5:未来に見る夢 -Return-
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二対の強い意志を込めた視線に射貫かれた時、俺の内側に途轍もない驚愕が生じた。それは電気信号の奔流と化して脳殻内を駆け巡り、制御不能に近い激しい動揺を呼び起こす。
《――警告。ケイ、貴官の感情指数が規定値を超過しています。このままでは不規則言動、及び作戦行動に支障を来す恐れあり。鎮静剤の投与を推奨します》
「……いや、良い。大丈夫だ、<イチョウ>。少し、予想外のことが起きて、驚いただけだから。すぐに持ち直す……うん、もう正常だ」
素早い警句を送ってきた優秀な相棒を制しつつ、俺はどうにか自力で動揺を抑え込んだ。考えるのは素数列などの無関係な事柄。そうやって一旦意識を逸らしてしまえば、機械的に制御された俺の感情は即座に落ち着きを取り戻し、平常な状態へと回帰する。
結果、立ち直るまでに要した時間は数秒にも満たなかった。傍目には「僅かに目を見開いた」程度の微表情が表れただけだろう。少なくとも、眼前の二人にこちらの動揺を悟られるような不手際は起こしていない筈だ。
その上で俺は考える。何故、赤の他人でしかない主従が見せたやり取りに対して、あれだけ凄まじい感動――そう、俺は紛れもなくそう呼ぶに値するものを得たのだ――が生じたのか。しかし、分からない。俺は彼女たちの何に感銘を受けたのだろう。
起きたこと自体は至極単純だ。心を許し合う友人関係にある者同士が、強度の喪失経験を経て共感に至り、お互いを慰め合うことで悲嘆反応から立ち直った、……というだけである。これと似たような事例は他にも数多く存在し、ましてや彼女たちと精神的共通項を持たない第三者の俺が、何故これほどまでに影響されそうになったのか。
俺が思索に耽る間にも、メリアルム・シア・マグオルとハンナ・アーヴィルの両名はこちらに近付いてくる。彼女たちが示す表情にこちらへの害意や拒否感はなく、その点に於いては接近を看過しても問題なさそうだが、
「……待て。そこで止まるんだ、二人とも」
俺は敢えて二人を静止した。その理由は明確。彼女たちの意識が俺よりも、明らかに拘束された状態のコートランドへと向いていたからだ。その事実からまず想定し得る状況は、仇討ち或いは復讐といった行為である。
そして案の定、メリアルム・シア・マグオルは決然とした表情を保ったまま、こう言ってのけたのだ。
「ヴァリア・コートランドを、こちらに引き渡して頂けませんか。彼が犯した罪は私が裁きます。<マグオル共和国>の国民として……、大統領であった父の志を継ぐ者として」
俺は「やはりそう来たか」と思った。彼女の感情や立場を考慮すれば当然の望みだろう。仮に私情に因る行為でなかったとしても、自国に叛逆の牙を剥いた元・将軍位の人間を国家主権者の代表として処刑できなければ、あらゆる方面に対して面目が立たない。
しかし、だ。
「それは、今すぐには許可できない」
俺は首を振って拒否の意志を示した。コートランドをこの場で処刑するわけにはいかないからだ。少なくとも、彼に量産型鋼撃兵を貸与した<アルデガルダ帝国>の繋ぎ役に関して、可能な限りの情報を搾り取った後でなければ。
そうメリアルム氏に伝えると、しかし彼女は意外にも「分かりました」と頷いた。思わぬ素直さに不審を感じた俺へ、直後に彼女はこう言った。
「では、ヴァリア・コートランドの身柄と人権を貴方に一時譲渡する見返りとして、今回の軍事クーデターに<エクィアス連合国>中央政府がどれだけ関与していたかを明らかにして頂きます」
「……なんだと?」
予想外の要求に俺は眉を顰めた。彼女はなにを言っているのだろう。クーデターの実行犯はあくまでもヴァリア・コートランド個人であり、その裏にいる真の首謀者は<アルデガルダ帝国>だ。当然ながら<エクィアス連合国>がクーデター実行に関与、或いは協力したという事実はない。
返答に迷う俺に対し、メリアルム氏は畳み掛けるように言葉を重ねてくる。
