第三話「色なき村に、咲いた花」
色葉の母のために、薬を作る弾。
香りは、すでに母の病に行き届きはじめていた。
そして、すり潰した薬草をアツアツの粥の中へ入れ
ゆっくりとかき混ぜた。
「急きょ作ったもので、味の保障はできないが・・・あなたの体はきっと喜ぶ」そう言って、粥を器によそい母の手に渡した。
「さぁ、まだ少し熱い、気を付けて召し上がってください」
母は、されるがままに粥の香りを確認した。
「急にこんな事をされても・・・」と、母はしばし困った様子だが。
「さぁ、食べるといい」弾は食べる事を強く促した。
するとようやく、おぼつかない手で一口食べた。
じわ――っと体に香りが、染みわたって行く事を感じた・・・
そして一口、また一口と口へ運ぶ。
何も言わずに無我夢中で食べていく。
我を忘れたように、粥はどんどん無くなって行った。
“なんだい、この食べ物は?”
色葉の母は、不思議な感覚を味わっていた。
体は温まり意識がふわふわとする。
なんて心地が良いんだろう。
まるで、夢に引きずり込まれるような・・・
ふわふわとした、感覚の中
香りが芯まで染み渡っていく事を感じた。
すると、その時だった。
突然、外から叫び声がした。
「ギャー―――!」色葉の叫び声のようだった。
腹から叫ぶその声はただ事ではない予感がした。
心地良さを感じていたのはつかの間。
一瞬で現実へ引き戻された。
「コルァァァァ待て――――!ぶん殴ってやる!こっちへ来い!」
色葉を怒鳴るような男の声。
色葉がまた盗みを?そんな予感がした。
母は震える手で、壁をつたいながら外へ出た。
相変わらず色葉の叫び声が聞こえてくる。
「申し訳ありません、うちの子が何かしてしまったようで!
どうかお許しを!お許しを!」と母は叫んだ。
そして、とっさに巻いていた目隠しを取った。
ぼんやりと景色が目に映る。
そして少し遠くに、色葉が男に力いっぱい殴られている姿が見えた。
容赦なく、力いっぱいぶん殴られ色葉の顔は歪んでいた。
母は体を震わせた。おぼつかない足取りで色葉の元へ走った。
「申し訳ありません、どうかお許しを!殴らないで!私のせいなんです!
どうか、どうか!」必死に叫び走った。
だが、何故か一向に色葉に近づく事はできない。
走って、走って。
叫んで、叫んで、叫び続けた。
どれだけ走れば、辿りつけるのか。
野を越え、山を越え、走り続けているのに
なぜ、辿りつかない?
まるで悪い夢でも見ているようだ。
母は大きく転んでしまった。
転んだ事など、どうでもいい。
必死に起き上がり、色葉の元へ急ごうとした。
だが・・・
“不思議”
気が付けば家の前に戻っていた。
色葉と、色葉を殴る男の姿も消えていた。
辺りは静まりかえっている。
「あれ・・・私。悪い夢でも・・・」と母はつぶやく。
訳もわからず、辺りを見回した。
目の前には自分の家があるだけだ。
母は激しく鼓動する胸をおさえ、しゃがみ込む。
すると今度は、障子の穴から、部屋の中にいる色葉が見えたような気がした。
近づいて覗いてみると、色葉が絵を描いていた。
一体どういう事・・・?
