前編
いつものお約束。深く考えないでください。
注意、女帝と騎士の恋愛ものではありません。
北の大陸は一年のほとんどが雪で覆われた極寒地帯。魔物が闊歩し、作物は育ちにくく、国同士の争い事は絶えない。勢力図は毎日のように塗り変わるその大陸に、ここ数百年最北部に存在し続ける強国がある。
国名をティアーゼ。別名、白雪の国。
…あ、別に烏の濡れ羽色の髪、雪の様に白い肌、赤い唇の超美少女姫がいる国じゃないです。美女って点は一緒ですけど、どちらかと言えば魔女の方かな。…うちの女帝は。
「…何か言ったか、クレヴェル」
「いえ天気がいいですね」
「……そうだな。外に出るには些か支障のある暴風雪だな」
「エヘッ」
やばいやばいやばい。この流れはマズイ。
というか俺の心の声聞こえてんの?!
「お前は顔に出やすい。コロコロ変わる顔は見ていて愉快だ。生かすに値するな?…愉快なうちは」
「ありがとうございます!!」
反射的に頭を下げる。こわい。めっちゃ怖い。面白くなくなったらすぐ魔物の餌にするって聞こえた。もしくは剣の錆。
シェリーヌ様は、本来その人を守る為に配置されている俺…一応護衛騎士長をハンデあり(もちろんハンデを負うのはシェリーヌ様)で下してしまえる程の実力の為、冗談に聞こえない。身の危険を感じる。これだから新人は絶対に護衛に回せないんだよ!!
冗談に本気で怯えて胃に穴開けるからってのもあるけど!1番は!!
「退屈は猫をも殺すという話を知っているだろう?」
シュリーヌ様が椅子に掛けている関係で、下から見上げるようにして流し目を寄越した。絶妙な角度で、その美貌と色気を最大限に利用するような仕草!来る!アレがくるぞ!!意識を強く持て!俺!!
「なあ、クレヴェル?」
ほら来た!
「こういう日はより強い魔物が「そろそろロゼイン卿とチェスの約束の時刻では!?」……そのようだな」
誘惑を振り切りシュリーヌ様が言いかけた要求に既に決まった話をぶつけて聞かなかった事にする。
新人は、陛下への恐怖と、要求を通そうとするときの女神のような微笑みの飴と鞭方式で、陛下の要求を呑んでしまう。そして騎士団長の俺が宰相からえらく怒られる上に予算を大きく制限されるのだ。
……何とか今日は助かった。俺の命。
宰相が迎えに来て部屋を移動する陛下を見送る。扉が閉まる寸前、陛下は嗤っていた。
*
頼りになる副団長と交代して、漸く休憩に入った。副団長は近衛の中でも特に優秀な上感情を読ませない。陛下の要求に対し、手合わせ以外の内容にはほぼ屈しない。安心して精神力の回復が出来る。
「随分疲れているな?今日の近衛は陛下の護衛だろう?」
「マリーン…。わかって言ってるだろ…」
「さてな」
宰相、マリーン・ロゼインは学生時代からの付き合いだ。先程まで陛下とチェスをしていたくせに、この頭脳労働者は疲れた様子も見せずに、俺の隣に腰掛ける。
「今日は陛下はもう外には出ない。安心しろ」
「勝ったのか!」
「……まあな」
間が気になるが、勝ったならよかった!この友人に酒を奢ってやろう。それだけの働きをしてくれた。
…何故俺が喜ぶのか。勝負事で負け続けているから、直接ではないが勝利した事に喜びを感じたという小さい男に限った話ではなく……(微塵もないかと言われれば嘘になるが)本当に、この女帝に仕える者としては喜ばしいことなのだ。
日に一度、陛下と臣下の誰かが、臣下の最も得意な勝負方法で対戦し、勝てれば陛下の要求を退ける事ができる。臣下にもメリットがないと本気で勝負をしない者もいる為、何かしらの褒美を陛下がくださる事になっている。今日の担当はマリーンだった。
陛下の要求は常に同じ。
『退屈だから、外で狩り物をしてくる』
…である。
シュリーヌ様は、この世で1番退屈を厭う。だから人目を盗んでは城を抜け出し、数々の魔物を斬り倒して来たのだが、それに我々が付いていけず、民まで巻き込んで毎日外に暴れに行くのはやめてくださいと頼んだ過去がある。民にまで言われては仕方がないと諦めたふりをしたシュリーヌ様は、しかし、暴れることを諦めていなかった。
その退屈を払拭する為に臣下とゲームを始めた。
曰く、退屈さえ紛れるのなら、別に生死が問われる戦いでなくていい。と。
つまり、楽しければいいのだ。勝っても負けても。誰かと真剣に勝負出来ればそれだけで退屈から遠のくから。…という訳で、俺や副団長が1番陛下の護衛が多いのは、要求を飲まないからだけでなく、愉快だからという理由も含まれる。
そして、その為に陛下は未だに伴侶が居ない。
「国内、大陸内どこの貴族や王族を選んでもダメだ。見合いの為に送られてきた姿絵は一枚残らず塵になった。……ついでに私も切られるかと思った。勝負に勝っておいてよかった…」
