言撤回。
やはりこのイヤオジは一度ドツキ回すべきだ。
「お待ちのお客様、お隣のレジへどうぞ~」
隣を見ると、今日のツーオペ相手がレジヘルプに入っていた。
このおじさんの相手をするのに気付いていなかったのだが、おじさんの背後には買い物カゴを持った長蛇の列が出来ており先頭のおじさんの背中を睨みつけている。
これ幸い。
長年のコンビニ勤務で薄汚れたプライドと濁りに濁った性根はこの程度じゃダメージを感じない。
私はまた1段と声量を上げ、レジを終わらせる。
「レジ袋三円になりますがよろしいですか!」
ーーー
「いや~、災難でしたなぁ。」
彼は、本日のシフトの相方である”猫屋敷”だ。
冗談みたいな名前だが、意外と全国にチラホラいるようで少し羨ましいような文字列だ。
ちなみに下の名前は知らない。だって名札には名字しか書いていないんですもの。
そんな彼のルックスは明らかに染めているであろう茶髪にパーマ、少し前に流行ったような丸メガネを着用している。
噂によると彼はいつも担当になる美容師の女性をいたく気に入っており、そのため美容室に足繁く通っているらしい。
真偽の程は定かではない。あくまでも噂の一つである。
そんな噂からも分かる通り彼は名に違わぬ猫のような男であり、気に入った人間とはとことん仲良くなるし、逆に嫌いな人間は気にも止めない。名は体を表すというのか読んで字の如しというのか。
飄々としていて自由奔放。
兎にも角にも気まぐれな男なのだが、何故か私は好かれているらしい。
「ほんとだよ。私はこのような清らかな心で心身に至るまで気を張り詰めた丁寧さで接客をしているというのに。」
「あなたは偶によく分からない事を仰る。あなたの接客が丁寧さを心掛けているのは最早疑いようもないですが、清らかな心の方は少し、否かなり審議の必要があろうというものです。」
あと偶に失礼な奴でもある。
「大体ね。あなたはいつもそうなのですよ。あんなに丁寧に接客していては疲れてしまうでしょう。手を抜けるところは抜く、サボれるとこはサボる。それが賢い生き方ってものです。サボって懐に入るお給金が一番気持ちがいいのですから。」
「阿呆。それは賢いではなく狡賢いというのだ」
だがそれでいい。狡賢くて大いに結構。
私はサボるのは大好きだ。
生来様々なことから逃げ続けてきたのだ、今更逃走事項が一項目増えようがなんら恥もない。
頭の中の”我が半生”と銘打った黒歴史の書物は既に六法全書並みの分厚さを誇っており、実体化してしまえば持ち上げるだけで体力を消費し、運ぼうとすれば首、肩、足腰のいずれかに重大な痛みが伴うだろう。一歩間違えれば”我が半生”では無く”我が反省”である。
私はその危険物を禁書扱いし、二度と記憶の底から浮かび上がらぬよう厳重に封印することとした。
「僕はもう疲れてしまいました。癒やしがほしいのです。そもそも現代社会を生きる我々には苦労が多すぎる。一つ山を超えたと思えばその先にもまた山。かの世界一の霊峰もかくやというほどだ。そんなことでは気疲れしてしまおうというものですよ。」
唐突であった。
彼の気まぐれはいつものことであるが今回もまた話に脈絡がなさすぎる。
「唐突になんだ。というより何が言いたい。」
「シフト終わりにご飯を食べに行きましょう。僕はお腹が空きました。このままでは家に着く前に食い倒れてしまいます。」
単純な飯の誘いであった。
丁度私もさっきから腹の虫が鳴り止まぬと思っていたところであった。
断る理由もあるまい。
「回りくどい言い方をするな。しかし良かろう。何が食べたい。」
「そりゃあもちろんラーメンでしょう。バイト後の空腹にはギトギトあぶらと相場が決まっています。」
「貴様の云う癒やしとはラーメンの事か。」
「お気に召しませんでしたか?」
「いや、男らしくて大いに結構。」
ーーーーー
場所が移りラーメン屋。
ラーメン欲にまみれた男たちはシフト上がり直後全力ダッシュを決め込み、息を切らしながらたどり着いた。夜更けに男二人がぜえぜえ言いながら走っているのだ、見る人が見れば通報される可能性すらある酷い絵面。だがそれほどまでに空腹というコト。
男は皆ラーメン好きであるとされるが、とりわけ私はそのなかでも無類のラーメン好きである。
そもそも私は米より麺派。バイト収入の実に約6割を家賃に持っていかれる私は白米を食べるより冷凍うどんを食す方が安上がりだということに気がついた。
もちろん一人暮らしを始める前も一日一食は麺を食べる生活をしていたため、たとえお金があっても食生活が改善されないことは火を見るより明らかなのだが言い訳ができたことにより、合法的に不健康な食にありつけるというものだ。
ラーメン大国日本には古今東西、様々な系統のラーメンが存在する。あっさり系やこってり系、スープの出汁や麺の太さなど無限のレパートリーがあると言っても過言ではないだろう。
そんな中でも私がここ数年愛してやまないのが横浜家系ラーメンである。
家系ラーメンとは濃厚な豚骨醤油ベースのスープに太麺が入ったラーメンであり、そのカロリー量は留まることを知らない。
猫屋敷と二人席に座りラーメン大盛りとライスを注文する。この店、学生は学生証を提示することで大盛りが無料になるため実質普通盛りの値段で1.5倍の量が食べられるのだ。
そのため一生この店に通うという確固たる決意は日に日に固くなっていくばかりである。
注文からしばし待ち、着丼したラーメンを啜る。その濃厚なスープとしっかりと存在感を感じさせる太麺は一日の疲れを吹き飛ばすようであり涙が流れんとする程であった。
猫舌である私はふーふー冷ましながらラーメンを食べているのだが、隣のヤツはズルズルと啜っている。こいつ名前の割に全然猫舌ではないのだ。
私が一口食べるうちに奴は3口は食べている。ふーふー。ずるずる。ふーふー。ずるずる。
猫舌はただ食べるのが下手なだけだという説があり私は一切それを信じてはいないのだが、どうにも洒落臭いので猫屋敷には是非とも食べるのが下手になってほしいものである。
ところで聡明なる諸君らは"どか食い気絶"というものをご存知だろうか。
これは読んで字の如く、限界まで胃袋に食べ物を詰め込み満腹感と血糖値の急激なる上昇によりまるで気絶するかのような眠りにつくことが出来る秘伝の技である。
ラーメンはその秘術を行使するに当たり非常に優れたメニューであり、最良とも名高い。
私はその血糖値の急激なる上昇と意識の落ちる様を揶揄して”血糖値ジェットコースター”と呼んでいる。是非覚えて帰ってもらえばよろしかろう。
ラーメンを完食した後猫屋敷と別れ、帰路につく。
都会の夜空は星が見えないと云うが見てみれば意外と綺麗に映るものだ。
昔、夏の大三角形について歌う曲があったが私には星を見分ける知識も夏の大三角を指さしてくれる人もいないのだ。
人恋しさを紛らわせるように早足で帰宅し、即ベッドに潜る。
これより気絶し”ぶつぶつ川”より深い眠りに着くことになる。
明日は休みだ。
恐らく肌荒れとむくみで人に会えない顔で起床するであろうがこれもまた致し方なかろう。
よろしければ誤字報告のほどを。