第7話 レイチェル
「馬鹿にしてるだろ」
ミッションが無事終わり、俺とアリスはレイチェルに案内されて居住区に向かう艦内通路を移動していた。
通路は二人が並んでやっと通れるくらいの幅で床や天井の区別がない丸いチューブのような形状だった。壁に埋められた照明は温かみを感じる白い光を放っていた。
「馬鹿になんかしてません」
黙っているわけにもいかず、俺はアリスの発言を否定した。
通路が狭いので、横に並んだりせず、一番前をレイチェル、少し遅れてアリス、そのすぐ後を俺が無重力の環境を泳いでいた。
「嘘をつけ。あの程度で宇宙船酔いするなんて、なんて役立たずな奴と思ったんだろうが!」
俺の方を振り向いたアリスの目のまわりは赤かった。
ショートボブからのぞいた形のいい耳も赤く染まっていた。
確かに意外ではあったが、絶叫マシーンに乗せられたような状況で気分が悪くなるのは仕方がないと思った。俺だって全く平気というわけではなかったからだ。
しかし、プライドの高い彼女は非常時に役立たずとなった自分が許せなかったんだろう。
「嘘はついていません」
俺は繰り返した。本当に彼女のことを軽蔑したりはしていなかった。
しかし、アリスは納得せずに赤い眼で俺のことを睨みつけた。
「アイザックは仲良くしてねと言っていましたよ」
レイチェルが俺たちを見かねて会話に割り込んできた。
誰のプログラミングかは知らないが、よくできた娘だ。
「どうすれば仲良くなれるっていうんだ、こんな嘘つきと!」
じゃあ、軽蔑したとでも言って欲しいのかよと俺はキレそうになったが、とりあえず黙っていた。
「ハグしてみるっていうのはどうです?」
アリスの発言は質問ではなかったと思うが、レイチェルは微笑んで解決策を提示した。
「馬鹿か! 誰がこんな奴と!」
アリスは顔を赤く染めて怒鳴った。
なんて失礼な奴だ。階級が上だと思ってしばらく我慢していたが、俺はとうとうキレてしまった。
「こっちこそ、願い下げだ!」
「何だと、貴様!」
「ストーップ、二人とも恥ずかしそうなので、私がハグしてあげます」
レイチェルは通路の壁をとんと押して移動すると、有無を言わさずアリスに正面から抱きついた。
「あっ、馬鹿、やめろ」
「本心ですか?」
レイチェルがアリスの耳元でやさしくささやいた。
見た目美少女の二人が抱き合っている構図に俺は不覚にもムラムラしてしまった。
アリスは顔を真っ赤にしたまま抵抗らしい抵抗はしていなかった。
「本心に決まっているだろ」
アリスの声は弱々しかった。
「そうですかぁ、ざーんねん」
レイチェルは明るい声でほほ笑むとハグを解いた。
アリスは頬を染めたまま俯いて呼吸を整えていた。
「シンイチもハグしますか?」
「えっ?」
なんて嬉しいことを言ってくれるんだと思わず顔をほころばせると、アリスがものすごい目つきで俺を睨んだ。
「あっ、着きましたよ」
残念なことに俺の返事を待たずに話題が変わってしまった。
俺たちは中央制御室から、レイチェルの人工知能を収めたサーバルームを迂回し艦尾側の居住区にたどり着いていた。
そこは通路に面して、状況に合わせて傾きを変える個室が並んでいた。
今は足元が艦の外殻側、頭上が艦の中心部側だった。
宇宙パトロール艦は等速運動を行っている巡航時は紡錘形の艦体をライフルの弾丸のように自転させ、遠心力による疑似重力を発生させるようになっていた。その場合、疑似重力は艦の外殻側に働くので外殻側を個室の床になるようにしていた。
そして、加速時は艦尾方向に対して疑似重力が発生するため、艦尾方向が床になるよう個室の角度を変えられるようになっていた。
居住区がこんな構造になっているのは長期間無重力環境のままだと乗組員にいろいろと健康上の問題が発生するからだ。骨がもろくなったり、筋力が衰えたりするほか、心臓や脳にも負担がかかるらしい。
ちなみに今は加速していなかったが艦体を回転させてもいなかった。
「皆さんのお部屋には、ファーストネームのプレートをつけておきました。間違えて他の人の部屋に入ったりしないでくださいね」
味もそっけもないクリーム色の自動ドアの横に生体認証用のレンズとネームプレートが付いていた。
入室に生体認証が必要なのだから間違えても入室できないと思う。
レイチェルはボケたのだろうか? 突っ込まないといけないのだろうか?
人工知能のくせに彼女には今一つよくわからない言動が多かった。
「シンイチ、部屋を開けてみてくれますか?」
丁度、目の前の部屋は俺の部屋だった。
生体認証用のレンズを覗くとドアが開いた。
居室内に優しい色合いの照明が灯り、部屋の様子が照らし出された。
ビジネスホテルのシングルルームや単身者向け家具付きマンションのような作りだった。
内装はグレーとブルーが基調で、軍が作ったとは思えない落ち着いた雰囲気だった。
入口手前に無重力対応のトイレと浴室のブースがあり、奥に木の質感を感じるベッドと机、そして椅子が床に固定されていた。
「お二人とも宇宙船で暮らした経験が少ないと聞いていますので、いくつか注意事項を述べさせていただきます」
部屋の中をうろうろ見学していた俺とアリスに、レイチェルが幼稚園の先生のような笑顔で話しかけてきた。
俺は動きを止め視線をレイチェルに向けた。アリスも同様だ。
「宇宙パトロール艦は危険回避のため、急に重力方向が変わったり、無重力になったりすることがあります。荷物は必ず戸棚や引き出しなどにしまって扉をロックしてください。机の上のものが自分に向かって飛んでくる可能性がありますよ」
気を付けようとは思ったが整理整頓が苦手な俺は自信がなかった。
「また、寝具は寝袋のようになっていてベッドに固定できますので必ず固定してくださいね。寝ている間に宇宙船がさっきみたいに急加速や方向転換をしたら、壁や天井にたたきつけられて大怪我ですよ」
アリスが嫌な記憶を思い出して表情を暗くした。
するとレイチェルはアリスに優しい笑顔を向けた。
「もし、添い寝が必要だったら私を呼んでくださいね」
アリスに対するレイチェルの態度は優しい母親のようだった。
アリスは頬を染めながら鼻を鳴らした。
俺はベッドの上で二人が抱き合っている様子を想像し、加えて俺も添い寝をお願いしたいなどと妄想を膨らませた。
気がつくと、アリスの鋭い視線が俺に突き刺さっていた。
「けだもの」
「なっ」
健全な普通の男子に向かってなんてことを言うんだと内心反発しつつ、咄嗟に返す言葉が見つからなかった。
「大分、打ち解けてきましたね」
レイチェルは俺たち二人を見て春の日差しのような笑顔を浮かべた。
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