「ケイ・サーヴァー少尉。まずは私とハンナの命を救って頂いたこと、心から感謝致します。加えて、クーデター実行犯であるヴァリア・コートランドの捕縛に関しても多大な助力をして頂き、<マグオル共和国>を代表してお礼を申し上げます」
彼女はそこで言葉を切ると、深々と礼をして見せた。傍らのハンナ・アーヴィルも続く。両者共々に、疲労を感じさせない堂々とした立ち振る舞いだった。一方の俺は面食らってしまい、曖昧に頷き返すことしかできない。
やがて、たっぷり数秒間経ってから頭を上げたメリアルム氏は、口元に微笑みを湛えたまま先の発言を継いで言う。
「……その上で確認させて頂くのですが、貴方はこの場に現れた直後、コートランドへ向けてこう仰いましたね? クーデターの首謀者、と。ならば、<エクィアス連合国>はどの時点でその情報を掴んでいたのでしょうか?」
そこで一息入れ、
「コートランドは曲がりなりにも、長年に渡って我が国に仕えてきた将軍です。表向きの態度は忠臣そのもの。では、貴方たち<エクィアス連合国>は、なにを以て彼を反逆者であると判断したのか。その根拠をお聞かせ願いたいのですが」
ここまで聞いて、ようやく俺はメリアルム氏がなにを言わんとしているのか悟った。
「……俺たちが、ヴァリア・コートランドの叛意を事前に察知しておきながらその行動を今まで看過したと、貴方はそう言いたいのか?」
「ええ。だって、それ以外に説明が付かないではありませんか。コートランドの行動は迅速で、私たちが国外へ向けてクーデターの真相を発信する時間も与えようとはしませんでした。あくまでも「報国の英雄」として自分を喧伝する目的が彼にあった以上、その情報統制は徹底的に為されていた筈です」
なのに、と言葉を区切ったメリアルム氏の眼差しは、もはや凍えるような冷たさを宿している。俺は再びの驚愕に打たれていた。これが、ついさっきまで絶望に打ちひしがれていた二十歳そこそこの女性がする目だろうか? いったい、彼女の内面でどのような変化が起きたのだろう?
呆気にとられる俺の前で、メリアルム氏は発言を続けていく。
「……貴方は一切疑う素振りもなく、コートランドを反逆者と断定しました。勿論、当時の状況から判断した可能性も否めません。しかし、だったら何故、彼の裏に<アルデガルダ帝国>が居ることまで知っていたのですか?」
「――……ッ!!」
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「……随分嬉しそうだな。そんなに帝国が恵んでくれた肩書きは着心地が良いか、裸の王様? 剥ぎ取られた時の顔が見ものだな」
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俺は己が零した失言を、今更になって理解する。
そうだ。状況判断からコートランドの立ち位置を推察したならば、あの発言は明らかに不自然だ。少なくとも<エクィアス連合国>が事前にヴァリア・コートランドと<アルデガルダ帝国>の関係を知っていなければ、そんな発想が出る筈もない。
俺はメリアルム氏の表情に明確な猜疑が浮かんでいることを見る。とんでもないことになってきた。保護対象を救助しに来た筈が、まさか『敵』として警戒されることになろうとは。
そしてなにより悪いことに、彼女が語る内容は多少の思い違いを含むとは言え、ほぼ事実に即している。実際に<エクィアス連合国>は<マグオル共和国>内に諜報員を潜伏させており、ヴァリア・コートランドの不審な動きに関しても、ある程度の確信を持ってそれを追っていた。
だからこそクーデター勃発からほぼ間を置かず、俺はこの場に駆け付けることができたのだ。しかし、コートランドの謀反を放置したというのは間違いだ。単に<エクィアス連合国>の行動開始より早く事態が進行してしまっただけで、そもそも俺たちは本来ならば『クーデターを事前に防ぐ予定』であったのだから。
――……イチョウ、どうしたらいいと思う?
