Bパート 1
大将軍ザギの打倒を記念してのお祭り騒ぎも過ぎ去り……。
現在、王都に漂っているのはうっすらとした危機感と警戒心……そしてそれを上回る希望であった。
――魔人王復活。
王国議会の方針により、この報は包み隠すことなく人々へ知らされている。
魔人王が人間の姿で王都に出没したこと……。
居合わせた騎士たちは気絶させられてしまったものの、なんとかそれをしのいだ巫女姫たちの目撃証言によれば、魔人としての姿は伝承通りヘビの特質を備えたものであったこと……。
そして駆けつけた勇者ブラックホッパーと激突し、死闘の末に撤退したことを……だ。
このふれに対する人々の反応を端的に言い表すならば、それは、
――来るべき時が来た。
……ということになるだろう。
鉱石魔人による王城襲撃に端を発して以来……。
数々の魔人が事件を引き起こし、そのたびに王都の民は負の感情を発してきた。
感情のたかというものは、貨幣を数えるように量れるものではないが、それでもよほど楽観的な者でなければ、魔人王の復活は近いと判ずることができる。
事実として、先日に行われた大将軍との会戦ではかつてない規模の魔人軍が地上に現れているのだ。
――もはや魔人王の復活を止めることはできない。
――近い内に、伝説の災厄は必ず復活することであろう。
女たちの井戸端会議から、貴人が集う会合の場に至るまで……。
王都に住む人々の見解は、おおよそその方向で固まっていたのである。
ならば、人々は悲嘆に暮れたのかと言えばこれは断じて否だ。
――勇者が!
――ブラックホッパーが必ず魔人王を倒してくれる!
魔人王に関する人々の会話は、必ずこの結論で締められる。
そして、それはただの希望的観測ではなかった。
大将軍ザギとの死闘を経て眠りについていた勇者は、無理を押して魔人王出現の場へ駆けつけ、倒すまでには至らなかったもののこれを撃退することに成功したのだから……。
――勇者ホッパー!
――無敵のホッパー!
どれほどの脅威が迫ろうとも、それを上回る希望があれば恐れるに足りない。
勇者の勝利を信じる人々は、ただ粛々と日々の仕事に精を出し、来るべき日に備えていたのである。
王都上空を黒雲が覆ったのは、そんなある日のことであった。
この雲を見て、神々と精霊たちが形作った自然の摂理によるものだと考える者は皆無であろう……。
ほんの百数える前までの間……。
空には雲一つなく、太陽がさん然とした光を地上へ届けていた。
だが、まるで純白の帆布へインクを落とすかのように……。
空の至る所に突如として漆黒の染みが出現し、それはまたたく間に広がっていくと黒雲を形成して太陽の光をさえぎったのである。
「なんだ……?」
「いきなり妙な雲が出てきたぞ……!」
空を指差しながらうろたえる人々であるが、次の瞬間に思い浮かんだのは共通の認識であった。
――魔人族!
……このことである。
天地の理を越えた現象を巻き起こし、平和に生きる人々を混乱の渦中へ落とす……。
もはや、馴染み深くすら感じられる魔人族のやり口であった。
――一体、今度は何をするつもりか!?
――どんな魔人が現れる!?
――もしや、魔人王本人が攻め入って来るのか!?
数々の事件とそれによる経験は、王都に暮らす人々の対応能力を極限まで高めている。
男たちは、女子供など周囲にいる力なき者をすぐさまかばえるよう身構え……。
女たちは、繰り返し下達されている避難経路や避難場所を再確認し合う。
何があろうとも即座に行動できるようにする人々であったが、次に起こった現象はそんな彼らにとってすら全く予想外のものであった。
まるで、鏡面のように……。
あるいは、水面のように……。
地に向いた黒雲の表面が、どこぞの光景を映し出したのである。
――魔法による虚像!
