戦乙女、空を駆ける 〜無能な姉の代わりに国宝の大鎌を手入れしていた妹、ブチギレて武器ごと出奔する〜
神の気まぐれで生まれる『戦乙女』は、戦場において絶対の勝利を約束する。
その圧倒的な強さで物理的に鎮圧するのだ。
そしてその『戦乙女』たる者の判定基準は至ってシンプルだ。
各国の教会の奥に鎮座する、身の丈を優に超える巨大な『大鎌』を持てるかどうか。ただそれだけである。
戦場で『戦乙女』が鎌を振るう時、戦の終結を意味するのだ。
* * *
「ああ、神に選ばれるというのは本当に罪なことね。また王宮からドレスが届いたのよ。今日のは第二王子様からね。これで今月に入って五着目だわ」
「……はい、お姉様。とてもよくお似合いです」
「ふふっ、ありがとう。あなたも私の妹に生まれて本当に運が良かったわね。こうして、国を守る戦乙女の身の回りのお世話ができるんだから」
豪奢なソファに深く腰掛け、優雅に紅茶を啜る姉。
婚約者である第二王子から贈られたというキラキラ・ヒラヒラ・ゴテゴテしたドレスをうっとりと眺めている。
その足元で、私は床の雑巾がけの手を止めることなく、殊勝に伏し目がちにしてコクリと頷いた。
(――あーはいはい。脳みそお花畑のポンコツがなんか言ってら)
以前、その第二王子がウチへ挨拶に来た時のことを思い出す。
ヒラヒラとしたレースをふんだんに使った服を愛用し、なぜか片方だけ垂らした前髪を事あるごとに「ヒラッ」とかき上げる、絵に描いたようなキザ男だった。
私は遠目から見ただけで話したことはない。あちらも「妹がいる」という情報だけは知っているようだが、部屋の隅で控えている薄汚い下働きがその妹だとは夢にも思っていなかっただろう。完全に視界から外れていた。
それにしても、あの二人。キラキラ・ヒラヒラ・ゴテゴテの悪趣味さで見事にお似合いのカップルだ。思い出しただけでウエッとなる。
美しく健康的な姉とは似ても似つかない、そばかす顔のヒョロガリ。それが私だ。
我が家では『戦乙女である姉』が絶対のヒエラルキーの頂点であり、私はその栄光を支えるための下働きとして扱われている。
両親も「お前は裏方なのだから華美なものは不要だろう。姉に尽くすことこそ、お前の幸せであり、家族の誉れなのだ」と、私にメイド服すら与えず、すり切れた古着で家事全般を押し付けている。
一切の悪気がない、純度一〇〇パーセントの善意で搾取してくるからタチが悪い。
普通なら絶望して泣き叫ぶところかもしれない。
だが、私はただ冷めた目でこの狂った家族を見ていた。
(いつかバレるのになぁ、あのポンコツ)
そう。実は幼少期に行われた『判定の儀式』の時、姉はあの重厚な大鎌を一ミリも動かせなかったのだ。
立会人が少し席を外した隙に、私が何気なく柄を握ったら、木の枝みたいに軽々と持ち上がってしまった。
『わ、私も持ちたいぃ〜!』
泣き喚く姉に大鎌を手渡し……正確には、重すぎて持てない姉に立てかけさせた瞬間に、運悪く立会人が戻ってきてしまったのである。
そして、そのまま姉が戦乙女に認定されてしまった。
私は知っている。あの巨大で禍々しい大鎌が、常人には引きずることすら不可能な質量の鉄塊だということを。
(ま、私には関係ないけど。あと銀貨三枚……それが貯まったら、こんな掃き溜め、とっととおさらばしてやる)
私は内心で思い切り舌を出しながら、無口で従順な妹の皮を被り、今日もせっせと床を磨く。
出奔の準備は着々と進んでいた。
* * *
週に一度、私たちは王都の中心にある大教会へ赴く。
『戦乙女の務め』――神聖なる大鎌を清め、祈りを捧げるためだ。
分厚い扉に閉ざされた教会の最奥、特別祈祷室。
祭壇の中央には、禍々しいほどに複雑な装飾が施された漆黒の刃と、無駄を削ぎ落とした実戦的な長柄を持つ巨大な大鎌が鎮座している。
「ああ、疲れたわ。信者たちに笑顔を振りまくのも楽じゃないわね」
重厚な扉が閉まり、二人きりになった瞬間、姉は祭壇の脇にある豪奢な椅子にどっかりと腰を下ろした。
