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異世界からの放送

作者: 羅舞夢 風斗

 ラジオが情報を得る手段の第一線を退いて久しいが、私はそれが幸運な事だったと思う。

 もし、ラジオが今も第一線での活躍を続け、なおも大勢の人々が周波数の未知なる悦びを探求していたとしたら、()()の犠牲者は夥しさ(おびただしさ)を極めただろう。





 事の始まりは二日前、私が次に書く小説の構想に悩んでいた時だ。

 『是非見せたいものがあるから自宅に来て欲しい』と、古くからの友人である今井仁から連絡があった。


 仁は、魅惑的なアンティークや宗教遺物──とりわけ、一般的には知られていないような暗澹たる宗教の遺物──の収集家で、近所の人々からは変人と揶揄されている男だ。

 私からすれば彼が集める品や語る逸話は、幻想的かつ悍ましい想像力を掻き立てる素晴らしいものだったが、平凡な感性を持つ人々にとっては、それこそが彼を忌避する要因だったのだろう。

 丁度構想に悩んでいた私にとって、彼からの連絡は喜ぶべき天からの啓示も同然であり、私は二つ返事で急いで彼の自宅に向かった。


 ──二十分ほど車を走らせ、最後にかなり傾斜のある木々に囲まれた坂を上り切ると、瓦屋根の日本家屋が四軒と、その古めかしい雰囲気にそぐわない近代的な六階建てのアパートが一棟見えてくる。

 仁の自宅は昭和初期から代々受け継がれてきたもので、ここら一帯では最も古い家になる。しかし仁は齢四十五にして恋人はおろか親類すらいないため、いずれは市の文化遺産になるか、新芽の如くそびえるアパートが匂わせているように、近代化の毒牙に掛かって取り壊されてしまうだろう。


 「仁、私だ」


 「おぉ、おぉ、よく来てくれた。すぐ開けるよ」


 私が来たと分かるや、趣のある日本家屋の内側からドタバタと騒がしい足音が玄関に近づいて来た。

 インターホンから聞こえた彼の声は、今にも溢れ出しそうな歓喜を喉元でせき止めている様だった。恐らく、喜びを私と分かち合うために、私が来るまで手に入れた物に触る事を我慢していたのだろう。彼にはそういう、子供っぽい無邪気さがあるのだ。


 「ささ、入って入って」


 玄関の扉が勢いよく開き、仁が忙しなく手招きをする。

 よほど珍しい物が手に入ったのか、こんなにも興奮した仁を見るのは初めてだった。


 そして私は、仁に急かされるまま見慣れた玄関へと入った。見慣れたとはいえ、上り(かまち)を越えた所から伸びるアラベスク模様の絨毯や、壁に掛けられている不気味な仮面とはく製、部屋に入りきらない遺物が庭に置かれたノームの置物の様に立ち並ぶ光景は日本家屋の外観とに激しい乖離を生み出し、まるで扉を通って別世界へ足を踏み入れたかのようだ。


 「手に入れたのはアンティークかい? それとも遺物かい?」


 私が尋ねると、仁は手に入れた物がどちらに分類されるのか一瞬思案し、口を開いた。


 「両方と言える」


 仁は短く答えると、はやる気持ちに操られるかの如く小走りで、一応は客人である私を置き去りにして廊下の奥にある部屋へと消えた。

 私は軽く呆れながらも、靴を三和土(たたき)に揃えてゆっくり彼の後を追った。そして廊下を歩く途中、最後に私がこの家に来たには無かったものが壁や廊下の隅に増えている事に気が付いた。

 物が増えている事それ自体は何らおかしい事では無い。しかし、どうやら新しく増えた物には何らかの関連性があるようで、私は思わず立ち止まって収集品に目を向けた。


 見ているだけで胸の悪くなる様な──そう感じさせるに足る精巧な技術でもって作られた──触腕を携える半人半蛸の怪物を象った彫像や土偶、両生類じみた顔を持つ腰の曲がった集団が冒涜極まりない血の儀式を行う様子が描かれた陶器の壺、その壺に描いてある紋章と同様のものが刻まれた木造りの仮面。