堪らず俺は脳殻の同居人に助言を請うた。この誤解は非常に不味い。メリアルム氏に不信感を抱かれたままでは保護もままならないだろうし、今後の展開を考えると彼女からの信頼を得られない状況というのは、諸々の面倒を引き起こしかねない。
俄かに焦燥感を募らせる俺へ、しかし<イチョウ>が返した答えは意外なものだった。
『落ち着いて下さい、ケイ。メリアルム・シア・マグオル氏が現在語っていることは、恐らくその全てが単なるブラフです』
「……なんだと?」
思わず、俺は呆けた声を漏らす。慌てて視線をメリアルム氏へ向けてみれば――彼女にも<イチョウ>の声が聞こえていたのだろう――先程までの緊迫した雰囲気は鳴りを潜め、どこか苦笑めいた表情を浮かべていた。理解が追いつかず呆然とする俺に代わってそのまま<イチョウ>が応対を始める。
《初めまして。ご挨拶が遅れて申し訳ありません、メリアルム・シア・マグオル様。私はケイ・サーヴァー少尉の補助知能を担当する<イチョウ>です。念のために確認させて頂きますが、貴方は本気で我々がヴァリア・コートランドのクーデターに関与したなどとは、思っていないのでしょう?》
果たして、メリアルム氏は……頷いた。
「……もう少し情報が引き出せるかと思っていたけど、流石に行き当たりばったりが過ぎたわね」
彼女は肩を竦めると、俺の目の前まで歩み寄って来て、再び頭を下げた。先程とは異なり謝罪の意を込めた礼だ。事ここに及んで、俺は彼女がなにを目的としていたのかを知った。
「……貴方はつまり、こう示した訳だ。メリアルム・シア・マグオルは一方的に庇護を受けて<エクィアス連合国>の傀儡にはなるつもりはなく、あくまでも<マグオル共和国>の代表として対等な立場と意志を保つのだ、と」
要するに彼女はこう言いたいのだ――「舐めるな」と。そちらが虚偽や悪意を秘めて接するのならばそれ相応の抵抗をするぞ、と俺を<エクィアス連合国>の代理人として釘を刺したのである。
俺は開いた口が塞がらない思いだった。無論、表面上はどうにか鉄面皮を保ちはしたが、内心では立ち上がった彼女に見据えられた時よりも大きな衝撃を受けていた。
なにせ、彼女の言動は下手をすれば<エクィアス連合国>との間に取り返しの付かない対立と不信を生みかねず、万が一にでも俺が高圧的な対応を取っていれば、その時こそ両国間には二度と埋まらない亀裂ができていたのだから。
それは、恐ろしいまでの捨て身の姿勢だ。彼女は理解しているのだろう。もはや自分が倒れれば<マグオル共和国>に後はないと。だからこそ国家の行く末を背負う『交渉』をこの土壇場で挑み、そして心身共に傷付いた状態にありながら、見事に意志を通して見せたのだ。
――……なんて女だ。
胸の中だけで苦々しく吐き捨てると、それを見透かしたようにメリアルム氏は苦笑した。
「疑うような真似をしたことは本当に御免なさい。でも、私としては確認しておかなければならなかったの。貴方たちが純粋な善意から救援に来てくれたのか、それとも腹に一物を隠して接してきたのかを、ね」
「……言っておくが、別に<エクィアス連合国>は<マグオル共和国>を強権的に支配したりだとか、復興支援を名目に踏み荒らしたりするようなつもりはない」
やや砕けた口調になったメリアルム氏に合わせて、俺は本心から言ってやる。
「そんな蛮行をすれば<アルデガルダ帝国>と同じだ。国際的な非難も馬鹿にならないし、ウチはお題目として『世界平和』を掲げてる以上、あくまで融和と協調を目指す路線だ。今回<マグオル共和国>が受けた被害に関しても、できる限りの支援を行うつもりだよ」
「それは信用しても良いのかしら? サーヴァー少尉?」
俺は半ば自棄気味に頷いた。
「信用もなにも、最初から俺たちはそのつもりだよ。<マグオル共和国>は俺たちにとっても重要な国なんだ。経済関係にしろ産業全般に関する輸出入にしろ、この国が突然なくなったらエクィアスはとんでもない痛手を被るんだ。滅んでもらうわけにはいかない。第一、あの“ならず者国家”に対抗する味方だって、一人でも多い方が良いんだよ」
