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川村栞は本当にいい子だった。
彼女はあまり華がある感じではないけれど、顔の造形自体は整っていた。
大人しく表情が豊かとは言いがたい子だった。
それでも栞が笑った顔はとても可愛らしく見えた。
栞は私と同じ小学校で、5年生の時に転校してきた生徒だった。
彼女は関西圏の出身ではなく、関東から転校してきたのだ。
初めて話した時の事だ。
私は彼女の綺麗な言葉使いに感動したのを今でも覚えている。
転校当時の彼女は、引っ込み思案なのかあまり周りと打ち解けようとはしなかった。
彼女はあまり自分の意見を言う子ではなかった。
他の女子に話を振られても愛想笑いする程度だったのだ。
栞は周りの女子たちと噂話するよりも物語の世界に入り込むのが好きだった。
彼女は図書室から借りてきた児童書を休み時間の度に読み、時間になると授業に集中していた。
そんな栞に対してクラスメイトは次第に悪い態度を取るようになった。
小学生の女子とは残酷な生き物だと思う。
女子たちはそんな彼女を馬鹿にするようになっていったのだ。
私はそんな風に陰湿に特定の人間を非難するクラスメイトがとても嫌いだった。
正義感からそう思った訳ではない。
その様子が母の姿の重なって嫌になったのだ。
とある放課後。
忘れ物をしたせいで教室に戻る事があった。
私が5年1組の教室を開けると教室には栞が1人ぼっちで座っていた。
「あれ? 栞ちゃんひとり?」
「そうだよー」
栞は私の方を向くと、ニッコリ笑って恥ずかしそうに下を向いた。
彼女の手には児童書が握られている。
「そぉかぁ、栞ちゃん本好きなん?」
「え! う……。うん」
私の質問が予想外だったのか、栞は戸惑った表情を浮かべた。
「ええね! 好きな物に熱中できるんはええことやで! ウチも女同士で仲良しごっこするより好きな事やってる方がええもん!」
私は栞に言うと同時に、他のクラスの女子たちを非難する言葉を吐いた。
それを聞いた栞の顔には不器用な笑顔が浮かべる。
「そ……。だね」
「せやで! ウチはな! 女がたむろして誰かの悪口言うのがほんまに大嫌いなんや! 何が楽しいのか理解できへんてマジ!」
自分で言っていても矛盾していると思う。
私はその時、特定の女子グループに対する悪口を吐いていたのだ。
ダブルスタンダード。
「月子ちゃんは強いよね……。私はダメなんだよ。身体は弱いし、あんまり明るくもないし」
栞はそう呟くと俯いてしまった。
「栞ちゃんはダメやあらへんて! 好きな物に打ち込めるんは才能やで! 本が好きで本を読むのが得意やったらそれは立派な才能だとウチは思う!」
教室には私の声が木霊した。
栞はそんな私の顔を黙って真っ直ぐ見つめる。
「ありがとう……」
彼女はただ一言そう呟くと、私にぺこりと小さく頭を下げた……。
それから私たちは頻繁に放課後を共に過ごすようになった。
最初こそ、あまり自分の事を話さなかった栞だけれど、次第に自分の話をしてくれるようになった。
彼女の母親はエンタメ作家をしているらしく、幼い頃から本に囲まれて育ったらしい。
「へー! すごいやん! 作家とかウチは絶対に縁がない仕事やから尊敬する!」
「エヘヘ、ありがとう。お母さんの本すごいんだよ! 私もお母さんの本大好きでさ」
「ほんまやね! 家族が作家なんてかっこええと思うで? 自慢のお母さんが居て羨ましいわぁ」
意外な事に彼女は自身の母親の話になると謙遜しなかった。
むしろそれは自慢と言って良いのではないだろうか。
でも、そんな彼女の自慢話が私は好きだった。
少なくとも、自分の身内を謙遜の道具に使うよりは余程健全だと思う。
「月子ちゃんは歌手になりたいの?」
栞は瞳を輝かせながら私に尋ねた。
「せやで! 目標もあるんや! ウチは大きくなったら絶対武道館で歌ったたる! そんでな! 何万人もの歓声を浴びるんや」
「うん! 素敵! 月子ちゃん歌上手いしきっとなれるよ!」
「ありがとう。そうゆうてくれるの栞ちゃんだけや」
栞のそんな言葉が本当に嬉しかった。
父以外で私の夢を真剣に応援してくれたのは彼女が初めてだったのだ。
「栞ちゃんは? 夢とかある?」
「私は……。お母さんと同じくらいの作家になりたいな……」
「ええやん! 栞ちゃんにぴったりや! よっしゃ! したら一緒に目標立てよ」
私は学習帳の最後のページを破ると1枚彼女に手渡した。
「ここに目標書いてお互いに交換しよ! そんでな! もし諦めそうになったらお互い励まし合おう! したら少しずつでも目標に近づけると思うねん!」
「そうだね! じゃあ……」
栞は私の手渡したノートの切れ端に自身の目標を書き始めた。
私も同じように目標を書き始める。
「よっしょ……。出来たで!」
「私もー」
私はノートに『武道館単独公演!!!』と大きく書いた。
「すごい月子ちゃんぽいね」
「せやろ? 栞ちゃんのも見せて!」
私が手を伸ばすと彼女は自分の書いたノートを私に差し出した。
彼女の字は線が細く、本当に女性らしい物だった。
流れるような字体で、ノートに溶け込むようにその目標は書き込まれていた。
『直木賞受賞』
そこに書かれている目標に私は思わず息をのんだ。
全く文芸に縁がない私でさえ知っている賞がそこには書き込まれていたのだ。
「すごい! 栞ちゃんめっちゃ野心家やん!」
私は感心したようにそう言うと、彼女の顔を覗いた。
「ちょっと……。目標高すぎたかな……」
「ええって! ええって! 高いに越した事ないわ」
「うん……。私、頑張る!」
それから私たちはお互いの目標を書いた紙を交換した。
ランドセルに紙をしまうと、一歩前進したような気持ちになる。
「したら約束やで! ウチは武道館。栞ちゃんは直木賞や!」
その時、私たちはお互いの夢を共有する特別な存在になった――。
思い返せば、小学校高学年が有意義な物になったのは栞のお陰だと思う。
悩み事があれば互いに相談し合ったし、楽しいことも互いに共有した。
そんな彼女だからこそ、私は健次の件が納得がいかなかったのだ。
中学2年の春先。
私は2つ大切な物を失おうとしていた……。