第三十二話 知るべきこと
小さな勇者が誕生してから、数日が経った。
冬の気配は日ごとに濃くなり、森の空気は鋭さを増している。
そんなある日――
ラウネスとナリムの元を、一人の客が訪れた。
キャットテールのミルだった。
「……ミルが俺の所に来るなんて、珍しいな」
ラウネスは素直にそう口にした。
ミルは普段、リオムやガルドに索敵や追跡の技を教えている。
そのため、ラウネスの元へわざわざ訪れることは、ほとんどなかった。
それにミルは寡黙なのでザン以外と行動することすら、あまり見かけない。
そんな彼が、自分たちを訪ねてきた。
それだけで、ただ事ではないと分かる。
「ラウネス、ナリム」
ミルが静かに口を開いた。
「君達に、話ておきたいことがあるのだが、いいか?」
その声音に、ラウネスとナリムは自然と居住まいを正した。
外はすっかり冷え込んでいる。
ナリムは無言で薪を手に取り、焚き火へとくべた。
ぱちり、と火が弾ける。
小さな炎が、三人の顔を照らした。
「……君達が同族を救いたいのなら」
ミルはゆっくりと言葉を選ぶように続ける。
「人間族について、私から話しておこうと思ってな」
ラウネスは、思わず息を呑んだ。
それは――
今、最も知りたい、ことだった。
ラウネス達は、人間族をほとんど知らない。
ラウィル族自体があまり外に目を向けない性質だったからでもある。
リオム達は捕らえられていた経験こそあるが、それでも理解しているとは言い難い。
農奴として囲われていた為に、自分が何をやらされてるかも理解していなかった。
「それは……ありがたい」
ラウネスは真剣な眼差しで頷いた。
「是非、教えてくれ」
「ああ。構わないさ。ザンはあの通り説明するのは苦手だからな」
ミルの表情が、わずかに和らぐ。
ナリムもまた、静かに耳を傾けていた。
彼はミルから指導を受けてはいるが、こうして個人的に話をする機会はほとんどなかった。
焚き火の火が揺れる。
その明かりの中で、ミルは小さく息を吐いた。
「……そうだな。どこから話すべきか」
わずかな沈黙。
やがてミルは、ゆっくりと語り始めた。
「人間族と我々――妖精族はな」
「存在そのものが違う」
ラウネスの眉が、わずかに動く。
「我々は、妖精から進化した存在だ」
「だが人間族は違う」
ミルの声は、どこか遠い記憶を辿るようだった。
「人間族は最初から……あの姿で生まれたと言われている」
「最初から……?」
ラウネスは思わず聞き返す。
「ああ」
ミルは静かに頷いた。
「人間族は、最初からあの姿で、あちらこちらに住み着いていたらしい」
焚き火が、ぱちりと音を立てる。
「草原の南側にいる人間族はな」
ミルの声が、わずかに低くなる。
「山や森から追い出された連中だ」
ラウネスの中で、何かが引っかかった。
自分が生まれた時には――
すでに人間族は、草原の南にいた。
そして。
ハーフリングにとっての脅威として、当たり前のように存在していた。
だが――
「……なぜ、草原に?」
ラウネスの問いに。
ミルの表情が、わずかに固くなる。
ほんの一瞬の沈黙。
そして。
「……私達が、追い出したからだ」
低く、静かな声。
「いや――」
ミルは小さく首を振る。
「獣人や、エルフや、ドワーフも……だな」
焚き火の炎が、揺らめく。
その光の中で。
ラウネスは初めてこの世界の“もう一つの姿”を、垣間見た気がした。
人間族が追い出された存在だという事実は、ラウネスに大きな衝撃を与えていた。
胸の奥がざわつく。
今まで当たり前だと思っていた世界が、音を立てて崩れていくようだった。
ミルは静かに続ける。
「獣人族は特にナワバリを大切にする」
焚き火の炎が揺れる。
その瞳は、過去を見つめているようだった。
「獣人族同士でも争うほどにな」
ラウネスは思い浮かべる。
ザンの姿。
あの強さと気迫なら、縄張り争いが激しいのも理解できる。
「妖精族のように魔法を使えない人間族が」
ミルの声は淡々としていた。
「我々や魔獣と対等にナワバリを維持することは……出来なかったのも当然なんだろう」
その言葉に。
「じゃあ……!」
思わず声が荒くなる。
「じゃあ俺達が、こうしてるのも――!!」
拳を握る。
怒りが、込み上げてくる。
人間族が追い出されたから。
その結果、草原へ流れ着き。
そして――
ハーフリングが、狙われるようになった。
その考えに至るのは、自然なことだった。
「……すまんが」
ミルが静かに口を開く。
「それについては、私達も意図したことではないんだ」
「それは分かるが!!」
ラウネスは食い下がる。
感情が抑えきれない。
その時――
「ラウネス、落ち着いて」
