第5話
祈ることは好きだった。
でも、祈るためだけに生きたいわけではなかった。
祈ることと、修道女になることは、私の中では別だった。
小聖堂の朝を告げる鐘が聞こえてきた。一睡もできなかったようだ。起きだして、髪を手櫛で整えると、コートを自分で着込んだ。はじめて自分で扉を開けた。廊下に出ると、従僕がいて驚いた顔をしてこちらを見ている。
私は迷いなく、裏口へと歩みを進めた。そして、裏庭の奥にある小屋へと向かった。
小屋をノックする。
「・・・・・・お嬢様、どうしたんですか。」
「ジュリアンは、どこ?」
「・・・・・・こちらです。」
部屋の奥にまだ寝ている少年がいた。幼いころの面影がはっきりと残っている。寝姿まで同じである。
「ジュリアン、起きて。」
「・・・・・・ん?・・・・・・姉様?」
「ジュリアン、愛しているわ。」
リュシアに抱きしめられたまま、ジュリアンはわけがわからないまま庭師のロランに尋ねた。
「どうしたんだ、これは。おい、ロラン、何か知っているか?」
「・・・・・・。」
「なんだよ。」
「修道院へ行きなさるって。」
「姉様が?どうして。」
「ロラン。ジュリアンを守って。」
「もちろんでさあ。」
「ジュリアン、ロランの言うことをよく聞くのよ。・・・・・・ジュリアン、愛しているわ。」
リュシアはジュリアンの額に頬に口づけを落とし、抱きしめると、名残惜しそうに離れた。
部屋に戻ると、ルースが待っていた。
「お嬢様、どちらへ?」
「お風呂に入りたいわ。用意して。」
「はい。」
昨夜、父からの話を聞いて、そのまま侍女を追い出した。そして、入浴もせずに一夜を悶々と過ごした。
最後に、弟には会った。元気そうだった。
風呂を出ると、隣室に朝食が用意されていた。食事をしていると、執事が近づいてきた。
「お嬢様、旦那様がこの中から行きたい修道院を選ぶようにとのことです。」
「置きなさい。」
選択肢は3つ。王都にある名門修道院、もう一つは辺境の寒冷地にある修道院、そして、もう一つは領地の中にある知らない修道院だった。
「この、領地にある修道院にするわ。父上にそう伝えて。」
「・・・・・・ご存じの場所でしたか?」
「聞いたこともないわ。」
部屋で『祈りの書』を開いて、読んでいると、執事がやってきた。
「お嬢様、この書類にサインするようにと、旦那様が。」
ティーテーブルに場所を移すと、執事が数枚の紙を並べ始めた。
除籍届。身分変更届。私は平民になるらしい。
婚約解消届。修道院入会志願書。学院退学届。想定していた内容だ。
持ち出し許可証。祈りの書。修道院の指定する衣類。裁縫道具。
「出立は1時間後。裏に馬車を用意いたします。」
――1時間。
父はどれだけ用意周到なのだろう。
どれだけ私という存在を追い出したかったのだろう。
公爵家の異分子。実子と判定されてから、不愉快で仕方がなかったのだろう。
持っていくものもない。大きなカバンを用意してもらい、その中に裁縫道具を入れ、祈りの書を入れた。数日分の下着や、唯一のスカートとブラウスである学院の制服を入れた。それで準備は整った。
「お嬢様、馬車が準備できました。」
「行きます。」
馬車というか荷馬車だった。
庭師のロランが後ろの幌を開けてくれた。
「お嬢様、揺れますが、藁を敷いといたんで横になれますよ。」
「ありがとう。」
足台に乗って、荷馬車に乗り込むと後ろから荷物を置かれた。中は藁だらけだった。
藁の中を歩んでいく気力もなく、入ってすぐのところで座り込んだ。幌をロランが閉める。
ロランは馬車を出した。
「姉様。」
藁の中からジュリアンが顔を出した。
「・・・・・・!!」
馬車の旅は順調だった。夜は安宿に泊まりながら、ロランとジュリアンは荷馬車で夜を過ごしていた。
そして、修道院へ着くとお別れだった。ジュリアンとは荷馬車の中で別れ、ロランとジュリアンはそのまま馬を走らせて行った。
「申し訳ございませんが、入会させていただきたくて。」
「――お名前は?」
「エリザです。」
「とりあえず中へどうぞ。」
追い返されてもおかしくないと思いながら、修道院の扉をたたいた。
着の身着のままの、どう見ても訳アリの貴族女性だ。
院長様とシスターアグナータと呼ばれる女性が二人で話を聞いてくれたが、語れることは少なかった。除籍されて平民であること。財産は何も持っていないこと。生涯、この塀の中で過ごしたいと伝えた。
「かくまって欲しい、ということかしら。」
「そうとっていただいてもかまいません。」
夕闇の中、明かりの少ない修道院の中を案内された。
「夕飯は食べてないわよね、いらっしゃい。少しなら残っていたわ。」
連れていかれたのは調理場で、パンとチーズとミルクを取って食堂へと行く。
「全員が普通に食べられるくらいの食料はあるのよ。安心して。」
パンをちぎって、チーズと一緒に食べた。向かいにシスターアグナータが座っていて微笑んでいる。
「どう、おいしい?シスターカシアナが今朝焼いたパンなのよ。」
不意に涙がこぼれた。
「どうしたの?」
言葉が出なかった。頭を横に振るしかできなかった。食事が美味しいか、答えていい世界に生きてこなかった。
ここは世界から隔絶された父から解放された自由の地なのだ。
泣きながら食べた。微笑みながら、パンをちぎっては口に入れた。
「変な子ね。美味しいのね、ならよかったわ。」
誰かと食事をするなんて、幼いころ以来だった。食べているのは一人だったけど、これからはみんなで食べるのだ。
ここは公爵領ではない。ロランとジュリアンも出奔した。
ここにきて、しばらくは生活技術がなくて時々扉の前で立って待ったりすると、笑いながらシスターたちが扉を開けてくれた。
屋敷では連絡が付かなくなった父が怒っているだろうが、私もジュリアンもいなくなって、正直ほっとしたのではないか。
侯爵令息とシャロンは婚約したのだろう。学院ではどんなうわさになっているのだろう。学院どころか、社交界の噂も酷いものだろう。もうどうでもいいのだけど。
私はここで自由を感じている。誰も、信じられない開けた世界から、信用できる人だけの閉じられた世界に来た。
祈りは嫌いではない。でも、女神さまを信じてるかは正直わからない。私はただ、祈るだけだ。
エリザになった私は、修道名にラヴィナという名をもらった。
私はここでお針子をしている。
――これが、私の人生なのかもしれない。
End




