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一話物

ガチ鞭ボディ

作者: 紅月赤哉

 テレビを点けて飛び込んできた光景に、タケルは眼を見張った。ご飯をつまむ箸の動きが止まり、危うくテーブルの上にご飯粒を落とすところまで硬直する。耳に入ってくるのは野太い男声の力強い咆哮。タケルの想像できる範囲ならば、その声は気合を込めて何かを動かしたり、パンチを当てたりみたいないわゆる動の動きの際に発せられるものだ。だが、そこに映りこむ男達は一歩も動かず、自分に対して受けた打撃をその声によって分散させているようだった。

 タケルが見ている光景。

 それは、二人の男が向かい合い、互いの胸にしなった腕から繰り出される張り手をぶつけているものだった。

 女子が喧嘩の時に使うビンタとも少し違い、速度もしなりも威力も桁違いということがテレビ越しに伝わってくる。画面の下に解説が流れていて、それが『鞭打』と呼ばれるものだと書かれている。

「鞭打、か」

 打ち合っている男二人は、いずれも身長二メートルはありそうな巨漢。タケルの胸筋と比べて三倍はありそうだ。顔はロシア系の堀の深く氷に強そうな顔。胸筋は今までの鞭打の打ち合いからか赤くなっている。それでもダメージはあまりなさそうだ。上も下も裸。一つだけ白いブリーフを穿いていた。互いに右足を後ろ、左足を前に出して構え、攻撃の時に思い切り体をしならせて、胸を張っている相手へと張り手を叩きこむ。叩かれた相手は「んーんっ!」と気合の入った声を上げて耐え抜いていた。良く見ると、下げた右足のすぐ後ろには白い線が引いてある。途中から見ているためルールは良く分からないが、どうやらその線を痛みで越えてしまったほうが負けのようだった。

「なに、これ?」

 向かいでアジの身を箸で掴んだ状態で止まっている母親を見て、タケルは自分も同じように止まっているんだろうと考えて箸を置いた。見てしまっては、この良く分からない対決が終わるまで食事は喉を通りそうになかった。

「良く分からないけど、叩き合ってるみたい」

「どうしてこんなことしてるの? 痛いでしょ」

「格闘技なんじゃない? テレビのリモコンで番組情報見れるよね」

「テレビの前に置いてるから取って」

 母の言葉でテレビに視線を戻すと、確かに画面のすぐ傍にリモコンが置いてあった。食事前にテレビを点けてから、そこへ放置しているらしい。少し椅子から腰を浮かせて手を伸ばせば届く。しかし、画面でバチバチ肌を打ち合っている男達の姿が近づくのを考えると、生理的に受け付けずにタケルは動きを止めた。

「ごめん。これ、終わるまでいい?」

「分かったわよ……それにしても何でこんなに筋肉質なの?」

 母親は嫌そうに、しかし目線を二人から離さないまま呟いた。心なしか頬が赤らんでいるのは錯覚であって欲しいとタケルは思う。変な性癖に目覚めていそうだ。

 テレビの様子に意識を戻す。

 相変わらず交互に鞭打を打ちながら「んーんっ!」「んーんんっ!」と堪えている。

 パンッ! んーんぅ! パンっ!! んっ! パン! ん"ー!

 徐々に「ん」に濁点がつくようになってきた。胸筋は腫れ上がって、ミミズが這っているようにラインを繋ぐ。所々からは血が滲み出ていて、視覚的に痛い。

 二人の頭の部分には番組側が表示させているカウンターがあり、鞭打を打つたびに一ずつ増えていく。その数は、もう七十を越えていた。

 掌が胸を打つのと、耐える声。男達の顔は汗と他の何かの影響で火照り、赤くなっていた。眼は潤み、息は荒くなる。体力の限界が近いのか、肩も大きく上下しており、手も傷めたのかプラプラと動かしている。その満身創痍でも次の鞭打の準備をする姿に、タケルは自然と拳を作っていた。

「がんばれ……」

 そして自然と言葉が漏れる。十六歳になった今は遊んでいないが、小さい頃は風呂場やプールなどで張り手で水を叩くなどしていた。その結果、掌が腫れ上がり痛い思いをしたものだった。それを知っているからこそ、七十回以上も張り手をし続ける二人の痛みは、少しは想像できた。

「uuuRa!」

 初めて防御以外で発せられた言葉。今までで一番体をしならせ、相手の胸に叩きつける。そこで今までと違う動きを取り入れていた。

 当たった瞬間に、思い切り腕を引き戻す。それにより衝撃波が生まれたのか、もう一人の男は声を上げて耐えたものの後ろにのけぞって、白い線を越えて倒れてしまった。その瞬間、攻撃した男が両拳を上げて頭上へ向けて咆哮した。

「GaAAAAAA!!」

 狂獣が全ての鎖を解き放たれたかのような、切なく、狂おしく、自由になったことへの歓喜を含む咆哮。軽く二十秒は続いたその叫びにタケルは涙を抑えられなかった。今まで積み上げてきた痛みと苦労が報われたであろう当人の思いや、その瞬間に立ち会えた喜びが混ざった感情の波に思考が停止する。視線を母に向けると同じように泣いていた。鼻水を流して「良かったねぇアンドレ」と呟いているのを聞くと「アンドレって誰?」と思うも突っ込む気にはなれない。

 そのまま放送はエンドロールが流れていき、終わった。特にタイトルも流れず、次に移る。次の番組に繋ぐ間に天気予報が流れ出したので、タケルはリモコンを取って今の番組が何なのかを調べるために番組表ボタンを押す。するとそこにはいつも見ているバラエティ番組の名前があった。

「あれ……」

 明らかにいつもの番組内容と違うことに疑問を呟く。そもそも、全く知らない内容だからこそいつもの番組と気づかなかったわけである。

(まあいいや。後でネットででも調べてみよう)

 インパクトからすればきっとネットでも話題になっているだろう。そうと決まればとタケルはご飯に手をつける。

 胸の奥から熱い物がこみ上げてきて、体がむずむずしていた。

(鞭打、か)

 言葉を紡ぐだけで頬が火照る。いつしか棄てていた魅力あるものを、再び手にしたような喜びに震えながら、タケルはご飯を租借していった。


 


 ネットで調べてもなんという番組だったのか誰も分からないため、都市伝説のように語られるのはまた別の話。

鞭打って痛いですよね

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― 新着の感想 ―
[一言] 今日は! 一気に読めました!! 緊迫感が伝わってくる、とても素敵な作品でした!
[良い点] >見てしまっては、この良く分からない対決が終わるまで食事は喉を通りそうになかった。 この一文が特に秀逸だと思います。 私も飲んでいたコーヒーが喉を通らなくなりました、読み終わるまで。 […
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