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五里霧中なる我々は。  作者: 狐練乳
1/2

零話

粗雑な殴り書きです。

 五里霧中とは、五里四方に広がる霧の中で自らの目指す道を見つけること叶わず困り果ててしまうことを意味すると云う。


 現代社会を生きる我々は数多の事象の中から正しく取捨選択を行い、道筋を立て然るべき行動を取っていく必要がある。現代を生きる若者であれば小学校から中学校、高校を経て大学に進み就職して社会人になるのが大体のセオリーであり、ありがちな道筋と言えるであろう。

 道筋を光り照らす灯りが必要となろう。闇夜を照らす懐中電灯はどこか。

 偉い人は「覚悟が道を切り開く」とはいったものだが悲しきかな、生憎私は覚悟も懐中電灯も持ち合わせてはいなかった。


 話は戻る。ではその大体に当てはまらない者たちはどうなのか。

 幼き頃は周囲と同じ"人"であっただろう。

 だがいつからか自らとその他大勢との間に陰惨たる温度差を感じ始めたのではなかろうか。


 学生時代のテスト勉強に始まり受験勉強、資格勉強やがて出世競争へと移り社会の歯車となっていく。

 だがあなたはどうか?空より青く、光り輝く学生時代勤勉に努力はしたのか?好敵手と書いてライバルと読むべくたる者たちと競い、受験勉強に挑まんとし、全力を尽くしたか?社会の一部となるべく出世競争へと挑む度胸はあるのか?

 

 嫌なことを聞いた。答える必要はなく、まして考えこむ必要もなかろう。

 なにせこんな数多ある情報の海の奥底に存在する塵芥に等しい戯言に目を通し続けているのだ。

 だが恥じる必要は無かろう。

 ・・・私自身もその一人なのだから。


 

 私は一体全体いつ努力することをやめてしまったのか。

 少なくとも中学2年生時校内定期テストまでは勉学に真剣に向き合い一つでも順位を上げようと躍起になっていた記憶を思い出すことが出来る。


 当時の私は一日の勉強時間の長さを何よりの誇りにしていたし、テストの点数が上がるたびに言いしれぬ愉悦が込み上げてきた記憶さえある。

 流石にその時分思春期真っ只中であったため、親に報告し褒めてもらう等という羞恥心がマッキンリーの頂にも届かんとする愚行は犯せなかった。

 そんな私が何故努力をやめたか。特段大きな挫折を味わった記憶もないし、何か物語性のある出来事に出会ったわけでもなかった。

 じゃあ何故?と思うかもしれないが事は単純。

 ただやる気を失ったに過ぎない。

 

 これは私が捻くれに捻くれた先に見出した持論なのだが、やる気とは「固体」では無く、「液体」なのだ。

 それ単体ではその形を維持することができず、気を抜けば体から「やる気」という名の液体が器から流れ出してしまう。スライムのような粘性を持った己の形を保たんとするものならまだ救いようがあったが、お生憎私のやる気は一度気を抜こうものなら某富士川も裸足で逃げ出す勢いで流れ出てしまう。

 自然界の水流と違い循環してはいないので簡単に水が底をつきてしまう。

 「やる気」ですか?「そこになければないですね。」状態。売り切れ御免の人気商品である。


 有名な話では、硝子は固体ではなく液体であると言われるが、そうあるならば硝子のハートと揶揄される私の心は傷つくことのない液体である硝子よりも尚、傷つきやすいのであろう。



 「私」は、関西某所に住むIT系の専門学生だ。高校時代までは地元の田舎で粛々と暮らしていたが、進学すると同時に都会に出てきたのだ上京というやつだろう。いずれの京でもないが。

 典型的なダメ人間たるのでIT系専門学校に進学したに関わらず、ITなんぞに興味があろうはずもなくそもそも勉学自体大嫌いである。

 そんな私は、年中の大半を趣味とアルバイトに費やしているわけだが私の趣味は読書、ゲーム、映画鑑賞と見事に赤の他人が作成したコンテンツを消費するものばかりだ。ギター、イラスト、カラオケ等様々な趣味に手を出したこともあったが自らが出力する系統の趣味はてんでだめだった。

 明らかに才覚がなかったし向いてないのだ。

 器用貧乏という言葉があるが、私の場合どれを取っても器用の最低ボーダーラインに達していないため、器用貧乏を名乗るのは憚られた。更に悪いことに私は、努力が続かない。

 努力もしていないのに才能が無いなど逃げだと怒られるかもしれないが、その上で言わせていただこう。才能がなかった。努力を続けることだって才能なのだ。

 そもそも私は生来、向いていることがなかった。足は遅いし、力は弱い。頭も悪ければ口を開けば音痴。身長も低い上に病弱。

 最早どうしろというのか。どうしようもない。私は逃げた。


 「私」は生粋のコンビニアルバイターである。

 高校時代も3年間コンビニで働いていたし、今現在もコンビニバイトで財布と口座を温めている。都会に出てくるにあたって地元の店舗で仕事を続けるわけにも行かず、今は高校時代とは違う系列店舗で働いているが、正直もう昔には戻る事はできないだろう。


 高校時代は一日4時間一店舗をワンオペで回すということを毎日のように強制させられ、社会のことなど分からない哀れな私は涙をこらえて働いたものだ。

 当時ほとんど過眠症であったということもあり、カフェインをこよなく愛する私はその真っ黒なコーヒーに含まれる利尿作用と戦いながら5時間以上レジに立ち続けたものだが、一度も人の尊厳を垂れ流すことがなかったのは最早奇跡と表現しても相違なかろう。

 後にカフェインアレルギーのような体になり再び涙と虹色を流すのだがそれはまた別の話。


 アルバイト経験のない皆々様のために解説すると「ワンオペ」とは「ワンオペレーション」の略語でその店舗内に店員が一人しかいない状態であり、全ての業務を自分自身で行わなければいけないということだ。

 有り体に言えばブラックである。あの店が墨も黒ずむ程のブラックだと気づいたのは、比較的健全なシフトで回る今の職場に就いてからだった。

 きっとあれほどの「黒」をかの葛飾北斎師に手渡そうものなら、涙を禁じ得ぬ見事な水墨画が完成したことだろう。

 是非とも見てみたいものだが恐らくその絵画はワンオペアルバイターの怨念詰まりし呪いの絵となることだろう。最早ダイイングメッセージの一種かもしれない。

 これ以上同業たるバイト戦士の被害者が増えることを恐れた為、私はその系列店舗に近づかぬ事とした。尚私がその系列に近づかなかったとて不利益被るのは私だけなので、完全に空回りの阿呆であることは隠しようのない事実である。



気分次第で編集する可能性も次話更新する可能性も消去する可能性もあろうと思われます。

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