Bパート 4
「天よ! 地よ! とくと見るがいい!
貴様らの庇護せし人間共が、我が魔力によって物言わぬ姿となる様を!」
太陽の光も豊かな大地も奪われ、故郷を追放された魔人族として、ブロゴーンは呪詛の言葉を吐き出した。
同時に、魔杖を正眼に構えその身に秘められた闇の魔力を引き出していく……。
それは三日前、ブラックホッパーをブロンズ像へと変じせしめた時の再現であった。
女魔人の頭部から髪の毛がごとく生える蛇たちが鎌首をもたげ、瞳に怪しき光を宿していく……。
やがてそれは光の線として撃ち放たれ、魔杖の先端部に備え付けられし蛇の頭を模した飾りへと収束されていくのだ。
収束された邪光は見る見る間に充実して膨れ上がり、蛇飾りの眼前で巨大な球体を形成していく。
かつてそれは、閃光となって勇者へ殺到した。
だが、此度ブロゴーンが用いた術法はそれとやや異なるものである。
邪光は閃光となって弾けず、巨大な球体のまま天へと撃ち放たれた。
竜騎士たちが飛翔する高度を越え、遥か天空で邪悪な光を放つ様はさながら闇の太陽といった様相である。
戦場に集う誰もが、一瞬だけ戦いを忘れそれに見入った。
――暴投か?
――術の制御を誤ったか?
人間たちの中で楽観的なものは、そのような考えを抱く。
だが、仮にも魔人戦士として地上侵攻の任へ当たらされる者に、己が権能の扱いを違える者などいようはずもない。
これこそが、狙い通りなのだ。
その証拠に――見よ! 女怪が浮かべし邪悪そのものの笑みを!
それは哀れな獲物をいたぶり蹂躙する、暗き喜びに満ち満ちているのだ!
「――弾けろ!」
ブロゴーンが左手をかざし、ぐっと握り拳を作りながらそう号令する。
何が弾けたかなど、言うまでもあるまい……。
遥か天空へと撃ち放たれた邪光の塊が、散体し無数の光条となって地上へ降り注いだのだ。
先までが闇の太陽であるならば、これは闇光の雨である。
その雨は、突撃を敢行する騎馬部隊へ情け容赦なく降り注いでいくのだ!
「させない!」
指揮を執るヒルダと共に後方へ待機していたティーナが、馬上で始祖伝来の石杖を構える。
すると、騎馬部隊の上方にホッパーを守ろうとした時同様の守護魔法が展開されていく……。
相手の術法に合わせ、こちらも同じ術ではない。
今度のそれは障壁でなく光の盾として、騎士それぞれの上方を守護し呪いの光条を食い止めんとした。
そして勇者を守ろうとした時同様、ガラスが割れるような音を立てながら次々と光条に打ち破られていく。
「ああっ!?」
「ぐあああああっ!?」
悲鳴と共に騎士たちがもだえる。
それは彼らが騎乗する軍馬たちも同様であり、健気にも主を落とさぬよう努めながら、しかし、悲痛な鳴き声を上げ首を振り乱す。
そして……騎士たちはブラックホッパーと同様その身を青銅の塊へと変じ、ブロンズの騎士像となってその動きを止めたのだ。
――キー!?
――キー!?
邪悪な呪詛の餌食となったのは、何も騎士たちばかりではない……。
それは、ブロゴーンが従えるはずのキルゴブリンたちもまた同様であった。
最下級の魔人兵士たちは苦悶の叫びを上げながら、次々と見るも醜きブロンズ像へ変じていく……。
何という、恐ろしさであろうか……。
ブロゴーンはいちいち敵のみに狙いを絞るなどという迂遠な真似をせず、味方もろともにこれを浴びせかけたのだ。
「下がれ! 下がれ!」
『うおおおおおっ!?』
唯一この災禍を逃れたのは、騎士スタンレーの号令により持ち前の旋回速度で身を翻した竜騎士隊と、斬風隼魔すら上回る飛翔能力を持つドラグローダーである。
特に、ドラグローダーはただ回避行動を取っただけではない。
『おのれ! かくなる上はワシ自らが主様に代わって貴様を討ち取ってくれるわ!』
鋼鉄の翼からおびただしい光の粒子を放ち、超立体的な軌道を描きながら大将たるブロゴーンへ襲いかからんとしたのだ。
「ふん……。
鉄トカゲ風情が私を討ち取ろうだと?
