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後編

 よく晴れた夏の日、私は少年を拾った。彼が帰る家も財産も持っていないことは一目で分かった。町の広場で歌を歌ってお金を稼ぎ、その日暮らしをしていた頃の私とよく似た、途方に暮れた色をしていたからだ。

 夕焼け色の髪をした少年に、アカネという名前を与えた。私を拾い、育ててくれた人と同じ名前。あの人も、こんな髪の色をしていた。

 アカネは何も知らなかった。いつも余裕ぶっていて博識だったあの人とは違った。アカネにものを教えるのは、久々に経験する家族ごっこのようで楽しかった。アカネが、あの人と同じ椅子に座るたび、あの人がおいしいと言った料理をおいしそうに食べるたび、あの人と同じ歌をせがむたび、私はあの人のことを思い出した。もうずっと忘れていたつもりだったのに、何度も何度もあの人を思った。しかし、アカネはそれに気が付いていないものだと思っていた。

 読み書きを教えてほしいと言われた時はさすがに焦った。書庫代わりの地下室には、あの人の作品がある。わずかだが、あの人の話をアカネに話したこともある。察しのいい子だ、きっと私に今までどのような目で見られていたのか気が付いてしまう。それでも、アカネのしたいことを邪魔することは、私にはできなかった。

 劇作家だったあの人の書いた脚本は、地下室の一番奥の方にしまってあったけれど、やはりというか、アカネはそれを見つけてきてしまった。問い詰められ、言い訳のしようもなかった私は、ただうつむいて「ごめん」と繰り返した。

 見捨てられるかもしれないと思った。ナハトに頼めば、適当な空き家を紹介してもらうくらいはできるはずだ。また一人ぼっちで寂しい思いをするのは嫌だった。自分がこんなに弱気になるなんて思ってもみなかった。

 しかし、アカネは出ていくことはなかった。彼は時間があるときは大体地下室にこもり、あの人の脚本を何度も繰り返し読みふけるようになった。


 異変に気付くのに、あまり時間はかからなかった。

 アカネがあの人に似てきている。

 アカネは元から、知識を吸収するのが異常に早かった。道具の使い方や新しい料理を教えたときは、一度やって見せるだけで、そっくりそのまま真似てみせた。初めて聞かせた歌を翌日に口ずさんでいたこともあった。文字を覚え、読書をするようになってからは、使う言葉や話題の種類もぐんと増えた。むしろ、拾った時点では全くの無知だったことが不思議なくらいだった。

 今までにもアカネをあの人と重ねることは何度もあったけれど、それは髪の色が同じだとか、同じものを使っているからだとかいう理由からだった。しかし、最近のアカネは、本当にあの人に似ている。言葉の選び方や、笑い方、何かを考えている時の物憂げな表情など、少しずつ、確実に、あの人に近づいていた。アカネは何かするたびに私の反応をうかがいながら、まるで、あの人の姿を模索しているようだった。私は時々、またあの人と暮らしている錯覚に陥るほどだった。


 二つの仕事を始めたきっかけはあの人だった。あの人は度々、自分が台本を書いた劇を見せに、劇場に連れて行ってくれた。どの話もとても繊細で美しく、へらへらしている普段のあの人を知る身としては、彼が書いたとは思えないほどだった。いつしか、彼が関わるこの舞台に私も立ちたいと思うようになっていた。役者としては無理かもしれないが、歌手としてなら同じ劇場で働けるかもしれない。

 しかし、一流の人間が立つ舞台を何度も見てきた私は、自分の歌が二流止まりであることを痛いくらいに分かっていた。それでもあきらめきれなかった。まだ子供だったこともあり、冷静な判断ができなくなっていた私に、あの情報屋が目を付けた。

