第2話
学院の門には、規則正しく並ぶ馬車と生徒たちの話し声があふれていた。ただ、そのどれもが私には少し遠い。
ヴァルモン公爵家の紋章を付けた馬車を降りると、周囲の空気がこちらに傾いたのが分かる。
あの人が、新しい婚約者らしいわ。
そういう視線。
背筋を伸ばして、公爵令嬢としてふるまう。そうしていれば、余計な言葉をかけられることはない。顔を上げると、もう一つ視線を集めている場所に気が付いた。その中心にいる人物は、ロズナン侯爵令息だった。私の婚約者。でも、彼と視線が合うことはなかった。
視線の先で彼は義姉のシャロンと言葉を交わしているようだった。二人は会話を交わしつつ、校舎の方へとむかった。その時、シャロンが振り返って私と視線を交わした。彼女の口角が美しく弧を描いているのが遠目にも分かった。胸の奥がわずかに沈んだ。
教室へ行くと、友人のセシリアが声をかけてきた。
「リュシア様、おはようございます。」
「おはよう、セシリア様。」
セシリアが意味深に微笑む。リュシアも困ったように微笑み返した。そして、祈りの言葉を口にする。
「女神さまのみ旨のままに。」
「そう、よね。」
「リュシア様、セシリア様、おはようございます。」
二人で微笑みあっていると、マリアンヌ様が挨拶してきた。
「リュシア様、なんだか大変なことに。」
「ええ、まあ。」
3人で「困りましたわね」という、微笑みを交わしつつ、授業の準備を始めた。
婚約が取りまとめられたのは3年に進級してから3か月くらいの秋のことだった。まだ公表されていなかったが、内定していた。冬の休暇前に正式に約定が交わされたが、すぐに休みに入ったので何もなかったのだ。
冬の休暇中に正式に公表されたため、休暇明けの今日にこうなっているのだ。
授業中はさすがに視線は感じなかったが、お昼休憩になると再び見られている気がして落ち着かない。
「セシリア様、マリアンヌ様、ロズナン侯爵令息と婚約しただけでどうしてこんなに噂になるのかしら。王太子様の被害者だというのはわかりますけど。」
マリアンヌが答えた。
「・・・・・・リュシア様、もしかして、気が付いていらっしゃらないの?」
「え?」
リュシアが不安げにセシリア様を見ると、セシリアは視線を伏せた。
「・・・・・・シャロン様と侯爵令息は・・・・・・」
「え?」
朝の二人の仲睦まじさを思い出した。
リュシアがセシリアを再び見ると、今度はセシリアは目をそらさなかった。そして、頷いた。
「噂は酷いものよ。あなたの母上の身分が高いから選ばれたと。」
セシリアは苦しそうに口を開いて、すべてを語った。
言われて、胸の奥で、何かが音を立てた。
理解したくないけれど、わかってしまった。
私は侯爵令息から再び奪ったのかしら。
シャロンの想い人をも。
昼食後に、再び授業に戻った。
視線の意味が分かると、何やらおぞましいものを見るような視線を感じた。
講義の時間に、後の方から小さな囁き声が聞こえた。
はっきり聞こえないが、姉とか奪ったとかそういう言葉のように聞こえた。
怖くて振り返れなかった。誰だかわからないが、ただ、手が止まった。
心がざわざわしている。泣きそうだが、涙が出てくるわけでもない。
どうしよう。
教科書を見つめたが、何も見えなかった。
「リュシア。」
声をかけられて隣にシャロンが座っていることに気が付いた。
休み時間になっていたのに気が付かなかった。
「あなた、ひどい顔しているわよ。」
「ええ、そうかもしれないわ。」
「・・・・・・あなたは、何も悪くないわ。・・・・・・でも、・・・・・・・あきらめないから。」
シャロンはさっと立ち上がると教室を出て行った。
この話も明日には噂になるのだろうか。周りにはたくさんの人がいて、今の話を聞いていただろう。
教室の入口に侯爵令息がいるのに気が付いた。シャロンと瞳を合わせ、二人には微笑みがあった。
マリアンヌ様とセシリア様がやってきて、礼拝堂に行きたいというと、一緒についてきてくれると言ってくれた。今は一人で学校内を歩くことすらできない気がした。胸が押しつぶされそうだった。
「ここでいいわ。ありがとう。」
「じゃあ、また明日。」
「ええ。また。」
礼拝堂の入口で二人と別れ、礼拝堂へと入る。扉を閉めると、外の喧騒が遠のいていく。礼拝堂の中央には女神を模して造られた美しい花々のレリーフがある。それは人の形をとってはいない。絡み合う蔓と花、流れるような線だけが刻まれている。
私は席に腰をおろし、そっと目を閉じた。言葉にならない願いとは。
胸の中にたまった涙のようなものを、静かに手放すように深く息を吐いた。
「ヴァルモン公爵令嬢。」
「・・・・・・?」
声をかけられて、振り返るとそこにはロズナン侯爵令息がいた。
「大丈夫かい?」
「ええ、なんとか。」
「そう。ひどい噂だよね。・・・・・・ここ座っていい?」
侯爵令息は私の座っている列の一つ後ろの斜めを指さし、特に私の返事をもらう前に座った。