 仁が今まで集めていた物とは比にならないほど悍ましい想像を掻き立てるそれらが、廊下に溢れる収集品の中でも抜きんでて異彩を放ち、否応も無く私の視界に転がり込んでくる。健全な精神の持ち主には到底作り出せないような品々の中、言いようもない不安から来る当惑で視界が歪み始めた時、仁が私を現実へと引き戻してくれた。


 「何をやっているんだ、早く来てくれ」


 部屋から顔を出した仁は、待ち遠しそうな表情を浮かべて私を急かした。私はトランス状態から目覚めたばかりの様に靄のかかった思考を振り払うと、その場から逃げ出すように部屋へと向かった。


 部屋の中には、廊下で見たあの心騒がせる品々の様に異彩を放つ物は見あたらなかった。相対的に他の収集品の価値が下がったように見えるせいか、ただ運良くこの部屋に置かれていないだけか。真実は定かではないが、私は安堵で胸を撫で下ろした。


 「これだよ、見てくれ。素晴らしいだろう? 入手するのにかなり手間取ったんだ」


 仁が部屋の奥に立ち、せき止めていた歓喜を吐露する様にうっとりした声色で言った。仁に促されるまま近づいてみると、これまで大事に整理されていたはずの収集品達を雑に脇へ寄せて作られたスペースにそれは置いてあった。


 アンティークにしてはかなり状態の良い、背面から初期の電話機に用いられた様な円錐形の受話口が伸びたダイヤル付きの木造り箱。滑らかに削られ丸みを帯びた角には縞瑪瑙(しまめのう)の装飾が施され、中央はガラス張りで中が見える様になっていて、その中にはテニスボール程の大きさの鉱石──ウイスキーに溶ける氷が描く流線の様に、複雑怪奇な淀みを持つ見た事も無い緑色の鉱石──が置かれていた。


 「……これはもしかして、鉱石ラジオかい?」


 「そうなんだ。でも、ただの鉱石ラジオではないんだよ」


 仁はアメリカのコメディアンみたいに大きな身振りをしながら興奮した声色で言った。

 鉱石ラジオが珍しくないとは言わないが、仁の集める品にはもっと年代的な──それこそ博物館にあってもおかしくないような代物が幾つかある。

 それらを差し置いて仁に多大なる興奮をもたらす要素が鉱石ラジオにあるものだろうか、と疑問に思い注意深く見ていると、ラジオの内部、鉱石の裏にその答えを見つけ、私は驚嘆の声と共に尻もちをついてしまった。


 「気づいたようだね、これがどんな物であるか──何に関係するものかを」


 そう言って私を見下ろす仁は、病的に歪んだ不敵な笑みを浮かべていた。

 鉱石の裏には、廊下で見たあの紋章──両生類じみた冒涜的宗教団の象徴ともいえる、半人半蛸の怪物をあしらった紋章──が刻まれていたのだ。


 「一体……一体あの紋章は何なんだ?」


 私は廊下で味わった当惑を思い出しながら、未だ不敵な笑みを続ける仁に迫った。


 「聞いて驚くな、あれは海の神クトゥルフを信仰する宗教団体の紋章なんだよ!」


 仁は興奮で声を裏返しながら言うと、自分が熱くなりすぎている事に気付き恥ずかしそうに咳払いをした。


 クトゥルフ──それは有名な小説家H・P・ラヴクラフトと、彼に魅了された名立たる小説家達が創り出した神話、クトゥルフ神話に出てくる主要な神──もとい怪物──の名前だ。その名は小説を問わず色々な所で用いられ、クトゥルフ作品を少ししか読んだことが無い私でさえ耳にした事がある。


