人魚の姫
「さあ、この短剣を使ってあなたの愛する王子の胸を刺して!そうすればあなたはまた人魚に戻って私たちと暮らせるわ!」
私たちは自分たちの髪を犠牲にし、海の魔女から得た短剣を可愛い妹に差し出す。
久しぶりに見た妹は顔色も悪く、覇気がない。恐らく自身の死を覚悟していたからだろう。
喋ることのできない妹は口を必死に動かし何か言おうとしている。
(大丈夫。あなたは助かるわ。)
私はずいっと海面ギリギリまで身体を出し、もう1度短剣を妹の前に出す。
妹は海に浮かぶ私から震える手で短剣を取ると、一瞬思案した後部屋の中へと戻っていく。きっとこの後、王子が眠る部屋へと向かうのだ。
「これであの子は、死なずに済むわ。」
私たちは一緒になって喜び、跳ねた。妹とのまた変わることのない穏やかな生活を想像して—。
***
しかし時間がたっても妹が戻ってくることはなかった。
「おかしいわ。もう日が昇りきっているのに。」
「何かあの子にあったんじゃ。」
私たちは口々に言いあい、妹の身を案じる。
「ねえ・・・もしかしてあの子短剣を使わなかったんじゃ。」
私たちは誰かの言葉にはっとし、急いでこの海のことを何でも知る海の魔女の下へと泳ぐ。
「妹はどうなったんですか?」
私たちは海の魔女の住む暗く不気味な洞窟へ恐れも捨て飛び込んだ。
「おや、可愛らしい娘たち。また来たのかい。あんたらの妹なら丁度海の泡になって消えたところだよ。馬鹿な娘だねえ、あれだけ忠告したのに。しかもあんたらの好意も無駄にして。」
私たちは愕然とした。まさか妹が自らの命を犠牲にしてまで王子を選ぶとは思っていなかったのだ。
「う、海の魔女様。妹を生き返らせる方法はもうないのですか?」
私たちの1人が上ずった声を出し、魔女に懇願する。
しかし魔女は不快な笑い声を出す。
「海の泡になったものをどう戻すと言うんだい?」
海の魔女にも海の泡になったものを元に戻すことはできないのだ。
「そんな・・・。」
私たちは魔女が笑うのを背景にただただ茫然とするしかなかった。
***
それからどうやって戻ったのか。私は海の底にある城へと1人戻ってきていた。
自室にひきこもり、海の中では見えることのない涙を流し続け、最愛の妹との思い出ばかりを思い出す。
しかしそうして悲しみに暮れているにもかかわらず、海の上、陸地からは、この海の底まで聞こえてくるほどのにぎやかな声が聞こえてくる。
(妹が亡くなったというのに、この騒がしさは何?死者に対する侮辱だわ。)
私は憤りを感じ、この騒ぎの正体を確かめようと海の上へとひれを動かす。
海面にでると、船の上で人々がダンスをしながら笑いさざめきあっている様子が見て取れた。
(いったいこれは何の騒ぎ?)
私は訝しげに船の側に近寄り耳をそばだてる。
「いや~めでたいな。まさか王子の命を救った相手が隣国の姫で、その姫との結婚とはこりゃ運命だねぇ。」
「いやー本当に。これで両国の関係は安泰だ。」
(命を救った・・・王子・・・結婚・・・まさかあの妹が愛した王子のこと?)
私は船の下から見つからないギリギリまで顔を出して、人々の顔を仰ぎ見る。
するとそこには憎たらしいほど均整の取れた顔立ちの男が隣に白いドレスを着た女性とにこやかに聴衆に微笑んでいるのが見て取れた。
(あの男っ・・・妹が死んだっていうのに笑顔でいるなんてっ・・・・・・・)
私は怒りに任せて海面に体を打ち付け海の底へと潜る。そうしないと怒りで身体が乾いてしまいそうだったからだ。
(許せない!!!!!妹が助けた命だということも知らず、あまつさえ妹の思いを知らずに幸せそうにしているなんて!)
怒りで燃え上がった赤い身体をくねらせながら青い海の中を縦横無尽に駆けまわる。
(許さない!許さないわ!決して!)
