夢現
これからどうすれば良いのか。
それを考えなければならない、と私は優乃に伝えた。
「幸い、今は春休みだからそこまで焦らなくても大丈夫ね。あなた……優乃、は、こちらの世界にいた『優乃』の記憶を持っているの?」
「記憶に関しては、ほとんど完全じゃないかと思います。記憶に間違いが無いか、お姉ちゃ……宮乃さんに確認をお願いしても、良いですか?」
「あら、お姉ちゃんで良いのに」
そう言えば、優乃は表情を輝かせた。曰く、兄弟がいなくて兄や姉に憧れていたから嬉しいらしい。そんな気持ちをストレートに伝えられると、私だって嬉しく照れ臭い。しかしその半面、元の世界には帰れずこの世界で暮らさねばならないという事態に直面しているときに能天気な子だな、と少し苦笑した。
そして記憶の確認を受けると、優乃は滑らかに語り始めた。
「私は今年から高校一年生になるんですね。通うのは常名高校芸能学部デザイン学科衣装デザイン専攻」
「そうよ。日取りとかは分かる?」
「4月5日に入学式があるんですよね。あと……」
どうやら、記憶に関しての問題は全く無いようだ。
と、優乃が言いづらそうに言葉を濁す。どうしたの、と問えば、彼女は首を傾げて問うた。
「あの、黒っぽい髪の男の子って、いわゆる幼馴染みなんでしょうか」
「黒っぽい髪の男の子? ええと、他に何かヒントをくれないかしら」
「ご近所さんみたいで、小さい頃の優乃さんは『だいちゃん』って呼んでたようです」
だいちゃん、の言葉にピンときた。もしかして、と一人の人物の説明を始める。
「広山大地君じゃないかしら。彼ならあなたと同じ高校だから、今度学用品を一緒に買いに行くはずよ」
ちなみに、妹の「優乃」からその話を聞いた訳ではない。数日前に大地君のお父さんがお喋りついでに教えてくれたのだ。
大地君は斜向かいに住むご近所さんで、彼の家族は皆良くしてくれる。広山家のお父さんである富地さんはとても料理上手で、私は彼の料理の大ファンだ。
ついつい富地さんのことに話が逸れてしまったが、とりあえず、大地君は近所に住む男の子だ。
「大地君も常名高校に行くのよね。だから、『優乃』と買い出しに行くって話になったみたい」
お喋りな富地さんの言葉を思い出しながら、知り得る限りの情報を優乃に伝える。すると、優乃はずいと体をテーブルに乗せ私に迫って来た。
「お姉ちゃん、お願いがあります」
「……何?」
ほとんど予想出来ていながら、一応尋ねてみる。すると、買い出しに付いて来て貰いたい、とのお言葉。数秒間の間もおかずに断る。
だって嫌だもの。お姉ちゃんは妹の青春に付き合う趣味はありません。
「そんなこと言わないで下さいよ。私、その大地君と初対面だから気まずくなっちゃうかも知れないじゃないですか」
「そんな泣きそうな顔されても」
「お願いします!」
「……仕方無いわね」
渋々了解すると、「助かった!」と書かれたような表情の優乃が良かった、ありがとうございます、と声を上げた。残念ながら、私は大地君と優乃の買い物に付き合わねばならないらしい。
「日取りやらの時間は?」
「明後日の午前10時かららしいです」
そうだ、と口に出した私は、立ち上がる。きょとんとして私を見る優乃に、少し待ってて、と頼んだ。
居間の奥へ、そして右にある階段を目指す。一度曲がる階段を上り切り、自室へ向かいケータイを手に取った。メタリックな紺地に赤いライトが点滅するケータイ。そして居間へ戻ろうとした私に、魔が差した。
私の部屋と階段との間にあるのは、優乃の部屋。いつもと変わらないドア。私は、それを開けた。
そこに広がっていたのは、今までのことを夢じゃないと確信させる光景だった。朧な記憶にあるのは、散らかり気味だが煌びやかだった「優乃」の部屋。今私の目に映るのは、小綺麗で女の子らしい、淡いカラーリングの部屋だった。
「……本当に、『優乃』はいなくなっちゃったのね」
誰へとも無く零した台詞。
私は音も無く、ドアを閉めた。そしてそのまま一階へと向かう。テーブルの方を見遣ると、そこには慌てふためく優乃がいた。つられて狼狽えそうになるも耐える。彼女の隣まで行き何があったのかと問えば、優乃から差し出されたゲームの箱。『メロディ・ラバー』と銘打っていたはずのそれには『妖・ラバー』と書かれていた。