「カバネ君、あなたにとっておきの情報をあげるわ。あなたの大好きなあの人にもっと近づけて、今以上の才能も手に入るのよ。」

 それは悪魔のささやきだった。でも、その時の私は、ナハトの企みに全く気が付かなかった。

「どういうこと?」

「夜中に彼が何をしているのか、後を追って見てごらんなさい。見た後で詳しい話はしてあげる。」

 あの人が夜中に家を抜け出していることには気づいていたが、いつか話してくれるだろうと思ってあまり気にしていなかった。しかしその夜、ナハトに言われたとおりに、私は猫の案内であの人の後を追った。そして、あの人が知らない誰かの胸にナイフを突き立てるのを見てしまった。

 慌てて後ろに下がろうとして足がもつれ、しりもちをつく。その音で私に気が付いたあの人は、いつものようにヘラっと笑って、「ありゃ、ばれちゃったかあ。」と言った。

「何をしているの。」

「何って、見ての通り。猫が連れてきたってことは、ナハトがばらしたな?」

「どうして?ナハトは、才能が手に入るって。」

「才能はあくまでも副産物。これ自体の目的は、命を刈り取ることさ。」

 あくまで冗談のように、あの人は笑いながら話す。それで、私はすっかり安心してしまった。

「大丈夫大丈夫、刺してるのはこの町を荒らす悪い人だけさ。」

「……それをやったら、」

「ん?」

「私も、劇場で歌える?あなたと同じ場所で働ける?」

 あの人は目をぱちくりさせた。今思えば無理もないが、その時の私は必死だった。

「……まあ、働けるだろうね。止めはしないさ、俺だって同じことをやっている。」

 翌日ナハトから詳しい説明を受けた私は、「命を刈り取る」仕事を始めた。それからすぐに、あの人の紹介で、劇場で歌う歌手としての職も得た。

 ナハトの魔法が悪い薬のようなものだと気が付いたのは、昼の仕事でそれなりの地位を築いた後だった。


 その日は、あの人が夜の仕事をする日だった。家で一人で眠っていた私は、夢を見ていた。そこはどこでもない、真っ白な場所だった。少し離れたところにあの人が立っていて、いつもの笑顔でこちらを見ていた。私が何か声をかけようとすると、あの人は少し悲しそうな眼をして、こちらに背を向けた。そのまま、ゆっくりと遠くに歩いていく。

