Bパート 6
あるいは、レクシア王国最大の建築物たるラグネア城以上に人間という種の権勢を強く感じさせるのは、港湾部に停泊する帆船の数々である。
――まるで、小さな砦をそのまま海に浮かべたかのような。
船を知らぬ者が一見したならば、そのような感想を抱くことであろう。
無理もあるまい……。
大陸間貿易が盛んになり始めた初期時代の小型帆船であっても、実に四〇人以上の水夫が乗り込み、それ以上の重量がある貨物を積み込むのだ。
砦をそのまま海に浮かべた、は決して誇張表現ではないのである。
驚くべきは、それだけの巨大建造物を動かすのが風の力であるという点だ。
かつて、神々と精霊たちはこの地上を創り、同時に太陽を始めとする様々な自然の理も生み出した……。
その所業の偉大さを実感できる話であり、それを余すところなく活かす帆船という存在は、言うなれば天に座す存在と人間との共同合作であると言える。
その共同合作のうち一つが、火柱を上げながら命脈を断たれた。
まるで、天から飛来する星々の子のような……。
正体不明かつ、猛烈な速度を誇る何かが甲板から船底に至るまでをたやすく貫通し、同時に小爆発をも巻き起こしたのである。
こうなっては、たまらない。
まるで、子供が川に浮かべる葉船が沈みゆくように……。
その巨体が嘘のように、あっけなく海中へと没していく……。
人類の英知を結集し、膨大な人員と予算を投じた海上建造物は、百を数えるか数えぬかという内にその姿を海上から消し去り、海の中で魚たちの棲み処となる末路を迎えたのである。
「他愛……ない……」
その様子を大灯台の頂上から眺めながら、装魔砲亀バクラは満足げな吐息を漏らしていた。
前日……王都南部を隠れ潜みながら観察した人間共の様子を思い出す。
あれだけ多くの人間が出入りし、魔人たる彼には理解できかねる概念だが……貿易とやらで、それ以上の数を食わせていくというこの船という建造物。
それが、ほんの少し指先をひねるだけで瞬く間に海の藻屑と化していく……。
「何とも言えぬ……愉悦よ……」
これが楽しくないなら、魔人という種に生まれた甲斐がないというものだろう。
自分たちより圧倒的に劣る劣等種が、それでも矮小な頭と力を結集して、どうにか造り上げた成果を踏みにじる……。
これこそまさに、力持つ者にのみ許された悦楽である。
「魔人王様……俺にこの力を与えてくださったこと……感謝します」
今だけは軽蔑すべき人間共がそうするように天を仰ぎ、しかし、神々や精霊などより遥かに偉大な存在へ感謝の言葉を捧げた。
これまで、バクラという魔人戦士の人生を表現するならば、
――報われぬ。
……このひと言であっただろう。
彼の権能は、直接的に何かを破壊し殺害せしめるものではなかった。
唯一、獣烈将ラトラのみは千年前の経験からその有用性を理解し引き立ててくれたが、力が全てを決する魔人社会においてバクラがどのような思いをしてきたかは語るまでもないだろう。
その潮目が、変わった。
魔人王がバクラを見い出し授けてくれた新たな力によって、彼の権能は今代の勇者すらも近寄れぬ強力無比なものになったのである。
報われなかった人生が、一瞬にして翻った喜び……。
魔人王復活という全魔人族の悲願を己が手で叶えられるであろうという期待感……。
それに加え、圧倒的な力による破壊と蹂躙という羨望して止まなかった余禄までついてくるのである。
今まさにバクラは、人生の絶頂に到達していると言えよう。
だが……、
「――何っ!?」
その口から、驚愕の声が漏れた。
--
竜騎士にとって、最も重要な武芸は何かと問われれば、それは弓術を置いて他にない。
これは当然のことであり、慣習として騎乗槍こそ装備はするが、竜にまたがり空を舞う彼らに元来接近戦を演じる機会など存在せぬのである。
とはいえ、この弓術鍛錬……口で言うほど容易いものではない。
ただでさえ騎乗しながらの弓術は難度が高いというのに、彼らが駆る騎竜は空中を自在に舞うのだ。
鞍上の不安定さたるや、筆舌に尽くしがたいものがある。
逆説的に述べるならば、竜騎士という存在は空中騎乗からの狙撃という不可能を可能とした者たちであり、レクシア王国最強の弓取り集団と言えるのだ。
で、あるから、彼らにとって今回与えられた任務は、
――芋を切るよりも容易い。
……代物であった。
騎竜の鞍にまたがってではなく、地にしっかりと足を付けた状態からじっくり狙いを付けて射抜く。
この好条件ならば、隠れ潜む民家の木窓越し、的がごく小さな一輪の花であっても、彼らにとっては必中あたうのである。
――ビュン!
