女神様はいいました。
全ての要素に(?)がつく予定のお話になります。ファンタジー(?)、異世界トリップ(?)
人間というものは一般的に、突然起こった現象を前にすると酷く狭い視野、感覚の認識しかできなくなる。あるいは常よりも遅くなるものである。
メモ帳が、座卓の上で明るい火花をあげている。
決して燃えているわけでもないのにパシパシと軽快に音を立てていた。
紙製品だったはず。
夜半に仕事で疲れて帰ってきた。自室の座卓で、いつものように趣味の小説に時間を費やそうとしていた最中に突如発火?したのである。
「自業自得、因果応報。」
わん、と不思議な反響をする声が響いた。どこか浮かれた調子の言葉が耳に届く。
単身者用ワンルームの自室に、人を招いた覚えはない。声の発した人物を確認しなければならないのに、自分の三白眼はメモ帳しか認識していなかった。
「あとは、製造者責任?」
声にひかれてメモ帳から視線を上げていくと、10センチほど上空に淡く輝く足の爪先が見えた。
水中でたゆたうように広がる髪は透明度の高い金色。
身体の輪郭は光にけぶり、服装すら曖昧にみえる。
女性だ。
彫刻のようなスタイルは海外の人を思わせ、身長も高そうだ。それら全てが内側から光るように明るい。
視界を灼くはずの眩しさは、なぜか感じられなかった。
「どういうつもりでも、創り出したからには責任をもちませんと、ね?」
未だ合わない視線に、声の主が訝しんだのか少し間が空く。
誰かが息を飲んだ気配がした。
「……私が、見えていますか?私は、届いていますか?あなたに。」
声のトーンが突然かわる。驚いて視線をあげるとそこでようやく、その女性と目が合った。 揺れる宝石のようなアクアブルー。あ、すごい美人。
「え、あ、は……はい」
なんというコミュ障応答か。たとえ突如自宅に発生したファンタジー時空の住人からの問いかけだったとしても、三十路もすぎた成人女性としてはもう少しマシな返答をしたかった。脳内で恥じ入る。
「……。ふふ。よかった。」
ほ、と安堵したかのような吐息を漏らしたかと思えば、やはり楽しげに言葉を弾ませる。
「作者ともあろう方が、呆けていては始まるものも始まりませんしね?」
「は。作者。」
「ええ。創造主。造物主。文章の世界では、神のごとき振る舞いすら許される。」
「これはゆめ?」
つい気の抜けた独り言を漏らしてしまう。
さきほどまで机に向かっていたが寝落ちするほど眠かっただろうか。
「現実です。直視してください。」
「……夢の中で、そうだよって言われるわけないよなあ……言われても信じられないだろうし」
頭を抱えてしまう。すると、ぼんやり光る均整のとれた手が頬に添えられた。
実体がある。触れられている。幻覚じゃない。
「は、あ”?!」
「現実」がすぐそこまで近づいたかと思ったら、今度は音が鳴るほど勢いよく頭の位置を戻された。涙の浮いた目で、眼前のファンタジーに焦点を合わす。何が起きたのだろう。ものすごく首が痛い。
「あなたは石動 紺。32歳独身、両親は離婚しており一人暮らしで家族とは疎遠。友人も少なく、趣味はファンタジー系ライトノベルを書くこと。しかし一度たりとも完結した作品はない。合っていますね?」
間髪入れず、しかし優雅に一息で言い切った。
質問であるのに、こちらの返答は求めていないようだった。
「え?」
「なかでも『異世界トリップ』を題材にしていましたね。異世界の女神に、時に頼まれ、時に脅され、しまいに異郷にとばされながらも問題の解決を目指すような。」
「え?え?」
「そして私は女神です。」
「め。はっ?」
「あなたが万能の存在として創り、複数の作品に登場させた、女神です。」
あなたが助けた亀です。そんなフレーズが頭を過ぎったのと同時に、自分の血の気が引いていく音がする。
「(頭やばい人だった)」
こんな美人、インパクトがあり過ぎて覚えていない訳がない。知らない人だ。狭い交友関係においてどこまでも他人だった。
体を後ろに引いて、振り向きざま走る。