「待って、行かないで。」

 なぜだかひどく不安になって声を発したけれど、あの人は振り向かない。後姿がだんだん小さくなっていき、やがて見えなくなった。

 私は飛び起きた。嫌な汗をかいていた。夢の中で感じた不安がぬぐえなくて、胸騒ぎがした私は、家を飛び出した。

「あの人のところに連れて行ってくれ!」

 暗い路地に向かって小さく叫ぶと、待ち構えていたらしい一匹の猫が飛び出してくる。駆け出した猫の後を追って、私も走った。

 少し広い道に出る手前で、猫が足を止めた。私は止まらず、そのまま前に出た。あの人は壁にもたれるように座り込んでいた。足元に暗い影が広がっていた。

 あの人が顔をあげた。血の気の失せた顔だった。彼は力なく笑った。

「油断したなあ……。反撃されて、逃げられた。」

 私は何も言い返せなかった。あの人は息をするのも苦しそうだった。

「カバネ、お前はさ、もう一人でも生きていけるよな。料理とか、家事の仕方も一通り覚えたし、お金だって自分で稼げるものな。」

「何を言って……、」

「ごめんな。」

「待って、すぐ医者に診せれば。」

「無理だよ、もう、間に合いそうにない。……元気で、」

 そこまで言って、あの人は力なくうなだれた。私はどうしていいかわからず、ただ呆然と立ち尽くしていた。


 目を開けると、見慣れた天井が見えた。隣ではアカネがすうすうと寝息を立てている。

「……夢か。」

 ぽつりとつぶやいた。懐かしくて悲しい夢だった。もう一度眠る気になれなくて、体を起こす。

あの人とは名前を呼びあうことはほとんどしなかったけれど、アカネの名前は何度も呼んだ。返事が返ってくるのを聞いて、安心したかったからかもしれない。

「アカネ。」

 なんとなく呼んでみた。今返事が来るとは思っていなかったけれど、アカネは身じろぎして、ゆっくりと目を開いた。

「……はい?」

「ああ、ごめん。呼んでみただけ。起こすつもりはなかったんだけど。」

 アカネは私の顔をじっと見た。

「カバネさん、どうして泣いているんですか。」

「えっ。」

 慌てて頬に手をやると、確かに濡れていた。きっと、さっき見た夢のせいだ。

「何でもない。少し、昔のことを思い出しただけで。」

 そう言うと、アカネはこちらを見つめた後、にっこりとほほ笑んだ。それから、枕をポンポンと叩いて、「ほら、横になって。」と言う。

 言われたとおりにすると、横からぎゅっと抱きしめられた。

「大丈夫ですよ、僕がいるから、寂しくないでしょう?」

 そうして、腕を軽くなでられる。

「……そうだね。」

 私はゆっくりと目を閉じた。今眠れば、きっと悲しい夢は見ないだろう。そんな気がした。


 次の歌の仕事の日、私はアカネを劇場に連れて行った。この子は私と違って賢いから、舞台に魅せられても私と同じ轍は踏まないだろうと思った。それに何より、アカネにまだ知らない世界をたくさん見せてやりたかった。

 劇場で歌うのは好きだった。普段とは違う服を着て舞台に上がる。人々の歓声や拍手が心地よくて、独特の高揚感に浸ることができた。自分が本当はどのような人間なのかも、何をすることでここに立てているのかさえ、この瞬間だけは忘れられた。

 数曲歌い終えて、息をつく。顔を上げると、客席の一番前に座るアカネの姿が目に入った。きらきらとした笑顔がとても楽しそうで、つられて私も微笑んだ。

「どうだった?」

 帰り道、先ほど私が歌った曲を鼻歌で歌いながら隣を歩くアカネに尋ねた。人に直接感想を聞くことは今までなかった。少し緊張して、ごくりと唾を飲む。

「素敵でした!」

 アカネは顔を輝かせた。

「皆さん、それぞれの演技とか、歌とか、とても上手くて。カバネさんも、すごく綺麗で、歌声も透き通るようで。でも、僕……」

 言葉が途切れる。

「でも、何?」

 不安になって聞き返すと、アカネは少し照れたようにへへ、と笑った。

「あそこにいた人たちは、劇場の人も、お客さんも、誰一人として普段のカバネさんを知らないんだ、って思ったら、優越感というんですか、そういったものを感じてしまって。」

 なんだ、そんなことか。思わず身構えていた私は、肩の力を抜いた。

「それ、私も昔思ったよ。」

「“あの人”の舞台を見た時ですか?」

「そう。」

 自分しか知らない一面がある、それだけで、あの人にとって自分は特別な存在なのだと思うことができた。今となっては本当にそうだったのか確かめようもないけれど、だれよりも近くにいたことは確かだ。

 アカネも、私と同じようなことを考えるのだろうか。


 その日は、いつもと同じような日になるはずだった。

 朝起きて、アカネと一緒に料理をし、食事をする。昼の仕事はない日なので、読書をしたり、アカネと会話をしたりして過ごした後、食料の買い出しに出かける。夕食をとった後は、アカネが眠るのを待ってから、夜の仕事に出かける。

 そこまでは、いつもと変わらない一日だった。

 そういえば、最近、アカネとあの人が似ていると感じなくなったな。

 ナイフでヒトの急所を狙い、切り裂くだけの仕事、慣れた作業のさなかに、ふとそんなことが頭をよぎった。一瞬動きが止まったのを、相手は見逃さなかった。

 それ自体はよくあることだが、その日の獲物は武器を所持していた。相手の持つ刃物が頬をかすめ、ピリッとした痛みが走る。我に返り、距離を詰めてナイフの柄で相手の武器を叩き落す。その勢いのまま、今度は腕を跳ね上げて相手の首の側面を縦に切った。

