2:絶望に雷鎚は降り立つ -Engagement-
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私たちとコートランド将軍――否、もはやこの男に対してその敬称を二度と付けるまい――は、近衛兵たちの無惨な亡骸を挟むようにして対峙した。
「いやはや、探しましたぞメリア様。一体どこに行ってしまったのかと心配で心配で、胃薬を一瓶空けてしまったくらいです。ああ、いやいや、お気になさらず。まずは貴方と再会できてなにより。心より嬉しく思いますぞ」
コートランドが冗談めかしてそう言うのを、私は睨み付ける。彼の態度は表面上、クーデター以前からなにも変わっていないように見えた。
他者に一切の警戒心を抱かせない人懐っこい笑み。一部の隙もなく鍛え上げられた質実剛健な肉体とは裏腹、軍人という職種に似付かわしくない彼の陽気な立ち振る舞いを、かつての私は好ましく受け入れていた。私にとってヴァリア・コートランドとは、優しい叔父さんも同然の男性だったのだから。
その上で、あくまで軍人としても優秀かつ忠実に長年勤めたコートランドを、父も信頼し重用していた。やがて彼に<マグオル共和国軍>の全権が委任されたのも、その人柄と能力を見込まれての自然な成り行きであったと、国民全員が信じていた。
私は今でも憶えている。任命式でコートランドが見せた嬉しそうな表情と、それを見つめる父の誇らしげな笑みを。直後に壇上で抱き合った二人の姿は、私の目にも心から信頼し合う友人にしか見えなかった。
そして、それが全ての過ちだったのだと、今なら分かる。コートランドはその笑みの裏に悍ましい野心を隠していたのだ。本来の目的を誰にも気付かれないまま着々と準備を進め、遂に今日、己の欲望全てを曝け出したのだ。市民を無差別に巻き込んだ、軍事クーデターという最悪の形でもって。
「……おや、お顔の色が優れませんな、メリア様? それにお身体の様子も思わしくないご様子。すぐに治療を致しましょう、さあこちらへどうぞ。今も彼方此方に逆賊共の残党が蔓延っております。しかしご安心下され、この私がしかと御身をお守り致しますぞ」
「……なにを――」
己の所業を棚に上げ、臆面もなくそんな言葉を並べ立てるコートランドに、私はとうとう激昂を堪えられなくなった。
「――なにを、ふざけたことをッ!! 逆賊は貴方でしょうッ!? 罪もない市民を虐殺し、父の信頼を裏切り、剰え近衛兵たちまでッ!! この上よくもそんな世迷言を吐き出せたものねッ!? 恥を知りなさい……裏切者ッ!!」
「おおっと、これはこれは……」
しかし、私の激情を真正面から受けておきながら、この厚顔無恥な反逆者に堪えた様子は露ほどもなかった。それどころか、飲み込みの悪い生徒へ正しい数式を教え込む教師のような面持ちになると、気味が悪いほど親し気な口調で語るのだ。
「どうやら酷い思い違いをされているようですな、メリアルム・シア・マグオル様。私はただ、偏にこの国の将来を慮って行動したまでです」
「どの口で……ッ!!」
「まあ、お聞きなさい」
直後に私が黙り込んだのは、なにもコートランドの言葉に従った為ではない。彼の背後に突如として漆黒の軍勢が出現したからだ。思わず振り返れば、いつの間にか私たちの背後にも大勢が控えている。まるで影が立ち上がったかの如く、物音一つ立てずに、だ。
「そんな……!?」
瞠目する私へ向けて、反逆者たちは一斉に銃口を突き付けた。咄嗟に反応したハンナが逃走の素振りを見せるが、実行までには至らず動きを止める。私たちは完全に逃げ場を塞がれていた。口惜しげに唸るハンナを見やり、コートランドはなんとも小気味良さげに目を細めた。
「そうそう、年長者の話を聴く姿勢はそうでなくては。執事のジョーイにも窘められたでしょう? 何時までも御転婆ではいけません。まあ、尤も――」
そこでコートランドは肩を竦め、直後に私の思考を怒りで沸き立たせる、断じて看過できない暴言を放ったのだ。
「――あの、何に付けても一々しゃしゃり出てきた目障りな爺は、今頃瓦礫の下で挽肉になってるでしょうがね。まあ、老骨に鞭打って頑張ってきたことへの褒美と考えれば妥当でしょう。永い永い休暇を楽しんでほしいものですなあ」
「……ッ!!!!」
生まれて初めて知ったが、腸が煮えくり返るとはこういう感覚なのか。許し難い侮蔑に、私は歯を食いしばって耐えた。今はただ、この男の言葉を聞くしかない。抵抗したところで、一瞬で蜂の巣にされて全ては終わりだ。
故に私は努めて沈黙を保ち、その態度にコートランドは満足したのか、悠々と語り始めた。
「……結構。それでは質問にお答えしましょう。何故こんなことをしたのか? 答えは簡単です。この国はいずれ立ち行かなくなると判断したからですよ。なにせ、よりにもよってあの欲の皮が張った<エクィアス連合国>の属国に成り下がったのですから!」
属国という表現に、私は思わず唇を噛む。コートランドの言い様がある意味では当たっていると、私自身も――認めるのは業腹だが――理解していたからだ。
現在の<マグオル共和国>は<エクィアス連合国>と同盟関係にある。それは事実だ。しかし、見ようによっては庇護――或いは間接的な支配――という明確な上下関係が前提に立ちかねない。
