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レジナルド、ロシアで

作者: 中ノ 晁

サキ作「Reginald in Russia」(発行1910年)を翻訳したものです。


 レジナルドは公爵夫人のサロンの隅の方へ坐り込んで、ロココ趣味一辺倒と分かる家具がこのところ次々にウィルヘルム2世時代風の骨董品じみたものへ取り換えられていくのを、何とか許容できる範囲のことだと己に言い聞かせていた。

彼は夫人が雨の日にまでわざわざ鶏へ餌をやりに行くような、日々の習慣にあくせく従う類いの女であると確信していた。

彼女は名をオルガと云い、彼女が期待し望んだ通りのフォックステリア的所業を為す犬を飼っていて、生きた社会主義と称している。そう、もし読者諸君の中にロシアの公爵夫人があってもオルガという名前である必要はないのである。実際、レジナルドは高貴な夫人の中にはベラという名もあることを知っていた。ただ彼女らは全員がフォックステリア好きであり、かつ自称社会主義者であるのだ。

「ロンシェン伯爵夫人はブルドッグを飼ってらすそうよ」公爵夫人は出抜けにこう言った。「イギリスじゃフォックステリアよりもブルドッグの方が趣味が良いということなのかしら」

レジナルドは過去10年に流行った犬種を必死に思い返し、曖昧な言葉を返した。

「貴方はロンシェン夫人の風体をどうお思いになりまして?」

伯爵夫人の容姿を思い描くレジナルドの頭には、規定食のマカロンと薄い色のシェリー酒に限られた夫人の食生活が想起していた。

彼がそれを言ってみると、「あの人にダイエットは無理ね」と夫人は勝ち誇ったような様子で答えた。「私、あの人がドノンで魚のスープを食べているのを見たことがあるもの」

もし友人の顔色が本当に悪ければ、夫人はそれを気遣うのだ。ただし彼女もその他大勢の女性らと同じく、思いやりが相手の顔色の心配に始まっても、概してそれ以上の気配りへは向かないのである。レジナルドがマカロンとシェリー酒という喩えを取り下げた後、話の興味は一対に並ぶ細密画の絵物語へと移っていった。


「あれかしら?」と夫人はこう切りだした。「あれは、年老いたロリコフ夫人のね。そうそう、彼女ミリオンナヤ通りに住んでいらして、ほら近くには冬宮殿だとか古い女官学校とかがあるでしょう? 彼女もその学校に居て、だから彼女が知る友人や出来事はひどく限られていたのよ。それでもよ、尋ねてくる人には誰にでも親切だったそうなの。こんな噂があってね、それは夫人が亡くなってミリオンナヤ通りを離れ天国にいく話で、そのとき彼女が切れ切れのフランス語で綴った書簡を聖ペテロさまに宛てて届けたそうでしてよ。

『Je suis la Princesse Lor-i-koff. Il me donne grand plaisir a faire votre connaissance. Je vous en prie me presenter au Bon Dieu.'(私は公爵の妻ロリコフと申します。御前にお目見え頂け幸甚に存じます。どうか、私を主へお目通りさせて頂きたく)』

聖ペテロさまは望まれたとおりに彼女を神さまに紹介してあげたの。そして彼女も神さまへ挨拶したのよ。

『Je suis la Princesse Lor- i-koff. Il me donne grand plaisir a faire votre connaissance. On a souvent parle de vous a l'eglise de la rue Million.(私は公爵夫人ロリコフと申します。主たる御前にお目通り叶い幸甚に存じます。ミリオンナヤ通りではよく貴方様の御名が讃えられております)』」

「その老人や徳の高い司祭様こそ優雅で軽薄な処世術に長けているものさ」と、レジナルドはやり返した。「とある外国の首都にある聖公教会に居た、名も知れない司祭を思い出すね。ある日、私が礼拝に行くと一人の若い牧師が何やら救済のことを説教していのだよ。彼は実に雄弁に語り、やがてそれも結びに入った。『苦悩の涙、これを何となぞらえましょう。言うなれば――そう、ダイヤモンドとでも呼びましょうか?』聴衆が彼の説教に聞き惚れていることへ同職者としての嫉妬を僅かにも覚えず、夢現の境界を行き来していた別の若い牧師がそこでようやく意識を取り戻し、慌ててこう尋ねた。『君、僕はダイヤモンドに祈りを捧げればいいのかね?』彼がダイヤモンドに祈るという頓珍漢をやる前に、それを尋ねたのは良かったのだが、年長の司祭が酷く目立つ程にうつらうつらしながら『二つのダイヤモンドに』と言ってしまったせいで台無しになってしまったがね。皆がその説教者を見て、呆れていたよ。当の本人は取りあえずその場を凌げたと思って満足していたけれどね」