 自分より大柄な体が地面に崩れ落ちる。しばらくその影を見つめていたが、彼が起き上がることはなかった。じんわりと広がった血だまりが、月明かりを受けててらてらと光る。

 ……これも、違う。

 その時、急に視線を感じた。勢いよく振り返ると、細い路地から出てきたのは、アカネと、ナハトが姉様と呼ぶ黒猫だった。

 なんだ、びっくりした、と、口には出さずほっと息をつく。猫はその場に立ち止まった。アカネは何も言わず駆け寄ってくる。

 アカネが胸に飛び込んでくる直前に、不自然に手が動くのを見た。直後、腹部に強い衝撃。握りしめていたナイフが手から滑り落ちた。足の力が抜け、その場に膝をつく。

「油断しすぎですよ、カバネさん。」

 場にそぐわない明るい声で、アカネが言った。顔を見上げたけれど、影になってその表情は見えない。

 呆然としながら視線を落とす。腹にナイフが刺さっていた。白い服が、じわじわと赤く染まっていく。

 護身用にとアカネに持たせたナイフだ。

 頭の中の、どこか冷静な部分がそう言った。けれど、私自身はひどく混乱していた。

「カバネさん。」

 アカネが膝をついて、私と目線を合わせた。ひどく優しげな顔をしていた。

「カバネさん、僕、あなたの特別になりたいと思ったんです。」

 アカネが何か言っている。

「最初は、あなたの“あの人”になろうと思ったんです。でも、気付いた。僕と“あの人”は、どうやったって別人でしかない。だってあなたは、僕の言動が少しでも“あの人”とずれると、その違和感が表情に出るんですもの。」

 ふいに、怖くなった。死への恐怖ではない。そんなものは、はなから持ち合わせていない。感じたのは、孤独への恐怖だ。

「嫌だ。」

 言葉が口をつく。

「一人は嫌だ、アカネ、私を一人にしないで。」

 目がかすんで、涙が零れ落ちた。きっと、今の私はとてもひどい顔をしている。

 アカネは、一瞬きょとんとして、それからまた優しく微笑んだ。

「おかしなことを言いますね。このままだと、一人になるのは僕の方でしょう?」

 だけど良い方法があります、と、アカネは先ほど私が落としたナイフを拾い上げる。その柄を私の両手に握らせると、刃先はまっすぐにアカネの腹に向いた。

「僕を見て。」

 アカネが囁く。目線を向けると、目が合った。アカネの宝石みたいな瞳に、不安そうな顔をした私が映っている。

「旅は道連れ、って、本に書いてありました。」

「それ、意味が違う、気がする……」

 そう返すと、アカネはふふっと笑った。そのまま、勢い良く手が引かれる。ずぶり、と、柔らかいものに沈み込む感触がした。

「あなたは、夜の中でずっと“あの人”を探していたんでしょう?」

 言いながら、アカネは自身の腹に刺さったナイフを引き抜く。傷口から、勢いよく血があふれ出した。

「新しく死体を作るたび、そこに“あの人”の面影を求めた。」

 続けて、私の腹に刺さったままだったもう一つも引き抜かれる。鋭い痛みが走った。

「でも、あなたは本当は、とっくに気付いているはずです。」

 ルビーの目がまっすぐにわたしを見つめる。

「“あの人”はもうどこにもいない。夜を彷徨って、“あの人”を探すのはもうおしまい。でも大丈夫。これからは、僕がずっとそばにいます。」

 アカネの手が、私の手を強く握った。夜のせいか、血の気を失ったからか、とても冷たい手だった。

「地獄の底だろうと何だろうと、一緒にいるから、だから、」

 この手を離さないで、と、薄れていく意識の中、最後に聞こえた。

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