事実として、特に経済活動の面ではその多くを<エクィアス連合国>の購買力に依存する形になっており、<マグオル共和国>で生産された農作物や機械部品、レアメタルやエネルギー資源などの買い手の大半は<エクィアス連合国>の商社が占有する状況だ。
そして、その代わりに<マグオル共和国>は、彼らから大量の食料品や化繊製品を安価で輸入している。他の品目としては、<エクィアス連合国>の先進的技術によって造られた乗用車や工業機械、医療機器など。ただし、取引内容自体は双方の需要と供給に基づく公平なもので、そのバランスには父も常々気を配っていた為に、一方的な搾取や貿易摩擦などの問題が生じたことはなかった。
しかし、コートランドの認識は違っていたようだ。
「今のマグオルを眺めてみれば、どこもかしこも農地、農地、農地! 自然豊かな風景、実に結構! 工場にしろ鉱山にしろ、労働者は一見すると満足して働いているように見えますが、しかし、その実状はエクィアスのハゲタカ共に資源を提供するだけの奴隷と変わらない! このままでは奴らに骨の髄までしゃぶり尽くされるだけではないか!」
コートランドは仰々しい所作で両腕を広げ、長広舌を続けていく。
「当然、この危惧に関しては前大統領閣下へ再三に渡り忠告をしてきましたよ。しかしあの方は一向に耳を傾けようともせず、それどころかとんでもないことを言いだしました――」
“力でなにもかもを支配し捻じ伏せる時代は、終わらせなければならない”
“ただでさえ戦の火種が多く存在する今の世界に求められるのは融和と協調”
“これからの時代に於いて、一国が張り通せる意地なんてものは無意味だ”
「――などと、……これこそが世迷言でしょう!! まったく、現実を、見ていない!! 力を持たずに守れるものなどありはしない!! 協調とはお互いイーブンの状態でこそ為されるものだ!! 意地を持たぬ指導者が国体を維持できるわけがない!! 馬鹿げている、理想主義者の戯言に過ぎない!!」
大袈裟に頭を振りながら、まるで舞台役者にでもなったかの如き熱狂ぶりで、コートランドは口角泡を飛ばす。
「そもそも我が国には、古来より連綿と受け継がれた精強なる軍隊がある!! それを支える広い国土、引いては生産力も!! その全てを無駄にして、むざむざエクィアスのハゲタカ共に食わせる飯を作ってやりながら、奴等の胸先三寸で生かされるだけの惨めな暮らしに国民全員を巻き込むことの、どこに正しさがありますか!? 誇りは!? 冗談ではない!!」
そんな身勝手な大演説を打つコートランドに、とうとう私は黙っていられなくなった。
「その広い国土は本来、他所の国から奪ったものでしかないでしょう!!」
私の指摘を受け、コートランドはピタリと口を噤んだ。そして、酷く不愉快気に顔を顰めると、それでも余裕の態度を崩さず「やれやれ」とばかりに肩を竦めて言う。
「……人聞きの悪いことを言わないで頂きたい。あれは“勝ち取った”のですよ。かつての栄光ある<マグオル帝国>がその畏と怖を以てして、愚かにも逆らう賊徒共を薙ぎ倒して得た正当な報酬です」
「詭弁を弄さないで!! 私を馬鹿にしているの、コートランド!? 私がこの国が辿ってきた歴史を知らない訳がないでしょう!! 血に塗れた悍ましい侵略と支配の歴史を!!」
そもそも何故、<マグオル共和国>に強力な軍隊と、肥沃にして広大な国土があるのか? その理由は単純。今から数百年以上前、当時の指導者たちが揃って過剰な軍拡を推し進め、周辺国家を武力で支配してきたからだ。
私は反論に転じ、言葉を放っていく。ともすれば自分自身をも切り裂くが如き、呪いと過ちに満ちた事実を含んだ、この国のかつての歪んだ姿を示す事実を。
「侵略、支配、搾取……帝国時代の我が国が行ってきたのは延々とその繰り返しよ!! 足りなくなれば他所から奪い、それを食い尽くせばまた手を伸ばす!! かつてこの国がなんと呼ばれていたか知っている!? <暴食国家>よ、大罪の名に準えてね!!」
畑も森も兵器工場の為に片端から焼き払い、飢えた国民を一欠片のパンの為に戦争へと駆り出して、足りなくなれば統治の名の下に大量の奴隷を生み出す。その悪しき仕組みを指導した者たちの家系が<マグオル家>だ。
そう、私の血は呪われている。メリアルム・シア・マグオルとは、この世の地獄を生み出してきた暴君たちの末裔なのだ。私が生まれながらにして背負うもう一つの罪がそれだった。
しかし、長きに渡って行われてきた暴虐を、先代の大統領である私の祖父は清算しなければならないと決断した。父もまた祖父の路線を引き継ぎ、志を同じくする者たちと共にかつて<マグオル帝国>が犯した過ちと罪を贖い、同時に国民の暮らしを本当の意味で豊かにすべく挑んできたのだ。
そうして祖父と父、親子二代の命を削るが如き改革は父の代で遂に成し遂げられ、遂に<マグオル共和国>は生まれ変わった。平和を愛し信頼を尊び、かつて犯した過ちの数々を悔いながらも、二度と同じ轍を踏まぬようにと一歩ずつ正しい道を進み始めていた。いまだ足りないものは多くとも、人々には平穏と笑顔が溢れる、そんな祖国が育ちつつあったのだ。
その先人たちの努力をコートランドという男は、下らぬ野心の為に全てぶち壊したのだ。故に私は糾弾する。全身全霊を掛け、その咎に対して物申さなければならない。お前の行いには一つとして正しい道理などありはしないのだと。
