第3話 宇宙要塞アルテミス
体育館のように広い空間に大小さまざまな映像が空間投影されていた。
青く輝く美しい地球、大型回遊魚のような形の白銀の宇宙船、あばた面の灰色の月、赤と青と緑のまだら模様の火星、歪な形の暗灰色の小惑星、そして暗黒の宇宙空間。
照明自体は薄暗かったが、中空に浮かぶ映像が放つ光で部屋の中は十分明るかった。
視界の下の方では黒と灰色の軍服を着た数十人の男女が机に向かい、ある者は端末に何事か打ち込み、ある者は頭上に浮かぶ半透明の映像を見つめていた。
俺も同様の軍服に身を包み、馬鹿みたいに背筋を伸ばして突っ立っていた。
ここは俺たち第六装甲歩兵小隊が配属されている宇宙要塞アルテミスの中央制御室だった。時間指定で歩兵連隊本部の人間に呼び出されたので、お迎えを待っていたのだ。
期待と不安が半々だった。
待っている間の暇つぶしに、席についている兵士たちの様子を観察していたが、思いのほか若い女性が多く、俺は寝癖の直っていない右耳の上の黒髪が妙に気になり始めた。
「こちら宇宙要塞アルテミス。火星船籍の輸送船ヘラスに告げる。貴船は地球の防衛識別圏に侵入している。直ちに規定の速度に減速するか、軌道を変更せよ」
スピーカーで拡大された声がフロア内に響き渡った。
高くもなく低くもない男性の声だった。
空間投影されていたスクリーンの一つが赤く輝き、周囲に注意を促していた。
そのスクリーンには細長い円錐形の輸送船が映し出されていた。
『地球まで、まだ一〇〇万キロ以上あるだろうが!』
こちらからの警告に対して返ってきたのはがさつな感じの男の声だった。
人工知能ではなく間違いなく人間だった。
「前月一日から防衛識別圏は地球から半径一二〇万キロに変更されている」
『けっ、勝手なことを』
「宇宙船の加速性能向上に伴うやむを得ない措置だ。指示に従わない場合、防衛艦隊を出動させることになる」
相手の暴言にも惑わされずに淡々と物事を処理するこちら側の声は恐らく人工知能だ。
高速で移動する物体は、いざというときに迎撃しづらい。
地球の近くで減速を命じるのにはそうした安全保障上の理由があった。
『わかったよ。減速すりゃあいいんだろ、減速すりゃあ』
「まったく! 人工知能に地球からの通達を入力していないのかしら!」
感情を露わにしたオペレーターの肉声がフロア内に響いた。これは恐らく人間だ。
宇宙要塞アルテミスの中央制御室の業務のほとんどは人工知能がこなしていた。
人間は人工知能の誤動作のチェック(まったくと言っていいほど誤動作など発生しないが)や人工知能が判断するのは不適当と思われるケースを判断するために働いていた。
中央制御室で席についている者の何割かは人型ロボットのヒューマノイドのはずだったが、あまりに出来がいいのでパっと見、人間との見分けはつかなかった。
「二〇〇時間後に絶対防衛圏に侵入予定の小惑星アポフィスを、当初の予定通り排除してよいか伺います」
宇宙要塞アルテミスの中央制御室は平穏という言葉とは無縁らしい。すぐに次の事件が発生した。世の中にはこんな忙しそうな職場もあるんだなと俺は素直に感心した。
「小惑星アポフィスの危険度について確認したい」
一段高い位置に座っていた白髪頭の厳つい男性が人工知能と思われる声に反応した。
階級章まではよく見えなかったが、恐らくここの責任者なのだろう。
「小惑星アポフィスは直径約三三〇メートル、推定質量七二〇〇万トンです。地球へのコリジョンコースに乗っています」
人工知能は説明しなかったが、俺だったらそいつが地上に落下した時の被害を具体的に知りたいと思うだろう。
ちなみに直径五〇メートルの小惑星でも直径一キロくらいのクレーターができるそうだ。
「排除方法は?」
「当宇宙要塞アルテミスのほか、宇宙要塞ツクヨミ、宇宙要塞アリアンロッドの高出力レーザー砲を使用し破壊します。大きな破片が発生した場合、アリアンロッド所属の第三防衛艦隊が中心となって絶対防衛圏への侵入を阻止します」
地球をぐるりと取り囲む形で全部で八つの宇宙要塞が存在していた。