「…まさか今日の勝ちの景品は、旦那候補の姿絵を見ることか?」
「いや、"「見たぞ、不愉快だからお前を斬り刻む。何、数ヶ月起き上がれないだけだ。その間の政務は私で十分可能だから安心しろ」"と言われて斬り刻まれたら困るから、姿絵を確認して気に入ったら教えてください。ただし私に危害を加えるのは無しでという条件を付け加えた……」
「成程。確かに斬り刻まれなかったな、お前は」
陛下は既に婚姻していてもおかしくない年齢の筈だが、伴侶がいない。理由は単純で、陛下が首を縦に振らないから。陛下と並ぶに相応しい顔面と能力の持ち主を探しまくって何とか見つけてきても、陛下はくだらないと言って見向きもしない。こちとらそんな希少種見つけてくるのに魔物と敵国の兵士に狙われてるというのに。苦労を知ってもっと労って欲しい。
陛下には次代を担う王を遺してもらう必要がある。勿論陛下もそれは分かっている。しかし結婚しない。それでも臣下が強く言えないのは、シュリーヌ様のお陰でこの国が強く富んで居られるから。懲りずに戦争ふっかけてくる国を撃退し、魔物の脅威に民が怯えなくていいように騎士を鍛えているのはシュリーヌ様だから。
「…この際平民でも、何なら異種族でも構わない。誰か陛下が認める者が現れてくれれば私の胃痛も減るんだが」
「多分ムリ。愉快じゃなくなったって言われて俺が斬り刻まれる方が先だろ」
「…骨は拾って供養してやる」
「頼むわ…」
そんな会話を疲れ切ってしている時だった。
「団長!宰相!緊急事態ですっ!!」
国境近くの魔物討伐に出て行っていた筈の部下が、真っ青な顔で帰ってきた。
*
部下に案内されて俺たちが急いで向かった先には、とんでもない光景が広がっていた。
城内の、室外闘技場。観覧席は多くの騎士たちが立ち尽くしている。
目が離せなくなっているその中心。フィールドには、2つの影。1つはシェリーヌ様で、もう1つはこの辺りでは見かけない肌の色をしている男。ブロンドの髪を一纏めにした旅の装いをしている。
驚くべきは、その2人の体勢だった。
一体何をどうしたらそうなるのか分からないが、フィールドの真ん中に亀裂が一本入っていた。深く大きい刃物が通ったのかと思うほどに綺麗に。そしてその亀裂を挟んで2人はいる。
うち1人……シェリーヌ様が、両膝をついて。
正しく緊急事態と判断。驚き固まるだけで役に立たない騎士どもを押し退けて、すぐ様陛下とその男の間に入り、男に剣を向ける。
「何者だっ!!」
「…おや?僕は逃がしてくれるっていうから手合わせしたのに、嘘だったのかい?悲しいなぁ」
男は悲しいと言いながらその顔は確実に陛下…いや、入り込んだ俺を嘲笑っている。
斬る。
そう決めたのとほぼ同時に、陛下の様子がおかしい事に気づいた。未だに膝をついて、俯いている。だが…小刻みに震えている?
「へ、陛下。今のうちに後退「ふ…くくくっ…!」……陛下?」
「く、くくく。っ…あーっはっはっは!」
陛下が急に笑い始めた。それも俺が陛下の護衛に就いてから初めて見る大笑い!俺もギャラリーも戸惑い騒めく。
訳がわからず首を傾げる不審者。前も後ろも非常時だ!俺はどっちに先に対処すべきなんだ!?急いでギャラリーを抜けようとしているマリーンに答えを求める前に、陛下が何か自身の中で結論を出したらしかった。
「避けろクレヴェル」
「は…。は?いや、しかし!」
「よ け ろ」
「はい」
へいかこわい。睨まないで下さいお願いします。……美って凶器。身体が勝手に動いて、立ち位置をずらした。不審者と陛下が再び対面する。陛下はゆっくりと立ち上がり、男を見据えて、言った。
「お前、私の伴侶になれ」
正に青天の霹靂というのは、こういうことなのだろか。とりあえず、挑戦的に嗤う陛下は獰猛なのに歴戦の兵士達をときめかせるくらいにはカッコよかった。
*
突然の求婚(?)騒動にも関わらず、うちの宰相は冷静だった。直様場所を変えて、陛下の執務室。満足気にソファーにかける陛下、痛む頭を押さえつつ聞いた話を整理するマリーン、護衛のため控えている俺と部下数名そして、例の不審者が机を囲んでいる。
「…つまり、商売の為にこの大陸を訪れ、途中で我が国の国境沿いで大型の魔物に太刀打ちできず死にそうになっていた我が国の騎士を助けて下さった。が、しかし、騎士達は新たに貴方を化け物と認識して話も聞かずに拘束。魔法で城まで連行され、そこを丁度陛下に見つかり、陛下からは"「勝てたら逃がしてやる」"と、言われた為に闘技場で模擬戦を行い、……貴方が陛下に、勝利したと?」
