Aパート 3
有事における柔軟性を確保する意味合いもあり、王都ラグネアで勤務する騎士たちの独身寮は王都各地へ点在させる形となっている。
中でもラグネア城内に存在する独身寮への居住を認められた者は、これすなわち、
――将来を約束された精鋭。
……ということになるだろう。
仮にも国の象徴たる王城住まいを許されし者たちなのだから、これは当然のことだ。
光の魔力を操れる者は無条件で、そうでなくとも成績抜群の者が選抜されこの栄誉に預かることになる。
王城住まいとなれば、他の独身寮に配置される騎士より所領面――とはいえ実際に領地経営をするのは国なので給与高を表す額面的なものに過ぎない――でも大いに優遇され、しかも、他の寮と違い個室住まいとなるのだから、一般的な騎士とはあらゆる意味で身分が異なるのだ。
そんな騎士の鑑と呼ぶべき人材が集う城内独身寮の自室で、
「ふ、ふひひひひひ……!
――腐腐腐腐腐腐腐腐腐腐」
……少女騎士ケイトは、もはや人類が浮かべてはいけない笑みを浮かべながら、敬愛する主から託されし任務に没頭していた。
敬愛する主とは、当然ながら巫女姫ティーナ――ではない。
彼女が真に所属する秘密結社、『素晴らしき白薔薇の会』を統率する大首領ティーである。結局、同じではないかとつっこんではいけない。
「気が高まる……! 溢れちゃいますぅ……!」
陽はすでに沈んでしまっており、この世界に生きる者の常ならばとうに就寝の支度をしていてしかるべき時刻だ。
だが、ケイトは油皿に照らされ、口からヨダレを垂らしつつ、血走った目でガラスペンを走らせ続けていた。
――ガガ!
――ガガガガガ!
硬質極まりないペン先が羊皮紙を削る、心地良くも無機質な音が室内に響き渡る。
恐るべきは手の動きのよどみなさであり、これは、彼女の脳内に存在する薔薇色の世界(比喩表現)が、寸分の間も置かず文字という形で出力され続けていることを意味していた。
「そして……勇者ショウは……グフフ……。
異形の姿……ブラックホッパーへと変身し……デュフフ……。
その背から六本ものサソリの尾じみた触手を生やし……腐腐腐!」
……どうやら彼女が描く世界の中では、勇者ショウ本人すら存じぬ謎の新フォームが爆誕しているようである。
「そして……そして……!」
そしていよいよ、ケイトのボルテージが最高潮に達した!
「――煉獄滅殲!
――塵芥滅殲!」
叫びながら、最後の数行を書き記し……精も根も尽き果てたケイトは、そのまま机の上に突っ伏す。
執筆者の矜持として、気絶しながらも顔は原稿の上を避けており……。
無事に脱稿されたその中で展開されているのは、果たしてディストピアかユートピアか……。
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王都ラグネアの片隅……。
港湾施設群再整備計画に則り、再開発を待つばかりとなった一角に、その造船所は存在した。
もはや打ち壊されるのを待つばかりとはいえ、これだけの巨大設備ならば所有者が明らかとなっていてしかるべきであるが……それを知る者は存在しない。
幾人もの中間所有者が巧妙に挟まれており、実際に所有するのが何者かであるかを調べることができぬようにされているのだ。
そして、打ち捨てられ人が来るはずもないこの場所に……多数の婦女子が入り浸っていることを知る者も、またいない。
それは、幸福なことであったろう。
悪の秘密結社『素晴らしき白薔薇の会』の恐るべき企みを知る者がいたなら、待っている結末はただ一つのみであるのだから……。
「作業は順調なようですね……」
二階から眼下で繰り広げられる作業を眺め、大首領ティーは満足げなため息を漏らした。
彼女が見下ろす先――かつて船舶を建造するために用いられていた場所で行われているのは、か弱き女子たちが従事するにはあまりに過酷な重労働の数々である。
指定図をもとに活字を並べ、校正刷りをしては修正を加え、少しずつ……少しずつ版を完成させていく。
やがて数頁分の活版が完成したなら、そこから先は別班に託される。
活版を託されし彼女らの役割は、職人芸であり、力仕事でもあった。
ガチョウの皮で作られた子供の頭ほどもある特大スタンプに、たっぷりのインクを付けて完成した活版にインクを乗せていく……。
そして、剥がされた羊皮そのままといった形の羊皮紙を慎重に印刷機の上蓋へ固定し……活版の上に挟み込んだ。
これをプレス機の下に動かすと、位置が合ってることを確認し……レバーを回すのである。
レバーを回す……ひと言で言っても、これが大変だ。
万力と全く同じ原理で圧力を加えるこのプレス機は、当然ながら大型化したことに伴い、必要とする力も増している。
レバーというよりは騎乗槍といった太さのそれに、『素晴らしき白薔薇の会』所属の女子たちは数人がかり取りつき、どうにかこれを回すのであった。
十分な圧力が加わったのを見て、プレス機から印刷機を取り出す。
果たして蓋を開けると……羊皮紙には見事、数頁分の活字が印刷されていた。
この羊皮紙が剥がされ、またもや別班へと手渡される。
この班が担当するのは、印刷された羊皮紙の裁断だ。
会員の中でも服飾を得意とする者が選び抜かれた彼女らの手際に、迷いはない。
特大の定規と小刀を手に、次々とこれを切り裂いていく。
そうして完成した原稿はまたもや別班の手に委ねられ、製本されていくのだ。
「素晴らしい……手作業による写本とは、雲泥の差です」
大首領ティーが、率直な感想を口にする。
工程の一つ一つが繊細かつ、重労働であるのは疑う余地もないが……人の手で一字一字を書き写すよりははるかに効率的かつ、正確だ。
新たな時代の幕開け……それを大首領は感じずにいられなかった。
「それもこれも、全ては装置を考案した大首領様の英知あってのこと……」
そばに控える側近の言葉に、しかし、大首領は首を振る。
「いえ……実現してみせた皆の努力あってのことです」
「それと、幸運にも感謝じゃの……。
あの時はこんなものを用意してるとは知らなかったから、主殿もワシも全く気にせずハマラの奴と戦ったからのう……」
ボケーッと作業風景を眺めていた会員レッカが、かつての戦いを思い出しながらうんうんとうなずく。
余談だが、あの時足場にしたり飛び越えたりしていた木箱の中には試作された部品の他、『素晴らしき白薔薇の会』秘蔵のムフフな本や資料も大量に収まっており、もしこれをぶちまけたりしたらとんでもない絵面になるところであった。
「それもこれも、全ては運命の巡り合わせ……。
我らがこれを成すのは、神々と精霊の定めし天命であるということです」
ついに完成した活版印刷本の第一号を配下から受け取りながら、大首領ティーが感慨深げな言葉をつむぐ。
「――ふふ」
そして、完成した本を読み進めるうちに自然と含み笑いが漏れ出し……。
――ふふふふふ。
――腐腐腐腐腐腐腐腐腐腐。
それは周囲へ伝播すると、造船所内へ響き渡っていったのである。
こうして、腐っているという意味のビルドは続けられていく……。
これに従事する女子らの理性はとうの昔にクローズしており、止める者など存在しない……。