暖をとる
「……くしゅっ」
本降りになってきた雨の音に混じって、可愛らしいくしゃみが鳴った。
僕たち一行は、なだらかな坂沿いにある大きな木の下に馬車を止め、荷台の中で絶賛雨宿り中だ。
木の葉や地面、馬車に張っている幌に雨が打ち付けている。
迷宮都市は山々を越えた高い標高に位置している。
山間を抜けているうちに高くなってきた標高に加え、雨のせいで気温はかなり冷え込んできていた。
「大丈夫、リリーちゃん? トウヤ君に羽織る物、もう一枚出してもらいましょうか」
濡れたユードリッドの体を拭いて、暖をとらせるために毛布をかけていたカトラさんが外から声をかけてきた。
その言葉につられて僕も横を見ると、先ほどくしゃみをした張本人であるリリーは、重ね着をした状態で膝を抱え込み丸くなりながら首を振った。
まあ、本人が問題ないって言ってるから大丈夫なんだろうけど。
今だってジュビって鼻を啜ってるし。
ちょっと心配だな。
カトラさんにはリリーが鼻を啜る音は届かなかったらしい。
それ以上何かを尋ねることはなく、ユードリッドの対応を終えると、自身が着ている外套の襟元を上げながら荷台の中に入ってきた。
吐く息はくっきりと白い。
「トウヤ君は寒くない?」
「あ、はい。僕はおかげさまで大丈夫です。レイもいますし、カトラさんのスープを飲んでたら段々温まってきましたから」
僕とリリーの分と一緒に、先ほど準備しておいたスープを入れたカップをカトラさんにも渡す。
レイは寒さに強いようで、無力化を解いてあげると僕が出した毛布に入ってくることもなく、いつもの調子で隣でぼうっとしている。
もふもふで温かいので、これは良いとくっつかさせてもらうことにしたのだ。
「ありがと。なら良かったわ。もう、トウヤ君にはレイちゃんがいて羨ましい……んだからっ、ほら」
カトラさんはそう言うと、僕がいないレイの逆サイドに腰を下ろした。
「失礼するわね、レイちゃん。ふふっ、本当に温かいわね」
ご機嫌な様子でレイにもたれかかり、湯気の立つカップに口をつけている。
これにはレイも、ほんの一瞬だけとはいえ困った顔をしていてつい笑ってしまう。
今のところ風はあまりない。
だからまだマシだけど、ネメシリアの温暖な気候が懐かしくなるくらいには体の芯まで冷える寒さだ。
ちなみに、僕たちが今飲んでいるこのスープ。
これはネメシリアの街にあるカフェで出会い、カトラさんが再現を試みることになったものだ。
この移動中にカトラさんが作った試作品第何号かで、僕のアイテムボックスに収納していたのだった。
「リリーも飲んだ方が温まるよ」
スープのおかげもあり、冷えた体が温まってきている。
しかし、一番寒そうにしていたリリーはカップを手に持ってるだけで、あまり飲んでいる様子がない。
なので、念のため言ってみる。
「…………」
あ、あれ。
けれど、なぜか彼女の反応は芳しくない。
ジッと手元のカップに目を落としているだけで、なかなか口元に運ぼうとはしていない。
どうしたんだろう。
もしかして、お腹が痛いとか?
やっぱりアイテムボックスから羽織れる物をもう一枚出そう。
そう思ったが、リリーの横顔を見ていたらすぐに気がついた。
あっ、これ……。
多分、単純にスープが飲みたくないんだ。
このスープを作ったカトラさんを見る。
すると彼女はとっくのとうにリリーの気持ちに気付いていたようで、苦笑しながら目線だけを返してきた。
僕たちがネメシリアの街を出てから、一ヶ月と少し。
途中にある村や小規模な街での滞在は寝泊まりにだけに留め、様々な自然の景観を楽しみながら移動してきた。
その間カトラさんが何度か作ったことで、消費するためにもこれとほぼ同じ味のスープをたくさん飲んできたのだ。
平均すると、大体三日に一回のペースで飲んでるんじゃないかな?
だから、だろう。
リリーはさすがに飽きが来て、もう今は飲みたくないってのが正直なところなんだと思う。
何しろ、リリーは正真正銘まだ十歳だ。
僕やカトラさん以上に、飽きが来やすくて当然なのかもしれない。
わざわざ口に出して触れてしまい、カトラさんにも悪いことしちゃったな。
「足止めくらっちゃったけれど、雨の前にここまで来れていて良かったわよね」
僕が勝手に気まずくなっていると、気を利かせてくれたのかカトラさんが話題を提供してくれる。
「朝のうちに村を出てなかったら、道がぬかるんでいて大変だったわ。迷宮都市まであと一日だからって気を抜かず、しっかり早起きした甲斐があったわね。あとはあまり激しくならず、雨が止んでくれたら良いのだけど……」
「そ、そうですね。ユードリッドが頑張ってくれていたので、もうゴールも近い……んでしたっけ?」
「ええ、あの山を越えた先よ」
カトラさんが荷台の前方向に広がっている景色を指す。
指先に目を向けると、僕たちが今いる坂を進んでいった先にある山が見えた。
ここからだと特別高いわけでもないし、ちょっとした丘くらいに見える。
今朝出た村から少しの間は道もあまり舗装されておらず土が露出していた。
けれど迷宮都市が近づいてきて、すでにこの辺りの道は石が敷かれている。
街の近くでいきなり険しい道に戻ったりはしないだろうから、雨の影響もなくあまり苦労せずに越えられそうだ。
「くっしゅん!」
僕が近づいてきた目的地にわくわくしていると、またしてもリリーのくしゃみが荷台内に響いた。
「体を壊したらいけないし、温かい紅茶でも――」
スープが嫌なら紅茶を用意してあげよう。
さっきよりも大きくなったくしゃみにそう思い、カトラさんと一緒にリリーの方を向きながら伝えようとする。
だけど、リリーはこっちを見ていなかった。
視線は荷台の後方、僕たちが通ってきた道に向いている。
「……?」
不思議に思い、カトラさんと顔を見合わせる。
その時、リリーがぽつりと呟いた声が耳に届いた。
「……誰か、きた」
えっ、この雨の中を?
僕たちも気になって目を凝らしてみると、緩やかな坂の下の方から雨の中を駆けてくる人影があった。




