第5話 宇宙パトロール艦コーボルト
「自分は、アリス・シェルドンであります」
アリスは俺に路上のゴミを見るような一瞥をくれるとアイザックに一部の隙もない敬礼を施した。
「よろしくね。アリス」
軍隊の空気をピリピリと漂わせるアリスとは対照的にアイザックは湖のように静かな佇まいのままだった。
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。中尉殿」
闊達でキビキビしていて軍人の鑑のような所作だった。
おそらく普通の軍人の受けはいいだろう。
「もっと、フレンドリーにやろうよ。僕のことはアイザックと呼んでくれ」
しかし、彼女にとって残念なことはアイザックが普通の軍人ではなかったことだ。
「いや、しかし、それでは、軍の規律が」
アリスは自分とはまるっきり異なる価値観に困惑し、アイザックの提案に抵抗するそぶりを見せた。
アイザックは若干気分を害したような表情を浮かべると、静かに殺し文句を口にした。
「じゃあ上官として命じるよ。この宇宙パトロール艦コーボルトではファーストネームで呼び合い敬称はつけないこと……できるよね。シンイチ」
いい気味だと意地の悪い笑みを浮かべていた俺にアイザックは話題を振った。
「わかりました。アイザック」
俺はアリスなんかと違って適応能力が高い。
というよりも無理して軍隊に適応していたので、元に戻すのは簡単だ。
「貴様」
アリスは上目遣いに俺のことを睨んだ。悔しそうだ。
俺はアリスに邪気のたっぷりこもった笑顔を返してあげた。
そうか、俺もこの生意気な軍曹をアリスと呼び捨てにできるわけだ。
「できるよね。アリス」
「……わかりました。アイザック」
アイザックの念押しにアリスは渋々従った。
「よろしい。では、艦内を案内するからついておいで」
レイチェルによる最終所持品検査の後、俺たちはエアロックから艦内へと入った。無重力の中、泳ぐように移動した。
艦内の内装は基本的に乳白色で壁面の所々に照明が設けられていた。床や天井といった区別のない狭く丸い通路を通り、すぐに直径五メートル程の半球形の部屋に到着した。
「ここが宇宙パトロール艦コーボルトの運航を司る中央制御室だよ。いざというときには手動でパトロール艦をコントロールできるようになっている」
厳しい加速にも耐えられるような頑丈な座席が三つ、平らな壁際に横一列に並んでいた。
艦が加速しているときは座席が背にしている平らな壁が床としての役割を担うのだろう。
座席は半球の曲面である艦首方向に向いていた。
中央の座席の前にだけ、操艦用と思われるハンドルのような形状の機器がついていた。
座席の色は黒一色で操作盤は黒と銀色で彩られていた。照明は心が落ち着く暖色系だ。清潔で、静かで、殺菌のための微かなオゾンのにおいがした。
「宇宙船の乗組員になったのは今回が初めてです。機器の操作訓練はどうすればよいのでしょうか」
俺はずっと不安に思っていたことを思わず口に出した。
いざというときに役立たずではシャレにならない。
「ここの機器は切り替えでシミュレータにもなるから好きなだけ練習できるよ。レイチェルが手取り足取り教えてくれる」
砂糖菓子のような雰囲気のレイチェルが優しく教えてくれる様子を妄想して思わず頬が緩んでしまった。
しかし、所詮は機械じゃないかと思い直して緩んだ頬を元に戻した。
頬に痛い視線を感じて視線の方を見ると、アリスが思いっきり俺のことを睨んでいた。俺が一体何をしたっていうんだ。
それにしても出港してからシミュレーションで訓練を行うなんて我が軍も中々乱暴だ。出港してすぐ非常事態が発生したらどうするつもりなのだろうか。
「普段はレイチェルが操縦しているんですか?」
アリスがぶすっとした様子で質問した。
当り前じゃないかと思ったが、浅はかなのは俺の方だった。
「レイチェルの人工知能は操艦しているけど、ここにいるヒューマノイドのレイチェルは座席には座らないよ」
アイザックの言っていることはさっぱりわからなかった。
怪訝な顔をしている俺を見て、アリスは馬鹿にしたような表情を浮かべ、レイチェルは優しく微笑み、アイザックは鷹揚にうなづいた。
「レイチェルの人工知能は結構大きくて、この部屋の隣のコンピュータールームに入っているんだ。彼女は遠隔操作で動いているインターフェイスさ」
「とはいっても、私は頭が空っぽのおバカさんというわけではないですよ」
レイチェルは冗談めかして微笑んだ。
「それどころか大変優秀さ。よほどのことがない限り僕たち三人の出番はないだろうね。シンイチは、まだ、よくわからないようだから言い方を変えると、この艦のメインコンピューターはコーボルトというパトロール艦とレイチェルというヒューマノイドを直接、同時に動かしているんだ」
「なんとなく、わかりました」
俺はようやく納得した。
「じゃあ、レイチェルは、この艦から離れられませんね」
「そうなんです。私は箱入り娘なんですよ」
アリスの問いにレイチェルは冗談を言いながら微笑んだが、アリスは不機嫌そうな仔猫の表情のままだった。
先ほどからレイチェルは微妙なセンスの冗談を飛ばしていたが一体誰の影響なのだろう。製造元の技術者か、それともアイザックか。
「次に宇宙パトロール艦コーボルトの概要を説明しよう。レイチェル、コーボルトの外観図を投影して」
「わかりました。アイザック」
半球の部屋の曲面を描く艦首側に大きな半透明のスクリーンが空間投影された。
黒い宇宙空間を背景に灰色の大型外遊魚のような外観が浮かび上がった。
「この艦は地球連邦軍で最もありふれたタイプのパトロール艦で、全長一〇〇メートル、全幅二〇メートルだ。メインエンジンはレーザー核融合エンジンで、補助として化学エンジンも搭載している。航続距離は地球と木星を往復できる程度だ」
アイザックが説明するたび、黒い画面に白い文字で注釈が加わっていった。
「武装は高出力レーザー砲二門、ミサイル迎撃用のパルスレーザー砲四門」
砲塔の設置個所が外観図に赤くポイントされた。
それにしても武装は必要最小限という感じだ。
ミサイルも金属製の砲弾を飛ばす超電磁砲も装備していない。
「ステルス性能や攻撃を受けた時の防御能力は、どうなってますか?」
俺の問いにアリスが蔑むような視線を向けた。腰抜けだとでも思ったのだろう。
「一応電波吸収塗料やステルス性を高める形状を採用しているし、超硬合金の外部装甲、放射線被曝を軽減するための磁力線シールドや鉛と合成樹脂を使用した複合装甲も採用してるけど、軍艦相手にはほとんど役に立たないと思っていいよ。レーザー砲の射程外でしっかり見つかっちゃうし、超電磁砲の直撃を喰らえば一撃で撃沈だろうね」
予想通りだ。敵に見つからないように行動できるわけじゃないし、軍艦としては装甲は薄っぺらということらしい。
暇なのは嫌だが死ぬのはもっと嫌だ。
何事も起こらないことを祈っていた方がよさそうだった。
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