――笑わせるなっ!」
だが、これに慌てふためくブロゴーンではない。
かまくびをもたげた頭部の蛇たちが、今度は魔杖を介さず直接に無数の光条を撃ち放ったのだ。
『ぬうううううっ!?』
さしもの竜翔機といえど、これはたまらぬ。
濃密な対空攻撃に対し回避行動へ専念する他なく、自慢の火球を撃ち放つことさえままならなかった。
「ハハハハハハハハハハッ!」
迎撃を蛇らに任せながら、ブロゴーンが哄笑を上げる。
「勇者恐るるに足らず!
聖竜恐るるに足らず!
巫女に至っては勝負の土台にすら立てていない! ――ッ!?」
さすがに大規模な術を行使して疲労したのか、青銅魔人がわずかにふらつく。
しかし、次の瞬間にはしっかりと大地を踏みしめなおし、再度迎撃の光条を撃ち放った。
「貴様らが誇りとする騎士たちも、そのほとんどが物言わぬ像へと成り果てた!
安心するがいい! 我らの世が訪れた後、こやつらは勇者もろともに陳列してくれるわ!
――我らへ歯向かった愚か者としてな!」
『――おのれっ!』
ドラグローダーが悔しげな声を漏らすが、いまだ反撃の糸口を見い出すことはできずただ回避へ徹するばかりである。
そしてこの戦場にもう一人……悔しさから唇を噛む者がいた。
他でもない――巫女姫ティーナである。
「何のために……」
馬上で石杖を握りしめながら、つぶやく。
――何のために、議員たちを説き伏せこの場へ馳せ参じたのか!?
――無力な傍観者となるためか!?
――否! 断じて否である!
自分はいまだ動けぬ勇者に代わり、魔人を誅すべく参陣したのではないか!?
なのに、この様は何か……?
勇者のみならず、己へ忠を尽くした騎士たちまでもが青銅像と化したのは誰のせいか!?
――やるだけのことはやった。
――全力は尽くした。
本当に、そうであろうか……?
自分にはいまだ、後生大事に抱えているものがあるのではないか……?
――そう。
へし折れてもかまわない……それだけの力を込めて、始祖から受け継いだ石杖を握りしめる。
――振り絞るべきは、出し尽くすべきは魔力のみではない。
肉体の奥……心の臓よりも更に内奥に存在する、魂魄そのものと呼ぶべき場所からそれを引きずり出す。
するとかつてないほどの……本当に自分のものなのかと疑えるくらいに強大な力が湧き上がった。
だが、それも当然のことだろう……。
此度、引き出したのは魔力のみではない……。
――今、絞り尽くすべきは己が命!
ティーナは、自分の生命力そのものを燃やして最後の勝負に挑まんとしているのだ。
「姫様!? おやめください!」
ティーナの全身を炎のように包み込む光の魔力を見て、察したのだろう。
かたわらのヒルダが、悲痛な叫びを上げて主を止めた。
「ヒルダ、後のことは頼みます」
しかし、それには応じず……ただにこりと、生来のやわらかな笑みを浮かべながら後事を託す。
「騎士たちよ……今、元の姿に……」
自身でも意外なほどにおだやかな心境で石杖を構えた、その時である。
――石杖の内部から、おびただしい光が漏れ出した。
「これは……?」
驚きとまどうティーナをよそに、その光はいよいよ輝きを増し、自身を薄皮のように覆っていた石の膜を脱皮するように引き剥がしていく!
そうすることで姿を現したのは、大神殿に飾られる壁画の中で、初代巫女が手にしているのと同じ……。
青を基調とした柄に見事な金細工を張り巡らせた長杖――聖杖本来の姿である。
――真なる勇気と共に抱かれし時、聖杖は蘇りて邪なる力打ち払わん。