月軌道上に等間隔に五つ、月の裏側にひとつ、南極と北極の上空を回る軌道に二つだ。
これらの要塞の内側、地球から半径三八万キロの範囲が絶対防衛圏というわけだ。
そして、月の裏側を除く全ての宇宙要塞に、それぞれ三〇隻ほどの宇宙戦闘艦が駐留していた。
「排除計画を承認する」
白髪頭の男性は重々しく宣言した。
「カウントダウンを開始。射線上の船舶の航行を禁止します。警戒警報発令」
空間投影されたスクリーンのひとつにカウントダウンの数字が浮かび上がった。
「第六装甲歩兵小隊のホシノさんですね」
周囲が緊迫した空気に包まれているのを意に介する様子もなく、茶色の髪をきれいに刈り上げた若い士官が俺に近づいてきた。
女性受けしそうな優しい感じの好青年だ。爽やかな笑顔まで浮かべていた。
肩についた階級章を素早く確認すると、黒い二本線に星二つ、中尉だということがわかった。
「はっ、第六装甲歩兵小隊のシンイチ・ホシノ伍長であります」
イケメンのエリート士官なぞ腹立たしいだけの存在だが、俺は反射的に背筋を伸ばして敬礼していた。軍隊で叩き込まれた習慣というものは恐ろしい。
「お待たせしました。どうぞ、こちらへ」
俺は心の奥底でエリート中尉に敵愾心を燃やそうとして失敗した。
階級が下の若僧にも丁寧な言葉遣いをする中尉に、逆に敗北感に近い感情を味わった。
そんな俺のちんけな心の動きなど、当然知る由もない中尉は身を翻して歩き始めた。
慌てて後を追うと、二〇メートルと離れていない白いドアを示し、中に入るように促された。
一瞬躊躇すると、イケメン中尉は笑顔でうなづいた。
俺は軽く深呼吸すると背筋をことさら伸ばし、ドアを二回ノックした。
「入れ」
よく響く男の声が聞こえてきた。声から想像するに筋肉質の偉丈夫だ。
俺は相手に負けないように腹の底から声を響かせた。
「シンイチ・ホシノ伍長はいります」
勢いよくドアを開けると部屋は狭く、壁の色はアイボリーで、正面の壁際に机が一つ置かれていた。机は値段の安そうな暗灰色のスチール製両袖机で、その向こう側には軍服姿の男が姿勢よく座っていた。
声の印象とは違って小柄で中国犬のような顔をした頭髪のまばらな男だった。
肩の階級章は銀色の線に星一つ、少佐だ。
多分俺の所属する歩兵連隊のお偉いさんなのだろうが、そんな人たちとはあまり縁がないし、もともと俺にはお偉いさんの顔と名前を覚えようという意欲もなかったので誰なのかわからなかった。
「座りたまえ」
「失礼します」
俺は少佐の前に置かれた青い座面の粗末なパイプ椅子に腰を下ろした。
要塞内には自転による疑似重力が働いていたが、万一に備えて椅子は磁力で床に固定されていた。
「早速だが、要件を伝える」
少佐に自己紹介する気はないらしい。『俺のことは知っていて当然』ということなのだろうか。
「シンイチ・ホシノ伍長。本年四月一日をもってメインベルト方面第八艦隊所属、宇宙パトロール艦コーボルトへの異動を命じる」
「はっ」
本当に突然要件を告げられ、しかもその内容が想定外だったので、俺はとりあえずそれしか反応できなかった。
今回呼び出された内容は恐らく人事異動であることは俺も予想していた。
軍隊に入隊して初めての異動なので絶対の自信があったわけではないが、三月の下旬、歩兵連隊本部というキーワードがそろっていれば十分だった。それにセルゲイのおっさんも時間差で定年退職の辞令交付に呼ばれていた。
「何か質問はあるかね」
兵隊の人事異動には拒否権などない。そこんところを肝に銘じながら俺は口を開いた。
「職務内容は何でありましょうか? 操艦でしょうか? 火器管制でしょうか? 自分は装甲歩兵の経験しかありませんが大丈夫でしょうか?」
「問題ない。操艦も火器管制も人工知能が担当する。貴様は非常時対応の当直員だ」
俺がきょとんとしていると少佐は親切に補足してくれた。
「分かりやすく言えば人工知能を牽制する安全装置というわけだ」
異動したくないと正直思った。それって、何もやることがない閑職ってことじゃないのか?