 「だがそれは小説の中の──」


 「それが実在するんだよ。君も廊下で見ただろう? あんな風に直接心を揺らすような作品は、実在する物をモチーフにしなきゃ作り出せない」


 当惑する私の言葉を遮り、仁が熱弁する。すると彼は待ちきれないと言わんばかりに受話口を耳に当て、鉱石ラジオが受信するものを求めてダイヤルを回し始めた。


 「鉱石ラジオの最たる特徴が分かるかい? それは使用する鉱石によって受信できる周波数が異なる事なんだ。君はこの鉱石を見た事があるか? 僕は無い。つまり、これはきっと凄い事だぞ、宗教団体が何故この鉱石をラジオに使っていたかを考えればな」


 私はダイヤルに注意を向けながら饒舌に考察をする仁に圧倒され、彼をただ見ている事しか出来なかった。するとすぐに、興奮で肩を上下させていた仁の動きが石のようにピタリと固まった。


 「おぉ……素晴らしいぞこれは!」


 仁は興奮で受話口を持つ手を震わせながら、恍惚とした表情で私の方をゆっくりと振り返った。そして、床に座り込んだままの私に向かって受話口に耳を当ててみるよう手振りで促した。

 廊下の悍ましい品々とクトゥルフ神話に関連性を見出してしまった私の脳はすっかり恐怖に蝕まれていた。しかし、何故か鉱石ラジオの受話口から漂う未知への誘惑に抗い切れず、恐る恐るながらも私は受話口を手に取り耳にあてがった。


 最初に聞こえたのは、水中に顔を沈めた時に聞こえる様なくぐもった音だった。しかし、よく耳を澄ますと、次第に音楽の様なものが聞こえ始めた。

 フルートに似た甲高い音が際立つ、管楽器や打楽器による演奏。それは吐き気を催すような不協和音でありながら心の落ち着く子守唄のようであり、綿密に練られた譜面をなぞっているようでリズムは滅茶苦茶だった。


 その音楽が鳥肌立つほど異質であるのもさることながら、この音楽が鮮明に聞こえるという事実──つまり、そう遠くない場所に発信源があるという事実に怖気が立った。


 「どうだい? 聞こえたかい?」


 「あぁ……」


 誕生日を迎えた子供の様にはしゃぐ仁をよそに、私は呆然としながら受話口を耳から離した。しかし、初めて体験した人の力では到底成し得ぬ異界的音楽は鍋底の焦げの如く脳裏に張り付き、暫く幻聴として聞こえ続けていた。


 「それでだね、ここからが本番なんだ」


 その言葉を聞いた私は、愚かしくも勇敢な仁の神経に感服した。


 「これ以上、何をするって言うんだ?」


 「この鉱石が捉えている周波数の数値を探し出すんだよ」


 私はその案に恐怖を感じ取った。こっくりさんやひとりかくれんぼの様な降霊術が、興味本位にやってはいけないと強く言われるように、この鉱石がもたらす未知の元凶を探ってはいけないという漠然とした恐怖だ。

 しかし、先の降霊術がそうであったように、やめた方が良いと言ったところで、それが尚更に仁の好奇心をくすぐってしまうのは分かり切っていた。


 「……なら、私と一緒にやってくれないか?」


 であれば、仁を止める方法は一つ。私が近くで成功を邪魔する以外無かった。


 「勿論さ、そのために君にもこれを見せたんだ」


 私はその返答に少し安堵し、今日は疲れたという理由で調査を明日に引き延ばした。こうする事で、もしかしたら明日には仁が飽きて、調査を取りやめてくれるかもしれないという淡い期待をしたのだ。仁は少し不服そうに唇を尖らせたが、私も楽しみたいから一人で進めないで欲しいという半ば子供じみた約束に同意させて仁の家を後にした。


 クトゥルフ神話がただの作り話では無いと裏付けるに足る悍ましい品々と、耳に生暖かい狂気を吹きかけられているかのような異界的音楽で精神を摩耗していた私は、自宅に帰るなりベットに倒れ込むとすぐに眠りに就いた。

 そしてその日、ラヴクラフトが描く登場人物が時折り体験するように、私はあり得ざる夢を見た。


 夢の中で私は、太陽が放つ慈悲の光が侵入を許されないほどの深海に居た。

 視界を確保する為の明かりは、私を中心に絶えず旋回を続けるチョウチンアンコウや発光クラゲ達に賄われ、数メートル先は悪意が具現化したのではないかと思えるほどの漆黒が広がっていた。