それにしても、王都全域を覆うほどの巨大さで展開されるとは、なんという魔力のすさまじさであるか……。
虚像の中に映されているのは、おそらく、どこぞの城に存在する玉座の間である。
映し出される光景から確認できる建築様式も、装飾として配されている品々の様式も人界のそれとはずいぶんと異なるものであるが……。
虚像の中心部に位置する一際立派な作りの椅子は間違いなく玉座であり、そこに座る者の権威を示すものであることが知れた。
その玉座に腰かけるのは、一人の美青年だ。
――奇矯。
……そう形容する他にない人物である。
身にまとった純白の装束は縫製こそ見事であるものの、各国からの渡来人が行き交う王都ラグネアですら見られない様式だ。
よく整っている顔には軽薄な笑みを浮かべており、頭の上には装束と同種の布を用いているのだろう純白の帽子をかぶっていた。
「なんだ……?」
「人間……?」
「もしかして、あれがおふれにあった魔人王か……?」
多くの人間は、怪訝そうに上空の虚像を眺めながら推測を口にしていたが……。
中には、これを指差しながら声を上げている者たちも見られた。
「あ、見ろ! あの酒がやたら強い兄ちゃんじゃねえか!?」
「あ、あの時助けてくれたおじ……お兄さん!?」
「牛と一緒に消えた変なお客さん!?」
王都各地で口々に指差しながら叫んでいるのは、いずれもこの青年と短い交流を持った者たちである。
『あー、あー……。テス……テス……。
本日は晴天なり。本日は晴天なり……』
彼らの声が聞こえてか聞こえずか……。
虚像の中でふんぞり返る青年が、のん気にそう独り言を漏らす。
余談だが、ついさっきまで晴天だった空はおそらく彼のせいで猛烈な曇り空となっていた。
『うん、問題ないみたいだな……。
本日は空をジャックして、魔界は魔城ガーデムからお送りするぜ……』
その言葉を聞いて、人々の顔色が変わる。
顔色が変わった理由は、他でもない……。
――魔城ガーデム!?
――何それ!?
……いきなり知らない単語を聞かされて、首をかしげてしまったからであった。
『え……あれ?
――あ、そうか。千年前は俺が地上に乗り込んで返り討ちにあったから、お前らはこの城知らないんだっけ?
ガーデムっていうのはね。当時イキってた俺がこう、自分の権威を象徴する的なサムシングで造らせた城で、実は威張り散らすためだけでなく各地から人と物を集積することで、まだ統一されて間もなかった魔界に潜む種々様々な問題の洗い出しを――』
脳内で描いていた段取りと、人々の反応が異なったためであろう……。
焦った青年が、聞かれてもいないのにペラペラとガーデムとやらにまつわる歴史を語り始める。
その様はさながら、滑った芸について延々と解説する出立て芸人のごときであった。
――キー!
――キー!
虚像の外側から、これは聞いた者も多い魔界の尖兵――キルゴブリンの叫び声が響く。
『え? 巻きで?
ああ、うん……。
――諸君、突然驚かせてすまなかったな?
もう想像もついているだろう……。
俺こそが全魔人族の王――レイだ』
――魔人王レイ!
伝説に語られし人類の仇敵が、大急ぎで威厳のある声を作りながらそう宣言した。
『俺の顔に見覚えのある者もいるだろう……?
そうだ。俺は先日、お前らがうちのザギを倒して開いていた祭りを楽しませてもらった。
――タダ酒飲ませてくれた皆さん、ご馳走様でした』
虚像の中で、魔人王が律儀に頭を下げる。
『だが、大将軍を倒しただけでちっと浮かれすぎなんじゃねえか……?
魔界にはまだ、二人の勇者が存在するんだぜ?
こいつらに関しては、お前らも伝承とかで知ってるだろう?』
果たして、いつの間に抜き放ったものか……。
いや、そもそもどこから取り出したというのか……。
魔人王の手に、いつの間にか剥き身の剣が握られている。
タチアナ街道での決戦に参加した騎士たちの中には、これを遠目に見たことがある者もいた。
……大将軍ザギの手にしていた、魔剣である。
『お前たちの出番だぜ!
――ラトラ!
――ルスカ!』
魔人王の両目が怪しき輝きを宿すと同時、手にしていた魔剣も目が眩むほどの閃光を放ち……。
――次の瞬間、地上に二筋の雷が落ちた。