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アウターチルドレン  作者: 片瀬麻衣
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つかの間の洗濯

 覚醒の兆しは誰しもにある。犬畜生ですら夢をみて、大人さえもが悪夢を現実に引きずる。だが死者にしてみればその両方が皆無らしい。仮死状態ならまだしも。一度死んだ人間に兆候を感じろという無茶が通るはずない。


 ただ、俺は生きていて――。


 悪夢さえすっかり控えており――。


 死に直面した事実から再び目を覚ましている状態を説明づける根拠が見当たらなかった。体はすっかり軽く、いつになく眼精疲労はスッキリしていて生まれ変わった心地だ。しいて不満を募るなら下腹部に拵えた滞留物が邪魔であり、半機械的に嘔吐の体制をとるため、半透明の蚊帳を引き裂いて頭を垂れる。喉奥がキュッと締まり全身の毛が逆立ったのちにそれはやってきた。

 こんなに気持ちのいい嘔吐はしたことがない。奇妙な感想を抱きながら反吐をまき散らしているうちに視界が広がる。寝台に横たわっていたのは自分だけに留まらず、一度死んだ彼らも同じように吐瀉していた。この光景、まるで飼育管理された昆虫のようである。


 「あっ!あっー!あぁ――‼タバコ!私のタバコがない!」


 どこかで聞いたことのある語調に視線を向けるが、全くの新顔である。俺の知らない人間が横にいるだけで奇妙なものだ。関わらないでおこう。


 「てめーアタシが寝てる隙にパクったな。どこに隠してやがる」


 また別の新顔が語気を荒げて、そちらの方の寝台へ勇みこむ。ほとんどの人間が反吐の始末に追われている最中だというのにご苦労なことだ。俺はたくさん吐いて、胃の中がすっからかんになるまで粘液を垂らした後に、喉奥から異物の感触がするのに気が付いた。恐る恐る手を忍ばせて摘まんでみると、ぺしゃんこになった巻紙があった。嫌なことは立て続けに起こるもので、もしやと思い鼻の穴をかっぽじってみるとやはり出てくる。煙草の葉だ。体のあちこちを掻きむしればその全部が摘出されるのだろう。煙草の窃盗犯とは俺のことだ。だが今は黙っておこう。女同士の喧嘩には興味が湧き足りないし、具体的にどのような暴行を働くのか気になった。


 待ったなしにドツキ合いが始まった。寝台に横たわったままの彼女の顔面へ容赦ない拳がさく裂。大体の喧嘩は最初の一発で蹴りがついてしまうものだが、殴られ蹴飛ばされを受けているうちに彼女は体を丸め込んで防御の体制に徹する、そのように思われた。苛烈な殴打がペースを落とすその合間に、瞬間を見計らったのだろうか。後ろ蹴りが暴行者の額を打ち上げた。綺麗に中空を舞い、受け身も満足に取れず落下した彼女は吐瀉物のカーペットの上で体を痙攣させる。相当効いている様子だった。


 「おめーが盗ったんだろ。ヴァージニアの香りがプンプンするぜ~」


 思わず口を塞ぐ。ついでに吐瀉物も足でならす。その匂いの発生地点とは他ならない俺の場所にある。頭上にある送風機は幸いにも彼女らとは正反対に風向きを変えた。


 臭いを察知できるのか、彼女は訝しむ身じろぎをしたのちに前髪をかき上げた。額には14と印字してある。


 「私の銘柄はなー、リトルシガー。コンビニなんかじゃ手に入らない代物なんだよ。とっとと返せ!」


 防御から一転して、リンチの蹴りを繰り出す14番。執拗に腹部へ狙い定め打撃を与える。バスケコートのような忙しい打撲回数が連なり、たちまちに嚥下した。煙草を口中に隠し持つ人間は俺のみではなかったようだ。胃液で粘っこいモノを見るなり彼女は「やっぱりあるじゃん」装い新たに股間をまさぐる。「おっかしいなーこの辺に入れたはずなんだけど」まさかライターを膣の中に隠し持ってるのか?どうなってるんだ女の体は。辟易とする傍ら、三人目の女が現れた。彼女は音もたてずに火を点け、14番の口元に手繰り寄せた。


 「サンキューな」


 彼女は苛烈な戦いに一服で幕を下ろした。紫煙が立ち上り、送風機はまた逆方向へと向く。14、そして着火手の二人がギロッとこちらを向いた。俺は何も見てませんよ。そんな意思表示をするため、俺もそちらの方へと向くと煙草の銘柄とかそんな話は置き去りにされた。新たな人、大人が現れたのだ。


 「全員起床したようだな。結構。早速移動をしてもらう。だがその前にゲロ臭い体を洗い落としてから来い。シャワー室は突き当りを右だ」


 踵を返してたちまちに消えた。こうも単純明快な指示を出されては我々も意見を挟む余地がないように思われたので、めいめい、吐瀉まみれの寝室を後にする。KOされたあいつは全くの無視。虫の息ながら聞いてはいただろうと言わんばかりに置き去りにしていく。流石にかわいそうだ。俺は肩を貸し、引きずって彼らの跡を追った。


 ――


 「いてぇ。いてぇよぉ」


 蛇口を豪快にひねり患部に直当てしているのだ。そりゃ痛いだろう。だが変な病原菌にでも傷口を蝕まれたらそれこそお仕舞だ。俺は平静を貫き通し彼女の額を洗ってやる。番号は12。言わずと知れた初対面だ。では初対面の相手になぜ至れり尽くせりなのか。それは単純明快。女だからだ。女と風呂に入るなんていつぶりだ?親から盗み取った金で吉原に行ったっきりだ。相当性欲は溜まっている。下心満載で世話してやりゃ、いつの日か俺の下の世話でもしてくれるかもしれん。しめしめ。


