早朝
早朝。
薄暗い部屋の中で目を覚ます。
まだ鳥のさえずりも聞こえない。
緊張か興奮で、早く起きすぎたなぁ。
もう少し眠っていても良いけど……。
2度寝して、寝坊するのは最悪だ。
しょうがない。
体を起こして、着替えを済ませる。
いつもと違うと理解しているのか、レイも起き上がって近くに寄ってきた。
軽く撫でて、ベッドを整える。
ジャックさんの家には、あれから3度お邪魔した。
馬車にカトラさんが幼馴染みの方から貰ったクッションを乗せてみたり、試運転をしてみたり。
驚いたことに、僕たちが貰った馬車は揺れがほとんどないタイプの物だった。
ピクニックに参加させてもらったとき、あの豪華な箱馬車がそうだったようにだ。
幌を張ったタイプだから、普通のかと思ったんだけど。
『スピード重視でないのだから、揺れが少ない方が良いだろう?』とジャックさんが仰っていた。
もちろん有り難い。
有り難いのだけれど……。
カトラさんが1度遠慮したくらいだから、かなりの代物なんだろう。
これもまた、さすがに価値を聞く気にはなれなかったが。
大切にさせてもらおう。
感謝して受け取るのが僕の精一杯だ。
……さて。
長らくお世話になった部屋の中を見回す。
ありがとうございました。
そう心の中で呟いた。
長期的な計画なんてないに等しいフストでの毎日だったけど、ここは確かに自分の居場所になっていた。
楽しかったな。
思い返すと、寂しくなってしまう。
だから……。
またフストに戻ってきた時、どうか泊まれますように。
願い、レイを抱き上げて、さっさと部屋を出る。
他の宿泊客の迷惑にならないように、っと。
足音に気をつけて食堂へ下りると、グランさんが朝食の準備をしていた。
調理をする音が、小さく聞こえる。
「おう」
「あ、おはようございます」
「……食うか? いつもの」
1度早くにトイレへ行ったとき、グランさんが仕事をしていたのでもういるとは思っていた。
だから仕事姿を見たり、軽く話せたらなぁとは思っていたけど……僕に気付くと、グランさんは顔を逸らしたままそう訊いてきてくれた。
「え、じゃあ。い、いいですか?」
「ああ。今日は特別だからな」
まだ朝食の提供時間には早すぎる。
だけど、すぐに『いつも』の準備を始めてくれる。
厨房が覗けるカウンター席に座り、膝にレイを乗せる。
ボウッと火の音。
コポコポとカップにコーヒーを注ぐ音。
「はいよ」
出されたのは、お気に入りのホットドックとブラックコーヒーだ。
「ありがとうございます」
ホットドックは、最初に食べたときから進化した。
途中でグランさんからアドバイスを求められ、その結果マスタードのような酸味と辛みのあるソースが追加されたのだった。
今では他の宿泊客たちにも人気の、朝の定番メニューになっている。
感慨深くなりながらも、いつも通りに完食。
コーヒーを飲んでいると、黙々と調理をしていたグランさんが口を開いた。
「美味かったか?」
「はい、美味しかったです。やっぱりしばらく、グランさんの料理が食べられなくなるのは寂しいですね」
「そうか……ま、とりあえずだ。何があっても俺が教えた剣と、お前さんの魔法で全員元気に帰って来いよ?」
「はい」
「んじゃあこれが、俺からの餞別だ」
「え?」
カウンターの向こうから、大きな皿がドンッと出される。
そこに山のように積まれていたのは……。
「な、なんですかこれっ?」
「アイテムボックス、持ってるんだろう? カトラは誤魔化していたが、お前たちの会話が漏れ聞こえてな。俺の予想じゃ、時間停止の効果を持った珍しいタイプなんじゃないか? だったらこの数でも腐らせはしないだろ」
「あー……な、るほど」
まあ、たしかに。
混んでいない時間帯、僕たちは旅への作戦会議と称して、必要な物などをこの食堂で話し合っていた。
一応声を潜めていたけれど、元Sランク冒険者のグランさんは聴覚も普通の人より優れているのだろう。
全部、聞かれてしまっていたみたいだ。
だったら、アイテムボックスのことがバレてしまっていても不思議ではない。
今後、気をつけないとなぁ……などと思いながら、僕は山積みにされたホットドックたちを眺める。
「はい。実は……持ってます、アイテムボックス」
信頼している人なので大人しく白状して、ホットドックを収納する。
「ありがとうございます。大事に食べさせて頂きますね」
「おう、大事にな。これで俺の料理とも、しばらくは別れずに済んだだろ?」
カッカッと笑うグランさん。
その後しばらく2人で話していると、冒険者コーデのカトラさんがやって来た。
親子での話はすでに済んでいるらしい。
僕たちの出発は朝の忙しい時間帯の後だ。
南門付近へアーズが見送りに来る代わりに、グランさんとはここでお別れ。
宿泊客たちが来る前に、3人で挨拶を済ませる。
「グランさん、本当にお世話になりました」
「楽しんでこい。ここからはお前たち、冒険者の旅だからな」
「お父さん、体だけには気をつけるのよ? アーズちゃんがいるから大丈夫だとは思うけれど、私たちがいない間に倒れたりしないようにね」
「ったく、俺をなんだと思ってんだ。まあ……あれだ。カトラ、お前も元気にな」
号泣して抱き合う、なんてことはない。
日が昇り青白くなった空の下、僕たちは手を振って別れた。
フストの街を少し遠回りして、ジャックさんの家へ向かう。