***
それからというもの王子の住む国の海は荒れに荒れ、とても航海どころではなくなってしまう。しかもどういうわけか王子の自国とその妻の出身地隣国の2国の船のみがその海の障壁に蝕まれるのだ。
そうすると船乗りたちは口々に噂をする。
「どういうことだい。あの結婚式の日から海がおかしくなっちまったよ。」
「ああ、しかも俺たちの王子と姫さんたちの船のみがその被害を受けるって言うんだから・・・なぁ?」
みな口には出さずとも暗に王子と隣国の姫の結婚が良くなかったのではないかと言い合う。
噂と言うものは良くないものほど広がりやすい。それは船乗りたちからどんどんと口伝され、ついには王宮にまで届く。
「世迷言だ。馬鹿げている。」
王子はそれを聞いて一蹴する。しかし王はそうは思わない。
「結婚式から幾日も海が荒れているのは確かにおかしい。海はわれらにとってすべての源。その噂無下にもできん。」
王はそう言って、神事をすることを決定する。
「父上、本気ですか?」
王子は王に尋ねる。
「お前も王子として民の不安はできるだけ取り除かねばならんことはわかるだろう。」
「しかし。」
王子はそれでも納得できない。自分たちの結婚が良くないなどと言うレッテルをつけられることを嫌ったのだ。
「これは決定事項だ。」
王は渋る王子にそう言い渡すのだった。
***
そして神事の当日。
海は依然として荒れ狂っており、一向に凪ぐ気配がない。
そんな中、神官は祈りを捧げるとともに、海に供物をささげる。皆祈りは同じ。この海の荒れが収まることだ。
海に供物をささげてから半刻。
何の変化もない海の様子に皆が神事は失敗に終わったと思った時だ。
突如として雷鳴がとどろき海に一直線に光が集まる。
そして人20人でも足りないほどの波が立ち、どんどんと何かがせりあがってくる。海はごうごうと渦を巻き、ばったんばったんと水は跳ねる。
「な、なんだ・・・」
人々は突如として起きた海の異変に慄く。
するとせりあがってきたのは人魚姫の父にして海の王だった。王は娘から聞かされた事実を聞き、人魚姫の命を軽く扱った王子に対して娘同様怒りを感じ、今回の役を買って出たのだ。王は人々の居る方をじっと見、そこから動かない。
人間たちは海の王の怒りの形相に恐怖し誰も声を出せないでいた。
『我は海の王なり。我らは怒っている。その怒り、この海の様に静まることはないだろう。』
「で、では、どうすれば・・・」
神官は気絶しそうになりながらなんとか言葉を振りしぽって尋ねる。
『この国の王子を海に出せ。さすれば海の怒りも静まろう。』
海の王はそれだけ言うと、再びごうごうと音を立て、海の底へと帰っていくのだった。
***
この話はすぐに広まり、いよいよ王子と隣国の姫との結婚は不吉なものとして語られるようになる。
「くそっ。」
(一体何がいけないと言うんだ。私の命を助けたのは海と姫ではないか!)
王子は愛する妻との思い出に水を差され、海に対して恨みがましい気持ちを向ける。
「王子。神託は絶対だ。」
王はそんな荒ぶる王子の気持ちを宥めつつも海に出るよう促す。
「わかっております。きっと成功させて見せましょう。さすれば私たちの結婚も不吉などとは呼ばれなくなる。」
王子は王の言葉に悔しそうにしながら頷き、海へと出航する準備へと向かうのだった。
***
「しゅ、出発・・・!」
王子の船のかじ取りを長年してきた船員たちは、この不吉な出来事への参加に恐れ慄きながらも何とか必死に船の上に立つ。
海は最近の荒れ狂った様子からは考えられないほど凪いでおり、絶好の航海日和にも思える。しかし皆、それは嵐の前の静けさに思えてならなかった。
***
その後船は順調に進んでいき、岸辺から40マイルほど離れる。その間特に何も起こらないため、王子はだんだんとイライラしてきた。
「これではただの航海ではないか。ったく何の神託だ。くだらない。」
「し、しかし。これは海の王の神託。むげにすれば恐ろしいことがあるに違いありません。」
王子のそんな物言いに船員はびくびくしながら返す。
「はっ。私は1度海から生き返った男。海など恐れるに足りぬわ。」
そんな風に王子が海を侮り始めたときだった。
突然海底からブクブクと大きな泡が立ち始め、船の周りを包みこむ。泡は大きな破裂音を立て、大きな波を起こし船員たちに新たな恐怖を抱かせる。
「おい、何が起こっているんだ!」
王子は大きく揺れる船につかまりながら船員に問う。
「わ、わかりません!」
船員たちは涙目になりながら必死に船にしがみつく。
その間もどんどんと船の周りの波は高まり、船は右へ左へ上へ下へと遊ばれる。
「何とかしろ!」
王子は船員に叫ぶが、船員たちも自分のことに精いっぱいでそれどころではない。