 すると突如、その漆黒のある一方向からあの異界的な音楽が聞こえて来たのだ。頭の中ではこれが夢で、音楽のする方向へ近づいてはならないという危機感を抱いていたが、夢は完全なる明晰夢では無かった。思考に反して私の体は音楽に誘われ、視界を与えてくれる生き物達は私に追従した。


 次第に大きくなっていく音楽に私の理性は揺さぶられ、視界に映る色鮮やかな珊瑚や舞妓の様に優雅な泳ぎを見せる深海魚に目もくれず、漆黒の先に待ち受ける狂気の正体にのみ目を向けた。


 そして、重低音が内臓を揺らし、フルートの様な音が耳に突き刺さるほど音楽が大きくなった時、私の目の前には、鯨も優に通れるような大きさの扉がそびえ立った。

 その扉はラジオの中にあった鉱石と全く同じもので出来ていて、うぞうぞと伸びた苔が上部まで侵食し、水中でありながら嗅いだ事の無い異臭を漂わせていた。

 この巨大な扉を通る存在は如何なるものか、その先で人間には到底演奏不可能な音楽を奏でているのは一体何なのか。思考がそればかりを反復し、名状し難い妄想が恐怖を掻き立てる。 

 すると突然、扉が砂煙と珊瑚の死骸を巻き上げて数センチだけ口を開いた。そしてその小さな隙間から鋭い眼光にも似た光を目にした事で遂に私の精神は瓦解し、絶叫と共に夢から解放された。


 目が覚めると、窓の外では小鳥が朝の悦びを歌い、慈悲深き光がカーテンの隙間から部屋に降り注いでいた。私はというと、まるで溺れかけていた様に呼吸が乱れ、水中から上がったばかりの様に全身が汗で濡れていた。

 私は脱水症状となっている体を緩和するためにおぼつかない足取りで台所まで向って、水道から流れる一本の滝に犬の如く口を近づけて乾ききった喉を潤し、思考力を取り戻すや真っ先に仁へ電話を掛けた。


 決して脳が記憶を紡いで見せる幻影などでは無いあの禍々しい夢──何らかの超自然的な力によって精神だけが到達した第二の現実──を、きっと仁も経験したに違いない。そう思った私は、仁の精神が無事かという心配と、共感による安心を求めて呼び出し音を聞き続けた。


 しかし、仁は電話に出なかった。


 私は嫌な予感がして、汗でべたつく体もそのままに衣服だけを着替えて仁の家へ車を走らせた。仁の家の前に着くと、私は焦りからインターホンを二、三度連打してから話しかけた。


 「仁、私だ」


 起床して初めて出した私の声は酷く掠れ、自分でも驚くほど別人の様だった。そのせいか、仁はインターホンを鳴らしても中々反応しなかったが、四度目の語りかけでようやく扉の鍵を開けてくれた。


 「良かった、本当に君だったのか……」


 そう言って扉の先から姿を現した仁は、酷く疲れ果てた顔をしていた。しかし、それがあの夢のせいでは無いとすぐに分かった。


 「仁……もしかして寝てないのかい?」


 仁の目の下には大きな隈が出来ていて、瞼は半開きだったのだ。


 「寝れるわけがない。奴等だ、奴等が来たんだ」

 

 仁は何かを警戒する様に外を見回しながら、囁く様に言った。


 「奴等?」


 私が眉をひそめて尋ねると、仁は私を家の中へ強引に引き入れ、扉の鍵を手早く閉めるとチェーンまで掛けた。


 「そう、奴等さ──《深きものども》だよ」


 そう切り出した仁は、昨晩彼が経験した出来事を語り始めた。

 私が帰ってすぐの事、結局仁は誘惑に負けて鉱石ラジオを使用したらしく、その際に新たな発見をしたという。


 ふんぐるい むぐるうなふ くとぅるう るるいえ うがふなぐる ふたぐん


 仁は、この言葉が男とも女とも取れる声──機械で加工したようなものではなく、異様なほど生々しい肉声──で異界の音楽に合わせて繰り返される事を知ったのだ。

 この言葉は「死せるクトゥルー、ルルイエの館にて、夢見るままに待ちいたり」という意味であり、あの放送が限られたクトゥルフの信奉者に向けられた、クトゥルフからの──もしくはクトゥルフに仕える演奏者からのメッセージである事は明白だった。