「コートランド、貴方の語る“正しい国の姿”のどこに誇りがあるって言うの!? 貴方がしたことはただの自己満足に過ぎないわ!! 誰も望んでいない歪んだ理想を人々に押し付けて、その為に犠牲にしたものの大きさがまだわからないの!? だとしたら、貴方は正真正銘の人でなしよ!! 人の命と願いを、何だと思っているの!!」
その瞬間だった――
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「 黙 ら ん か 小 娘 ェ ッ ! ! 」
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――コートランドが、激発したのだ。
「――ッ!?」
まるで火山が噴火したような激しい語調に私は息を呑む。
視線の先、コートランドの表情は豹変していた。それまで面の皮にへばり付いていた柔和さはかなぐり捨てられ、その形相は悪鬼もかくやとばかり、牙を剥き目を見開いた凄まじいものと化していた。肌を突き刺すような凄まじい怒気に気圧される私へと、コートランドは唾を飛ばしながら怒鳴り散らした。
「そんな日和見主義がこの国を弱体化させたのだ!! 経済支援とは名ばかりの隷属を甘んじて受け入れ、かつて支配した弱小国共にへいこら頭を下げては金だの飯だのを恵んでやり、我ら真の軍人たちは針の筵に座らされたまま真綿で首を締めるように居場所を失っていく!!」
その発言でようやく私は……この男の真意を理解した。ヴァリア・コートランドは“かつての栄光”という妄執に憑り付かれている。そして、それが永遠に失われ自分の手には入らないものであると気付いたが為に、狂ったのだ。
私は唐突に思い出す。かつてのある日、まだ私が幼かった頃のことだ。珍しく酒に酔っていたコートランドは、父へ向けて涙交じりにこう語っていたのだ。自分の生まれてきた意味が分からない、軍人として生きられない生に何の意味があるのか、と。
その場では父がコートランドを慰め、納得させたように思えていたが、それが勘違いだったのだろう。コートランドが求めた軍人の在り方とは「国家の守護者」ではなく「敵国の蹂躙者」なのだ。彼は帝国時代からの歴史ある軍人家系の生まれだ。恐らく彼はずっと、自身の生まれと<マグオル共和国>の現状に感じる差異が、身を焼くようなコンプレックスだったのかもしれない。
「――貴様が、貴様如き小娘がッ!! 生まれながらにあらゆる望みに恵まれて、安穏な揺り籠に収まったまま欲しいものは何でも手に入れてきた糞餓鬼が、綺麗事を抜かすんじゃあないッ!!」
血を吐くが如き叫びに込められた粘り付くような憤怒がその証明だ。
一体どれだけの間、コートランドはこれだけの怒りを押し殺してきたのだろう。十年、二十年、それとも更にか? 年月を経て圧縮された激情が、解放の機会を得たことで暴走しているのだと、私は一瞬怒りも憎悪も忘れて恐怖し……憐れんだ。
もしも、彼が帝国時代に生まれていたならば。
もしも、彼が本当の望みを父に打ち明けていたならば。
もしも、平穏の中に何か一つでも生きる望みを見出せていたならば。
全ては遅きに失した「もしも」でしかない。歯車が一つでもズレていれば、この惨劇は起きていなかったのかもしれなかった。ヴァリア・コートランドが<マグオル共和国>を守る盾として、その生涯を立派に全うする未来が有り得たかもしれないのだ。
その全てが叶わぬ望みと化した今、私は決断した。
この哀れな男を、だからこそ赦してはならない、と。
何故ならば、きっとこの男のような存在が――
「私にとって生とは戦いそのものであり、軍人とはその手段を以てして国家に尽くし、限りない繁栄を齎すべき存在なのだッ!! この微温湯の中に沈められるが如き平穏が理想の国だとッ!? 笑わせるなッ!! 私にとって今までの人生は、暗闇の底で息を潜め、心を圧し潰されていくも同義だったッ!!」
――かつての<マグオル帝国>を地獄へと変えたのだ。
「――ハンナッ!!」
私は、私に最後に残された唯一の信頼すべき友人へと呼び掛けた。もうこれは私一人だけの、この国だけの問題ではない。他の全てを差し置いても、ヴァリア・コートランドという怨霊だけはここで打ち倒さなければならない。
この男が身に宿した呪いを、世界に撒き散らしてはいけないのだ。
「メリアルム・シア・マグオルが命じます、如何なる手段を以てしても、私を……逆賊ヴァリア・コートランドの下まで送り届けなさいッ!!」
そして、愛すべき私の侍女は、私の意志を受け止めてくれた。
「畏まりました、メリア様」
氷のように冷たい声色。それが私の耳に届いた時、ハンナは私を抱えたまま、弾丸のような速度で駆け出した。目指すは逆賊コートランド。その歪み淀み切った命へ向けて一直線に、私とハンナは走る。
「な、貴様ら……ッ!?」
まさか向かってくるとは思わなかったのだろう、泡を食ってコートランドは叫んだ。
「撃てッ!! 撃ち殺せッ!!」
命令を受けた漆黒の軍勢が飛び出し、一斉に引き金を引いた。凄まじい破裂の連奏が轟き、唸りを上げる弾丸が大気を引き裂きながら雨霰と向かってくる。まさしく絶体絶命の状況だ。
しかし、私はハンナを信じた。彼女ならばどうにかする、と。
「メリア様、しっかり掴まっていてください……ッ!!」
そして、ハンナは私の信頼に応えた! 堅音一奏、彼女は靴音も高く地を蹴り跳躍すると、横薙ぎに襲い掛かる銃弾の雨の上を飛び越えたのだ!