言葉を交わしつつ、俺はいつの間にかメリアルム氏に上手く乗せられていることを自覚していた。彼女は結果として<エクィアス連合国>に属する俺から、今後の<マグオル共和国>に対する援助の目的について言質を得たのである。
勿論、そんなものはこの場に於ける口約束に過ぎない。しかし彼女は今後設けられるだろう二国間交渉に於いて、必ずや先の発言を俎板に乗せてくるだろう。ケイ・サーヴァー少尉が私の目の前で、確かにそう明言したのだ、と。
――成程、彼女はこれで明確な成果を勝ち取ったわけだ。そう考えてみると、あの過激な物言いは俺のペースを乱した上で、この言質を引き出すための布石だったんだろう。
完全にやり込められたという思いとは裏腹、俺は不思議な安堵を味わっていた。今回のやり取りではっきりしたが、メリアルム・シア・マグオルは紛れもなく、この国を背負って立つに相応しい度量と機智を備えた女傑だ。
俺は確信する。彼女が生きている限り<マグオル共和国>が滅びることはないだろう、と……。
そして彼女は、すっかり降参のポーズを示した俺に、ある一言を告げることで完全にトドメを刺した。メリアルム・シア・マグオルは微笑みと共にこう言ったのだ。
「……サーヴァー少尉。貴方は善い人ね」
ああ、まったく。勘弁してくれ。
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……ここで終われば話は簡単なのだが、生憎ながら片付けなければならない問題は、まだ数多く残っている。
手始めにメリアルム氏が求めたのは、俺がここに馳せ参じた経緯についての詳細な説明だ。ブラフ目的であったとは言え、彼女が情報を欲していたのは本心であったようだ。なんとも抜け目がない。
尤も、もはや彼女に対して隠し事をする意味はない。こちらの失策というよりは向こうが一枚上手だったのだと、そう自分を納得させながら、俺は<エクィアス連合国>が今回のクーデターに於いて果そうとした役割を語っていく。勿論、機密に関わる情報は除いて、だが。
元々メリアルム氏には後で全てを説明するつもりだったのだから、この場で俺が話すことに問題はない筈だ。あれば<イチョウ>が制止しているし、こちらが胸襟を開くことでメリアルム氏の信頼を得られるのならば、それに越したことはない。
そしてメリアルム氏は非常に真剣な顔つきで、時折質問を挟みながら、俺の説明を始終聴き終えた。
……因みにその間、ハンナ・アーヴィル氏は影の如く主の傍に控えながら、油断なくヴァリア・コートランドの様子を見張っていた。尤も、件の反逆者は既に見る影もなく身を縮め、しょぼくれた中年親父のように大人しいままだったのだが。
「……今回、被害が拡大した要因の一つに、こちらの初動が遅れた事実があることは否めない。大統領閣下並びに政府高官、また民間人の救出が間に合わなかったのは俺たちの責任だろう。その点については俺の方から陳謝させてもらう。申し訳なかった」
締め括りとしてそう告げた時、メリアルム氏は一筋だけ涙を零したが、それ以外の反応は見せなかった。彼女はあくまで毅然とした態度で頷いてから、いまだに戦乱の爪痕が痛々しい市街の方へ向き直ると、静かに目を伏せた。それは彼女が今できる最大限の慰霊であろう。
次いで、一帯に散らばる近衛兵と量産型鋼撃兵たちの死体を一ヵ所に集め、整理する。俺としてはあくまで事後処理の効率化を考えてのことだったが、<マグオル共和国>側の二人としては弔いの意味合いが強いのだろう。心身共に辛い作業であるにも関わらず、二人は率先して働いた。
また、俺がヴァリア・コートランドを見張っている間、ハンナ・アーヴィル氏は蒼い戦闘装甲を纏った死体の傍で跪いて長い長い祈りを捧げた。彼に関しては俺もその名を知っている。国家に忠を尽くした勇士に対し、俺も敬意を表し黙祷を送った。
そうこうしているうち、彼方から幾多もの駆動音が聞こえてきた。視線をやれば、十数台にも及ぶ車列が連なり近付いてくるのが見える。<エクィアス連合国>の派遣した救援部隊だ。車列の半数は市街へ、残りは俺たちが居る場所を目指しているようだ。
気が付けば、市街の戦闘音が止んでいる。ジェイは見事に露払いを成し遂げたのだ。こと戦闘行為に於いて、ジェイは俺より遥かに優秀である。恐らく、量産型鋼撃兵は綺麗に全滅させられ、サンプルとして回収されることだろう。