 しかし、この発見に興奮した仁がクトゥルフについての資料や遺物を部屋に搔き集め、いざ調査を開始しようとしたその時、裏庭から心騒がせる妙な音──水に濡れた平べったい物を一定のリズムで地面に叩きつけるような音──が聞こえたという。


 仁はその音がどうしても気になり、ガラス戸を少し開けて縁側から裏庭を見た。外は既に暗く、コンクリートのブロック塀に沿って生えた広葉樹が穏やかな月の光を遮っていたため、未だに鳴り響く蛙が飛び跳ねている様な音も含め、裏庭の全てが暗闇に飲み込まれていた。


 しかし、夏の生暖かい夜風が部屋に運んできたものが、裏庭で跳ねまわっているものの正体を仁に知らしめた。腐敗した魚やヘドロ塗れの岩礁を思い起こさせる、海の悪い部分だけを抽出し、濃縮したかのような吐き気催す生臭さ。

 仁はその臭いが、深海の異端者──忌むべき半魚人──血を汚すもの──呼び名は様々だが《深きものども》という呼称が最も有名な、クトゥルフ信仰を盛んに行っている存在を意味するものだと直感的に理解したという。


 奴等は恐らく、クトゥルフの信奉者ではない私達があの鉱石ラジオを扱う事を嫌い、口封じも兼ねた暴力的な手段でもってラジオを奪い返す算段を立てるべく偵察に来たのだ、と仁は肩を震わせて言った。

 そして、奇妙な音──奴等の足音──が途絶えた後も中々気配が消えないせいで、もしかしたらすぐにでも襲ってくるのではないかと気を揉んで寝付けなかったらしい。


 以前の私なら、きっと異界の音楽を長く聞きすぎたせいであらぬ精神の錯覚を引き起こしたんだ、と仁を諫めただろう。しかし、昨晩の慄然たる悪夢を見ていればこそ、私は仁が本当の事を言っているに違いないと理解できた。


 「仁、君の話を信じるよ。であれば、早速この家から逃げ出した方が良い」


 眠気と緊張で挙動不審な仁の肩を掴んで私がそう言うと、仁は重々しく首を横に振った。


 「無駄だよ、僕は調べたんだ。奴等は魔術とか魔道具とかいった類の、超自然的な手段でもって獲物を追跡するんだ。つまり、何処に行こうが奴等を欺くことは出来ないのさ。奴等を遠ざける防衛術の様なものも見つけはしたが、すぐに用意できるものではない。……異世界の真理を探究するには、僕等はあまりにも無知すぎたんだ」


 仁が恐怖で声を震わせ、後悔で口元を固く結んだ。だがその表情からは、諦め以外の、底知れない決意じみたものも感じ取ることが出来た。


 「では、どうするんだ?」


 「決まっているさ。何としてでも今日中に、あの見た事も無い鉱石が捉えている周波数を探し出すんだよ」


 仁はそう言うと、気を奮い立たせるように鋭い音を鳴らして自分の頬を叩き、ふらつく足で鉱石ラジオの置いてある部屋へと向かった。私は、仁が見た事も無いと言ったあの鉱石がどこから来たものか殆ど確信に近い推測を持っていたが口にはせず──それが周波数を探し出す事に役立つとは思えなかったし、あの夢を詳しく思い出すのが嫌だったからだ──仁の後を追った。


 

 私が部屋に入ると、仁は既に作業に取り掛かっていた。

 部屋に置かれていたアンティークや遺物はことごとく端に追いやられ、軍隊が使うような大型の無線機が二台──私と仁が手分けして周波数を探す事の出来る様に──鉱石ラジオの隣に設置されていた。

