最大の船
次の日の朝。
欠伸をしながら食堂で朝食をとっていると、銀の海亭の女将であるブレンダさんに声をかけられた。
「昨日の夜に漁師のアルヴァンさんが来てね。漁は明後日にするから、夜明けの少し前には港に来てくれだってさ」
「あら、昨日のうちにもういらっしゃっていたんですね」
モグモグと咀嚼していたパンを飲み込み、カトラさんが口元を手で隠しながら驚いたように言う。
「ありがとうございます」
「はいよ! 忘れないようにね」
伝言の感謝を伝えると、相変わらずブレンダさんは忙しそうに大股の歩き方で去って行く。
その姿を見送ってから、僕はカトラさんとリリーに言った。
「……ということは、もう明日ってことですよね」
「そうね。明日は朝が早くなりそうだから、2人とも夜更かししちゃダメよ?」
カトラさんが僕とリリーを見て、立てた人差し指を振る。
たしかに、ネメシリアに来てから寝るのが遅い日が続いてるもんな。
夜が長い旅の移動中の反動でというか。
まあ、あくまでこの世界基準でだけど。
「わかり――」
「じゃあカトラちゃんも、今日はお酒禁止」
僕が大人しく言うことを聞いておこうとしていると、隣に座っていたリリーがぽつりと言う。
「えっ……?」
カトラさんは呆気にとられたように目を丸くしているが……。
「朝が早いから、今日は呑んじゃダメ」
「うっ」
よほどお酒が美味しいのか、カトラさんはネメシリアに到着してから毎晩色々なお酒を楽しんでいる。
僕としてはレンティア様に贈る候補を知れてるから有り難い側面もあるんだけど、たしかに今日に限ってはリリーの言う通りかも知れない。
「え、ええ。もちろん、最初からそのつもりだったわよ? 当前ね。当たり前じゃない」
頷きながらも顔を逸らすカトラさん。
「いやぁー、でも楽しみね。観光一環として、漁に参加できるだなんて」
一瞬だけ絶望的な表情を浮かべてた気がするのは、きっと僕の見間違いだったのだろう。
うん、多分そうに違いない。
「そ、そういえば、トウヤ君はなんでクラクが気になってたの?」
僕とリリーが送る「まったく大人ってやつは」といった目にもめげず、カトラさんが話題を振ってくれたので、パスタ屋のメニューで見て気になった、とクラクが気になった理由を誤魔化すことにする。
結局、朝食の時間はこんな感じで過ぎていき……この日は街の探索もそこそこに、しっかりと早い時間にベッドに入ったのだった。
そして、やってきた漁当日。
太陽が昇るずっと前に僕たちは起床した。
食堂が開くよりも前の出発になるからと、昨晩のうちにブレンダさんが気を利かせて作ってくれたサンドイッチを食べ、宿を出る。
まだ日が出ていないからだろう。
温暖な気候のネメシリアも、早朝は過ごしやすい気温だ。
「……眠い」
ムニャムニャと、リリーが開いてるのかどうか微妙な目で呟く。
レイがいても問題ないようだったので連れてきたけど、無力化状態のレイもリリー同様に半ば眠っている。
というか、レイについては本当に眠ってるかも。
器用に僕の頭の上で丸くなっているけど。
坂道を下り、街に出てきたけど日中に比べて随分と静かだ。
まだ人々が活動を始めている気配がしない。
でも、漁港が近づいてくると遠目からでも慌ただしさが伝わってきた。
腕を組んで門にもたれているアルヴァンさんが目に入ったので、近づいていって挨拶をする。
「おはようございます、アルヴァンさん」
「よう、昨日はちゃんと眠れたか?」
「はい。バッチリです!」
答えると、アルヴァンさんはにやりと笑う。
「それは何よりだ。寝不足だと船に酔いやすくなっちまうからな。じゃ、付いてきてくれ」
挨拶で挙げていた手を握り、親指で門の奥を指した彼に続く。
右から左、左から右。
あちこちで行き交う漁師たちの中を、慣れた様子でアルヴァンさんは進んでいく。
僕たちも邪魔にならないようにしないと。
カトラさんとリリーと一緒に、なるべく早歩きでピッタリとアルヴァンさんについていくことにしよう。
しかし、この人の多さに違和感を抱いたのだろう。
「今日はお休みだったんじゃ……?」
後ろからカトラさんがそう訊く声がする。
アルヴァンさんは前を向いて歩いたまま返事をした。
「ああ、俺たちのグループは休みだ。うちの漁師はいくつかのグループに分けられていてな。今日は全体の半分以下のグループしか海には出ねえんだ」
「こ、これで半分以下ですか……」
カトラさんの驚きが伝わってくる。
「……凄い人数」
リリーも同じくビックリしているようだ。
ま、これに関しては僕も同感だった。
確かに周囲の人の数を見て、これでも全漁師の半分にも満たないとはなかなか信じられないくらいなのだ。
街の主な産業であり中心となる職業だから当然なのかもしれないが、全部で多分フストにいた冒険者の数倍はいるんじゃないかな?
ほえー、と僕たち3人が感嘆していると、アルヴァンさんが曲がり桟橋を歩き始める。
しばらく行くと、ようやく足が止まった。
「これが今日のクラク漁で使う船だ」
そう言われ、パッと示された船を見上げる。
と、そこで僕は漁師の人数の話を上回るほどの衝撃を受けた。
「……こ、これですか?」
思わず、そう漏らしてしまうくらいに。
何しろ、周りにある他の船と比べても、明らかに3回り以上大きい船がそこにあったからだ。
木造の、美しいフォルムの巨大な帆船。
この港の中でも最大の船だ。
あー……。
今になって気付いたけど、僕が知ってるクラクの情報ってタコみたいな食べ物ってことだけだったな。
も、もしかして。
僕たちが今から参加するのって、かなりの規模の漁なのだろうか。