「ほら、さっさと終わらせてね。この後、第二王子様とのお茶会が控えてるんだから。私は本番で戦うのが仕事なんだから、雑用は妹ちゃんの役目でしょ?」
「……はい、お姉様」
私は恭しく頭を下げながら、内心で盛大に顔をしかめた。
(ああ、この間届いたあのキラキラ・ヒラヒラ・ゴテゴテしたやつを着て、あの前髪ヒラヒラ男に会いに行くのか。二人揃って悪趣味の極みだなぁ……ウエッ)
私は胃の奥から込み上げるものを飲み込みつつ、祭壇へと歩み寄った。
そして、自分の背丈を優に超える巨大な『戦乙女の大鎌』の柄を無造作に掴み――よっこいしょ、と片手で軽々と持ち上げた。
常人ならば、数人がかりで引きずることしかできない圧倒的な質量の鉄塊。
教会関係者ですら「戦乙女以外の人間が触れれば、その重圧で腕が吹き飛ぶ神造兵装」と恐れおののく代物だ。
だが、私にとってはちょっと重めのモップと大差ない。
私は空いた片手でボロ布を取り出すと、鼻歌交じりに刃をキュッキュと磨き始めた。
「それにしても、妹ちゃんは本当に運がいいわね。神に選ばれた戦乙女である、この私の妹に生まれることができたんだもの」
「……ええ、本当に」
「こうして私のお手伝いができるなんて、幸せでしょう? 私の特別任務を少し分けてあげているんだから、感謝してちょうだいね」
(あーはいはい。感謝感謝)
私は内心で盛大にため息をつきながら、手首のスナップを利かせて大鎌を空中でクルッと一回転させ、刃の裏側の汚れを拭き取る。
ブンッ! と空気を切り裂く重低音が鳴ったが、姉は自分の美しい爪先をうっとりと眺めていて全く気づいていない。
(本番で戦うのが仕事って……アンタ、これ一ミリも動かせないじゃん。どうやって戦うつもりなわけ?)
姉は、私が『物理法則を完全に無視した筋力』で大鎌をぶん回して手入れしているのを全く見ていなかった。あるいは、「ちょっと重い農具」くらいに完全に舐めきっているのだろう。
本人は本気で『自分は選ばれた存在だから、本番になれば神の力が宿って戦える』と信じ込んでいるのだ。
「ふふっ、本当にピカピカね。さすが私の妹だわ」
「お褒めにあずかり、光栄です」
(せいぜい今のうちに、いい夢見とけよ。ポンコツ)
私はピカピカになった大鎌を台座にドンッと戻し、再び無口で従順な妹の顔を作った。
――だが、私のささやかな忍耐の日々は、この数日後に唐突な終わりを迎えることになる。
* * *
「お前がお姉ちゃんのために床下に貯めていたお金を見つけたぞ!よくやった!」
ある日の夜、ボロ部屋に戻った私に、父親が満面の笑みでそう告げたのだ。
手には、私が三年間泥にまみれ、血と汗と涙を流してコツコツ貯めた『出奔用の銀貨』が握りしめられていた。
「お前もようやく、家族の誉れを支える喜びを知ったんだな。感心感心。これでお姉ちゃんの式典用のブローチを買ってあげることにしたよ!」
「そうね、きっとお姉ちゃんも喜ぶわ!」
両親は、純度一〇〇パーセントの善意で、私の希望をへし折った。
「…………」
(あー……ダメだこりゃ。この家、完全に詰んでるわ)
怒りすら湧かなかった。ただただ、バカバカしすぎて笑えてきた。
この瞬間、私の心の中から『家族への情』というものが、一ミリ残らず完全に消滅した。
そして、運命の『戦乙女のお披露目式典』の日がやってくる。
* * *
王都の中央広場は、凄まじい熱気に包まれていた。
敵国の侵攻が激しさを増す中、国王が直々に命じた『戦乙女のお披露目と出陣の儀』。
会場には国王や王族、教皇をはじめとする教会の上層部、そして国中の貴族たちがズラリと顔を揃えている。
祭壇の中央には、あの大鎌が重々しく突き刺さっていた。
「さあ、我らが戦乙女よ! その神聖なる御力を、今ここに!」
教皇の高らかな宣言を受け、婚約者であるヒラヒラキザ男こと第二王子にエスコートされた姉が、自信満々のドヤ顔で進み出る。
二人揃ってヒラヒラして鬱陶しい事この上ないが、民衆は盛り上がっている。それでいいのか騙されてるぞ!