 仁は鉱石ラジオから聞こえる放送が続いている事をしきりに確認しては、大型無線機のダイヤルをこの上なく慎重に回している。


 だが、私は一つの疑念を抱いていた。

 あの悪夢がもたらした狂気による倒錯か、慄然たる体験で私に特殊な能力が備わったのか、あの放送が私達の近くからではなく、異世界ともいえる海の底から来ているものだと確信しており、鉱石ラジオが放送を受信しているのは科学的な電波だけではない何か──恐らく悍ましい眼光の持ち主が異世界から現世界へ足を踏み入れるための扉に使われていた、あの鉱石による超自然的な同調作用のようなもので、普通の無線機では異世界からの放送を受信できないのではないかと思ったのだ。


 しかし、そんな事は仁も懸念し終えていたのだろう。だからこそ、わざわざ受信範囲の広い大型無線機を用意したのだ。

 私は自問を終えると、すぐさま空いている大型無線機の前に座り、仁と交代で異世界からの放送を聞いては大型無線機へ戻る、というのを繰り返した。

 驚くべきことに──作業中は気付かなかったのだが──私はすっかり、周波数を探し出す事が恐ろしい行為だという昨日の感覚を忘れ去っていた。

 寧ろ、明らかにしたいという催眠状態にも似た無意識の好奇心に駆られ、会話も、食事も、水分すら補給する事無く一心不乱に周波数を探し続けたのだ。


 そして、部屋が黄昏の色に染まった頃、私はある周波数でピタリと手を止めた。


 「仁……」


 その頃には、水分も摂らなかった私の声は砂漠のひび割れた大地を思わせるほど枯れ果てており、ほとんど言葉として形成できていないほど掠れていたが、仁は声色から何を成したのか察し、私からヘッドホンを奪い取るようにして耳に当てた。


 そう、遂に周波数の数値を捉えたのだ。


 やはりというべきか、鉱石ラジオより性能がいいにもかかわらず大型無線機から聞こえるものは非常に音質が悪くノイズ混じりだったが、確かにあの異界的な音楽が流れ出ていた。


 「やったんだ……」


 仁は歓喜で声を震わせると、すぐさま顔を引き締めた。


 「ありがとう……でも君はもう帰ってくれ。僕はこの鉱石ラジオについてを資料にまとめて、こういった事に多少の知識がある三須賀(みすか)大学の知り合いに送るよ」 

 

 「何を言うんだ仁。君を狙っている者達がいるんだろう? 私も最後まで手伝うよ」


 私がそう言うと、仁は穏やかな表情で微笑んで首を横に振った。


 「だからこそだよ。君まで道連れにするわけにはいかない。奴等の目的は僕と鉱石ラジオだ、君は帰って、ゆっくり休んでくれ」


 仁の唐突な要求に私は困惑したが、この状況下であまりにも落ち着いた声色の仁に反対する事など出来なかった。


 「……わかった。何かあったらすぐに連絡してくれ、いつでも力になるよ」


 「ありがとう」


 私は渋々ながら仁の家を後にした。自宅に帰った頃には夜の闇が薄く空に侵食しており、昨日と同じくすぐにでも眠れるほど精神的疲労が溜まっていた。

 しかし、昨晩の夢の続きを見てしまうかもしれないと考えれば眠りに就く気など起きるはずも無く、暫くの間本来の目的であった次に書く小説の構想をした。


 それから数時間、あれほど悍ましく、見方を変えれば幻想的とも取れる体験をしたというのに何故かそれらを内容に組み込む気になれず、構想した時間は全くもって空虚なものとなっていた。 

 流石に眠気を抑える事が難しくなり、私は顔を水で濡らせば目が覚めないものかと洗面所へと歩いた。──そして、洗面台に備え付けられた鏡を見た瞬間、私は全身の血が凍り付く感覚に襲われ、思わず驚嘆の声を上げてしまった。


