Aパート 4
「……では、授業を終わりにする」
このような時であっても……。
いや、このような時だからこそ、予定通り孤児院での授業を終えたおれは、教壇から生徒である孤児たちを見回した。
「…………………………」
授業内容になかなかついていけず、頭から煙を噴き出しそうなほど疲労困憊なレッカはさておき……。
他は皆が皆、何かを言いたそうな……しかし、口を開く勇気が湧かないような……。
そのような、微妙な表情を浮かべている。
かような心境であっても、授業内容をいつも通り吸収してくれた様子であるのは、感心するべきところであるだろう。
「さて、授業はここまでだが、今日はみんなに言っておくべきことがある……。
――昨日の件だ」
おれの言葉に、あの場……ラトルスカと死闘を演じていた大神殿前の広場へ駆けつけてくれた数名がびくりと肩を震わせた。
「まずは、礼を言わなければならないだろう……。
――ありがとう。
みんなの助けがなければ、おれの命運はあそこで尽きていた。
奴は……ラトラとルスカが合体して生まれた魔人は、それほどまでの強敵だったのだ。
みんなが時間を稼いでくれたからこそ、その後につながったんだ」
礼の言葉と共に深く頭を下げていたおれは、そこまで言い切ると頭を上げる。
「しかし、その上でなお……おれは君たちを叱らなければならない」
我ながら、苦労して表情筋を操り……。
あえて厳しい顔を作りながら、おれは子供たちを見回した。
「おれや、騎士の人たちが戦っているのは、まさに君たちのような未来の希望を守るためであり、そんな君たちがおれのような人間を救うために命をかけるのは、あってはならないことだ。
また、君たちが抜け出したことを知った時の、院長先生の心境を考えてもみて欲しい……。
あえて何も言わなかったとうかがっているが、その心中たるや決しておだやかなものではなかっただろう」
実際、授業前に挨拶を交わした院長先生からは深い疲労と心労がうかがえたものだ。
彼の年齢を考えれば、それが原因で何かの発作を起こしたとしても想像しすぎということはあるまい。
「救わねばならぬと思うほどやられておいて、このようなことを言うのはどうかと思うが……。
二度と、あんな危ないことはしないと誓ってほしい。
……約束できるかな? どうだ?」
そこでようやく笑みを作ると、子供たち一人一人の目を教壇上から覗き込む。
果たして……。
「はい!」
「絶対にもうしません!」
「約束します!」
あの場へ来てくれた子供たちが、それぞれしっかりとそう約束してくれた。
叱られた幼子が、その場限りの約束をするのとはちがう。
真実の誓いが彼らの瞳に宿っていることを確認し、おれは教室の外に向けて声をかけた。
「よし! それじゃあ、感心な子供たちにおれからのご褒美だ。
――ヌイ! 入って来てくれ!」
「……はい」
いつも通りの、無機質な声音と共に……。
様々な焼き菓子の乗せられたサービスワゴンを押しながら、ヌイが入室してくる。
――ワアッ!
子供たちの反応はと言えば、劇的だ。
何しろ、散々勉学で頭を使ったところで、おれのごときいかめしい男からお説教を喰らったのだ。
心も体も、糖分という安らぎを求めていたにちがいない。
「ちゃんとみんなの分を用意してあるから……取り合わないで……仲良く食べて……ね?」
さしものヌイも、子供たちの迫力に少しばかり苦笑いを作りながら……。
楽しいおやつの時間が始まった。
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甘いものを食べた時に特有の、脳髄を充足感が満たしていくこの感覚……。
こればかりは、改造人間となる前から共通のものだ。
今日はひとしおそれが強いのは、単にヌイの焼いてくれた菓子がおいしいからだけではなく、おれ自身、子供たちに負けず劣らず頭を使っているからであろう。
考えることは多い……。
旺盛な食欲で焼き菓子をほおばるレッカや子供たちを見やりながら、今もまたそのことへ思案を巡らせる。
考えることは、ただ一つだった。
――魔人王レイ。
……奴は果たして、何を考えているのか、だ。
まず解せないのは、地上と本拠地を結び付けておきながら、なぜ、軍勢を率いて攻めて来ないのかという点である。
かつてのブロゴーン戦……。
そして、大将軍ザギとの決戦……。
両者はいずれもが、互いに軍勢を率いてぶつかり合う合戦であった。
二つの戦いにおいて勝利を収められた大きな要因はと言えば、敵軍を構成するのが指揮者を除けば全てキルゴブリンであったことだろう。
だが、今度はちがう。
レイが……魔人王がその気になれば、キルゴブリンのみなどとケチなことは言わず、二つ名を持つ魔人戦士たちを大挙して押し寄せさせることができるのだ。
あれだけの強者たちが、百も二百もいるとは考えがたいが……。
しかしながら、十や二十で終わるということもあるまい。
そやつらが、それぞれキルゴブリンの部隊を率い、連携して戦に当たるならばいかな王国騎士団と言えど太刀打ちできるか、どうか……。
そして、もう一つ……これは昨日の段階から気になっていたことがある。
魔人王レイ……貴様はなぜ……。
――ホワイトホッパーとしての姿を明かさないのだ?
……変身した奴とブラックホッパーの姿は、甲殻の色さえ除けば瓜二つだ。
おれが奴ならば、例の黒雲を用いホワイトホッパーとしての姿を大いに見せびらかすことであろう。
さすれば、どうなるか……。
何しろ、勇者を名乗る者が敵の首魁とそっくりの姿だったと判明するのである。
あまり楽しい想像ではない。
少なくとも、昨日の勝利は……サンライトホッパーの誕生はありえなかったのではないか?
おれにはそう思えてならないのだ。
レイはとことんまでふざけぬいた男であり、間抜けな男であるが、ただそれだけではない。
拳を交えた手応えからは、表面上からはうかがい知れぬ深い思慮を感じ取れたのである。
「先生……」
「ん? どうした?」
遠くを見据えていた意識が戻り、眼前の少女を見やった。
この子はやや引っ込み思案なところもあるが、孤児たちの中では年長に当たることもあり、他より広い視野で年少の子らを見てやれる子である。
そんな彼女が、こう言った。
「先生は……レッカちゃんは……行かないよね?」
「…………………………」
その言葉の意味が分からぬ、おれではない。
気がつけば、孤児たち全てがおれとレッカを見つめていた。
「大人の人たちは、みんなこう言ってるよ?
――勇者様たちだけで戦わせることはないって」
「約束したから、もう危ないことはしません」
「だから、先生たちも危ないことはしないで!」
おれは、その言葉に何も言い返すことができない。
それはレッカもまた同様であり、極めて珍しいことに菓子を食べる手を止めながら、困った顔でおれを見つめてきた。
そんな目で見られても、困る。
おれに言わせれば、教師という職業はあっても先生という職業は存在しない。
ただ、呼ぶ側が勝手に先生と付けるだけなのだ。
この子たちは、おれを先生と呼んでくれている。
そんな子供たちに対し、守れぬ約束をすることだけは、できなかった……。