……という空気を裂く音と共に、矢が獲物である花を射抜き、花弁と茎とを泣き別れにする。
まるで、小さな紫の火が燃えているような……。
いかにも不吉さを感じさせる花は、暖炉の灰が散るようにたちまちの内に霧散し消え果ていった。
この花が、自然の理によって生まれた存在ではないという証左である。
「――よし! すぐさまここを離れるぞ!」
騎士スタンレーは同伴するもう一人の竜騎士にそう告げると、亡き竜の遺骸から得られた素材で作りし混合弓を担ぎ上げた。
爆音が鳴り響いたのは、その時である。
情けなくも逃げ帰るしかなかった先の時を思い出し、一瞬だけ目をつむった。
……しかし、名も知れぬ魔人の一撃が破壊したのはスタンレーらが隠れ潜んでいた家屋ではなく、別の無関係民家だったのである。
「どうやら、勇者殿の推測は正しかったようだな……」
「ああ、やっこさん、めくら打ちしているぜ」
同僚と笑みを交わし合う。
「そのめくら打ちに当たっては目も当てられん。さっさとこの場を離れよう」
「そうだな。臆病であるのは大事だ」
「まして、同伴してるのが大の博打下手ではな」
「ここでそれを持ち出すなよ」
軽口を言い合いながらも、迅速にその場を離れて行く……。
似たような光景は、南部の各所で繰り広げられていた。
--
「よし、また敵の『目』がせばまったな」
王都中央部と南部の境目と呼べる区域……。
そこに仮設された本陣の机で伝令の報告を受けたヒルダは、また一つ地図上のバツ印を増やした。
「それにしても、まさか本当に花を己が『目』として使っているとはな……」
感嘆の眼差しを、隣にいる勇者へ向ける。
「植物というものの感知能力……これは決して侮れるものではない。
おれは植物学者というわけではないが、おれの暮らしていた世界にいた研究者は、時にそれが人間すら上回ることを解き明かしていたよ……」
勇者の言葉に、ヒルダのみならずその場にいる全員が深くうなずいた。
子供たちが目にしたという、見たこともない紫の花……。
勇者ショウは、それこそが敵の精密射撃を成立たらしめている『目』であると推察したのである。
そして今、その正しさは証明されたのだ!
「ま、あえて付け足すならワシの手柄でもあるのう……。
こういった時に備え、ワシは常日頃から情報収集を欠かさぬのじゃ!」
レッカの言葉を軽く流し、ヒルダは伝令たちとのやり取りを続ける。
その差配は的確なものであり、極度の緊張を強いる作業であることを意識して探索役の斥候も狙撃役の竜騎士も、順に交代させながら任に就けてゆく。
配下に十全の力を発揮させるその手腕は、騎士団長の面目躍如であると言えるだろう。
何も、自分一人で武勇を誇る必要はない……。
総員で力を合わせ、勇者一人で及ばぬところを補い助け合っていく……。
その架け橋こそが、彼女であるのだ。
だが、順調に地図上のバツ印を増やしていくその顔がわずかに曇った。
「そうか……いや、よくやってくれた。休息を取るがいい」
報告してきた斥候を労い、ため息を吐く。
「やはり、完全に射線から逃れる術はないか……」
勇者ショウもため息こそ吐かないが、その顔は険しい。
頼もしき斥候たちと竜騎士らの働きにより、敵の『目』はほぼ完全に潰すことができた。
しかし、名も知れぬ魔人が陣取っているのは王都の誇る大灯台である。
そもそも、周囲には建物らしき建物がなく、これに近づくならば数百メートルも身を晒しながら駆け抜けねばならないのだ。
射線が通った対象に対する射撃の正確さと連射能力は、既に思い知っているところである。
「なあに! ワシのバイクモードと主殿の操縦技術が合わされば何とかなるさ!」
レッカがからからと笑うが、彼女をして声音に緊張感が漂っていた。
「そうだな……何とかするしかあるまいか……」
勇者ショウも緊張と共にうなずいた、その時である。
騎士団長室へしまいに行く暇もなく、ヒルダの腰へ下げるままとなっていた石斧……。
歴代騎士団長に代々受け継がれていたそれが、まばゆい光を放ったのだ!
――真なる戦士の覚悟に目覚めし時、聖斧は蘇りてあらゆる敵を烈断せん。