③
一年前、魔王は勇者によって倒された。
魔王を退治するために旅をしている一行がいるということを村人たちが話しているのを聞いたことがあったけれど、本当に実在しているのだと、魔物が消えたことによって証明された。
僕にとって勇者の話などどうでもよかったし、むしろ、魔王が倒されては魔物が消えてしまって、僕が魔物に殺される未来がなくなってしまうことになる。ひどく迷惑なことだ、と思った。自分では死ねない僕は、不慮の事故にあうように、魔物に殺されることを期待していた。
魔王が死んで、魔物が世界から消えた。それは、村人たちを大いに喜ばせた。森で猪を狩り、海から魚介を大量に引き揚げ、山から山菜や木の実がなくなるのではないかと危惧してしまうほどに取って来て、村人たちは数日に渡って宴をした。夜も朝も関係なく、金属が擦れる音や人の雄たけび、時折近くから色事の声も聞こえてきて、僕はひどく寝不足になったことを覚えている。
宴は魔物によって心身ともに疲弊し切っていた人々を活気づけた。否応なしに生と死について考えさせられる毎日は、ありとあらゆる家庭や人間関係を崩壊させようとしていたけれど、魔王が倒れ、宴が行われた日々を境に、その歪は修復された。
魔王が倒れる前と倒れた後で変わっていないことがあるとすれば、きっと僕の環境だけだろう。どれだけ村人たちが活気づこうか、頻繁に怒号が飛び交っていた関係がいくら修復されようが、僕は今も昔も変わらずに、ボロ小屋の中で一人、残飯を喰らい生きている。
僕は天井を眺める。
小屋を造る木材がきしきしと音を立て、天井の至る所が痛んでいるのが見える。強風でも吹けば、そのまま倒壊してしまってもなんら不思議ではなさそうだ。そうなれば、僕は崩れた天井に潰されて、平和となった地獄から解放されるだろうか。
働き盛りの青年が、低く吼えた。重たい物でも持ち上げているのだろう、吼えた後に「どっこいしょ」と聞こえる。僕は床板の代わりに敷かれた布をめくって、地面の砂を握り天井に向けて投げた。砂は重力に従って落ち、僕の顔に降り注ぐ。砂を浴びたところで、人は死ぬことはない。
僕の身体は、僕の意思通りに動く。腕も脚も、手の指の先も足の指の先も、首も、僕の身体は五体満足といえる。平均的に見れば、同年代よりも身体は細く筋力はないのだろうけれど、それでも確かに動くのだ。
僕は布をめくって、もう一度を砂を握った。砂を強く握ると、掌にピリリと痛みが走った。僕は、出入り口の方の布へと砂を投げた。宙を重力に逆らって突き進んだ砂は、布地に当たる。布地が揺れて、そして何事もなかったように静寂が部屋に戻って来た。
一つ、ため息をつく。
そして、それが合図だったわけではないけれでど、外が異様に騒がしくなった。




