嵐の前の静けさ(扶桑国)
遅くなりましたが、2章始まります。
遅筆な上に、読み直す度に書き直すタイプなので、遅くなりすぎてしまいました。
「敵さん、どう来るかね?」
統合機動部隊総司令官の神威秀嗣中将は、窓から外の景色を眩しげに見つめたまま、並んで立つ播磨将紀少将に話しかける。ここは統合機動部隊の水上艦隊、旗艦≪しなの≫の艦橋である。
昼を過ぎ、薄くかかる雲の切れ間からは青空も覗く。風もなく、海はどこまでも穏やかな表情を見せている。
水上艦七隻からなる艦隊は、鈴谷基地の港を出港後、要島と黒崎島の間に横たわる海峡を西へ抜け、扶桑海に出ると進路を変更。黒崎島に沿って南下中であった。
艦橋には二人の他に、艦長と六名の当直員がいた。全員が穏やかな海とは裏腹に、どことなく緊張している。艦隊司令官の将紀は内心溜め息をつくと、呆れ顔のまま口を開く。
「先の海戦以来の水上艦隊です。大歓迎してくれることは間違いないでしょうな」
陸海空、そして宇宙。全ての部隊を持つ統合機動部隊の司令官である秀嗣は、本来ここにいないはず……いや、いるべきでは無いのだ。出航前、激励のためやってきた秀嗣は、「折角だから」と半ば強引に≪しなの≫に乗り込んできた。急に支店の視察に訪れた社長のようなものだ。現場にしてみれば、迷惑甚だしい。それが艦橋に漂う緊張感の理由でもあった。
(この人はいつもこうだ)
秀嗣と将紀の付き合いは幼少期まで遡る。近所に住む幼馴染みで、いわゆる腐れ縁だ。突拍子も無いことをしでかす秀嗣と、それに振り回される将紀。この構図は、二人が家庭を持ち、軍内部でそれなりの地位を持った今も変わりがない。
そもそも将紀が軍に入ったのは、秀嗣に誘われたから、というのが理由の一つである。さらに海軍を選んだのも、秀嗣から「俺は船酔いするから陸軍に入る。だから海軍には将紀が入れ」という一言と無関係では無い。
当然、将紀が従う必要は無かった。しかし播磨家は軍人を多く輩出する家であり、将紀も軍人になる事に抵抗は無かった。そして軍に入るならば、海軍か空軍と考えていたのだ。今思うと、秀嗣はそんな将紀の考えを見透かしていたのかもしれない。まんまと乗せられたとは言え、最終的に決断したのは将紀自身である。
海軍に入隊後、数隻の艦の乗員を経てフリゲートの副艦長に就任。その艦がエトリオ海軍と合同演習した際に、今の妻であるエトリオ人の海軍士官と知り合った。翌年、彼女は将紀を追って扶桑国駐留艦隊の士官として現れると、将紀に猛烈なアタックを繰り返した。あまりの勢いに負けて交際を開始。そのまま押し切られ結婚となった。
ちなみに妻の父親は、数年前まで太平洋艦隊の司令官であった大物である。
秀嗣といい妻といい、将紀は自分の人生が押しの強い人間に誘導されていること承知しているが、その結果が良い方向であったこともまた、紛れもない事実であった。今の所は。
ふと、将紀はある事を思い出す。
「そういえば閣下」
「ん?」
艦橋左側の窓から飛行甲板を眺めていた秀嗣が振り返る。先程から秀嗣は、座っている事に飽きたらしく、艦橋内を珍しげに歩き回っていた。艦長を始め乗員達がいつになく緊張しているのは、秀嗣の存在が原因で間違いない。
「船酔いは大丈夫なのですか?」
「ああ。子供の頃は酷かったけれど、大人になったら酔わなくなっていたよ」
あっけらかんと言い放つ秀嗣に、将紀はしばらく硬直していた。外見上は頬を引き攣らせるだけに見える。だが、内心は様々な――主にどす黒い――感情が渦を巻いていた。
(またか? 俺はまた、この人に振り回されているのか!?)