 肌が驚くほど乾いていたのだ。触ってみると、軽石とか園芸用スポンジ、あるいは乾いた猫の舌といったようなザラザラとした質感で、おおよそ人間とは思えないものだった。

 確かに、今日はほとんど丸一日水を飲まなかったが、それだけでこうも肌が荒れてしまうのだろうか。未だ声の掠れも解消されておらず、自分の体に何か異変が起こっているのは確かだったが、最も恐ろしいのはその変化に心のどこかで言いようもない喜びを感じ始めている事だった。

 結果、顔を濡らさずとも目が冴えきっってしまった私は安否確認も兼ねて仁に電話する事に決め、洗面所を後にした。


 リビングに設置してある時計を見ると、針は一時を差していた。仁は起きているか? と一瞬考えたが、彼の境遇を考えれば眠れる訳がない。私は電話の子機を手に取ると、寝室まで歩きながら登録してある仁の番号へと掛けた。


 しかし、仁は電話に出なかった。


 私は呼び出し音がたった四回鳴っただけで電話を切った。いつもの仁ならそんなに遅れる事はまずあり得ない。であれば、一日中寝ていなかったため睡魔に負けてしまったのだろうと思い、しつこく呼び出さなかった。

 ──いや、頭のどこかでは別の可能性──鉱石ラジオを狙う冒涜的集団による襲撃──も考えていた。しかし、仁の家へ向かおうにも、何処かへ消えた私の睡魔が運転中に舞い戻って来るとも限らないし、何より彼はせっかく追い返した私がまた来るのを嫌がるだろう。

 そう自分に言い聞かせると、私はベッドの上に子機を投げて小説の構想に戻った。


 それから程なくすると、突然電話が鳴り響いた。私は仁が電話をかけ直してきたのだと思い、急いで子機をベットからすくい上げたが、そこに表示されている番号は仁のものでは無かった。


 私は嫌な予感に苛まれながらも、声の調子を整えるため三回喉を鳴らし、通話ボタンを押した。──すると案の定、その電話は悪い知らせだった。電話を掛けて来たのは警察で、仁が筆舌に尽くし難い無残な方法で殺され、幾つかの収集品が原型をとどめないほどに壊されるか、燃やされるかしていたというのだ。

 警察は、彼が襲われていたと思われる時間に私が電話を掛けていた為、仁の死について何か知っているのではないかと思ったらしい。

 私は視界が淀むような当惑で警察の言っている事を殆ど理解できないまま、決壊したダムから水が流れ出すかの如く、私が見た夢の事、仁が体験した出来事、鉱石ラジオやそれに連なるクトゥルフ信仰の可能性についてを吐き出した。

 平静な思考を持っていれば、冒涜的な神をまつる半魚人どもが仁を襲い、自分達に繋がる手がかり──あるいは自分達の存在を指し示す手がかりを抹消したのだ、などと話をしたところで信じてもらえない事は分かりきっていたはずなのに、どうしても私一人で抱え込む事が出来なかったのだ。

 私がひとしきり話し終えると、以外にも警察は私を馬鹿にする事無く、後日詳しく話を聞かせて下さいと言って通話を切った。私が殺人に関わっていると疑っているためにわざと話を合わせたのか──警察は犯人を刺激しないよう時としてそうする──のか、仁の凄惨な遺体を目の当たりにして本当に信じたのか、可能性としては前者の方が高かったが、全てを吐き出した私の精神は幾許かの安心を覚えていた。


 しかしそれでも、仁の死という受け入れがたい衝撃からくる立ち眩みに私は抗えず、ベッドに仰向けで倒れ込んだ。やはり、強引にでも仁をあの家から離すべきだったのではないか、電話に出なかった時に車を走らせていれば助けることが出来たのではないか。そう自問している内に、仁の安否という、睡魔を遠ざけるのに重要な役割を果たしていた糸が切れた私の意識は、井戸の中に小石を投げ込むような速度で夢の中へと落ちていった。


 しかし、私が恐れていた予想に反し、夢は昨晩の続きでは無かった。それは、覚醒状態なら思い出す事の無かったであろう、私が七歳だった頃の記憶──認知機能の衰退が激しかった祖母と会った時の記憶だった。