「くそっこうなったら私が何とかして見せる!」
王子は無謀にも自身で舵を取ろうと、捕まっていた船べりから足を動かす。
するとどうだろう。
王子が動いたとたん、船の甲板に届かんばかりの波がたちあがり船は大きく横に倒れる。
「あっ。」
小さな悲鳴を上げ、王子の身は海へと投げ出された。
「王子っ。」
船員の必死の声を最後に王子は誰の声も届かない暗い海の底へと引きずり込まれていくのだった。
***
「うっ・・・。」
王子が目を覚ました時、そこには鮮やかな緑が広がっていた。
「ここは・・・。」
王子はあたりを見回し自分の現状を確認する。
そこはどうやら海の上の孤島の様だった。島自体は緑が生い茂り、水も果物もありそうである。食料になるような動物もいそうだ。
「船は、船はどうなったんだ。」
王子は帰る方法を考える。しかし海を見ると王子は自身の現状がひどくまずいことを思い知る。何故ならそこは海流の関係か大きな渦潮が船が入ってくるのを阻み、吹き溜まりの様に廃船が流れてついているような場所だったのだ。
「ここは船の墓場か。」
王子はその整った顔を崩し呟く。
♪~♬♩~♬♪~♩♪♫~
「なんだ?」
王子は突然の歌声にうなだれていた顔をあげる。
「こんな場所で・・・いやしかしこの声はなんて・・・」
王子は不可解に思いながらもその魅惑的な歌声に惹かれてしまう。
「ふふっ。」
「誰だ!誰かいるのか!」
必死になって私の声が聞こえてきた方に王子は走る。
(早く来なさい。復讐はここからよ。)
「は・・・」
そうして王子は廃船達が眠る岩の上に私を見つけた。王子は不躾に私の身体を見、そして私の顔に見ほれる。
「美しい人魚よ。」
王子はそう言い、私に向かって跪く。
「あら、王子。お困りの様ですね。」
私はヒレをはためかせ、太陽にウロコを輝かさせる。
「ええ、船から投げ出され1人ここへ流れ着いたようです。しかしここは船の墓場。帰る方法がないようだ。」
(そうでしょうね。私たちがわざわざ連れてきたんだもの。)
「それは大変でしょう。」
「わかってくれますか。人魚の姫。」
王子は心細さからか私にすぐに心を開いたようだった。
「人魚の姫。私はどうしても国に帰らなければいけない。」
「へえ、なぜ?」
私はわざと答えさせる。
「何故って私は国の王子として此度の事態を収拾しなければいけないからだ。」
王子はたいそうなことを言うが、ようするに悠々自適な元の生活に戻りたいだけだ。
「そうですか。」
私は魔女に切られ十分に伸びきっていない髪をいじりながら答える。
「人魚の姫よ。私をどうか国へ帰してはくれぬか。」
王子は私の反応が芳しくないことに焦りながら、必死に頼み込む。
「そうですね・・・。私の出す問いに答えることができたら考えてあげましょう。」
私はとびっきりの笑顔で王子に言う。
「ほ、本当か!」
王子はぱっと顔を輝かせ馬鹿みたいに嬉しそうな声を出す。
「ええ、もちろん。」
「じゃあ早速頼む。どんな問いにも答えて見せよう。」
「ふふ。では1つ目。王子、あなたが結婚前よく連れていた口のきけない子はどこに行ったでしょう?」
「は?」
王子は予想していなかった問いに思わず私に聞き返す。
「王子にとっては簡単すぎる問題ですね。ごめんなさい。」
私は笑顔のまま王子の顔を見る。
(あの子のことなんて何で聞くんだ?そういえば最初は可愛がっていたが、私を助けてくれた妻に会ってからは全く姿を見なくなったな。)
王子は頭でそんなことを考えつつ答える。
「王宮内のどこかにまだいるんだろう。」
私はとても残念そうな顔をして見せて王子に向かって言う。
「残念。不正解です。」
「そ、そんな。じゃあ俺は帰れないのか?」
王子は問いの答えよりも自身のことが大事なようだ。
「・・・問いの答え、知りたくないですか?」
私はほの暗い感情が表に出ないようにするのを必死に抑え込んで尋ねる。
「それは・・・」
「答えはこの世のどこにももういません!」
「え・・・」
王子はさすがにその答えに絶句する。
「あはは。王子何をそんなに驚くのですか。あなたが結婚したその日から姿がどこにもないのを1度として不思議に思わなかったというのですか?」
「そ、それは・・・」
王子はまさにその通りだとは言えなかった。
「でも安心してください。まだ問いは1つ目です。他の問いに答えられれば良いのですよ。」
私は弾けんばかりの笑顔を王子に向けてやる。
「あ、ああ・・・」
しかし王子はさすがにショックを受けているのか返事が薄い。
私はそんな王子のことなど気にもせずに元気よく次の問いを出す。
「では2つ目。あなたをあの嵐の夜に助けた本当の人物は誰でしょう?」
「妻ではないのか!?」
「逆にどうして奥様だとお思いになったのですか?」