少し気を抜けば、叫び出したくなる気分だったが、秀嗣に(振り回され続けたことで)鍛えられた強靱な精神力で抑え込む。やっとの事で「そう、ですか……」と声を絞り出す。
その様子に、年上の艦長が気遣わしげな視線を送ってくる。
二人が幼馴染みという事は、部隊内に広く知られている。従って、将紀が海軍に入る切っ掛けとなった話は知らずとも、秀嗣に振り回されて苦労している事は想像がつく。その同情の意味合いから来る視線だ。とりあえず、気付かない振りをした。
「国防省より入電。東海艦隊が出航したそうです」
通信士の声に、秀嗣と将紀、そして艦長が弾かれたように反応すると、手近なディスプレイに歩み寄り、内容を確認する。
ズレヴィナ共和国の艦隊は担当区域毎に大きく三艦隊に分けられている。
北極圏から太平洋北部を担当する北海艦隊、扶桑海を担当する東海艦隊、最後にそれ以南を担当する南海艦隊。そのどれもが、二十隻以上の水上艦、そして複数の潜水艦を持つ。
情報は東海艦隊出撃というものだ。北海艦隊、南海艦隊に出撃を示唆する動きは見られない。
「水上艦艇二十二隻……、東海艦隊のほぼ全てですか。潜水艦も十隻はいるでしょうね」
「こちらの三倍以上か。本気で潰しに来たな」
秀嗣は敵艦隊の規模に眉を上げるが、悲壮な様子はない。むしろ気楽とさえ言える。
「しかし南海艦隊が出てこなかったのは幸運でした。先の海戦のように、六十隻を相手にするのは、“少々”骨が折れますから」
偵察衛星の写真から、ズレヴィナ軍の各軍港の物資や部隊の動きが活発化していた。この事から、第二次上陸作戦を計画している事が判明している。
今回の出撃は、敵の第二次上陸作戦に先立ち敵艦隊に損害を与える事が主目標である。敵の準備は大部分が整っていると推測され、南海艦隊が出撃してくる可能性もあったのだ。
「閣下。陸に上がられるべきです。由良市に寄港した際に、迎えを手配します」
現在は黒崎島を海岸沿いに南下中のため、陸に戻ることは容易い。明朝には由良市の港に寄港予定だ。だからこそ進言したのだが、秀嗣は首を横に振った。
「いや。このまま残って海戦を見届けるよ」
「艦隊が敗れ、閣下に何かあれば、統合機動部隊はどうするのですか……」
「まあまあ。今回負けたら、我が国は終わりなんだから」
サラッととんでもないプレッシャーをかける秀嗣。将紀はと言うと、出航してから尽きないため息をさらに一つ重ねる。
「これだけの新兵器を装備した艦隊です。簡単にやられる事は無いでしょうが、“絶対”はありませんからね」
秀嗣の様子から、翻意する事は無いと判断するが、一応釘は刺しておく。
「ああ、もちろん承知しているとも」
その時、秀嗣の持つ携帯端末が震える。海上では、民間の通信機器はほとんど電波が届かない。しかし軍用のものは通信衛星を介し艦の設備を通して通信が可能だ。
端末を見ている秀嗣の表情が、笑みの形に変わる。付き合いの長い将紀には、それが悪巧みが成功した時の顔である事が分かった。
「少し話がある」
顔を上げて切り出す秀樹は、言外にここでは話せない事を伝える。
将紀は部屋に戻る事を艦長に伝えると、秀嗣と共に艦橋を出る。そして近くの司令官室に入る。
室内は応接室となっている。木目調の壁と絨毯敷きの床は落ち着いた雰囲気で、殺風景な艦内の様子とは別世界だ。窓が無く狭い事を除けば、陸上の建物と大きな違いは無いだろう。
秀嗣と将紀は、部屋に用意されている豪華なソファセットに向かい合って座る。世話係の水兵は、二人にコーヒーを出すと将紀の合図で部屋を退出する。
「外務省から、エトリオ連邦との交渉に関する連絡が入った」
政府に太いパイプを持ち、軍事や技術開発に関するアドバイスをする関係上、様々な情報が秀嗣の元に集まってくる。
「まず一つ目。エトリオ軍の参戦は期待できない」
秀嗣はそう切り出すと、コーヒーに口を付ける。ブラックコーヒーが苦手で甘党な秀嗣には、ミルクと砂糖がたっぷり入っている。
「まあ、当然でしょうな」
将紀もコーヒーカップを手にする。こちらのコーヒーにもミルクは入っているが、砂糖は無い。
扶桑国は前の政権が駐留していたエトリオ軍を追い出した手前、戦争が始まったからと言って呼び寄せる事は出来ない。人間関係でも、自分の都合ばかり優先していては、相手にそっぽを向かれる事と同じだ。
だから、基本的に独力でズレヴィナ共和国と戦い抜く事は、軍内の共通認識だ。
外交的には他に、ズレヴィナ共和国の侵略を非難する決議に参加するよう諸外国に働きかけてはいる。世界中からズレヴィナ共和国に圧力をかけ、撤兵を目指すのだ。しかしこちらも、期待を持てない状況だ。
一つは、欧州とエトリオ州が不況から脱していない事である。不況の後、欧州とエトリオ州の各国にはズレヴィナ共和国から多額の資金が流入していた。このため、下手に刺激して資金を引き上げられてしまうと、折角上向きかけた景気がまた沈んでしまう。その事態を恐れており、消極的だ。