 祖母の顔すら忘れかけていた私は、彼女に会いに行くのが嫌いだったことを夢の中で思い出した。何故なら、祖母は樹皮の様に肌が荒れており、かなりの肥満体で唇は分厚く、映画『スター・ウォーズ』に出てくるジャバ・ザ・ハットを思い起こさせる顔立ちだったため怖かったのだ。


 そんな祖母は私に会うといつも、親が聞いていないタイミングを見計らって、しゃがれた不気味な声で私に囁いた。


 『あんたは随分と()()()()()()が薄まってるねぇ……。でも気ぃつけんしゃい、()()()()っちゅうもんは、最も血が薄まったように見える時にこそ、些細なきっかけで目覚めるからねぇ……』


 当時たったの七歳だった私には、祖母の言葉の意味が理解できなかった。そのために記憶の神殿の地下深く、墓所の棺にしまい込んでいたのだろう。

 しかし、夢として蘇った祖母の言葉は、理解するに足る知性を身に着けた私にとって、この上なく悍ましい意味を孕んでいるように思えた。


 今朝から掠れている私の声や、乾燥の程度が尋常では無い肌は、祖母に見受けられたものと酷似している。だが、これは隔世遺伝などという生易しい話ではない。恐らく、祖母の言った()()()()()()というものが関わっているのだろう。

 しかし、私の知っている限りでは親戚に外国人は存在しない。であれば、マーシュの血が混じったのは相当昔の先祖、それこそ南蛮貿易を行っていた頃の様な外国人の出入りが激しい時期の話で、それが祖母の代まで遺伝情報に癌の如く巣食い、消えたかと思われた私に突如として現れたのではないだろうか。


 マーシュの血、醜悪な遺伝情報、異界的な音楽、深きものども、クトゥルフ神話──私がパズルのピースを夢のただなかで一心不乱に並び替え、一筋の光明を見出したその時、夢はテレビを消す様にプツリと途絶えた。


 私を夢から覚ましたのは、鼻に付く腐った海水のような臭いだった。


 私は直感的に、これが仁の語った《深きものども》の特徴の一つであると悟り、ベッドから飛び起きる様にして時計を見た。時計の針は朝の七時を指していた。

 血の儀式を描いた壺に見た腰の曲がった半魚人。あれが奴等であるなら、陽の光がその醜悪な姿を暴く時間帯に動き回るものだろうか。だからこそ、仁に接触を図ろうとしたのは全て、空が剣呑なる闇に包まれたころでは無かったのか。

 私は疑問を浮かべながらも、ベッドの横に置いてあるスタンドライトを護身用武器として握りしめ、家の隅々だけでなく玄関の外や窓の外まで確認して回った。


しかし、それらしき気配も、痕跡も見あたらなかった。私はそこでようやく、夢の中で得た光明を確信に変えた。──この臭いは、不遜なる海の異端者どもの放つ臭いは、私自身から発せられているものだった。

 きっと、奴等は私の遠い遠い親戚なのだ。とある転機から関わりが断たれ、血が薄まったかに思われたが、あの異世界からの放送が私の中の忌むべき遺伝情報を呼び起こしたのだ。


 そして私は今、当惑に駆られながら事の一端を書き記している。私の精神は恐るべき速さで変態しており、三須賀大学にこの記録を送るのは間違っている、と内なる声が聞こえるほどだ。

 しかし、私は最後までやり通さねばならない。無二の親友であった仁の死を無駄にしたくないという思いだけが、辛うじて私を私たらしめている。


 最後にもう一度警告するが、異世界からの放送を探し出してはならない。仮に探し当てた者が居たとすれば、今度は私も《深きものども》の一員として、奴等が仁にした事と同じことをするだろう。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 遅ればせながら夏のホラー企画を片っ端から読んでいる者です。 本作はテーマ『ラジオ』にクトルゥー神話を絡めた意欲作だと思います。他にも少ないながらクトルゥーを組み合わせた参加者の作品もあり…
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