第七十五話 山神と風
冷たい冬の、空。
やけに遠く感じるこの空を、絹ばぁは眺めていた。
寒くて白い息が、空を時々隠す。
茶屋の長いすに腰をかけ、遠い目。
「ここから見える空、なんだか今日が一番特別に感じる。
もう、平気。思い残す事なんかないから」そう小さく呟いた。
自分の命が消えて行く事を、感じているかのようだ。
その時。
絹ばぁは、ある小さな足音に気がついた。
ゆっくり近づく、小さな気配。
音のする方へ振り向いた。
その音の正体を見て、絹ばぁはにっこりと笑った。
「やっぱりパクね!小さくて、優しい、足音。
すぐにわかるわ」
だが、すぐに顔は強張った。
近づいてくるパクの姿を見て
体中に怪我をしている事に気が付いたのだ。
「やだ!怪我なんてして・・・一体どうしたの!」そう言って、目をまん丸にした。
パクは答えるように、ピョンピョンと跳ねる。
「こら、じっとなさい」そう言って、パクの体を隅々確認した。
「まぁ・・でも、元気そうだから大丈夫かしら。
何でこんな怪我をしたのか、わからないけど。
心優しい人に手当してもらったみたいだしね。
はぁ・・・驚いたわ」
パクは、絹ばぁの心配をよそに、ピョンピョン跳ね続けている。
今日あった出来事、最高に嬉しい気持ちを体で表現した。
「パク・・・ごめんね。今日は具合が悪くて、遊んであげられないの。
あなたも怪我しているのだから、安静になさい」そう言って、眉毛を八の字に、困った顔をした。
―すると、その時
どこからか、大きな風が吹いた。
それは、何だか妙な風。
絹ばぁは、空を見上げる。
「今・・・?」
風に何かを感じた。
力を振り絞り、立ち上がった。
目に見えない、不思議な風を目で追う。
「今、確かに・・・」そう言いながら、風を触ろうとした。
するとパクが、絹ばぁの足元を鼻でツンツンと押してきた。
風に気を取られていた絹ばぁは、パクを見てさらに驚く。
何だかパクの顔が、いつもと違って見えるからだ。
すべてを見通しているような、聡明な目をして
絹ばぁを見つめている。
まだ、小さな子供のパクが一瞬にして
ただならぬ重みを見せた。
まるで別人。
その姿はまさに「山神」を思わせた。
すると、絹ばぁは何を思ったのか、にっこり微笑んだ。
「やっぱり、そうだったんだ。
あなた、山神だったのね」
パクは、相変らず聡明な瞳で、深く深く絹ばぁを見つめている。
「何となく、感じていたわ。
子供に聞かせるような神話だけど。
本当に、山神は存在した!
ね!そうでしょ、パク」そう言って絹ばぁは、子供のように笑った。
そして、パクは再び森に風を起こさせた。
不可思木の森が、優しく揺れる。
「聞こえているわよ、風の音。
森がパクの心を私に伝えてくれている。
不思議ね、あなたの心が手に取るように・・・
いえ、それ以上にわかる。本当に不思議」
絹ばぁは、心地良さそうに風に耳を澄ませた。
「こんなに美しい風の音、初めて聞いた」
―そして、パクは再び足元をツンツンと押した。
そっと実を置いて。
絹ばぁは、またも驚かされる。
「こ、これ・・・不可思木の実」
手に取った実は、確かに不可思木の実。
キラキラと光るその実に、吸い込まれそうになった。
すると、途端にパクは無邪気な子供姿に戻った。
すべてを伝えきったからだ。
クルクルとまわって嬉しそうにしている。
「パク、これ。
本当に私が頂いちゃっていいの?
今となっては幻の実。私なんかが・・・」
パクは、早く早くと、急かした。
「うん、ありがとう。
じゃ、頂いちゃおうかしら・・・」少し戸惑いならが、ゆっくり口に運んだ。
その瞬間を見届けたパクは、天まで届きそうに舞い踊って見せた。
“嬉しい、嬉しい、嬉しい、嬉しい”
心の中で、何度も何度も叫んだ。
“これは、夢じゃないよね?”
少し不安になるほど、幸せだ。