「馬鹿なッ!?」
コートランドが驚愕に目を見開く。対して私は驚かない。彼女は何時だって、私が望んだことを完璧に熟してきた。私の信頼を裏切ったことなど一度もない。そんな従者へ、惜しみない賞賛を込めて私は叫ぶ。
「流石よハンナ!! 貴方は世界一だわ!!」
「身に余る光栄……ッ!!」
言いつつ、ハンナは素早くスカート裾から一丁の拳銃を引き抜くと、空中で私へと手渡した。受け取れば、手の中に黒鋼の感触とその重みが収まる。私はこの殺意を今から命ある一人の人間へと向けるのだ。例えそれが恨み骨髄に達する仇であり、生かしてはおけない逆賊相手だとしても。
私が拳銃をしっかり握り締めたと同時、ハンナは着地した。コートランドのすぐ目の前にだ。
身を引き気味に硬直するコートランドの眼前、ハンナは私の身体を丁重に地面へと下ろす。同士討ちを恐れるが故、漆黒の軍勢は身動きができない。当然ながらコートランドの身体も射線上にあるので、彼は射撃命令を下せずに居る。
地に足を付けた私はコートランドを睨み、
「ヴァリア・コートランドッ!!」
叫び、構えた。銃口を真っ直ぐ、標的の引き攣った顔面へと向けて。
父から射撃だけは教わっていた。もし危機が迫った時、自分の身だけは守れるようにと。そして、意外にも私の射撃の腕は、近衛兵たちのそれと遜色ないレベルにまで伸びた。或いは、血塗られたマグオルの家系がそうさせたのだろうか。だとすれば因果だ。業と呼ぶのが相応しいだろう。
「ま、待て!! 待ってください、メリア様!!」
コートランドが血相を変えて叫んだ。
「今、ここで私を殺したところでどうなるというのです!? 失われたものは戻らず、それどころか直後に貴方は殺されるでしょう!! 無意味なことはお止め下さい、銃を下ろすのです!!」
その戯言を、私は切り捨てた。
「そうかも知れない。けれど、貴方を生かしておけば今より多くの災禍を生むことになるわ。この呪われた命と引き換えにそれが防げるなら、私は喜んで引き金を引きましょう」
「ば、馬鹿な……ッ!!」
「貴方のような存在を生み出してしまった罪を、私自身が今ここで贖うわ。あの世で大統領閣下に詫びなさい、ヴァリア・コートランド」
死ぬまで発揮することはないだろうと思っていた技術が、まさか、こんな機会に用いられることになろうとは。妙なおかしみが口元を歪めたのも刹那。私の心は研ぎ澄まされ、人を殺すという一点のみに引き絞られていく。
それでも、ただ一つだけ。
「ごめんなさい、ハンナ。貴方をこんなことに巻き込んでしまって。私は主として失格ね」
忠実なる従者を共に地獄へ連れて行くことだけは、やはり申し訳ない。しかし、ハンナはひとつも不服な顔を見せることなく、私の傍らに並び立った。
「言った筈ですよ、メリア様。それこそが私の義務であり生き甲斐だと。例え行く先が地獄であろうとも、喜んでお供致します。どうぞ、貴方の為すべきことを成し遂げてください」
「……ありがとう」
迷いはない。覚悟は決まった。コートランドを討ち果たしたとして、直後に私たちは漆黒の軍勢によって襤褸雑巾へと変えられるだろう。それで良い。怨霊さえ祓えば、必ず心ある者が立ち上がり、この国を救うだろう。兵士たちも全員が邪道に堕ちたわけではない筈だ。クーデターの首謀者が居なくなれば、彼らの大義名分も消える。
私は生きなければならないと思っていた。しかし、もし命に使い処があるとすれば、今が間違いなくその時なのだ。この逆賊を裁くのは、父と祖父の思いを受け継いだ私でなければならない。私がヴァリア・コートランドの存在を「過ちである」と示さねばならないのだ。
そんな思いを言葉と変えて、私を取り囲む漆黒の軍勢へ向け、私は叫んだ。
「メリアルム・シア・マグオルが今ここに、逆賊ヴァリア・コートランドを討ち果たしますッ!! 兵士たちよ、見ておきなさいッ!! そして心ある者あらば私の願いを聞き届け、この国の未来を我らマグオルの血筋に代わり、守り抜きなさいッ!!」
私は引き金を弾き絞る。
直後に訪れるだろう死を受け入れて。
そして、人差し指は今までの人生で最も滑らかに動いた。
乾いた音が鳴り、弾丸は狙い違わずコートランドの顔面目掛けて飛翔していく。当たる。確信に私は頷いた。この距離では外しようもない。コートランドは死ぬ。それでマグオルの血が背負う罪業、それを僅かにでも禊げたならば……。
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「――残念でしたなァ……!」
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その瞬間に起きた出来事が、私には信じられなかった。否、信じたくなかったという方が正確だろう。
ヴァリア・コートランド目掛けて放たれた弾丸が、中空で掴み取られたのだ。
「……なッ!?」