「貴方の云う英国はいつも軽薄短小ですわ」夫人は言った。「ロシアでは笑い話で済まされるような問題が多過ぎるくらいなのに」

レジナルドは微かな悪寒を感じた。それはあたかもイタリアングレーハウンドが氷河期に突入する将来を考えてうんざりしているかのように、若しくはシナリオ通りに進められる政治論争の格好をした茶番劇を受け入れてしまったかのようであった。

「貴方が英国で聞き知ったロシアに真実なんて一つもありませんのよ」これこそが夫人の希望の源であるのだ。「私はね、いつも学校でやるロシアの地理学を拒みました。何故って、明らかに幾つかの名称に間違いがあると気がついたからですよ」レジナルドが述べた。


「何もかも、政治体制に問題があるのですわ」落ち着き払った声で夫人は継いだ。「官僚は皆、自分の懐にしか気を払わないし、民衆はあらゆる方面からも搾取され、略奪される。全てが無法状態ですわ」

「我々においても」レジナルドは言った。「内閣は賄賂まみれ、それでいて想像も絶する程に無価値な輩が4年間もその地位に居座るのですよ」

「ですけれど、もし政府が無能であっても英国では選挙でそれを解散させることが出来ますわよね」夫人はそう主張した。

「私の記憶する限り、大抵はそうだね」レジナルドは言った。

「でも、民衆は極端に偏るものでしてよ、そこにこそ諸悪の根源があるんですわ。英国が決して極端へ向かわないように」

「向かうとすると私達はアルバート・ホールへですよ」レジナルドが打ち明けて言った。

「あそこには人間の激情と抑制の拮抗がありますわ」夫人は先を続ける。「哀れなのはそこの人々が決してこれっぽっちも心安らかになれず、それぞれの生来の良心や親愛の情に満ち満ちた一家団欒が何処にも見当たらないことですわ」

「その点に関しては貴女に賛成ですよ」レジナルドは言った。「私の知っている少年で、フランスの何処かの埠頭で働いているのがいますが、彼が良い例です。髪は生来の癖っ毛で、日曜にはロシア人ももう沢山だと言うほどブリッジというトランプ遊びをやる。私は彼がここで述べたより他に特徴を持っているとは是認しかねますね。しかし、彼は家族への愛情がとても強かったのですよ。彼の母方の祖母が亡くなった時には、すっかりブリッジを止めてしまった。と言っても、喪服に身を包んだ翌三ヶ月間だけのことだったがね。それがね、とても美しいことじゃないかと私は思うのですよ」

夫人は感銘を受けなかった。

「私が思いますに、貴方は自己中心主義で、快楽の為に人生を送っているに違いませんわ。快ばかりを探し求めて、トランプ遊びに耽り、挙句に放蕩は不満ばかりを運んできます。貴方もいずれそれに気付くでしょう」

「ああ――。私はそんな人生に、ときに幸福が見出されると知っているのですよ」レジナルドは賛同して言った。「禁じられたカクテルほど甘美なものなのですよ」

だがこの意見は夫人には理解できなかった。少なくとも夫人ならばカクテルとは言わずに大麦糖の解けたシャンパンと言っただろう。


「またいらして下さいまし」その声音は『貴方はまたこの国へ滞在しに来て下さるに違いないですわよね』という楽観的思い付きが加えられ、その希望が伝わるに相応しいものだった。

隣家と15マイルの土地の争議問題を抱えたオルガ夫人がクドクドと言い立てるその場所がタンボフからほんの100ベルスタ郊外にある。レジナルドはそこに彼女の明かすべきでない『我』を見出していた。


 原作 :saki

参考協力:着地した鶏 氏

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[一言] ヴィルヘルム二世時代に関して、確かにゲルマン国家には多くヴィルヘルム二世がいて、先程の感想で指摘したときにもそれが頭をよぎったのですが、先程はなあなあでやり過ごすつもりでありました。 中ノ…
[良い点] サキのシニカルさがゾクゾクと伝わってきました。 [気になる点] 悪い点というわけではありませんが、物語の辻褄などで少し気になった箇所を指摘したいと思います。 「Reginald sat …
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