俺は明らかに不満そうな表情を浮かべたはずだが少佐は気づかないふりをしていた。
「正式配属後、艦隊司令から詳細を告げられると思うが、勤務エリアは火星と木星の間のアステロイドベルトだ。鉱物資源の権益を火星の魔の手から守ることが主な任務となる。とても孤独で重大な職務だ。一度出港すると地球圏には何か月も帰還できない。心して職務に励むように」
今の話でようやく仕事内容が見えてきた。
火星の奴らが何かやらかしたら、艦隊司令にどうしましょうかとお伺いを立て、『やれ』と言われたら人工知能に攻撃を命じるのだ。
逆にそんな非常事態が起こらない限り、やることは何もない。
あったとしても暇つぶしのどうでもいい仕事だ。
そして、世間に流れているニュースから判断すると、非常事態はめったに起こらない。
そんなつまらない環境に独りぼっちで放置されたら頭がおかしくなってしまうだろう。
どうせ大した人数を割けるわけがないと思ったが、とりあえず聞いてみた。
「あの、パトロール艦コーボルトの乗組員は何名でしょうか?」
「三名だ。ひとり概ね八時間ずつ三交代勤務となる」
そうか独りぼっちじゃないんだと納得しかけた。
危うく騙されるところだった。
「それは、勤務時間中は一人きりということでしょうか?」
「非常時は三名体制となる」
「でも通常時は独りぼっちですよね! 宇宙で、何か月も」
「とても孤独で重要な任務だと説明したはずだが」
これでは大宇宙の片隅での引きこもり生活だ。
しかも娑婆で引きこもるのと違って、軍施設内ではインターネットに接続できないので、こっそりオンラインゲームにふけるわけにもいかない。
軍ではセキュリティ対策のため、インターネットへの接続を厳しく制限していた。
インターネット経由のハッキングで人工知能が洗脳され敵に寝返ったりしたら、シャレにならないからだ。
もっとも、自由にインターネットが使えたとしても、通信遅延が発生して地球の奴らとオンラインゲームをするわけにもいかないだろう。何せ、地球とアステロイドベルトの間には、光の速度で数分から十数分の距離があるのだから。
「不安もあるだろうが同じ環境で働いている兵も多い。君ならきっとやり遂げられるはずだ」
少佐は眉一つ動かさず歯の浮くようなセリフを口にした。
俺は上目づかいで恨みがましい視線を少佐に向けた。
「では、地球標準時四月一日午前八時までに、宇宙要塞アルテミスの宇宙港に停泊している宇宙パトロール艦コーボルトに乗艦したまえ」
「あの、後任者への引継ぎは?」
「君とセルゲイ曹長の後任はヒューマノイド兵だ。引継ぎの心配はしなくともよい」
先日のハイライン大尉の心配は思い切り的中していた。
次の異動では今よりもマシなところに異動できるのではないかと、実は内心期待していた。
おっさんたちと宇宙空間で厳しい訓練に明け暮れ、些細なしくじりを猛獣のような上司に指導される、そんな環境から解放されて若い女の子がいっぱいいて、週末には繁華街に遊びにでかける、そんな職場に異動することを夢見ていた。
しかし、全ては夢物語になった。
来週からは人間とまともにコミュニケーションをとることすら難しくなる。
俺は意気消沈して力なく小さな面接室を後にした。
最後に『失礼しました』と少佐にあいさつしたと思うがよく覚えていない。
イケメンのエリート中尉がにこやかな表情で俺を出迎えてくれたが正直むかついた。
こいつは、ここで若い女性兵士に囲まれて楽しく日々を過ごしているに違いない。
とはいえ八つ当たりするわけにもいかないので、力ない敬礼をして黙って背を向けた。
俺はうつむいたまま活気にあふれる宇宙要塞アルテミスの中央制御室を後にした。
すりガラスの自動ドアが開いて廊下に出た瞬間、小柄な人物と鉢合わせした。
危うくぶつかりそうになり、俺は思わず相手の両肩を押さえた。
華奢で柔らかな肩だった。
「なに?」
俺に向けて発せられた声は少し低めの不機嫌そうな女の声だった。
「あ、いや、ごめん」
慌てて肩の階級章を確認すると黒い一本線に星二つだった。
俺と同じ下士官だが、階級は一つ上の軍曹だった。ちょっとまずい。
「はぁ?」
軍曹は反射的に俺の口から出たタメグチを聞き逃さなかった。
「いや、失礼いたしました」
俺が直立不動で敬礼すると、軍曹の顔が目に入った。
小柄で癖のないつややかな栗色の髪をショートボブにした若い女性だった。
多分俺とそう年齢は変わらないだろう。
全体的な印象が仔猫のようなその女性に俺は見覚えがあった。
「あっ」
反射的に嫌な表情をしたに違いない。
根が正直で人生経験の浅い俺は心にもない表情を浮かべることができなかった。
「何だ。あの時の奴か」
女はつまらないものを見たとでも言いたげな表情を俺に送り返した。
訓練の時に俺を踏みつけたガサツな女だった。
険悪な空気が漂った。
「アリス・シェルドン軍曹ですか?」
案内係のイケメン中尉が入り口で俺のことを睨んでいる軍曹に気付いて近寄ってきた。
仕事熱心な男だ。
「どけ」
軍曹は中央制御室に入るための障害となっている俺に唸り声を発し、俺はしぶしぶ一歩下がって道を開けた。
「第五装甲歩兵小隊のアリス・シェルドン出頭しました」
彼女は俺には目もくれず普通の声で返事をすると、俺の横をすり抜けて中央制御室に入っていった。
俺は心底ムカついて暫く彼女の後姿を目で追っていたが、軍隊内で横暴な上位階級の人間にいちいち腹を立ててもキリがないので、気持ちを切り替えて中央制御室を後にした。
毎週土曜日に更新予定です。
皆様に楽しんでいただける作品になるよう頑張りますので、よろしくお願いいたします。