私とハンナは揃って声を上げた。その信じがたい曲芸を見せたのは、漆黒の軍勢の中から飛び出した一人の兵士だった。彼――或いは彼女――は目にも止まらぬ速度で地を蹴り、コートランドと弾丸の前に手を割り込ませると、ポップコーンでも摘まむような仕草で弾丸を掴み取り……握り潰したのだ。
「そんな、馬鹿なッ!?」
ハンナが驚愕に叫んだのと同時、弾丸を掴み取った兵士が再び、今度はこちらへと向かって地を蹴った。人間とは思えない速度で迫り来る姿に、ハンナが咄嗟に私の身を庇う。直後、トラックにでも跳ね飛ばされたような感覚が私たちを襲った。
「ぁ、がッ……!?」
私とハンナは二人揃って吹き飛ばされ、そのまま地面へ強烈に叩きつけられた。
全身の骨が音を立てて軋み、内臓の全てが砕けるような、凄まじい衝撃。
一拍置いてからやってきた燃えるような痛みに、私は身を捩り、呻く。
失敗した。失敗したのだ。
込み上げてくる絶望と無力感は、しかし無視することのできない大きな疑問によってすぐさま塗り替えられた。
あの兵士は何者だ? 弾丸の速度に追いつくなんて、人間業ではありえない。ハンナはあくまで弾丸が放たれる寸前に跳んだだけだが、あの兵士は弾丸が放たれた後に跳んでいた。それも、ほんの数センチにも満たない距離を弾丸が通過するまでの、極めて僅かな時間に間に合う速度で。
「ぅ、……ぐ!! ……ひっ!?」
混乱と痛みにのたうち回る私はそこで気付いた。私が落ちたのは、近衛兵たちの死体の上だったのだ。見る見るうちに全身に彼らの血と臓物がこびり付き、衣服も髪も赤黒く染め上げられていく。反射的に込み上がる生理的嫌悪感に、私は思わず悲鳴を上げてしまった。
そこに近付いてくる水音へと顔を上げれば、
「おやおや、メリア様。なんとまあ不憫なお姿に。さあ、この私めが手をお貸し致しましょう。どうぞお立ち下され。それとも、そのままかつての忠臣たちと戯れている方がお好きですかな?」
怖気の立つような笑みを浮かべたコートランドが、すぐ傍に立っていた。
「……殺しなさいッ」
もはや私に抵抗の術はない。拳銃は先程の衝撃でどこかへ飛んで行ってしまった。望みの全ては潰え、後はもうこの男に殺されるだけだろう。
全身を痛みと諦観が駆け巡るが、意志だけは挫かれまいと、私はコートランドの脂ぎった面を睨み返す。
「おお、おお、勇ましいことだ。小娘と侮ったのは私の誤りでしたな、貴方も立派に<マグオル家>の血を引く女傑だ。こんな状況でなければさぞかし良い指導者になれたでしょうに、残念です」
「黙りなさい……ッ!!」
これ以上、この男の姿を見ていたくはない。届かぬまでもせめて最後に一太刀と、拳を握り締めた私の目に、受け入れがたい光景が映った。
ハンナがコートランドの腕の中に捕らえられている!
「下郎がッ!! その薄汚れた手を放しなさいッ!!」
「おやおや、今度は下郎と来たか」
反射的に叫んだ私へ皮肉るような笑みを浮かべながら、コートランドは脱力したハンナの身体をまさぐった。凌辱にも等しい悍ましい手つきに目を背けそうになるが、すぐにこの男の目的は性欲でなく、単に身の安全を図るものであったらしいと知る。
「……この女、身体中に武器を隠しているのか? おい! こいつから武器を奪え!」
命令を受けた兵士たちが幽鬼の如き足取りでぞろぞろと集まってくる。彼らは荒々しくハンナを抑え込むと、乱雑な手つきで彼女の衣服を引き裂き、その都度現れた武器を取り出し始めた。烏が死骸を啄むようなその凄惨な光景に、私は堪らず悲鳴を上げた。
「止めなさいッ!! ハンナに触れるなァッ!!」
組み伏せられたハンナは抵抗もせず、ただ黙ってされるがままになっている。光を失った瞳には色濃い諦観と恥辱の色が滲んでいた。引き裂かれ、もはや衣服としての機能を喪失した侍女服の内側、露わになったハンナの肢体に兵士の手が直接触れた時――
「止めろォ――ッ!!!!」
――咆哮の如き叫びが、私の口からは発せられていた。
私は飛び上がる様にして立ち上がり、握り締めた拳をハンナを辱める兵士の一人へと向けて振りかぶる。その結果として起きることを考慮する余裕はとうに失われていた。
渾身の力を込めて打ち放った拳は、フルフェイスマスクを被った兵士の頬に突き刺さり――
「――痛ッ!?」
――まるで岩でも殴りつけたような異様な感触が返った。
思わず痛みに呻く私とは裏腹、兵士は声一つ上げず、ほんの数ミリも身体を揺らがせることはなかった。用いたのは女の細腕であり、顔が防護されているにしても、明らかに異常な反応だ。微動だにせず頬で私の拳を受け止めたその兵士は、痛みを感じていないような仕草でゆっくりと手を伸ばすと――
「ぁ、ぐ……ッ!?」
――私の顎を鷲掴みにし、そのまま片手で持ち上げた。
「メリア様ッ!? おのれ、貴様等ッ!!」
万力のような力で首元を締め付けられ、私の意識は急激に薄らいでいく。自分の頸椎が軋む音に混じって、ハンナの叫び声が遠く木霊して聞こえた。霞む視界の中、彼女が猛烈な勢いで兵士に抵抗している姿が映る。しかし全身を抑え込まれた状態ではどうにもならず、ハンナは私を見上げながら叫ぶことしかできない。
「待て、まだ殺すな。手を放せ」