狐につままれたような、神隠しのような。
しかし、久しぶりに見る我が子の姿。
こんなに大きくなって。
殴られているのかと思ったから・・・
安心して、少しほほ笑んだ。
“変な一日だね”なんて思った。
「お母さん!絵を描いたよ!見て!」と色葉が言った。
母は必死に穴覗いた。
「見せておくれ」母は言った。
すると、別の誰かが返事をした。
「どうやって?どうやって見ろって言うんだい?母さんはね、目が見えないんだよ!何回言ったらわかるんだい!まったく嫌味な子だね!」と、壁を叩きながら怒鳴りつける自分の声が聞こえた。
障子の穴から部屋を見渡すと荒れた自分の姿が目に映った。
色葉を見ると、自分の描いた絵を見ながら涙を流していた。
母親は自分の姿に、唖然とした。
確かに覚えのある日常の風景。色葉が涙を流していたなんて知らなかった。
色葉の気持ちを考えると切なくて、心臓がより激しく鼓動した。
目を背けたくなったが、もう一度、色葉を覗いてみると、絵を静かにしまっている姿が目に映る。
心が痛く見ていられなくなった母は耐えきれず障子を思い切り開けた。
「色葉ーッ!」わが子の名を叫ぶ。
そして、また不思議。
色葉の姿はとたんに消えた。
“次から次へと、いったい何なんだい・・・”とつぶやきながら部屋を見渡す。
部屋も、荒れた自分の姿も、消えた。
今は、とても広い部屋が、目の前に広がっている。
何もない薄暗いだけの、だだっ広い部屋。
薄暗くて奥は見えないが、とても広いって事だけわかる。
しかし。
よく見ると・・・薄暗い部屋の奥に色葉がぽつんと立っているのが見えた。
「色葉!」母親は叫び、走って色葉の元へ駆け寄った。
母は床に膝を付き、肩を抱いた。
「色葉ごめんね。大丈夫?
お母さんちょっとおかしかったね。これからは色葉と一緒に頑張るから
お母さん許しておくれ」必死に謝った。
色葉は優しい顔で母を見ていた。
そして、色葉が口を開いた。
「お母さんは真っ暗なんだよね。目が見えないから。
だからお母さんの為に綺麗な絵を描いたの。でも見せられなくて・・・どうしたらいいかわからなかった。ごめんね」
「色葉が謝る事じゃないよ!そんな気持ちをわかってあがられなかったね、本当にごめんなさい」と母はドボドボと涙を流し何度も頭を下げた。
「お母さん、絵を見てくれる?」
「うん!見たいよ!見せてくれるかい?」母は涙でぐちゃぐちゃの、笑顔で言った。
すると部屋に光が差し込み始める。
次第に部屋全体が光に満ちて行った。
光に溢れたたこの広い部屋。
辺りを見渡すと大きな壁一面に色葉が書いた絵がびっしりと浮かび上がって来た。
それは、それは、たくさんの絵。
母はしばらく言葉を失った。
母が驚いた事、こんなにたくさんの絵を送り続けていてくれた事。
そして。
目の前に広がる色葉の絵は、七歳の娘が書いた物とはとても思えない天才的な物だったからだ。
“娘は、天才だった”
母の心のつぶやきは、震えていた。
「・・・こ、これは色葉が描いたのかい?」
「うん!お母さんに綺麗な物を見せたくて描いたんだ!色はね、葉っぱとか木の実をつぶして付けたの!」色葉は嬉しそうな顔で言った。
母は信じられないような顔で色葉の顔を何度も見た。
そしてまた絵を見る。
何度見ても、信じられないほど美しい絵だった。
それは例えようもない、絵が生きているとしか言いようがない美しさ。
まるで窓から美しい景色を見ているようだ。
風が吹いたり、音がしたり、そんな事がありそうな生きている絵。
母はまた、壁一面の絵をゆっくり見渡してみる。
すると、一枚の桜の絵を見つけた。
まだ目が見える頃に色葉と見に行った、隣町の桜の木の絵だとすぐにわかった。
こんな事を思い出すの、どれだけ久しぶりか。
色葉の気持ちが伝わってくる。
「こんな素敵な絵をお母さんのために書いてくれていたんだね!嬉しいよ!何より一番嬉しい!」母は笑顔で何度も、色葉に伝えた。
そして、色葉の肩を掴んでいた手をゆっくりと離す。
手をそろえ、絵に向かって深く、深く、正座をして頭を下げた。
“我が娘の偉大な絵”
床にはポタポタと涙が落ちて行く。
―母はゆっくりと目を覚す。
布団に横たわっている、現実の自分。
目の前は相変わらず真っ暗だったが、目が見えない絶望感は無くなっていた。
もう、きっと、大丈夫。
隣には、弾がいる気配がした。
母親は弾に話しかけた。
「あの子、そんなに凄い絵を・・・?」横になったまま、弾に尋ねた。
「えぇ。それはもう、見た事のないほどの絵を」
「そう・・かい・・・」小さく言った。
「雪村弾って言ったっけ・・・弾さん、ありがとう。もう少ししたら起き上がるよ」
「そうですか。色葉とても素直ないい子だ。あの子がいれば・・・大丈夫」
弾はゆっくり立ち上がり、部屋から出て行く。
「もう、二度と倒れ込まない・・・」母はまた、小さく言った。
そして、ゆっくり、ゆっくり、起き上がる。
「おーい、色葉!」
森の中、色葉を探した。
「兄さん!こっちだよ」色葉が走り寄ってきた。
「色葉、きっとお母さんはもう大丈夫!すぐに元気になる!一人になんてならないよ」そう言うと、色葉の笑顔はますます弾けた。
「本当に・・?本当に本当?ありがとう!」元気いっぱいにお礼を言った。
「そうだ、色葉の絵をよかったら一枚くれないかい?