 「女の喧嘩にしてはいい線行ってたな。隙さえ見せなけりゃお前が勝ってた」


 「ほんとか?でもタバコはぶんどられちまった。アタシのでもないのに損した気分だ」


 タバコならいくらでもある。俺のを分けてやるよ。そう告げると彼女は有頂天に口をほころばす。煙草じゃなくてもなんでも欲しがりそうだなこいつ。


 「ところで、ここまで来た経緯をお前、知ってるかな」


 「暗い部屋に押し込まれてそれっきりだろ」


 「その前の話だ。どこにいたとか、何をしてたとかで、心当たりないか」


 「学校にいたな」


 やっぱり。俺の知りうる限り、あの二番も学校めいた話を口にした。こいつとの親和性も不良生徒に通ずるのだろう。俺は矢継ぎ早に尋ねた。


 「保健室にいた。そうだろ?お前、どこ中だよ」


 「あ?アタシは高校生だ。元、だけどよ。中退してそれからバイトで食ってた。へへ、親がいねえから」


 謎の恥じらいを浮かべる笑みでもって、彼女はまた「そうだ。保健室。中退したはずの学校から連絡があって、スクールカウンセリングだとか。なんのこっちゃ知らないからだんまりで押し通してた」


 断片的な記憶を手掛かりに俺は、何かを書かせられたかを尋ねたが、曰く、文字を書いたのは5年も前の話だと突っぱねられる。意外ではない回答だ。だが俺が最期に見た、あるいは感じたものとは食い違っている。致命的な書面にサインしたが為に人生が一転する。どこぞの漫画で読んだ展開が脳裏にちらつくが、そこが肝心とも思えない。共通して言えることは刷新され、極めて学がないことに通ずるのでは?これもまた推測の域を出なかった。


 「なぁいつまで顔面に当ててんだよ。体流してくれ」


 「馬鹿!それぐらい自分でやれ」


 ――。


 シャワールームも段々と人が減っていく。更衣室にたむろをし始めたのだ。俺は約束通りゲロまみれの衣服から袖口を切って煙草を渡してやる。風呂上がりの一服とはそんなに気持ちがいいものなのか。12の彼女は上気した勢いで立ち眩みを起こした。


 「おいおい、あんまりやりすぎるなよ。ここまで連れてきた意味がないじゃないか」


 「健康に気を遣うことはねえよ。アタシの家系は全員肺炎で死んでるんだ。別に体が弱いってんじゃねえ。いづれそうなるだけ――」


 「どうなってんだこの更衣室は!ドライヤーは置いてあんのに、鏡がなきゃ意味ねーだろ」


 ぼやきにしてはあまりにボリュームの高い声量で、自然と視線は移る。で、マジな話鏡がない。横幅8m、奥行き70㎝未満の洗面台。一見すれば健全な寮施設にもまみえそうなところ、据え付けられた窓枠は取り外され、代わりにアルミ箔の断熱シートが張ってある。


 「てめぇの面がこれ以上ガチャガチャにならんようにした配慮だ。髪くらいは解かせるだろ」


 「けどさぁ、髪質が痛んでる。間違いない。黄色みがかってそうなんだよなぁ」


 「なんでブリーチしたの?アホじゃない」


 「職場じゃみんながしてたっぽいから。臭いでわかるんだよ。洗ってない犬の臭い。ここには紫シャンもないしトリートメントだって」


 ただの世間話だった。興味を失して着衣に腕を回すと、12番は確かに動揺している風だった。


 俺は言った。


 「お前も髪、染めてるのか」


 「ん。少しだけ」


 「お手入れは実に大変らしいな。髪質?だの毛先だのと。俺には色がわからん。それが赤だといわれてもはっきりと赤とは思えない。近づいてやっとあぁ。赤なんだなって思える始末だが」


 「美容室ではそれが困るんだ。色味の変化だったり、明らかに期待外れな色にされてっと疑いたくなる。アタシだってきっとカモられてる」


 「何を根拠にそんな……第一、家族に見てもらえば」言葉が詰まった。「バイト先の奴らに指摘されるだろ」


 「みんな建前ばっかでほんとのことは教えてくれねぇ。世知辛い社会さ。誰かの反応をうかがって逐一行動に移すような神経質にはなりたくない。でもそうなっちまう。そういう風に人間出来上がってんのさ」


 なんとセンチなことを。つい先ほど暴力沙汰をやった奴とは思えない尻込みっぷり。思わず鼻で笑いたくなったが、心の中で突っかかる。俺だって人の顔がろくに分からない。名前と顔の不一致は専門用語で相貌失認というらしいが、確からしいことは口にできない。個人的な問題だからだ。個人的な問題を他者に明かすとどんな目に逢うか。それを恐れてる。ただ俺の場合はまだマシらしく、成熟期に移行する過程で些細な注意力散漫が生じるとからしく……。


 頭上から鳴り響くサイレンはひとたび背筋を凍らせた。またアレがやってくる。本能的に熟知した恐怖をリフレインさせてくる。奥歯を噛みしめ、ほんの数秒血走った思考に「何のために複数回も殺される理由があると」回答が下った。今度は予想を裏切らない。ただのアナウンスだ。恐怖はつかの間に消え去り、1つ悩みの種が増えてしまったことを苦労する。洗濯籠は先に入ってきた個数よりも増えていて、その中に新品同然のシャツが収まっていることを認めた。ゲロまみれの服とはここでお別れ。汚物産業廃棄物のリネン袋をキュッと締め、準備は整った。


 ――更衣室を出て執行官の指示に従え。視聴覚室にてプログラムを実施する。


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