これは現実、なのだとすれば。
相手は不法侵入かつ、社会的にそぐわない発言をする不審者だった。個人情報まで握られている。
こんな奴と一緒にいられるか!俺は自分の部屋に戻るぞ!というやつだ。
自室である。
「(逃げて、それから)」
「お話が途中です」
「っひ」
……しかし回り込まれてしまった。死亡フラグは現実でも死亡フラグだったのだろうか。
振り返ったはずがどういうわけか、目の前に美貌。眉太め、タレ目ぎみ、健康的な肌色に通った鼻筋。やだ……好みの顔つき……。
ははは、と乾いた声だけで笑うと、女神様はイタズラをした子供を窘めるような表情をした。少しだけ眉を下げて、
「ここで死ぬのは困ってしまいますので、できれば控えてくださいね。」
「(ここじゃなきゃいいの!?)」
殺害予告をされた。口に出さなかったのは、これ以上刺激をしてしまわないようにというのと、単純に驚いて声が出なかったせいだ。
「なんなの」
あんた誰で、どういうつもりでそんなこと言うの。
そんな言葉すら何かおそろしい体験の引き金になってしまいそうで独り言になってしまう。
「だって、一つも完成しないんですもの。」
口元だけ笑む。目が笑っていない。
しかしそれは一瞬で、悲しげな表情に変わった。
「あなたは私を創って、世界を創った。でも飽きてしまってみんな作りかけのまま。どれも放り出してしまう。」
「……」
「だから私は『女神として』。自らと自らの世界を救う為にきました。」
大人しく傾聴していたが、殺害動機が判明しない。
彼女は私のつくりだしたお話のキャラクターで、作者があまりにも物語を完結させないからなんとかしにきたのだという。
「続きをかけっていうの?完結させろって?」
お前は編集者か何かなのかと思ったが、話を合わせておかなければ何をされるかわからない。
問いかけた途端に、女神様は全開の笑顔になった。どこか幼い表情に目を見張る。
おもむろに肩をとん、と押される。
それほど強い力でもなかったが、目を奪われていたせいで全く反応ができなかった。
吸い込まれるように後ろに傾いていく。
「うあ」
ああ、机に頭ぶつかる!
そう思って身構えたが浮遊感が続いている。
余りにも遅い衝突に疑問を覚え、少しだけ力が抜けた瞬間だった。背中に衝撃が走る。
「がっ、!?」
何かかたいものに当たって、肺にあった空気が強制的に吐き出される。痛い、いたい。
痛みに震えながら体を支えようと手をつけば、ざらりとした感触。
手を確認すると土がついていた。
「土……?」
観葉植物は窓際にあったはずなのに。
立ち上がろうとすると視界に地面が見えた。自室のフローリングですらない。
ぎょっとして顔を上げた。
「わー……何、森じゃん……」
霧が発生していてよく見渡せないが、太い幹にうねるような枝を持つ木が一定の間隔で生えている。
背中に当たったのは木の根であったらしい。抱えるほどの立派な根っこだ。
どうりで唸るほど痛い。そして唸れば霧を吸い込んでむせそうになる。理不尽さにめまいがした。
「あなたは今、私の住む世界にいます。」
女神の声に驚き周囲を見まわすが、人影すらない。
「いくつかのうちの一つですが、あなたが創って放置した作品です。」
「つ、続き書かせたいんじゃないの?私がここにいたら書けないじゃない?」
なんとか発言してみるが、声が震えてしまった。
ビビり根性よ、今だけは引っ込んでいてくれ。
「もとの世界に戻したところで書かないでしょう。」
「うっ…」
「ところで現実世界では、作者が執筆に行き詰まると処される拷問刑があるそうですね。なんでも『カンヅメ』と呼ばれるらしいのですが。」
拷問刑ではないし、自主的に行う人もいるのだ。
そんなツッコミを心の中でしていたが女神様は御構い無しに続けた。
「なので物語を肌で感じながら執筆できる環境をご用意しました。そしてそれだけではインスピレーションも刺激されないだろうと思い、いくつかルールを設けさせていただきました。」