ナリムがすかさず袖を引いた。
その声は、静かだったが確かな強さを持っていた。
「何も対応してこなかった僕らにも……責任はあるよ」
ラウネスの言葉が、止まる。
怒りの矛先が、鈍った。
ミルはその様子を見て、ゆっくりと頷いた。
「ラウネス君」
その呼び方に、少しだけ柔らかさが混じる。
「人間族の恐ろしさは……そこからなんだ」
焚き火の火が、ぱちりと弾けた。
「人間族は――」
「獣人族のようにナワバリを持ち」
「エルフのように弓を使い、狩りをする」
「ドワーフのように物を作り」
「ハーフリングのように動物を使う」
ラウネスは、息を呑んだ。
それは――
各種族の“強み”そのものだった。
「それは、人間族が各地で迫害された中で身につけたものだ」
ミルの声は、重い。
「生き延びるために、全てを取り込んだ結果だな」
ラウネスの中で、人間族の姿が変わっていく。
ただの敵ではない。
ただ弱い存在でもない。
積み重ねたものを持つ存在。
「その人間族に――」
ミルの声が、さらに低くなる。
「獣人族も、捕まる者が増えてきている」
その言葉に、ラウネスは顔を上げた。
「……だが」
すぐに言い返す。
「獣人族の強さなら、仲間を取り戻すことが出来るんじゃないのか?」
ラウネスにとって、ザンやミルは圧倒的な強者だった。
人間族など、相手にならないように思える。
だが。
ミルはゆっくりと首を振る。
「私達も……そう思っていた」
その言葉には、わずかな悔しさが滲んでいた。
そして。
静かに告げる。
「だが人間族の数は……」
焚き火の炎が揺らめく。
その影が、三人の顔を歪ませた。
「私たちの想像を超えていたんだ」
ミルは、焚き火の向こうを見つめるようにして続けた。
「私とザンはな」
その声は静かだったが、どこか張り詰めている。
「お互いの部族の理解を得て……仲間を取り戻すために」
「人間族がナワバリにしている土地を、二人で見に行ったんだ」
ラウネスとナリムは、息を潜めて耳を傾ける。
「そこには――」
ミルはわずかに言葉を区切った。
「端が見えないほど、長大な土の壁で囲われた……巨大な街が出来ていた」
その言葉に、二人は言葉を失う。
端が見えない。
そう言われても、想像が追いつかない。
ミルはそんな二人の様子を見て、少しだけ言い方を変えた。
「……山一つを丸ごと、土で囲った大きさと言えば分かるか?」
その瞬間――
ラウネスの思考が止まった。
山一つ。
それを囲う壁。
その中に住む人間族。
どれほどの数になるのか。
もはや想像の外だった。
ふと、リオムの話が頭をよぎる。
大きな囲いのある街が、いくつもある――と。
ミルは静かに続ける。
「私達は……あの壁の中から仲間を助け出すのは、不可能だと感じた」
焚き火の炎が揺らぐ。
その言葉は、重く沈んだ。
「君達も、仲間を取り戻すつもりなら」
「今や人間族が……巨大な存在になっていることを、理解しておくべきだ」
ラウネスは何も言えなかった。
胸の奥に、重たいものが沈んでいく。
これまで戦ってきた敵とは、まるで違う。
“巨大なもの”
その言葉の意味を、初めて実感していた。
沈黙の中で――
ナリムが口を開く。
「……それでも」
静かだが、確かな疑問。
「獣人族が集団になっても……勝てませんか?」
ラウネスも顔を上げる。
確かに。
ザンやミルの強さを思えば、人間族に劣るとは思えない。
ならば――
集まれば、戦えるのではないか。
ミルは小さく息を吐いた。
「獣人族といってもな」
その表情には、わずかな苦味が浮かぶ。
「部族ごとの意識が強すぎる」
「簡単には一つになれないんだ」
そして、自嘲するように続けた。
「実はな……私達キャットテールやロップイヤーは、獣人族の中でも立場が弱くてね」
ラウネスとナリムが目を見開く。
「他の獣人族からすれば……“弱いのが悪い”で終わりだ」
その現実は、あまりにも冷たかった。
だがミルは、ふっと小さく笑う。
「ああ、ザンは別だな」
少し肩をすくめる。
「あれは……猛獣だから」
思わず、ラウネスとナリムの口元にも笑みが浮かんだ。
だが、それも一瞬。
すぐにミルの目が、真剣なものへと戻る。
「……君達も、色々考えておいてくれ」
それだけを残し。
ミルは静かに立ち上がると、そのまま闇の中へと去っていった。
焚き火の音だけが、残る。
しばしの沈黙。
やがてナリムが、いつもの軽い調子で口を開いた。
「……また、皆で相談しないとね」
ラウネスはゆっくりと頷く。
「ああ」
短い返事。
だが、その目には迷いはなかった。
「……だが、諦めない」
拳を握る。
「必ず……皆を助け出すんだ」
揺れる炎が、その決意を照らしていた。




