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日常が砕け散ってしまった。
それはまるで硝子に鉄球をぶつけたら割れるくらいあっさり壊れた。
ずっと好きだった人も……。
大切な親友も……。
私の心の核の部分を形成している2人を同時に無くしてしまった。
頭では判ってはいるのだ。
栞は決して悪くない……。
もし私が栞と同じ立場だったらどうしただろう?
栞が好きな相手を私が好きになったとして、それを彼女に伝えたり身を引いたりしただろうか?
そんな思考が浮かんでは消えたけれど、どう足掻いても結論は同じだった。
ゼンブウチガワルイ。
その結論はどうしても揺るがなかった――。
翌日。
私はいつもより早く登校した。
朝の街の空気は白く、朝日はとても眩しい。
早めに登校したのには訳がある。誰にも会いたくなかったのだ。
登校中にクラスメイトと会うのが心の底から嫌だった。
自転車を漕ぎながら学校を目指していると喉の奥から込み上げてくるモノがあった。
気分が悪く、許される事なら身体の中身を全て吐き出してしまいたいと思うほどだ。
本当に全て吐き出してしまいたい。汚くてドブのような中身を捨ててしまいたかった。
自転車のペダルを漕ぐ自分が酷く滑稽に思えた。
これからまた苦しまなければいけないのか……。
そんなマゾヒズムな考えが私を酷く苦しめる。
学校に辿り着くと、自転車を駐輪所に停める。
幸いな事に駐輪所に生徒の姿はなかった。
自転車も数台停まっているだけで、まだ登校している生徒も少ない。
駐輪所から教室へ向かう。
横目で見る校庭では運動部が朝から走り込みをしている。
無意識にバスケットボール部の生徒を探したけれど、校庭を走っているのは陸上部とサッカー部だけのようだ。
当然、健次の姿はそこにはなかった……。
教室の引き戸を開けると、そこには誰も居なかった。
ガランとした教室に机と椅子だけがある。
正面の黒板には昨日の帰りにでも落書きしたのか、チョークで絵が描かれていた。
私は席に着くと、鞄から教科書を取り出し机の中へしまう。
窓ガラスから差し込む朝日が黒板に当たって落書きを照らしていた。
誰かの相合い傘や犬のイラストがコミカルに描かれ、いかにも中学生らしい落書きに見えた。
私は自分の席でその黒板に描かれているその拙い絵をぼーっと眺めていた。
不思議とその絵を眺めていると日常に戻れるような気がした。
意味もなく、善意も悪意もない平凡な日常――。
30分ほど教室で佇んでいると、他の生徒が登校してきた。
「あれぇー? 月子今日は早ない?」
「ああ……。早く目が覚めてな……」
私はクラスメイトの女子に愛想笑いしながらそう答えた。
少しずつ教室が賑やかになり、気が付けば黒板の落書きも消えている。
落書きが消されると心が締め付けられるような気がした。
まるで私の日常が消されたような錯覚に襲われる。
「おはようさん!」
授業の準備をしていると、後ろから声を掛けられた。
「お、おはよ……」
私は動揺を隠すように一瞥して後ろの席を一瞬だけ見た。
「なんやねん。今日はお前ずいぶん辛気くさい顔しとるなぁ」
健次はそう言うと呆れたように私を小突いた。
「別に……」
「ああ、この前は悪かったな……。でもお前も逃げる事ないやろ? お前かて知らん訳やないし……」
健次のその言葉からは悪意は感じられなかった。
むしろ、私を心配しているようにさえ聞こえる。
「気にしてへんよ……。ちょっと驚いただけや」
「ふーん……。まぁええけど」
彼の言葉一つ一つが棘のように私の胸を突き刺した。
激しい吐き気に見舞われたけれど、そんな事言えるはずもない。
私は健次を振り切るように授業に集中する事しか出来なかった。
この時ほど、自分の学力に感謝した事はないと思う。
三角関数や紀貫之の和歌が私を少しだけ日常に引き戻してくれたのだ。
やはり教養は役に立つのかもしれない。
アケメネス朝ペルシャも私を救ってくれるかもしれない……。
黒板に書かれた数式や和歌は私を日常に戻してくれる大切な重石のように思えた。
もし重石がなければきっと飛ばされてしまうだろう……。
どうやら栞は健次に昨日のことを話してはいないようだ。
もし話していたなら健次から何かしら文句を言われると思う。
言わないであろう事は栞の性格から容易に推測できた。
あの子は昔から自分の中で抱え込み、嫌な思いをしても誰かとそれを共有しようとはしなかったのだ。
それが彼女の生きるための処世術なのだろうと思う。
私はその処世術に感謝と軽蔑を持たずには居られなかった。
これ以上この2人に日常を壊されたくはない――。
その日、私は理由を付けて部活を休んだ。
普段、優等生で通っていると、こういう場面ではすんなり意見が信じて貰えた。
流石に昨日の今日で栞に会うなんて出来そうにない……。
結局のところ私は負け犬だった。
夢も実現できず、恋さえまともに叶えられない負け犬なのだ。
悔しくて、悔しくて仕方がなかった。
帰り道。私は歯を食いしばって自転車を漕ぐことしか出来なかった――。
健次から電話が掛かってきたのはその日の夜だった。