まだあるのか。しかもいくつか。ものすごく嫌な予感がするが、聞かないという選択肢はなさそうだった。
「まず危機感が足らないのではないかと思いましたので、その世界で死んでも現実には帰れません。当たり前ですが、命は一つ。大事にしましょう。」
なんということだろう。二度目の殺害予告だ。
危機感が足りなくてうっかり死ぬ人がいるのは世の常だが、現代社会では運でも悪く無い限りそうそう死なない。それが我が身に降りかかる可能性の高い環境に放り込んだのだという。
何かで読んだがそれは未必の故意というものにあたるのではないか。女神様は法律を守る必要なんてないのかもしれない。
「ヒィ。死んだ……」
「気を抜かずにがんばれば大丈夫ですよ♪」
ものすごく他人事に流してでは次は、と続けられた。
「あなたはあくまでも作者なので、作品に『登場人物として認識される』と完全にそちらの世界の住人になるでしょう。これも現実的には死と同義でしょうか。」
たまに作者として出演する方もいらっしゃるようですが、試されてみますか?と笑顔を向けられるが、
話の流れからしておそらくそれもルールに抵触するのだろう。
売れないであろう粗悪な商品を、舌先三寸でおすすめしてくる商社マンに似た空気を感じる。
私はファンタジーが書きたいのであって、ファンタジーになる気はさらさらなかった。
「……どう足掻いてもメリーバッドエンド……」
「不老不死ですよ?」
「嬉しくない……」
どうせなら若返らせてほしい。どちらにしても遠慮したいが。
背中は痛いし命も脅かされている。とにかく帰りたかった。だから言ってしまった。
「わ、私にも生活があるんだよ……『こんなことしたくない』……」
「……!」
「あ」
まずい、と思った。できるだけ逆らわないように接してきたつもりが、ここにきて否定的なことを言ってしまった。うかつに激昂されて過激な手段にでられるとどうなるかわからないのに。
「いやっ…あの、こんな、缶詰とかしなくても、今から完結できるように努力するから、だから」
「大丈夫ですよ。あなたの生活は守られます。今まで通り」
「ぇ……」
思わず息を詰めてしまう。大丈夫だという言葉に反して、声の温度が下がったからだった。
「このままではわかりづらいですし、視覚化いたしましょうね」
「わぁっ!」
ふるると目の前の空間が震えたかと思うと円形の窓のようなものが現れ、中から女神が顔を覗かせた。
無表情のままこちらを見つめている。
冷や汗がにじんできた。
「こちらのことは私が引き継ぐので、執筆に注力してください」
何も心配要りませんよ、と右手を軽く虫でも払いのけるかのような手つきで振った。
視覚に違和感があり、目線を顔のほうに持っていくと目を疑うものが飛び込んできた。
「私……?!」
見慣れた顔が見えた。
ぼさぼさで伸ばしっぱなしの黒髪、三白眼、全体的に華奢、というよりも『ちび』という方がしっくり来る体型。私だ。そこには無表情で佇む自身の姿があった。
「あなたがそこでやるべきことは一つだけ。作品を完結させてください。もしそちらで死んでしまったり、作品の住人になってしまっても私があなたの人生の続きを生きて差し上げます。」
自分の顔が嗤う。
「締め切りは……そうですね、読者(私)が飽きるまで。どういう結末を迎えても一向に構いません。精々足掻いて面白くしてください。」
なんの前触れもなく窓のようなものが掻き消える。
その後しばらく待っても女神が現れることはなかった。
もはや頭の中は疑問符で飽和していて、まともな思考ができない。体の力が抜けて座り込んでしまう。
どんなに否定したくとも、地面についた手が伝えてくる土の感触や、肌に感じるじっとりした霧が体温を少しずつ奪っていく感覚がこれは現実だと気を焦らせるだけだった。
どうしてこうなったのか。何が悪かった?
「終わらせないからこうなった……?」
空回る頭が吐き出す思考が誰に返されることもなく霧に溶けていった。
次の話で味方が増えるよ!やったね作者ちゃん!