こんな素敵な絵、他の人にも見せてあげたいんだ。いいかい?」と言うと色葉は急いで家に走って帰った。
しばらく待つと色葉は嬉しそうな顔で戻ってきた。
「はい、これ!一番好きな絵!これあげる!
色々な人に見てほしい!」
色葉がくれた絵は、とても綺麗な桜の絵だった。
「これも、すごく綺麗な絵だ!ありがとう」弾が言うと、色葉は嬉しくてぴょんぴょん跳ねた。
「では、色葉。達者でな。お母さんによろしく」
「うん!兄さん、ありがとう!本当にありがとう!また会いに来てね!」と手を振った。
いつまでも、いつまで、色葉は手を振っていた。
―所は変わり。
夕暮れ時の白火の村。
白火の村の村長、大村は行きつけの小さな居酒屋でブツブツと小言を言っていた。
「おい、聞いたか?
また村の若い者が出て行ったとさ、年寄ばかりじゃ村は死んで行く一方。
ハァ~何をやっても灰に押しつぶされて行くような気分じゃ」と愚痴を言いながら、おちょこに入った酒を飲み干す。
ガラガラっと、戸が開く。
「ごめんください」弾がやって来た。
「村長の大村どのはここにいると伺ったものですから」店へ入って来た弾は、村長に声をかけた。
「お~これはこれは、旅人ではないか!村はどうじゃった?わしに何か用か?酒を一杯どうだ?」少し慌てた様子だった。
「ありがとうございます」そして、席に着くや話を続けた。
「ここは本当に素晴らしい村で感激しました。おかげで薬草もたくさん取れて、こんなに良い村だとは知りませんでした」
「うんうん。なかなか良い場所じゃろ?是非ほかの人にもこの村の事を教えてやってほしい」
「えぇ、もちろんです」大村は満足げな顔をした。
「しかし、あの大根を盗んだ少女の話しなのですが・・・」と弾が話を切り出すと、村長の顔は険しく変わった。
「あの子の才能を・・・大村どのはご存じで・・?」弾は真剣な顔で尋ねる。
「ん?と、申すと?」弾は懐から絵を取り出す。
「あの子が書いた物です」色葉から貰った桜の絵を見せた。
「こ、これは・・・あの子が描いた絵なのか?」村長は黙ったまましばらく絵を見た。
「私はこれから芸術品や骨董品の店なんかも多く立ち並ぶ黄乃松という都へ行く予定なんですが・・。この絵を見てもらおうと思っています。
色無き村の少女が描いたと知ったら、誰もが驚くでしょうね」
村長はまだ固まっていた。
「今日はこの事を伝えたくてね。
大村どのも心の準備が必要でしょう、才能ある子を育てる事は大きな責任がありますからね。
では、夜も更けて来ましたので私はこれで失礼します。本当にいい旅になった」弾は笑顔で席を立った。
「あ~あ、あ・・・旅人よ、気を付けて行くんじゃよ。またいつか」立ち上がり弾を見送った。
「えぇ、またいつか」と言い残し店を出た。
店に残った村長は何か思い込んだ顔のまま、また酒を一杯飲み干した。
「あの子供が・・・あんな絵を・・」
弾は、色葉が邪見にせれぬよう釘を打った。
村を出た弾。
辺りは夕暮れ時だった。
”甘酒・・・飲みたいな”
綺麗な夕日を眺めながら、つぶやいた。
何だか、優しい気持ちで溢れている夕暮れだった。
あんなに美しい絵。
これから、沢山の人が色葉の絵を見ると思うと
胸が高鳴るからだ。