「それは、私が目覚めたときに必死に介抱してくれていたのが妻だったから・・・」
王子は歯切れ悪く言葉を絞り出す。
「海の中まで奥様が助けにこられたと?」
私は王子にヒントを与える。王子はそのヒントをもとに必死に考えこみ、そしてひらめいた顔をして私に言う。
「そ、そうか。分かったぞ。答えは海だ。海の流れが私を陸へと案内してくれた!そういうことだろう?」
王子は今度こそ正解に違いないといった期待の目で私を見てくる。
私は1度王子にうんうんと頷いてやり、そして叩き落す。
「残念。また不正解です。」
「そんな・・・」
王子はまたがっくりとうなだれる。
「残念ですが海はあなたを助ける気など毛頭ありませんでした。」
「じゃ、じゃあいったい誰が私を助けたというんだ?」
王子はこの問いに答えなどないではないかと言い、私を責める。
「答えはありますよ。」
「しかし・・・」
王子はそれでも納得できないようだ。
「はあ、王子、私は親切で時間を設けているんですよ。そんなにお疑いになるのなら私に頼らなければいいのではありませんか?」
私は岩から飛び降り、海へと戻ろうとする。
「ま、待ってくれ!」
王子は私が立ち去ろうとするのを必死に止める。
「では、続けますか?」
私は王子の言葉に振り向き尋ねる。
「・・・ああ、続けよう。」
王子は渋々と言った感じで頷いた。
私はそれを受け嬉々として岩へと戻る。
「では3つ目。私がこんな問答をしているのは何故でしょう?」
「それは・・・私を助けようとしてくれているからではないのか?」
王子は何とも寝ぼけたことを言う。
「うーん、最初から助けるつもりならこんな回りくどいことしないのではありませんか?」
私は再び海の中にもぐり渇きを潤しながら王子に返す。
「しかし・・・」
「ではヒントです。口のきけない子はどうして口がきけなかったんでしょう?」
「海にさらわれたショックでは・・・」
「舌を切り取られていたのに?」
「・・・」
「さらにヒントです。口のきけない子はどうして歩くたびに苦痛な顔をしていたんでしょう?」
「・・・わからない。」
王子はやっとわからないと言う。それも気づき始めたからだ。今回のこの問答があの子に関係していることだということが。
「・・・もしや・・・私をあの嵐の日に助けたのは、口のきけないあの子だと言うのか?」
王子は恐る恐る私に確認する。まるでそれが真実であってほしくないかのように—。
「・・・っはは、おめでとうございます。正解です!」
私は乾いた笑いと拍手で王子を称える。しかし私がそうしているのに王子は少しも嬉しくなさそうである。
「どうしたのですか?正解したのですよ?もっと喜んでもいいのではありませんか?」
私は王子をあおり、拍手を惜しまない。王子はそんな私を恐ろしい者でも見るかのように見、私にこわごわ尋ねる。
「・・・さきほどあの子は亡くなったと言ったな・・・あの子の死因は?」
「もうおわかりでしょう?」
「・・・私のせいか・・・」
「すごいすごい!正解です!やっと頭がさえてきましたね。ではその頭で3つ目の問いの答えを考えてみてください!」
王子は膝から崩れ落ち、私に絶望した顔を見せる。
「そのお顔ならもう3つ目の問いもお判りのようですね?」
「ああ・・・君は私を助ける気などないということが・・・」
王子は涙を流して、後悔しているかのような嗚咽を出す。
私はそれを見るとそれまでの張り付いた笑顔を取り、怨念のこもった目で王子を見て言う。
「あの子はお前なんかの命を助け、私たちを捨てお前に愛されることだけを望んだ。しかしお前はその愛に気づかず、あの子を捨てた。かわいそうなあの子。最後の最後まであの子はお前を愛して死んでいった。
知っているか?あの子は自分が泡になって消えるかお前を殺して人魚に戻るかの選択を迫られ、自身が死ぬことを選んだのだぞ。その苦しみがお前にわかるか?その絶望の中でも自分よりもお前の命を選んだ愛の深さがお前にわかるか?」
王子は真っ青な顔になり、嘘っぱちの涙を引っ込めた。そして懇願するような顔をし、私に手を合わせ始める。
私はそんな王子の謝罪などいらない。
「お前なんぞ2度と国に返すものか。お前はこの誰もたどり着くことのない孤島で1人生きて死んでいくのだ。」
私はこれでもかというほど爽快な笑い声を出してやる。
「はははははははははっはあはははは。」
そして私は2度と王子の顔など見ず、海底へと戻っていくのだった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
このお話が少しでも面白い!良かった!と思ってもらえたら幸いです。
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