エピローグ
1995年1月。関西地方は大きな厄災に見舞われていた。
後に阪神淡路大震災と呼ばれる直下型地震で、神戸市内は惨状と化していた。
私は自宅から神戸の様子をテレビで見ることしか出来なかった。テレビの中の光景はあまりにの非現実的でまるで映画のセットのようにさえ見えた。
高速道路は横倒れになり、多くの家屋は見る影もなく崩れていた。人々は体育館のような場所で身を寄せ合い、暗い顔をしていた。
そんな凄惨な光景をテレビは毎日報道した。テレビに映し出される死者数だけが毎日、淡々と増え続けていた……。
不幸中の幸いは亨一のことだろう。彼と彼の家族は今回の震災で大きな被害は受けなかったようだ。ライフラインの復旧にしばらく掛かったのでそれを知ったのは地震から1週間以上経ってからだけれど。
亨一は自分のことは心配ないと言った。声の様子からも本当に心配はないらしい。
「亨一が無事で良かったわ……。なぁ? 『レイズ』の他のみんなは?」
「ああ……。ヒロと繁樹は無事だよ。家が壊れただけみたいだからね。ただ逢子は大変かな……」
亨一の話だと三坂家は大きな被害を受けたそうだ。彼女の母親は家屋の倒壊に巻き込まれ亡くなってしまったらしい。
「そうか……。そらお気の毒やね……。本当やったらお葬式行かせて貰いたいとこやけど……」
「そうだね……。でも市内のどこもそんな感じだよ。逢子だけじゃないからさ。正直、今は葬式出来る状態じゃないと思うよ。それに……。逢子は鴨川さんに会いたくないと思う」
亨一は珍しくはっきりと私と逢子の関係について言及した。
「せやろな。ま、ウチは影ながら応援させてもらうで……」
亨一は「そうだね」と呟くだけだった。
私はどうしても逢子に再起してほしかった。今度は再起した彼女と勝負したい。そう願った――。
2月上旬。半年ぶりに栞と会った。場所は私の地元。栞にとっては古巣だ。
「おいでやす」
「えへへ、ただいま」
栞はまるで実家に帰ってきたように返してくれた。京都駅の改札で見る栞はこの前より大人っぽく見える。
彼女の服装は以前のようにシンプルだった。紺のダッフルコートに赤のフレアスカート、厚手のタイツにローファー。受験生のような格好だと思う。
「京都来るん何年ぶり? 中二からずっと来てへんやろ?」
「そだね。3年ぶりぐらいかな?」
3年……。言葉にすれば短いけれど、結構な年月だと思う。
それから私たちは食事をしたり買い物したりと休日を満喫した。駅周辺の商業施設を見て回り、喫茶店でコーヒーと卵サンドを頼んだ。
喫茶店のメニューを見て栞は「ウチとあんまり変わんないね」と苦笑いしていた。
この前と違って私と栞はごく普通に健次の話をした。健次だけではない。充や亨一の話も。
話は尽きることがなかった。栞も私も3年間の思いが溢れかえっていた。
「ねえ月子ちゃん? ちょっと行きたいとこがあるんだけどいい」
「ああ、かまへんよ。栞めったにこっち来んから行きたいことは行ったほうがええで」
「うん。ありがとう」
それから私たちはその場所へ向かった。私と栞にとっての古い思い出の場所へ……。
「ウチもここ来るんはえらいひさしぶりやな。5年以上来とらんかも」
「そうだよね。普通は卒業したらあんまり行かないもんね」
私たちは自身が卒業した小学校まで来ていた。卒業してから5年も経つというのその建物は何一つ変わっていないように見える。
「ちょっと悪いことしようか?」
栞はそう言うと、校門によじ登って中に入った。昔の栞なら考えられない行動だ。
「ちょ!? 栞やることが大胆やな」
そう言いながら私も校門へよじ登る。私も人のことは言えない。
「エヘヘ、ずっと母校に忍び込んで見たかったんだよね。流石に校舎の中には入れないだろうけどさ」
幸いその日は、当直の教員が居ないようだった。もし居たら流石に怒られると思う。
校庭には古びた遊具が設置されていた。公園にあるようなブランコや高さの違う鉄棒、ジャングルジムにシーソー……。そんなどこの小学校にもありそうな遊具だ。
栞は鉄棒に捕まると逆上がりするように地面を蹴った。残念ながら失敗に終わったけれど。
「うーん……。大人になれば出来るんだと思ってたけどやっぱり無理だね……」
「ハハハ、いきなりは出来んて」
栞は残念そうにため息吐くと首を小さく振った。
「やっぱり私って体育苦手なんだよね……。二重跳びも出来なかったし、跳び箱も3段で躓いたしさ……」
「しゃーないやん。その変わり栞は文系で強いんやからええやろ?」
「……。でもさ。自分の殻破ってみたいんだよ。苦手って決めつけてやらないのはもったいない気がする」
もったいない……。栞の口から出るとは思えない言葉だ。
「栞がそんな風に言うとは思わんかったで。でも……。せやね。栞の言うとおりかもしれん。やらずに逃げるんは良くないことや。どうせ逃げるんやったらやりきってから逃げたいもんな」
私は栞に話しているようで自分に言い聞かせていた。私だっていつまでも逃げてはいられない。
西浦さんのことだってそうだし。逢子のことだって……。
「なぁ栞? ウチらのバンド今年からインディーズで売り出すねん」
「え! すごいじゃん!」
「うん。ありがとう。でもな……。イマイチ乗り切れんのよ。ケンちゃんもみっちゃんも亨一も居てくれるのに何でやろね……」
そのとき、私は初めて自分の気持ちを他人に伝えられた気がした。
「そっか……。何か不安なことでもあるの?」
「不安か……。正直不安だらけやで? 歌手として成功できるとかどうとかの前にウチの実家の跡継ぎのこともあるしな……。それ以外にも不安は山盛りやけどね」
不安……。漢字にすれば2文字のその言葉は私を想像以上に動揺させた。前に出しべき足が出せなくなる。
「不安だっていいんだよ? 私だって不安だらけだもん。学校には嫌な人も居るし、小説書くのだっていつも不安だよ。でもね。不安だから書き続けられるんだと思う。もし毎日安心だったらボケちゃうと思う」
「ハハハ、ボケか。たしかにな……。ま、分かっとったんやけどね。贅沢な悩みや。でも栞と話して決心が付いたで」
私は栞と向き合った。こうして向き合うと栞の背が伸びたと改めて感じた。
「栞。改めて約束しよう。ウチらは夢を追う仲間や。ウチは絶対武道館公演したる! 絶対の絶対に」
「うん。私も……。直木賞絶対取るよ。絶対の絶対に!」
5年越しの誓いだった。私も栞も立つ場所が変わったけれど、気持ちは欠片も変わっていなかったのだと思う。
真冬の京都で私たちはあの約束を再び交わした。
願いと欲望に彩られた未来を――。
END