そしてその胸元には、私の血と汗と涙の結晶(逃亡資金)が化けた、悪趣味でデカいブローチがこれ見よがしに輝いていた。
姉は優雅な仕草で大鎌の前に立ち、その柄を両手で握りしめる。
そして、フンッ! と気合を入れて引っ張った。
…………ピクリとも動かない。
「えっ? ……あ、あれ?」
ざわめく観衆の前で、姉は冷や汗を流しながら何度も何度も鎌を引っ張る。だが、数トンの質量を持つ鉄塊は、華奢なポンコツ娘の力で動くはずがない。
「ど、どういうこと!? ねぇ、ちょっと!」
パニックに陥った姉は、血走った目で控えにいた私をギロリと睨みつけ、金切り声を上げた。
「あんた何したのよ!! いつも手入れさせてあげてるのに、鎌を重くする呪いでもかけたんでしょ!!」
その言葉が響いた瞬間、会場の空気が一変した。
国王と教皇の顔から、さぁっと血の気が引いていくのが見えた。
隣のキザ男は突然の事で前髪を揺らす事なく固まっている。
「なっ……神聖なる戦乙女の武具を、妹に触らせていただと!?」
「あり得ん! あれは戦乙女以外の人間が触れれば、その重圧だけで腕が吹き飛ぶはずの神造兵装だぞ!」
教皇の絶叫に、貴族たちが悲鳴を上げてどよめく。
『姉が禁忌を犯していたこと』、そして『妹が腕を吹き飛ばすはずの武具を日常的に手入れしていたこと』。二つの異常事態が同時に露見し、会場は収拾のつかない大パニックに陥った。
だが、私の両親だけは事態が全く理解できていなかった。
父親が顔を真っ赤にして私に怒鳴り散らす。
「お前、お姉ちゃんに何をしたんだ! 早く呪いを解いて、お姉ちゃんが持てるようにしなさい! 家族の誉れを潰す気か!!」
(あーあ。ほんと、どこまで行っても救いようのない連中だわ……てか言うに事欠いて呪いって……)
私は天を仰いで、深々とため息をついた。
これまで長年被り続けてきた『無口で従順な妹』の皮が、ベリベリと音を立てて剥がれ落ちていく。
「…………バッカじゃないの」
静まり返った祭壇に、私の冷ややかな声が響き渡った。
「呪いだなんて、んな訳のわからんもんあるわけないでしょ。事実は事実。お姉様が非力なポンコツだってだけの話」
「なっ、あなた……なんて口の利き方……!」
顔を真っ赤にして震える姉を、私は肩をすくめて鼻で笑った。
「お父様もお母様も、いい加減現実見なよ。幼い頃の儀式の時から、このお花畑ポンコツは一度だって鎌を持ち上げちゃいないんだよ。ただの『偽物』なんだから」
私は呆然とする姉を突き飛ばすようにして退かし、台座に突き刺さった大鎌の前に立つ。
国王も、教皇も、両親も、全員が息を呑んで私を見た。
私は大鎌の柄を片手で握り、無造作に引き抜いた。
ゴォォォォォォッ!!
数トンの鉄塊が宙を舞った瞬間、空気を叩き潰す轟音と突風が巻き起こり、豪奢な装飾が吹き飛ぶ。
私が大鎌を肩に担ぎ上げたその時、私の背中から眩い光の羽がバサァッと顕現した。
「あ……ああ! 神よ!」
「本物の、戦乙女……!」
圧倒的な暴力の片鱗と神々しい光の羽。
それを見た姉の婚約者――権力目当ての全体ヒラヒラ第二王子が、手のひらを返し、前髪をヒラヒラさせながら私に縋り付いてきた。
「あ、ああ! 私が愚かだった! 運命の女神は君だったのだ! さあ、私と結婚してこの国を救ってくれ!」
王子が恍惚と打算丸出しの表情で手を伸ばしてくる。
私は冷たい目で見下ろし、思い切り顔をしかめた。
「は? 脳みそ湧いてんのかこの風見鶏」
「えっ……?」
「急に距離詰めてくんな、鳥肌立つわ。誰がテメェみたいな見栄張りの全体ヒラヒラスカポンタンと結婚するか。そのポンコツとお似合いだよ! 一生そこで泥船と一緒に沈んでろバーカ!」
唖然とする第二王子の袖口の繊細なレースを引きちぎり、本体をその場に転がすと、私は大鎌を空中でクルリと回す。それだけで発生した衝撃波が祭壇の石畳を粉砕し、悲鳴を上げてへたり込む家族や王族たちを見下ろした。
「じゃ、そういうことなんで。この鎌とレース、慰謝料(行き掛けの駄賃)にもらっていくから」
