第三話 ハーフリングの能力
朝露に濡れた草に足を取られ、昼を過ぎれば乾いた風が肌を刺す。
道と呼べるものはなく、踏み固められた獣道を選んで進んで行く。
「……静かだね」
ナリムが周囲を見回しながら言った。
「いつもなら何処にでも動物がいるからね」
ラウネスは肩越しに答える。
「放牧地の外だ。俺たちの知らない場所だからな」
「魔獣が出るかもしれない。油断はするなよ」
その少し前を、灰色狼のルウが歩いている。
鼻を低くし、風の流れを読むように進路を変える。
フィルカナは最後尾で歩きながら、弓の弦を指で確かめていた。
「徒歩で一週間は掛かるよね……」
ナリムがぼやく。
「やっぱり、長老たちは無理を言い過ぎだよ」
「ラウネスに諦めて欲しかったんだろうね」
ラウネスは苦笑する。
「往復一週間でも、十分に無茶だ」
荷物の中にある保存食は余裕を持って十日分はある。
だが放牧地の外にいる、という不安もある。
何もかもが若い三人には、全てが未知なのだ。
手には獣皮に書いた簡素な地図がある。
文字を必要としない生活をしてきたハーフリングの地図には、ただ絵が描いてあるだけだ。
ナリムは鼻を鳴らした。
「無茶じゃない旅なんて、聞いたことないけどね」
その時だった。
ルウがぴたりと足を止めた。
耳が立ち、尾がわずかに揺れる。
ナリムはすぐに気付く。ルウの感情が流れ込んでくる。
「……獲物だね」
動物と共に生きるハーフリングだけが感じる事が出来る。
ラウネスは声を落とした。
「風上か?」
ナリムは指で示す。
「少し左。動きは早そう」
フィルカナは無言で頷き、弓を構えた。
草の向こう、わずかに揺れる影。
角のような突起が一瞬見える。
「ツノ兎だ」
ラウネスが息を吐く。
ルウが低く唸り、ナリムの合図を待つ。
ナリムは手を振らず、ただ視線を送った。
次の瞬間、ルウが風上へ回り込み草を踏み鳴らした。
驚いたツノ兎が跳ねる。
逃げる方向は、最初から決まっている。
ルウから離れようとしている。
フィルカナの矢が放たれる。
短く、鋭い音。
ツノ兎は跳ねきれず、草の中に倒れた。
「……見事だな」
ラウネスが言う。
フィルカナは矢を回収しながら、少しだけ視線を逸らした。
表情には出さないが照れているのだろう。
「練習してたから」
「短弓で、あの距離だよ?」
ナリムが口笛を吹く。
「猟師でも外す距離だ。随分腕を上げたじゃん」
「ルウが場所を教えてくれたんだもん。外すわけないわ」
「ラウネスが仲間を取り戻すって言い始めてから、ずっと1人で練習してたもんね」
フィルカナは、答えない。
ハーフリングは争いを好まない。武器になるような物は弓か解体用の石の小刀しかない。
ラウネスに着いていく為に、部族で唯一の猟師に頼み込んで練習してきた。
ラウネスはツノ兎の前に膝をつき、額に手を当てる。
「……ありがとう」
声は小さく、祈りというほど整ってはいない。
それでも、草原の風が一瞬だけ和らいだ気がした。
ナリムはそれを見て、何も言わなかった。
ルウは倒れたツノ兎のそばで座り込み、ナリムの方をちらりと見た。
ナリムはそれに気付くと、小さく頷く。
「よくやったね。ありがとう」
その様子を見て、ラウネスは少しだけ笑った。
「お前とルウは、本当の兄弟みたいだな」
ナリムは肩をすくめる。
「そう見えるか?」
「見えるさ」
ラウネスは正直に言った。
「俺には、お前みたいに動物の声は聞こえない。……俺、ハーフリングっぽくないよな」
ナリムは一瞬だけ考えてから、首を振った。
「僕だって、はっきり声が聞こえるわけじゃないよ」
「そうなのか?」
「でも、分かるんだ」
ナリムはルウに視線を向ける。
「こいつが何を考えてるか、何を嫌がってるか、何を望んでるか……なんとなく、ね」
ラウネスは小さく息を吐いた。
「羨ましい限りだよ」
その時、後ろで弓を整えていたフィルカナが口を開いた。
「大丈夫」
二人が振り返る。
「ラウネスは大きい」
フィルカナは当たり前のことを言うように続けた。
「それに、剣も練習してるんでしょ?」
「……ああ」
「それも、ハーフリングだと思う」
ラウネスは少し驚いた顔をしたが、やがて照れたように笑った。
「そう言われると、救われるな」
ナリムはくくっと笑う。
「向き不向きってやつさ。だから、三人で来てる」
ルウが小さく鳴き、焚き火の方へ歩き出した。
「新鮮な肉は、久しぶりだ」
「おい。ラウネス、よだれが出てるぞ」
ナリムが言う。
「生きてる証拠だろ」
フィルカナは黙って肉を分け、ルウにも一切れ渡した。
夜、焚き火のそばでナリムが口を開いた。
「村に着いたら、どうする?」
ラウネスは炎を見つめたまま答える。
「まず話す」
「聞いてもらえると、思ってるのかい?」
「分からない」
正直な答えだった。
「でも、話さなければ始まらないだろう」
ナリムは頷く。
「もし、聞く耳を持たなかったらどうする?」
ラウネスは腰の剣に視線を落とす。
「……その時は、その時だ」
フィルカナが初めて口を開いた。
「村人は、豊かじゃないわ。交渉するにしても材料がいるわ」
「わかってるさ。だが俺たちだって豊かなわけじゃない」
「だから、奴隷を手放したりしない」
沈黙。
「それでも行くんでしょ?」
ナリムの問いに、ラウネスは顔を上げた。
「仲間を、そのままにはできない」
それ以上、言葉はいらなかった。
翌朝、草原の向こうに人の気配が見え始める。
畑、柵、煙。
人間の村だった。
ラウネスは一度だけ深呼吸し、前を見た。
「行こう」
ハーフリングの文化
・動物と共に生き、動物と心を通わせることができる。動物を狩る時は命に感謝をし祈りを捧げるのが慣わし。
人間族の村
・ラウィル族の放牧地から南に数日の場所。