……さて。どうやら俺の仕事はここまでらしい。
甲高いブレーキ音を響かせて停車した車列から、素早く降りてくる兵士たちに事後処理を引き継いで、俺はその場を離れようとする。俺の立場は一応『特殊部隊』に位置するので、あまり長々と居据わって注目を買うのは本意でないのだ。
「……あっ! 待ってください、サーヴァー少尉!」
しかし、そんな俺を呼び止める声が響いた。メリアルム氏だ。渋々振り返ってみれば、彼女は押し止めようとする軍医たちを振り切り、こちらに駆け寄ってくる。どこにそんな気力があるのだろう。驚きを通り越して感心してしまった。
ともかく、一旦呼び掛けに応じてしまったからには、無視をして去るのも憚られる。「手短にお願いします」と警告する<イチョウ>に頷きつつ、俺はメリアルム氏と相対した。
改めてその姿を眺めてみると、やはり美しい女性だ。髪も服も赤黒い染みだらけの酷い有様だが、既に活力を取り戻した彼女は己の風体を一切気にした風がない。やはり大物なのだろう。これから彼女の鋭い舌鋒とやり合う<エクィアス連合国>の高官たちに対して、俺は若干の同情を覚えた。
「……あの? どうして、笑うんですか?」
「いや、お手柔らかにお願いしますよ、とそれだけ言っておきたくてね」
俺がそう言うとはぐらかされたと感じたのか、訝し気であった彼女の表情はやや不機嫌そうなものになる。ようやく一本取り返せたような心持ちで俺は笑った。すると、彼女は不思議そうな表情を浮かべて、
「……笑うのね、貴方」
その指摘に、俺は思わず口元を抑えた。任務を終えたことで気が緩んでいるらしい。自制せねば、と口元を引き結んだ俺へ、メリアルム氏は「ああ、への字になっちゃった」とどこか残念そうに呟いた。
「笑っている方が親しみ易いわよ?」
「親しみ易さを優先してたら兵士は務まりませんよ」
「そうかしら、不愛想より良いと思うんだけどな。それに貴方、笑うと案外可愛い顔してるのよ?」
この発言は到底看過できるものではなかった。俺は思わず眦を吊り上げて言い返す。
「馬鹿を言わないでくれ。思春期の子供じゃあるまいし、ンな評価をされたら堪ったもんじゃない」
すると思いのほか大声が出てしまい、俺は自分自身に対して面食らった。周囲からの視線が痛い。<イチョウ>が妙に冷徹な声音で「この辺で切り上げましょう」と繰り返す。俺の身体が生身だったなら、今頃冷や汗が全身から噴き出していたことだろう。
「ごめんね。男の子に対して、可愛いはないわよね」
しかしメリアルム氏は一向に怯んだ様子もなく、そんなことを宣った。言うに事を欠いて「男の子」とはなんだ。確かに、俺の外見年齢からしてみればそう言った表現もあり得なくはないが、戦術兵器として運用される鋼撃兵を指すにはあまりに不似合いだろう。
もはや俺は内心の苛立たしさを隠さず、尖った声で彼女にそう告げるが、
「気を悪くさせたら御免なさい。でも、貴方って本当に親しみ易い人よ。こうして言葉を交わす度にそう思えるわ。不思議ね。貴方があれだけ凄まじい戦い方をするのを、私はこの目で見ている筈なのに、今こうして接している貴方は何処にでもいる普通の人みたい……」
言いつつ、彼女は俺の頬へと手を伸ばしてきた。白く細い指先が俺の輪郭を優しくなぞる。何故かそれを避けることもできず、ただされるがままになっていた俺は、平時ですら有り得ないほどの無防備さで続く言葉を受け止めた。
「……力を持つ者が貴方のような善い人ばかりなら、戦争なんて起きないのかも知れないのにね」
俺は少し考えて、その言葉に否定を返した。
「戦場に駆り出される兵士に、人格の区別なんてないさ。善人も悪人も一度銃を握れば、目の前の敵を倒す為に全力を出さざるを得なくなる。逆に言えば、善人だからと言って争わずに済むわけじゃない。それは貴方が一番よく理解している筈だろう。メリアルム・シア・マグオル」
それは親子二代に渡って平和路線を貫いてきた<マグオル共和国>を、たった一人の狂人の為に焼き尽くされた彼女にとって、あまりに残酷な断言だったかも知れない。しかし彼女は頷いた。今日だけで嫌と言うほど味わった悲劇を噛み締めるようにして、痛々しくも笑ってみせる。