「な、何でなのか分からなくて。さっき二人で確認したときは、『メロディ・ラバー』ってタイトルだったはずなのに」
「優乃、落ち着いて」
動揺したせいかどもるようになっている彼女を私が一喝する。
――何故、ゲームのタイトルが変わったのか。
心当たりは一つだけある。先程ケータイに表れた一文。
《『メロディ・ラバー』のダウンロードを完了しました》
あれは、優乃と「優乃」の入れ替えが完全に終了したという意味であろう。私の予想では恐らく、その入れ替えとやらには記憶の書き換えも含まれている。それは例えば、優乃の部屋の入れ替えであり、アルバムの写真に写る「優乃」の修正である。つまり、違う世界の人間がこちらの世界の人間として生きることに何の不自然も無くしてしまうのだ。
ならば何故、私は優乃が「優乃」ではないと分かったのか。それは分からない。しかし、優乃がこちらに来るのには不手際があったようで、記憶の送信も「強制的に」行われたものだった。だから何かしらの欠陥――例えば、優乃が「優乃」ではないと分かる私の存在――の発生は自然に思われる。
パッケージを片手に、取り出してそのままテーブルの上に置いてあった取扱説明書に手を伸ばす。『妖・ラバー』と書かれているそれの、「登場人物紹介」と示されたページを開く。
主人公はやはり、私の妹である「優乃」だった。ポーズやイラストは全く同じだ。しかし、『メロディ・ラバー』のときと制服が違い、ブレザーではなくセーラー服を纏っている。
パッケージを見ていた優乃が、声を出す。どうしたのか聞くと、驚きを隠し切れないといった様子でこう言った。
「このキャラクター達が着てる制服、私が行くはずだった学校の制服と一緒です」
何で、と疑問を禁じ得ない風な優乃に、私は推測であることを断ってから話し始めた。
「多分、この『妖・ラバー』っていう乙女ゲームの世界があなたのいた世界ってことで間違いは無いでしょうね。そして私の妹の「優乃」は、あなたと同じように『妖・ラバー』の世界へトリップしたんだと思うわ」
「じゃあ、こっちの優乃さんと私が入れ替わったらことは、ほぼ確定……?」
「そうね。この世界があなたの言う乙女ゲームなら、『メロディ・ラバー』はこの世界の話になるでしょう? 主人公が替わったから、ゲーム自体も入れ替わったんだと思うわ」
登場人物に、主人公の兄弟姉妹はいなかった。つまり、優乃の元の世界に関する記憶とこのゲームは一致する、ということだ。
「あらすじ」を開くと、永久名高校デザイン学部に通う、と書いた一文を見つけた。
「あなたが行く予定だった学校のことを教えて貰って良いかしら」
「永久名高校の、デザイン学部に通う予定でした」
「……やっぱりこの『妖・ラバー』っていうのが、あなたの元いた世界のようね」
私の出した結論を伝えると、優乃はうなだれた。落ち込んでも仕方無い、と思った私は、何も言わずに紅茶を入れ直すことにした。やかんを火に掛け、というかIHクッキングヒーターの上に置き、沸騰させる。そして紅茶を入れ終えた丁度そのとき、優乃ががばりと頭を上げた。
「ど、どうしたの?」
面食らい、少し遅れて彼女に尋ねる。
「こっちの世界にいた優乃さんも、デザイナーを目指していたんですよね?」
「ええ……そうね」
「常名高校の芸能学部デザイン科衣装デザイン専攻に入学したんですよね?」
「そうだけど」
いきなり何なの、と続きそうだった言葉は優乃に遮られた。
「だったら私、こっちの世界でデザイナーになります!」
高らかに宣言した彼女は、先程までの儚げな表情を一変させていた。丸い瞳には、情熱の炎か何かが揺らめいているようにすら見える。
とりあえずメアド教えて下さい。あとケー番。
小型犬のようになった彼女に求められるまま、プロフィールを赤外線通信でもって交換した。その後私達は遅い昼食をインスタントヌードルで済ませ、夕食は私にやたら懐く彼女と私の二人で作ったのだった。