私は背中の羽を大きく広げた。
「あばよ、ブラック実家とブラック国家!」
ぽかんと口を開ける連中の頭上を越え、私は大空へと力強く飛び立った。
頬を撫でる風が、最高に気持ちよかった。
* * *
上空まで舞い上がり、私は少しだけ高度を下げて眼下の様子を見下ろした。
王都の広場は、見事なまでの地獄絵図と化していた。
自分がただの無能だったとようやく理解した姉は、豪奢なドレスを泥まみれにしてへたり込み、虚ろな目でボロボロと涙をこぼしている。
両親は「家族の誉れ」が完全に崩壊し、ただの大罪人へと転落した現実を受け止めきれず、顔を覆って力なく座り込んでいた。
さらにその横では、国王が教皇の胸倉を掴んで「貴様ら、偽物を掴ませたな!」と怒鳴り散らし、教皇も「我々もあの一家に騙されたのだ!」と醜い責任転嫁の口論を繰り広げている。
(あーあ、見事に終わってるな。……ま、私にはもう一ミリも関係ないけどね)
私は特大の溜め息と少しの嘲笑を落とし、今度こそ振り返ることなく、隣国へ向かって一直線に飛んでいった。
* * *
とりあえず一番近かったから、という適当な理由で国境を越え、隣国の森の上空を飛んでいた時のことだ。
眼下の街道で、豪華な馬車が魔物と盗賊の混成集団に襲われているのを発見した。
護衛たちはすでに倒れ、馬車の前に引きずり出されていたのは、一人の少年だった。
(……いや、細っ!?)
思わず二度見した。豪奢な装いをしているが、風が吹けば物理的に飛んでいきそうなほどのガリガリ、ヒョロヒョロ具合である。そんなモヤシのような少年が、盗賊の凶刃を前に涙目で震えていた。
(行く当てもないし。新天地での挨拶代わりに、人助けでもしとくか)
私は大空から隕石のような速度で急降下し、大鎌の石突きで盗賊の頭をカチ割るようにして街道に降り立った。
ズドォォォォン!! と土煙が舞い上がる。
「あー、ちょっとそこ通るから邪魔。ついでに路銀代わりに身ぐるみ置いてって」
「な、なんだこの女!?」と慌てふためく盗賊たちを鼻で笑い、私は巨大な大鎌を片手でブンッと構えた。
そこからはもう、完全に一方的な草刈り(お掃除)だった。
「磨いてる時からコレ、ぶん回してみたかったのよね〜そぉれドッセイ!」
私は鼻歌交じりに大鎌を振り回し、魔物も盗賊もまとめて物理で空の彼方へ吹っ飛ばしていく。
三分の二ほど居なくなった盗賊と魔物達は小刻みに震えながら一斉に「あ、悪魔が降臨した……神様お助けを……」「キャウウウン」などと命乞いをし、怯えきっている。
「悪魔なんて失礼極まりないわね。私は神の御使、戦乙女よ!」
ブォン!と鎌をもう一振りし、残党狩りも終わった。
「ふぅ、ちょっとした運動になったわ」
ものの数分で周囲を制圧し、大鎌の汚れを払って肩に担ぎ直す。
すると、背後からビクビクと怯えたような声が聞こえてきた。
「あ、あの……! た、助けてくれてありがとう!」
振り返ると、先ほどのモヤシ少年が、膝をガクガクさせながらもこちらへ歩み寄ってきていた。
「ぼ、僕、この国の皇子なんだけど……君、すっごくかっこいいね! その細い体のどこに、そんなすごい力が……!」
「は?」
私は目を丸くした。普通、自分の背丈よりデカい大鎌で人をミンチにする殺戮ショーを見たら、ドン引きするか腰を抜かすはずだ。
しかしこのモヤシ皇子の目は、恐怖ではなく純粋な感動と称賛でキラキラと輝いていたのだ。
「アンタこそ、なにその腕。小枝みたいよ。ちゃんとご飯食べてんの?」
「うぅ、これでもいっぱい食べてるんだけど、体質で全然お肉がつかなくて……」
しょんぼりと肩を落とすモヤシ皇子を見て、私は思わず吹き出しそうになった。
(なんだこいつ。……でも、あの狂った祖国の連中よりは、よっぽど素直でまともそうね)
体質で太れないモヤシ皇子と、理不尽な環境でヒョロガリにされていた私。
ビジュアル的にはなんとも貧相な二人だが、不思議と妙な親近感が湧いてきた。