「だからこそ、私はもう一度この国を立て直したいの。どんなに辛いことがあっても人は生きていけるんだって、私自身が信じていたいから。戦いではなくもっと別の方法で国を守れるように、二度とコートランドのような哀しい人を生み出さないために、私は……」
そこまで言った時、ふと、彼女の顔が崩れた。眉尻が下がり、口元が隠しきれない哀切に歪む。次いで漏れ出た声には嗚咽が交じっていた。
「……戦争なんて嫌い。銃も、大砲も、戦車も。人を傷つけるものは全部大っ嫌い。そんなものを振り回して喜んでいる人が堪らなく憎いわ。私の父を、友達を、大切な人々と過ごした想い出を奪っていった奴らが憎い。どうしてこんな目に遭わなくちゃいけないの? 私たちが過去に犯した罪の所為なの? だったら、なんで、ただ幸せに生きたかっただけの罪もない人たちまで巻き込まれたの?」
彼女の泣き言に、俺は返すべき言葉を持たなかった。今のご時世<マグオル共和国>のような例を探せば幾らでも存在する。それどころかより凄惨な争いが、今もこの惑星の上では毎日のように行われているのだ。
戦争はなくならない。人と人は永遠に傷つけ合い、奪い合い、殺し合うだろう。コートランドのような野望を持たずとも、一日のパンを得る為だって人は銃を握るのだ。それを理解しない限り、メリアルム・シア・マグオルは本当の意味で国を守ることなどできない。いつか再び、彼女は積み上げてきたものを奪われる筈だ。
だからといって、そうならない方法を俺が教えてやることはできない。俺はただの兵士でしかないからだ。ましてや俺は、彼女が憎み嫌う『兵器』そのものであり、傷付け奪い殺すための暴力装置なのだ。それ自体に喜びと充実感さえ覚えるような……。
そこで俺は、メリアルム氏の身体を引き剥がした。これ以上、俺が彼女にしてやれることはない。彼女が寄り掛かるのは俺などでなく、もっと別の誰かであるべきだ。例えば、あの忠実なるハンナ・アーヴィルのような。
だから、俺が言える言葉はただ一つだけだ。
「敗けるな、メリアルム・シア・マグオル」
俺は返事を待たずに踵を返し、泣き声を背に置いて、その場を去る。
彼女は追っては来なかった。やがて、砂を蹴って力強く歩き出す音が聞こえた。遠ざかっていく足音に、俺は彼女の意気がまた挫けてはいないことを知り、安堵を覚える。そうだ、それで良い。思い出せ。貴方は立ち向かったじゃないか。己を圧し潰そうとする地獄のような現実に。
その上で貴方は、特戦型鋼撃兵を真っ向から言葉でやり込めもした。一軍を相手取って戦えるような戦術兵器を、だ。その時に抱いた戦意と覚悟を忘れなければ、きっと貴方は再び歩き出すことができるだろう。
否、それだけじゃない。きっと貴方は飛ぶことができる。頭の先から爪先まで鉄塊を詰め込まれ、微睡みの中でしかそうすることのできなかった俺とは違い、貴方は現実の空を自由に羽撃ける筈なのだ。その先にある貴方自身が掴み取りたい未来を目指して、何処までも遠く、高くへと。
「……飛べよ、メリアルム・シア・マグオル。貴方はこんなところで地べたに這い蹲ったまま、潰れて死ぬような人じゃない。俺が保証してやるさ」
ふと、空を見上げる。崩壊した<マグオル共和国>の首都と正反対の方角は、黒煙に染まることのない透き通った色彩を保っている。やがて朱から漆黒へと移り変わっていくだろう、紺碧の空。そこに一点、滲み出るようにして現れる銀色の翼。
「お迎えがやって来たか」
<第四鋼撃兵部隊>の母艦、俺をここまで送り届けた<ストーク・フォー>が光学迷彩を解除して近付いてくるのだ。あれに拾われた後、今回の任務報告書を提出すれば、またしばらくの休みが貰えるだろう。
そしてその時間が過ぎ去れば、俺は再び、戦場に出向く。
俺は空を飛ぶことはできない。雷鎚の如くただ一直線に落ちて、敵を打ち滅ぼしては去っていくだけの鋼撃兵だ。今までも、これからも。いつかどこかの戦場に、この身が尽きて鉄屑と化し、永久の眠りに誘われるまで。
思う。その時俺は、永遠の蒼穹を自由に飛ぶことができるのだろうか、と。
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