……そんな私の窮地を救ったのは、意外にもコートランドだった。
私の首を締め上げる兵士は、その指示に即座に従って手を放した。私は蹈鞴を踏み、再び地面へと倒れ込む。喉に走る灼けるような痛みと、呼吸を封じられていたことによる朦朧を味わい、私は全身が血溜りに浸るのも構わず横たわったまま咳込んだ。
「メリア様ッ!! メリア様ッ!!」
悲痛な声色で呼び掛けてくるハンナに対し、私は返事をすることもできない。視界の端には、ハンナの傍らで小山を作った武器類が見えた。あれほどの量をどうやって持っていたんだろう、と。なんとも場違いな疑問が頭を過る。
「やれやれ、我が国の姫君はとんだ狂犬だな。そして、その従者も負けず劣らずのキワモノか。一人で戦争でも起こす気なのか?」
困惑した表情のコートランドが、武器の一つを手にとって吐き捨てる。
「なんだ、これは? 投げナイフか? 他にもワイヤーだのピックだの、まるで暗殺者だな」
“暗殺者”という単語が出た時、ハンナは明らかに動揺した素振りを見せた。それを目敏く見咎めたコートランドは、ふと何かを思い出したように首を捻る。
「……待てよ? 確か貴様の本名は『ハンナ・アーヴィル』だったな。アーヴィルという姓には聞き覚えがあるぞ。なんだったか、大分昔に読んだ本に……そうか!!」
コートランドは手を打って叫んだ。
「貴様は<ティベル>の出身か!! 大陸東側の山間部を根城とし、中世の時代から彼方此方で傭兵紛いのことをして食いつないでいた放浪の民!! 二十三年前に<アルデガルダ帝国>の山狩りで滅ぼされたと聞いていたが、貴様はその生き残りだな!?」
想像だにしなかった言葉に、私は咄嗟にハンナを見た。彼女は俯き、酷い屈辱と哀しみに顔を歪めている。
「……本当なの? ハンナ?」
私の問い掛けに、ハンナはゆっくりと頷いた。
「……その通りです。私は<ティベル>の末裔にして、その血と業を受け継いだ者。二十三年前に住処を追われ、散り散りになった私の一族はこの国に流れ着きました。しかし、我々は所詮根無し草。定住もできずに再び旅立つ中で、身籠っていた一人の女だけが足手纏いとなることを厭い、この国に留まりました」
そうして、一呼吸おいてから、言った。
「……それが私の母なのです。私を産み落としてから八年後、母は病気でこの世を去りました。残された私は孤児となり、母から受け継いだ<ティベル>の技術を悪用して掏摸などに手を染めました。そうして食い繋いでいた時、とうとう捕らえられ、貴方の父親である大統領閣下に救われたのです」
「それじゃあ、ハンナ。貴方は……」
ハンナは沈痛な面持ちで、頷いた。
「ええ。私はあの方のお陰で人間らしい営みを行うことができたのです。教育を受けさせてもらい、住処まで与えられ、そうして私が十五歳となった時に言われました。もしも君が嫌でなければ、娘の友人になってやって欲しい、と」
初めて耳にしたその事実に私は呆然とした。
今でも鮮明に覚えている。大統領の娘ということもあり、対等の友人など一人もいなかった私の下へ、綺麗な黒髪と鳶色の瞳をした少女がめかし込んでやってきた時のことを。酷く緊張した面持ちのその子が、顔を赤らめながら「友達になって欲しい」と言ってくれた時、私がどれだけ嬉しかったか。
「初めは大統領閣下の御恩に報いるつもりでした。しかし、貴方と日々を共に過ごしているうち、私は貴方に仕えることに心からの喜びを見出すようになったのです。心優しく聡明なメリアルム・シア・マグオルというお方を守り、共に生きていけるならば、それ以上の幸せはないだろうと。私が身に付けた業を、ようやく正しい目的の為に使えるのだ、と……」
滔々と、自らの出生を語り終えたハンナに、私はなにも言えなかった。彼女がそれほどの思いを抱いて、私にずっと尽くしてくれたなんて。共に過ごした楽しい日々の想い出が一斉に脳裏を過り、それがもう二度と帰ってこないという事実に胸が張り裂けそうになる。
……と、
「フン、なるほどな。如何にもあのお人好しがやりそうなことだ」
それまで黙っていたコートランドの耳障りな声が耳朶を打ち、私は現実に引き戻された。彼は私たちを冷然と見下ろしたまま、心底下らないという面持ちで言葉を発していく。
「まあ、類い稀なる身体能力と暗殺技術を身に付けた<ティベル>の落とし子は、確かに愛娘の護衛には適任だったろう。しかし、哀しいかな! その優秀な従者は今、愛する主を守ることもできずに無様に地べたで伏せっているのだからな!」
下劣な侮辱を受け、ハンナの表情が歪んだ。彼女は今、いっそ死ぬ方がマシな程の屈辱に苛まれているだろう。彼女をそうさせたのは他ならぬ私の所為だ。共に死ぬならまだしも、こんな思いをさせてしまうとは……。
「ごめんなさい、本当に、ごめんなさい……ッ!!」
「おやおや、今更そんな事を言っても、手遅れですぞ?」
「黙って! 貴方に言ったわけじゃない!」