もう一つはズレヴィナ共和国に侵略され、属国化した国々の票だ。こちらは宗主国に逆らう筈も無く、反対に回っている。
これが、扶桑国と諸外国の現状であった。
救いは、エトリオ連邦および数カ国の友好国が、食料や日用品を安価で提供してくれている事だ。輸入国であり、さらには国内生産力も低下している扶桑国にとって、非常にありがたい事だ。
ズレヴィナ共和国は、扶桑国への輸出を止めない場合、輸送船でも撃沈すると国際社会を脅しているが、効果は出ていない。
ズレヴィナ軍が通商破壊に出るためには、太平洋側(ズレヴィナ共和国にとって、扶桑国を挟んだ反対側)に進出しなければならず、補給に問題がある。さらには、外国船籍の船舶を撃沈した場合、ズレヴィナ共和国は敵を増やす事になるためだ。万が一にも世界最強の軍を擁するエトリオ連邦の船舶を撃沈しようものなら、参戦してくる可能性さえある。
これが、ズレヴィナ共和国が扶桑国に対しての通商破壊に踏み切れない理由だ。
「二つ目。追加で兵器の無償提供が決まった」
コーヒーカップを戻すと、将紀は悪巧みが得意な幼馴染みの顔を見る。
(この顔は、コーヒーを飲みながら話を聞いたら絶対吹き出すやつだ)
笑いを堪えている秀嗣に、将紀はそう確信していた。
「まず飛行隊の再建のために、≪F-33≫五十機」
「ぶほっ!」
想定を軽々と飛び越えた内容に、将紀は吹き出す。ちなみに≪F-33≫一機あたり百五十億円だ。戦車が一両十億円程度なので、遙かに高価な事は言うにあらず。
「次に、陸軍強化のために≪アトラス≫百機」
「は?」
将紀が立ち直るより早く、秀嗣は言葉を重ねる。立て続けの衝撃に、口を半開きにしたまま、将紀は硬直している。
一機辺りの値段は数億円と戦車より安いものの、兵士一人の装備としては桁はずれの値段だ。
「海軍再建のために、建造中のフリゲート二隻とコルベットを八隻。それから退役予定の艦を何隻かもらえる事になった」
「……」
思考を放棄した将紀は、背もたれに寄りかかると、天を仰ぐ。真っ白な天井は、将紀の心情を表しているかのようだ。
前の海戦で多くの艦船を失った扶桑国としては、非常にありがたい。しかし建造中の最新鋭艦まで無償提供とは、度が過ぎた。
「最後に、弾薬を必要なだけ」
ピクリとも動かない将紀を、秀嗣は満足そうに見ている。
「あー……、どんな手を使ったのですか……?」
たっぷり一分以上かけてから上半身を戻すと、将紀は眼前の幼馴染みに向けて口を開く。
扶桑国が数年かけて揃える規模の兵器を、無傷で提供させる。予想だにしない大盤振る舞いに、将紀は困惑を通り越し、不気味な感情しか無かった。秀嗣が噛んでいる事に間違いはない。
「兵器が足りないから、このまま戦い続けても押し負けると伝えただけだぞ」
眉をひそめる将紀に、さも心外だと言わんばかりの秀嗣。
エトリオ連邦にとっては、扶桑国は様々な意味で重要な同盟国だ。
地理的には、西からの攻撃を防ぐ盾として。経済的には貿易対象――特にレアメタル――として。軍事的には、共にズレヴィナ共和国という共通の敵を持つ国として。
だが、それよりも重要な事は、数々の新兵器を開発しうる高度な技術を持つ事実だ。もし扶桑国がズレヴィナ共和国に敗れる事になれば、新兵器の技術は、かの国に流出する事になる。
軍事バランスを一変させる強力な新兵器の流出は、“世界の警察”を自負するエトリオ連邦にとって、決して許容できる事では無い。
兵力を展開する事が出来ない情勢にあって、兵器の提供は、エトリオ連邦が出来る精一杯かつ唯一の支援であった。
「まあ、あとは新兵器の実戦データを渡す事になっている」
新兵器が実用化されるまでには、数々の試験を行ってブラッシュアップしていく必要がある。実戦のデータを得る事が出来れば、その手間が省け、さらに開発の助けになる事は疑いない。
「どちらにせよ、新兵器のお陰ですか。確かに軍事バランスをひっくり返す程のものですからね」
将紀は納得してみせる。自身も、艦隊が装備している新兵器の威力を見た時は、雷に打たれたかのような衝撃を受けた。と同時に、「これで戦える」と確信を得たのだ。だからこそ、今回の海戦で最大の戦果を挙げられるように“秘匿”し続けていた。新兵器は戦闘開始まで擬装しておくように厳命している。
「敵さん、新兵器見て度肝を抜くだろうな」
「まあ。もし内容を知っていたなら、南海艦隊も出していたでしょうね。自分も新兵器を見て驚く、敵司令官の顔を見てみたいものです」
揃って意地の悪い笑みを浮かべる秀嗣と将紀。二人とも四十代の中年ながら、まるで悪戯の成功を思い浮かべる子供のようですらある。将紀は秀嗣に文句を言いながらも付き従う辺り、気が合うことは間違いなかった。
「ともあれ、我々は初めての戦闘ですし、電源にも不安はあります。気は抜けませんね」
気安く話し合う幼馴染みの二人。
「陸では子供達が戦っているんだ。無様は見せられんぞ」
「ええ、我々も戦いを始めましょう。先の海戦のように、好き勝手はさせません」