「そうだね」
陛下を前に言いにくそうな宰相に対して、男は余裕を持って返事した。いっそ憎たらしい程に堂々としている。あの陛下を前にしておいて初対面の人間がどうしてこうも恐縮せずにいられるのか。
「……そうなのですか、陛下」
「そうだな」
陛下の様子もおかしい。あっさりと負けを認め、負けたのに大笑いしていたことも含め今に至るまで機嫌がいい。あまりに良すぎる。自分の人生に初めて敗北を刻まれた人間には思えない。
「…まあ、いいでしょう。退屈凌ぎに陛下が模擬戦を吹っかけ、千歩譲って陛下が自分を負かした男に求婚した所までは理解しましょう。貴重すぎる存在ですから。
しかし、貴方は何者ですか。この大陸の覇者である陛下を前に常に一定の余裕を保ち、陛下に勝利したという。どう考えても、普通ではない」
「そうなのかい?僕からすれば、生きる為に呼吸する事と同じくらい当然だけど」
「…商人なら、王侯貴族相手に常に冷静でいられる胆力を持っているかもしれませんが、ただの商人如きが、我らが陛下を相手に五体満足で笑っていられるなど有り得ない」
「随分な言われようだね。世界中を渡り歩いてればそれなりに強くはなるだろう?」
だからって騎士達からの殺気に耐えられるかは別だろ。黒。絶対商人じゃない。
「言っておきますが、我が国の兵の戦闘力は他国のそれを遥かに超えます。そのうえ、騎士達を束ねる陛下は間違いなく国1番の武人です。それを一介の商人が容易く下したと本当に言うんですね?」
「疑われるのは心外だなぁ。そもそも僕は商売に来たとは言ったけど、商人だとは一言も言ってないよ」
出された紅茶に口を付けた。…普通疑わないか?
「おや、そこの騎士くん。僕が何も気にせず紅茶を飲んでいるのが気になるかい?」
ぎくり。
「まあ飲んでも問題ないと判断しただけだよ。僕をどう始末するにしても、君らはある程度までは僕から情報を取りたい。その為に毒を飲ませるとしても遅効性の毒を用意するだろう。でも効き始める前に無効化されるなら、何の意味もないね?」
「…何?毒だと?」
反応したのは陛下だ。
「ご安心を、まだ入れていません」
「そうか。なら良い」
入れるつもりがあったことは隠さない。それがうちの宰相である。そして入れるなとは言わない陛下。……そう言う所です。魔女寄りなのは。
「……商人、では無いのですか?」
「うん。魔術師」
カラカラと笑いながら答える。陛下は魔術師と聞いて驚いたらしかった。俺も剣士と言われるよりは納得だが、嘘だと思った。
「"魔術師が、一対一で剣士に勝てるはずがない"」
思考を読まれたのかと思った。そう思ったのは俺だけではなかったらしく、この場の誰もがその男を注視した。
「…とか思ったのかな?存外北の最強国というのは、思考が平凡なんだね」
「陛下、喧嘩売られてますよ」
「そうなのか?私よりも強者のいう事だ。ただの事実だろう」
陛下、事実じゃないです。俺らは兎も角陛下は平凡な思考はされておりません。
「クレヴェル、後で手合わせ(リンチ)な」
あれ?何で?
「でも平凡なくせに、初めましての挨拶も無いんだね?」
妙に刺々しい…いや、相手からすると助けたのに化け物扱いに拘束されて既に喧嘩ふっかけられた後だしな、苛立ちも当然だよな…。
「……失礼しました。私は、マリーン・ロゼインです。この国の宰相をしています。
こちらがこの国の王、シュリーヌ・ディ・ティアーゼ陛下です。そっちが騎士団長のクレヴェルと、その部下たち…。
貴方の素性を伺っても?」
「レオン・ジルベルト。魔術師をやってるよ」
レオン・ジルベルト?……どこかで聞いた名前だ。
「…貴方は、この国…いえ、この大陸では見ない顔立ちですが、どちらの国から?」
「南だよ。海を挟んで更に南の大陸。君らと違って、魔法のある国の人間さ」
北大陸には魔法というものが無い。魔法で物を綺麗にしたり、火を出したりなんて出来ない。しかしそれでも普通に生活は回るし、何の支障もない。だから、というわけでは無いが魔術師を見たのは初めてだった。だが疑問がまだ残る。魔術師は、長い長い詠唱という物をしなくては魔法を放てない。だから基本的一対一で剣士に勝てない。我々は、その前提があるから、今日ここまで魔法をそこまで脅威と思っていなかった。
「魔法とは、万能なのか?」
「万能ではないよ。そこの女帝の美しさに免じて、君らに浮かんだ懸念事について1つ助言をしてあげよう。
騎士達とまともに戦える魔術師は、多分僕くらいだよ」
支配者の目をした魔術師は、最初から最後まで余裕を崩すことはなく不敵に笑い、そして、忽然と姿を消した。
読了ありがとうございます。後編に続きます。