Bパート 4
「お、お、お主!? どうしてそんなことを!?」
体力消費の少ない人間形態となり、慌ててブラックホッパーに問いかける。
先代聖竜の牙を自分に突き立てなくては、儀式の完了とはならぬ。
勇者は今、自分自身の手で聖竜を臣下とする手段を永遠に失わせてしまったのだ。
「……いざ、牙を突き立てようという時になって、あらためて気づいたことがある」
変身を解除し、人間――イズミ・ショウの姿に戻った勇者はおだやかに語り出す。
「――君はまだ、子供だ。だから儀式を取りやめることにした」
「な、なんじゃと!?
だから! ワシはもう五十を超えてると言っておるではないか!?」
人間形態との年齢ギャップに触れられ、思わず両腕を振り回しながら怒りの声を上げてしまう。
その件に関しては、密かなコンプレックスなのだ。
何しろ、どうがんばってもこの姿にしかなれないのである。
本当はもうちょっと……色んな所が突き出た大人の女に変じたいのだ。
「さてはお主、なんやかんや言ってまだ信じとらんな!?」
「いや、年齢に関して疑っているわけではない」
プンスカと怒る聖竜をなだめるように両腕を突き出しながら、勇者は続ける。
「だが、それはそれだ。
聖竜がどのくらい生きるのかおれは知らないが、そのくくりにおいて君はまだまだ幼年期にある。
――違うか?」
「それは……まあ、そうじゃが……」
歯切れ悪く答えた。
数百年の時を生きる聖竜にとって、五十年というのは「たった」と言って良い年月である。
霊峰とその麓に広がる大森林地帯を棲み処とする聖竜であるが、この五十年、日々の全てが発見と喜びに満ちており、まだまだ退屈などは出来そうにない。
「ならば、君の仕事はよく学びよく遊ぶことだ。
断じて戦うことではない……おれはそう判断した」
「じゃ、じゃが! ワシは聖竜なんじゃぞ!? その力を得たくはないのか!?」
「確かに、君の力は素晴らしい。
もし助力を得られたのならば、確実に今回の魔人を倒せるだろう……。
――だが、何とかするさ。きっとティーナたちも対策を練ってくれている」
「そ、そは言ってもじゃ! 祖母様からの申し送りでも、試練を乗り越える勇者が現れたら全力で協力するよう言われておるし……」
自分でも、自分が何を言っているのか分からない。
さっきまで自分は、戦うのが嫌で嫌で……それで九日間もこの勇者から逃げ続けていたはずなのに。
「聖竜としてこの世に生を受けた……それは戦う理由にならないと、おれはそう思う」
勇者はそう言うと、手近に存在する倒木へ腰かけた。
何となく、自分もその隣に座る。
「おれもな。生まれた時からこんな体だったわけじゃない。
だが、無理矢理にこの力を与えられ、どうにか心まで化け物とならない内に逃げ出した」
遥か天上の星々を眺めながら、勇者が己の過去を語り出す。
おそらく、その瞳に映っているのは星空ではない何かなのだろう。
「そしておれは……戦った。そうせざるを得ない宿命を背負ってしまった。
おれをこんな風にした組織は、他にも邪悪な改造人間を幾人も生み出していて……止められるのはおれしかいなかったからだ」
勇者はそこまで言うと、空を見上げるのをやめて聖竜の瞳をじっと見据えた。
「だから、背負ってしまった宿命のために戦うつらさと苦しさは、誰よりもよく分かっているつもりだ。
君は確かに聖竜として生まれ、特別な力と運命を持っているのかもしれない……。
――だが、ここにはおれがいる。ブラックホッパーがいる。
君におれと同じ轍を踏ませたくはない」
思わず目を逸らし、地面を見つめる。
きっと勇者の眼差しが、あまりにも真っ直ぐだったからだと思う。
「ふうん……そうか、本当に人間か? あるいは異界の人間というのはこんなのばっかなのかと思ったが、最初からそうだったわけではないのか」
何を言ったものか分からず……。
つい口をついて出てしまったのは、そんな憎まれ口半分の言葉であった。
と、そこまで言ってふと疑問が思い浮かんだ。
「それじゃあ、そうなる前は何をしとったんじゃ?」
「うん? こうなる前か……もうずいぶんと昔の話になるな」
再び星空を見上げながら苦笑する姿は、二十代の青年と思えぬ年輪が感じられた。
「おれはな。工科大という場所で、研究者をやっていたんだ」
「研究者か? 一体、どんなことを研究しとったんじゃ?」
「バイクだ」
「バイク?」
「乗り物の一種でな、こんな形をしている」
勇者が木の枝を手に取り、地面に描いてみせたのは……見るからに面妖極まりない、車輪二つの乗り物である。
「何じゃこれは!? こんなのに乗ったら、転んでしまうではないか!?」
「止まっている状態だとそうだな。だが、この部分にエンジンというものすごいパワーで車輪を動かす装置がある。
こいつを回してスピードを出せば、車輪二つでも安定して転ばず進むことができるんだ」
「ふうむ……そんな物作らずとも、馬か竜に乗れば良いと思うがのう」
「竜はおれの世界にいないが、馬ならいたな。
だが、馬とはスピードも何もかもが違う。
――おれはな。自分が設計したジョーカー号に乗って、誰よりも早い風になるのが夢だったんだ」
「夢……夢、か」
自分は――聖竜は夢など持たない。
棲み処とする霊峰には生まれた時から必要な全てがあって、満ち足りていて、時には先代のレクシア王やティーナがやって来て、ここにはない刺激を与えてくれたのである。
だから、夢など持ったことはないし持つこともないと思っていた。
でももし、それがやりたいことを意味する言葉であるのならば、この時聖竜は生まれて初めて夢を持ったのかもしれない。
「もっと……」
「うん?」
「もっと聞かせてくれるか? 夢の話とやらや、お主がいた世界のことを……」
「いいとも。
まずは、そうだな……」
ショウと聖竜は、それから時間を忘れて語り合った。
ショウのいた世界の話は何もかもが新鮮で、面妖であったが、彼はその全てを分かりやすく噛み砕いて説明してくれたものだ。
夢中になって語り合う。
だから、気づかなかったのかもしれない。
遠方から、邪悪な殺気を孕んだ視線が向けられていることに……!