「僕は、いろいろあったけど、だからこそ、政略結婚というものを理解しているつもりだよ。」
「はい。」
「シャロンとは離れることは難しいけど、君を婚約者として遇することは約束する。それだけだ。じゃ。」
ロズナン侯爵令息は言うと、速やかに立ち上がり、背を向けて行ってしまった。
遠くで、扉が閉まる音が響いて、再び沈黙が下りてきた。
頭の中がもやもやしてなんとも嫌な気分になった。
ロズナン侯爵令息は私と政略結婚だから婚約者として遇すると言っていたが。
シャロンはあきらめないと言い、侯爵令息は離れられないと言っている。
私は政略結婚を命じられただけだ。家族からは幸せになることを望まれていないのもわかっている。
でも、今のこれはどういう状況なのだろうか。
愛する二人を引き裂いた・・・・・・そんな、状況なのかしら。
はっと天井から光の射し光り輝く花々のレリーフが目に入った。
考えるのをやめて、手を合わせた。
今の問題は私の範疇を超えている気がした。
ただ静かに座る。クララに教わった方法だ。何も言わなくたって、女神さまはわかってくださる。と言っていた。
だから、私はいつもただ静かに座るのだ。
シスターが近づいてくる足音で気が付いた。
「そろそろ閉めますよ。」
「あ、はい。わかりました。失礼いたしました。」
だいぶ夕暮れが濃くなってきていた。レリーフにさしていた光は天井へと延びていた。
立ち上がり、手を合わせてシスターに挨拶をすると、満面の微笑みで挨拶をかえされた。
「女神さまの祝福を。」
「女神さまの祝福を。」
馬車止めに行くと、長く待たせてしまった馬車が待っていてくれた。
「ごめんなさい。礼拝堂に寄っていたの。」
「いいえ、いいえ、ご無事で何よりでした。どうぞ、お嬢様。」
御者に手を取られて馬車に乗り込むと、中には炭が置かれていて暖められていた。
「あなたは寒くないの?」
「厚着ですから。大丈夫ですよ。」
「遅くなって、ごめんなさい。」
御者は深く頭を垂れると、扉を閉め、御者台に座ったようだった。しばらくすると静かに走り出した。馬の蹄のリズミカルな音とかなり強い風の音が鳴っている。御者台は寒いだろう。悪いことをしてしまった。15分ほどで公爵邸につくのがせめてもの救いだ。御者に何か暖かいものを出すように伝えておこう。
馬車に腰かけて、馬車の軋む音など、いろいろな音に耳を傾けているうちに、邸へと着いたようだった。
西の玄関へ降ろされると、入口ではマーサとビアンカが馬車の音に気が付いて出てきていた。従僕が駆けつけてきて、ドアを開けると手を取ってくれる。
「遅くなったわ。アルが冷えているから、暖かいものを先にあげてくれる?」
「かしこまりました。アル、お嬢様がこうおっしゃっているから、急いで戻ってきて頂戴ね。」
「マーサさん、了解っす!」
「ジョンは、調理場に伝えに行ってね。」
「はい。」
ジョンと呼ばれた従僕は、玄関を開け、私たちを入れると、すぐに背を向けて厨房へと伝令に走っていった。
「すぐにお食事になさるんでよろしいでしょうか。」
マーサは私に振り返って尋ねる。
「着替えたら、すぐに食事にするわ。」
マーサとビアンカが目を見合わせて、頷くと、ビアンカに先導されて私は部屋へと戻った。
「お嬢様、こちらでよろしいでしょうか。」
「それにするわ。」
この会話は定型文だ。ドレスはグレイスが用意しているから、どれを着ても一緒だ。ビアンカは順番に出してくれているだけだろう。私はビアンカが仕事をしやすいようにふるまうだけである。
夕食の席はいつも通り一人だ。給仕とマーサとがいて、最後のお茶の時にだけ少し会話することもあるが、沈黙の食事である。ジュリアンが父の子だったならと思う。そうだったら、食事を一緒にできたかなとか想像する。紅茶を飲み切ると、マーサたちが俄かに動き出す。呼吸を合わせて、私も給仕の引く椅子から立つ。
「今日は学院はどうでございましたか?」
マーサがのんびりとした声を出す。
「大丈夫よ。」
「それはようございました。お部屋は暖かくなっておりますよ。ご入浴されますか。それともお勉強なさいますか?」
「少し休憩したら、入浴したいわ。」
「それでは準備をさせましょうか。」
「頼むわ。」
学院の噂は、いずれこの屋敷にも届くだろう。その時心配させるのだから、今、知らせることでもないと思った。屋敷のみんなは怒るかしら。私が悪女のようには思ってないでしょうから、心配してくれるのではないかしら。
部屋につくと、部屋着へと着替えた。
マーサの入れてくれたお茶を飲みながら、ソファに深く腰掛けた。
シャロンはあきらめないってどうするのかしら。
侯爵令息も、離れられないってどういう感情なのかしら。友情?恋情?
紅茶に砂糖をいれて、かき回す。甘い紅茶を口に含む。
「もういいわ。」
言葉にしてみた。私が悩んでも仕方がないことだもの。私は父上の指示にしたがわなくてはならないのだから。それで、誰かを不幸にしてしまうとしても、私にできることはない。