「行く当てもないし、とりあえず私がアンタの護衛でもしてあげる。その代わり、美味いご飯をお腹いっぱい食べさせなさい」
「えっ!? ほ、本当に!? やったぁ!!」
モヤシ皇子はパァッと顔を輝かせ、嬉しそうに私の手を取った。
そして、ふと思い出したように首を傾げる。
「そういえば、君の名前はなんて言うの?」
「……チェリル」
「え?」
「チェリルよ。実家の連中は『お前』とか『アンタ』としか呼ばなかったから、自分から名乗るのなんていつぶりだろ」
鼻で笑いながら吐き捨てるように言うと、モヤシ皇子は少しだけ悲しそうな顔をした後、すぐにふにゃりと嬉しそうに微笑んだ。
「チェリル……。うん、すごく可愛らしくて、逞しい君にぴったりの名前だね!」
「……あ? 喧嘩売ってんの?」
「ひぃっ!? 違っ、本心からだよ! だからその物騒な大鎌を振り上げないでぇぇ!!」
「神聖な鎌を物騒だなんて失礼な」
常に手元に置いてある鎌にスリスリと頬擦りする。
その様子を見たモヤシ皇子が慌てふためくのを見て、私は思わず大きな声を出して笑ってしまった。実家にいた頃は、こんなふうに笑うことなんて一度もなかったのに。
「よし、じゃあ帰りましょ、モヤシくん」
「だからモヤシって言わないでよぉ……というか、僕の名前に興味ないの?」
「えー別に?」
「酷い!」
――それから、数ヶ月後。
驚いた事にモヤウシという紛らわしい名前だったモヤシ皇子の専属護衛として雇われた私は、今日も王宮の中庭で、彼と一緒に優雅なティータイムを満喫していた。
「そういえばチェリル。君のいた国、大変なことになってるみたいだね」
手作りのお菓子を頬張る私に、モヤシ皇子が少しだけ呆れたような顔で報告書をヒラヒラと振った。
「国宝の大鎌を紛失した責任を巡って、国王と教皇が相変わらず泥沼の責任のなすりつけ合いをしてるんだって。もう国政なんてまともに機能してないらしいよ」
「へぇ。馬鹿みたいね」
「あと、君のご両親は国宝紛失の違約金を払わされて莫大な借金を背負って、領地の屋敷も差し押さえられたとか。お姉さんは、贖罪のために教会の最下層で、毎日朝から晩まで床磨きの強制労働をさせられてるみたい」
かつて「雑用は妹の役目」と笑っていた姉が、今は泥にまみれて床を這いつくばっている。
なんでも羽を奪われた哀れな天使と泣き暮れているらしいが、誰も相手にしていないとの事だった。相変わらずの自己中振りで周囲に迷惑をかけているらしい。周囲の人達ガンバレ!アレがああなったのは連帯責任だ。
見栄と誉れに狂っていた両親は、借金取りに追われる日々。
まさに自業自得、絵に描いたような地獄への転落だ。
「……で? それがどうかした?」
私が紅茶を啜りながらどうでもよさそうに首を傾げると、モヤシ皇子は「えっ」と目を丸くした。
「い、いや、一応君の元家族だし、少しは気にしてるのかなって……」
「一ミリも気にしてないわよ。あの連中の床磨きの話より、今日の夕食のメニューの方が私にとっては百倍重要だわ」
鼻で笑って言い切った私を見て、モヤシ皇子はホッとしたように、そして心底おかしそうに吹き出した。
「あははっ! 君って本当に逞しいね、チェリル。……今日の夕食は、君の好きな分厚いステーキを用意させてるよ」
「よくやったわモヤシ。もっと肉食って、少しはアンタも太りなさい」
「だからモヤシって呼ばないでってばぁ……」
「モヤシはどんな料理の邪魔にならないからいいじゃないの。まあメインにもならないけど」
「辛辣だぁ…」
私とモヤシ皇子は、顔を見合わせて笑い合う。
国宝である大鎌を失い、さらに真の戦乙女に逃げられた私の祖国は、遠からず滅亡の道を辿るだろう。
だが、そんなことはもうチェリル(私)の知ったことではない。
手に入れたばかりの自由と大鎌を背負って踏み出した新しい人生は、すべてを自分の足で切り開いていく、どこまでも明るく自信に満ちたものになりそうだった。
わたしは、どこへでも羽ばたいて行けるのだから!




