真珠湾奇襲その2
飛行甲板から、零戦、250キロ爆弾を1つ抱えた九九式艦爆、250キロ爆弾を2つ抱えた九七式艦攻(魚雷は搭載してない)等、計183機が飛び立っている。
僕は今、非常に感動している。
実際に編隊を組んで飛んでる姿を見られることは絶対に無いと思っていた。
アメリカで飛んでるのを動画で見たことはあるがーー
「総員、帽振れー!」
他の士官等が共に艦橋から、帽子を振っている。
操縦席を見ると、パイロットが手を振っていた。
そうーーあの飛行機には、生身の人間が乗っているのだ。当然全員が帰還できる訳ではないだろう。
史実では、零戦8機.九七式5機.九九式に至っては16機も未帰還なのだ。
戦死者は約50名。まだ若い20歳の青年達だ。(精神年齢高校生の僕が言うことでは無いが)
戦争なのだから人が死ぬのは当然だ。しかしーーー本で読むのと実際に当事者になるのは違う。
果たして僕は彼らの死に責任を持てるのか?
彼らの死を無駄にしない責任はあるのか?
いや、まだ彼らは死ぬと決まった訳ではない。戦果も重要だが、全員が無事帰還するのがベストだ。僕はそう思ってる。兵器は物資がある限り幾らでも補充が効くが、
優れた兵士は直ぐには補充できない。
「生きて帰って来い」
そう心の底から思いながら帽子を振った。
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攻撃隊が発艦してから1時間と10分くらいが経った。
あの後、第2次攻撃隊も発艦させた。ただし攻撃目標は、巡洋艦や空母では無い。
オアフ島要塞だ。空襲の後、戦艦や巡洋艦、駆逐艦等をハワイに殴り込ませようと
思う。
何故だかこの機動部隊には、史実の艦艇に加え青葉型重巡2隻と戦艦金剛.榛名.そしてーー大和も随伴していたのだ。
"僕が来る前から既に歴史が変わっていたのか?"
そんな疑問を抱きつつ、僕は攻撃隊からの入電を待っていた。
「報告!3:22、攻撃隊より無電ト連送トラトラトラを受信しました!奇襲は成功です‼︎」
通信士が言った。
良かったーー心からそう思った。もしも奇襲が察知されて敵機に上空待機をされてたらどうしようかと思っていた。この時期なら零戦の圧勝だろうが…
後は、攻撃隊の帰還を待とう。オアフ島要塞にある40センチ砲搭載の砲台を破壊できたら、艦隊による殴り込みだ。
旗艦を赤城から、大和へ移譲しよう。僕が陣頭指揮をとる。
「よし、攻撃隊帰還に備えて、着艦準備をするよう下命してくれ。それから医療班を待機、負傷者の治療に全力をあげるように」
その後、第一次、第二次攻撃隊が帰還した。
戦果は、敵航空機250機ほど破壊確実、150機ほど損傷、タンク群は大炎上、ほぼ全てのドックが使用不可そして、オアフ島要塞40センチ砲破壊という、予想通りのものだった。
こちらの損害だが、零戦が3機、九七式艦攻が2機、九九式艦爆が7機だった。
格納庫へ降りて、帰還した機体を見て驚いた。
奇襲だったにもかかわらず、機体に無数の被弾の後ーーーVT信管が無いにもかかわらず米軍の対空砲火の強力さがよく分かる。よく生きて帰ったな…
もっと機体の防弾性能をあげるよう上告しよう。
「よし、空母6隻に護衛として第17駆逐隊と第8戦隊をつけて海域を離脱させろ。
くれぐれも敵空母への警戒を怠らないように。他の艦艇は、ハワイへ艦砲射撃、敵艦艇への攻撃を行う。対空警戒を厳となせ!
それから、艦隊司令部を赤城から、大和へ移譲させる。早速準備にかかれ。」
流石にこの艦隊編成は、やりすぎたかな?
次回は、劇中の通りハワイに殴り込みです。