Aパート 5
連日の魔人襲来にもめげず、日々、漁に、商いに精を出す……。
王都ラグネアに生きる人々のたくましさと言ったら、筆舌に尽くしがたいものがあるだろう。
無論、身の危険を感じ地方へ疎開した者の数も百や二百ではきかない。
だが、大多数の王都民はこの地に残ることを選び、今日も今日とて生業に励んでいた。
これには、そう簡単に生まれ育った地を捨てることはできぬという中世文明世界ならではの理由も存在する。
しかしながら、それ以上に大きいのはこの地に生きる人々の心意気であろう。
「おう! 兄ちゃんたち! 仕事から帰って来たら一杯ひっかけてくんな!」
「あんた! 余所から来た行商さんかい!? だったら、うちのお守り買っていきな! 効果はてきめん! 魔人が出ても安心だよ!」
「先日の買い占め騒動で、石鹸の備蓄が尽きてしまった皆さん! 当店では大量仕入れに成功してます! 慌てずにお並びください!」
目抜き通りでは、今日も商売人たちが威勢よく声を張り上げている。
「どーよ! 旦那! 前より立派に仕上がっているだろう!?」
「おお! 助かるぜ! これで商売が再開できらあ!」
「前使ってた屋台はボロかったからなあ! 丁度いい機会だったんじゃねえか!?」
「この野郎! 前がボロだったは余計だ!」
先日、斬風隼魔ハマラなる魔人の暴威に多大な被害を受けた港湾部……。
そこでは、倒壊した建物や破壊された木組みの屋台が、王都の誇る大工たちによって長足の勢いで復活を遂げつつあった。
人体に生じた切り傷が、かさぶたで覆われるように……。
王都ラグネアは今、魔人によって負わされた傷の再生を果たしつつあったのである。
「ふっふ……。
ブロゴーンめは確か、勇者の復活を人間共の農業に例えたと聞いているが……。
なるほど、ここから再び絶望に叩き込めば、さぞかしふんだんに負の感情が搾り取れることであろう……」
そんな人々の賑わいようを、物陰から眺める者がいた。
人間ではない。
……魔人である。
全身を亀の甲羅がごとき甲殻で覆われ、右手には長大な金属筒を携えたその姿は、新たに地上侵攻の尖兵として送り込まれた魔人――装魔砲亀バクラであった。
それにしても、バクラが誇る隠形術の何と見事なことであろうか……。
いかに物陰へ隠れているとはいえ、人々が最も活発に行き交う昼時の目抜き通りである。
現に、バクラが潜む目と鼻の先を一人の男が通りすがった。
……が、気づかない。
商売人であろう風貌の男であり、何らかの事情で急いではいるのだろう。
しかし、間違いなく視界の隅には入っているであろう魔人を気にも留めぬというのは、明らかに異常な事態であった。
気配を殺す、などという生易しい技術ではない。
バクラの有様は、己の存在そのものを完全に無としているかのようであった。
魔界の三将軍すら完全に欺いていたその隠形術を、余人が見抜くことなど不可能であろう。
「さて、人間共の暮らしぶりを観察するのもなかなか面白いが……。
俺もこ奴らにならい、仕事をするとしようか……」
呟きながらバクラが足を運んだのは、目抜き通りの路地裏だ。
何と言っても王都ラグネアが誇る目抜き通りであり、人々の通行を快適なものとするべく、道の端に至るまで石畳が敷き詰められている。
しかし、それもさすがに表通りに限っての話であり、少々歩けば剥き出しの地面を眺めることができた。
「ふうむ……」
バクラはしゃがみ込むと、そんな変哲もない土をじっくり眺める。
「やはり……魔界の土とは力が違う……。
ここならば、よく根付くことであろう……」
言いながら地面に指を突き刺し、穴を穿つ。
そしてどこから取り出したものか……小さな植物の種子をそこに放り込み、丁寧に穴を塞いだのである。
「魔人王様は……夢の中でこうおっしゃられた……」
亀のごとき甲殻で覆われたその顔面に、表情というものが浮かぶことはない。
しかし、もし人間であったならうっとりとした顔をしているであろう……そう思わせる声音であった。
――知っているか? 亀は万年と言ってな……生命力の象徴とされる生き物だ。
――お前がそういう能力を得て生まれたのは、きっとそこら辺が関係しているんだろうさ。
――俺はお前の能力、好きだぜ?
「亀は……万年……」
夢の中に現れた魔人王の言葉を反芻しながら、手のひらを地面に……そこに植えられた植物の種にかざす。
すると……おお……これが魔人王に賞賛されしバクラの権能か!?
たった今植えられたばかりの種子は、瞬く間に発芽し茎を伸ばし葉を備え……見るも美しき紫の花弁を開いたのである。
一見すれば糸細工のようにも見える細やかな花弁を放射状に広げた様は、遠目に見れば紫の火が燃えているかのようであった。
「これで……よし……」
バクラは満足げにうなずきながら、その場を後にする。
無論、これはただ人寂しい路地裏を彩るために行った慈善行為ではない。
魔人が持つ闇の魔力で生み出された以上、いかに美しくとも、この花が恐るべき破壊をもたらす道具となるのは明白であった。
雑多な人々でにぎわう王都ラグネア南部を、天性の感覚と長きにわたる修練で会得した隠形術で渡り歩いて行く……。
バクラが立ち寄った先には、必ず一輪の花が咲き誇ることとなった。
そして日も傾き始め……最後の一輪を花開かせたバクラは、勝利の確信と共にこうささやいたのである。
「人間共よ……今宵ばかりは安らかに眠るがよい……。
だが……貴様らが目を覚ました時、我が権能と魔人王様から与えられし力が……その安寧を打ち砕くことになるだろう……」
そして、演奏者が愛用の楽器を愛でるように……。
この世界に存在しないはずの武器――砲を優しく撫でたのであった。