コートランドが挟んだ下らない茶々に、私の胃の腑は焼け付きそうだった。本性を曝け出して以降、彼の振る舞いはどんどん横暴かつ野卑になっていく。こんな男を一時でも信頼し懐いていた過去の自分が、どうしようもない大馬鹿者に思えてならなかった。
身も心も削り取られていくような感覚に襲われる中、コートランドが「さて」と大儀そうに前置きし、私へ向けて口を開いた。
「本来ならば、貴方には私の大義名分を保証する立場に就いて欲しかったのですが、今となってはそうもいきますまい。命と引き換えにしたところで、貴方は言うことを聞いてはくれんでしょうからな。ならば、余計な口が利けないようになってもらうのが一番でしょう」
遂にその瞬間がやって来たと、私は悟った。死に対する恐怖はなく、この男の野望を止められない無力感の方がよほど大きいくらいだ。せめてもの当て付けに、私はコートランドが考えているだろう筋書きを先んじて言ってやる。
「……そうして、貴方は救国の英雄となるわけね。首都を焼き市民を虐殺し、大統領とその娘をも手に掛けた卑劣な逆賊を打ち倒した報国の将軍として、世界中に自分の偉業を喧伝するわけだわ。最終的に誰も真実を知る者がいなくなった後で、悠々とこの国の大統領になる、と」
「……ふん、察しの良いことだ。あの男の英才教育の賜物ですなあ」
コートランドの憮然とした口調を聞き、私は少しだけ溜飲を下げた。
「まあ、良いわ……早く殺しなさい」
「無論、言われずともそうするつもりです」
コートランドが腰から拳銃を引き抜くのが見えた。ハンナが血走った目でその様子を睨んでいる。彼女も私のすぐ後に殺されるのだろう。無念だ。無念でならない。それでも私は頭の片隅で、コートランドの天下はそう長くは続かないだろうと考えていた。
もしコートランドが首尾よく<マグオル共和国>を掌握したとして、彼が戦乱を望む限りその先に待つのは<エクィアス連合国>との避けられない戦争だ。政府中枢が崩壊し、官僚たちも殆どが死亡した現在、父ほどの政治能力がないコートランドが同盟状態を維持できるとは到底思えない。
<マグオル共和国>は精強な軍隊を持つとは言えども、結局はコートランドが自ら口にした通り<エクィアス連合国>の庇護下で成り立つ国だ。経済支援を打ち切られ、真正面から戦えば勝ち目はない。そもそも、彼我の国力差自体が天と地ほど開いているのだから。
「貴方が来るのを地獄で待っていてあげるわ、コートランド」
これが辞世の句になるだろう。そう思って吐き出した言葉に、コートランドは笑みで以て応じた。
「それは胸が躍るお誘いです。しかし、当分そうはならないでしょう。私はこの<マグオル共和国>をさらに盛り立て、その先には<エクィアス連合国>をも支配するのですからな」
「……狂人の戯言ね」
心の底から嘲りを込めて言ってやるが、しかしコートランドの表情には揺るぎない自信と余裕があった。
「ところが満更放言でもないのですよ、これが。自信の理由をお教えしましょうか? そう、例えば……何故この兵士たちがここまで強く、私の操り人形の如くに忠実なのか、とか?」
「――……それはッ!?」
私はコートランドの言に食い付いた。そう、それがずっと不思議だったのだ。今も兵士たちはコートランドに従い続け、一応は国家元首の娘である私の窮地に対してもなんら反応を示さない。それどころか一言たりとも口を利かないのは、はっきり言って異常だ。
自惚れかもしれないが、私はそれなりに兵士たちからも親しみを受けていた筈だ。まして、父を悪し様に言う兵士の姿など見たことはない。コートランドのような不満を抱えていた兵士が一人もいなかった、などとは言わないが……こんな男の戯言に素直に従うような愚か者たちであるとも思えない。
困惑する私の反応を受け、コートランドは愉快で堪らないという風に、堂の入った演説口調で宣い始める。
「さぁて!! 何故、人の身でありながら音の速度を超えて飛ぶ弾丸に追いつき、指先一つで摘まみ取ることができたのか!? 何故、名高き無双の勇者<蒼撃士>ブラス・シュラウトを、雑兵の寄せ集め如きが殺害せしめたのか!? その答えをお見せしましょう……そらッ!!」
コートランドが天高く掲げた指が甲高く打ち鳴らされた瞬間、その周囲に控える漆黒の軍勢が、一糸乱れぬ動きでマスクを脱ぎ捨てた。その下から露わになったのは……、
「……な、ぁッ!?」
人の貌ではなかったのだ。
髪の無い頭部には縫い合わされた傷跡が生々しく残り、眼球はてらてらと光るレンズに置き換えられ、鼻から口までは芋虫のようなパイプに埋め尽くされている。正に異形と呼ぶべき形相。記憶に閃いたその名を、私は咄嗟に叫んだ。
「……鋼撃兵ッ!?」
「残念ながらその模造品ですがねえ!!」
私は、完全に打ちのめされた。
鋼撃兵。それは<エクィアス連合国>や<アルデガルダ帝国>といった巨大国家のみが保有する、捻じれ狂った科学技術の粋を極めた人体改造兵士の総称だ。その戦闘能力は単機で一軍に相当するとされ、世界各地の戦場に於いては“死神”とも呼ばれる脅威である。
