殺処分
四列横隊から二列へ収縮。女男入り乱れるこの集団は互いに近しい印象を思わせた。似た者同士。あるいはそれ以下のĪQ70にも満たなそうな知恵遅れが印象的だ。俺はすっかり薬が抜けてしまっているから――いくらかマシな方。だがオーヴァードーズの余波は厳しいもので直立の姿勢がきつく感じていた。歩行にもヒステリックが現れている。次に殴られるとしたら間違いなく俺。歯を食いしばる予備動作はしていたものの、その努力は虚しく、横目にも捉えない先導の教官は前に進むのみだった。
末端神経が震えだし、若干の喘息が出始めてきた頃、列の垣根を越えて、ケツから煙草をひりだした彼女が俺の隣にならんだ。
「タバコ、吸うでしょ」
「わりぃな。一本貰おう」
先っぽさえ据えればそれで御の字だった。着火の音を聞きつけ殴られる始末迄予想していたにも関わらず、そいつの手際は見事なもので、掌中から何の着火物をみせず火を焚いた。サイレンス。モスレス。紫煙が立ち昇らないのは水便の有機物が結合してくれたからなのか。以降はフィルターにかじりっ付きでニコチンを貪る。とてもケツ穴から飛び出てきた代物とは思えなかった。
「ここに連れられてきた理由を知ってるか」
「さぁてね。まるで覚えてない」
俺が薬中なら彼女もニコチン依存症なわけで、言質についてはこれっぽちも期待してない。ヤニをかっ喰らうついでなのだ。無駄話の一つしてみる気になっていた。
「俺は恐らく学校にいた。そこである人物と待ち合わせの約束を取り付けていたんだが」
「学校?冗談じゃない。中学上がってからは一度だって行ったことないよわたし」
「不登校なのか。その」額に印字された番号を盗み見た。「2番は」
二番は召し上げた煙草の本数を銭勘定して、何の気なしに返す。「当たり前じゃん。で、この間からずっと保健室登校をやっかまれててさ、全部無視してたはずがその日だけは学校にいた。なんでなんだろ」
保健室登校には心覚えがある。俺は断りもせず、暇を持て余していたから世間話のついでに向かっていた。俺もいた。であればここにいる連中はすべからく学校に行ってしまった、のが共通認識なのか。ヤニクラで歩行はさらに疎かになる。病弱質のガキを連れまわし過ぎだ。つい愚痴を漏らしそうになったが、行進はここで止まる。前方の教官が目が眩むほどの光源へ歩み寄って、何やら談判をしている。内容は聞き取れなかった。大仰に済まされぬ会話。形式をさらに省く他愛ないやりとりの前途はまさにマニュアル通りのそれだ。娑婆ではないことを悟り、ひとたび牢屋にぶち込まれる決心を決めあぐねていたついで。年季が込み入った鎧戸が開かれる音を聞いた。瞬間、ライトが消える。進行方向の先に常夜灯の赤ランプがドミノ倒し的に明滅をし始め、その空間が地獄の相好を担っていたことは言うまでもない。悲鳴が聞こえた。後ろを詰めさせる圧力が無残にものしかかる。煙草の切っ先で辛うじて視認できる鼻先がものの見事に闇となった。
一同は常夜灯に群がる羽虫となって、両腕を伸ばしそのいたいけな肌――実際にはリストカットの跡や注射痕が目立ったが――ひっきりなしに掴もうとした。虚空を掴むまでもなく、徒党を組んで団子になった彼らは、我先に常夜灯へ頬をすり寄せ、あるいは殴られ蹴っ飛ばされ、その連続を行う。
何故、赤のランプがこうも魅力的に思えてしまうのだろう。俺自身がそこに注視し続けるざまだった。
ビーッ。サイレンが高らかに起動の息をひそめ始めた。おそらく天井であろう、上の方から差し迫ってくるものがある。狂奮する一同の夕闇からほんの少しだけシルエットを現したそれは、突起物に円柱を拵え、溝口の多い排水溝に見えた。噴霧ノズルの用途であることは辛うじて分かる。が、まさか毒物を散布されるはずもないだろう。高を括っていた。
「目が、目が見えない」
出し抜けに誰かが叫びだす。この世のものとは思えない叫び声をあげ、頭上よりもはるか下へ転落する。頭から落ちたのか。それとも頭が落ちたのか。わからない。わからないからこそ恐怖が伝播した。
「誰か俺の脚をもってくれ!感覚がない。歩けない!」
「腕が滅茶苦茶熱いのってアタシだけ!?溶けてる、絶対溶けてる!」
呼吸の抑制はすでに生じていた。息苦しく視界もおぼろげになり始めてきていた。所謂酸欠状態のソレが幻覚を引き起こし、赤の発光が自前の目から発するほどだと誤認するくらいに常軌を逸していた。毒物なんて柔な代物じゃない。あの円筒は間違いなく劇的な何か。核細胞をとろけさせ、四肢に至るまでの形状を変容させている。それも元通りにならない致命的な何かであった。
教官なんて与太な表現をした自分を呪いたい。ここは列記として、ガス室なのだし、その用途は殺処分だ。
たちまちに自重が落下したのを認め、自身の脚がタール化、液状化の兆しにあることがわかった。
「タバコ、最後に一服したい……」
二番の所在などもはやどこにあるのか分かったものじゃない。手近にあって僅かに嗅ぎ取れるそれは糞便の肥溜めに過ぎなかったのだし、そこへ顔を突っ込む自分とはやはり死ぬ間際においても薬物中毒であることを悟らせる。頸椎は削ぎ落され、首を支える何物も存在しえなかった。文字通り、ドブの中に埋まって死ぬ惨死体としてここに置かれる。本能的に分かったとは言えその惨めさを肯んじる精神は皆無らしかった。小腸のゴムと在りあふれぬ水溶液を前にしてこの命は終わった。