その軍勢を前にして、如何に精強たる近衛兵たちも歯が立たなかったことは想像に難くない。勇者ブラスもまた、奮戦虚しく討ち取られたのだろう。たった数十分ほどでこれだけの破壊を撒き散らせた理由としても納得がいく。
兵士たちがコートランドに従っているのも、既に彼ら自身の意思が存在しない為だろう。脳さえも機械に置き換えられた鋼撃兵は、入力された命令にのみ従う操り人形も同然である。血も涙も失った漆黒の軍勢は、もはや自分が銃口を向けている対象さえ機械的にしか識別できない筈だ。一体、何時から入れ替わっていたのか。
しかし、ここで疑問が浮かぶ。今の<マグオル共和国>が鋼撃兵を造れるとは到底思えないのだ。製造技術が秘匿されている上に運用にも多大なコストが掛かるというそれを――如何にコートランドが軍の総司令官であろうが――これだけの数用意できる道理がない。
「……模造品?」
そこでふと、私の脳裏に浮かんだ想像が一つだけあった。それは、
「……コートランド? 貴方のクーデターの後ろ盾はどちらの国?」
「いやはやまったく、察しの良い才女様だよ、貴方は!!」
コートランドは、笑う。歪み切った笑みに滲み出る悪意をもはや隠そうともせず、むしろそれこそがこの世の真実なのだとばかり、胸を張って高らかに言った。
「いやあ、<アルデガルダ帝国>は物分かりが良かった!! 武と鉄、正に私の理想とする国家だよ、あれは!! その中枢に籍を用意してもらえ、更には今回のクーデターの結果次第ではそのまま鋼撃兵一軍を任せてもらえるとあれば、乗らない手はない!! さらに働き次第では、私自身も鋼撃兵に改造してもらえるというのだからなァ!!」
「――おのれ、俗物ッ!!」
「なんとでも言うがいい小娘ェ!! 私に正しい居場所を用意しなかったこの国が悪いのだよ、はははははッ!!」
コートランドの哄笑を身に浴び、私はここでようやく事態が取り返しのつかない危機的段階に至っているのだと、あまりに遅まきながら悟った。このクーデターの黒幕は<アルデガルダ帝国>だ。だとすれば、私に最初から勝目はなかった。どれだけ足掻いた所で、象に蟻が挑むようなもの。
理解してしまう。これが、決定的な敗北だと。
恐らく<アルデガルダ帝国>は<マグオル共和国>を鋼撃兵量産の実験場としたのだ。コートランドの野心はその為に利用され、そして実験台として用いられた兵士たちは、何も知らぬまま身体と意思を奪われ、こうして自らの故郷を焼き払う行為に加担させられている……。
「コートランドォオオオ……ッ!!!!」
握り締めた手の平が爪で裂け、食い縛った奥歯が音を立てて砕けた。その痛みさえ、私が今感じるドス黒い感情に対しては些細な痛痒でしかない。この男は、どれだけ命を蔑ろにすれば気が済むのか。
「貴方だけは……ッ!! 貴方だけは、生かしておかない……ッ!!」
「獅子もかくやと吼えたところで、這いずる姿が芋虫のようでは滑稽なだけですぞ、メリア様!!」
言葉で食い下がることすら、もう無意味だ。コートランドは己の勝利を確信しているのだ。
そして、それは遠からず現実となってしまう。<マグオル共和国>は地図から消滅し、もし立ち向かう兵士がいたとしても鋼撃兵の軍勢には敵わない。その尽くが殲滅され、生き残りは量産型鋼撃兵の実験台に費やされるだろう。
祖国を守っていた兵士たちは<アルデガルダ帝国>の尖兵として生まれ変わり、コートランドの指揮下で世界中に戦火を広げていく。その果てにあるのは<マグオル帝国>が生んだそれとは比較にならないほどの、地獄だろう。
この事実を世界に知らせなければならない。
しかし……どうやって?
もはや全ての手段は断たれた。
ハンナも戦えるような身体ではない。
「さぁ、そろそろお別れですメリア様!! 今まで御世話になりました!! 私はこの根腐れした国を離れ、永遠の闘争に満たされた世界に生き続ける!! これこそが私の望み!! 私の生き方!! 素晴らしきかな、人生!!」
こんな男に故郷が滅ぼされるのを、黙って見ているしかないのか、私は。
気付けば涙が頬を伝っていた。透明な雫は、故郷の為に一命を賭して散って行った勇士たちの血と混じり合い、溶け込んでいく。意志さえ血だまりの中に消えていくその光景が、私の諦観を抗いようもないほどに強めていく。
「誰か――」
この世に神はいない。ただ願うだけで救われるものなどありはしないのだ。
それでも、私は……願ってしまった。この邪悪を討ち果たす者の到来を。
せめて正しい裁きが、天から下されんことをと、一心に祈り願った。
-↯-
――そして、雷鳴は轟いた。
-↯-
その瞬間、全てのものが静止して感じられた。
全ての存在が揃って呆けたように空を仰いだ。
ハンナも、コートランドも、兵士たちも、そして私自身も。
大気を打ち鳴らし、打ち破り、高々と何処までも響き渡る轟音。
それに先んじたのは、真昼の空を切り裂いて走る一筋の閃光だ。
天頂から大地へ向け、一直線に光速で叩きつけられたその雷槌は――
「……こちらケイ・サーヴァー少尉。現地に到着」
――全身に紫電を纏って立つ、人の姿をしていた。
「これより、任務を開始する」
-↯-