ヒーロー再び
「さぁ、撮影を始めましょう」
キーロヴィチに促されて、最後の撮影に入った。キーロヴィチが撮り直したい場所と、追加の撮影だった。
このMVは「One smile for all」と言うタイトルでキーロヴィチが編集後にロシア語と英語と日本語で発信する事になっており、メンバーの名前や国籍などは載せない事にしている。再生回数が多ければ、何かのチャンスになるかもしれないし、たとえ、再生回数が少なくても、映像作家が作成してくれた最高の記念になる。
メンバーは今出来る最高のパフォーマンスを出し切るために、まずはいつもの腹式呼吸を一緒にした。呼吸が合い、気持ちが一つになるのを確認する。キーロヴィチはそう言う場面も声をかけず、自らカメラを回した。メンバーはキーロヴィチの細かい動作指導をきっちり再現した。最初は高名な映像作家に撮ってもらうと言うせいで、カメラの前で緊張してばかりいたメンバーと匠も、だいぶカメラ馴れした。サファノバの雰囲気にも馴染んできた。メンバーも匠も、映像がどんな風に繋がって、出来上がって来るのか全くわからなかった。後は、家に帰って、キーロヴィチがアップするのを見る事しか出来ない。メンバーにとっても、匠にとっても特別な5日間。短い様で、長い様な特別な5日間だった。
メンバーがサファノバで過ごす最後の夕食に、透は現れなかった。メンバーは心配したが、レイラから、医者がついているから大丈夫だと聞かされ、ひとまず安心した。ホワイトブロンドの匠と、プラチナブロンドのレイラが近くに座っているのを見て、楓が紬と波瑠に小声で話しかけた。
「そう言えば、匠とレイラさん、なんか似てない?」
「言われてみれば、似てるかも……。でも、匠は理事長の甥だよ?」
「そうだよね。気のせいかな」
「美形は似て見えるんじゃない?」
「そんな法則あったっけ?」
「名付けて、美形の法則、互いに近いところに居る美形は似て見える」
「何、それ……」
結衣はキーロヴィチに話しかけるのに忙しくて、気がつかない。匠は、そんな結衣がアントンを挟んでのキーロヴィチとの会話を、聞くともなしにぼんやり聴いていて、やはり気がつかない。レイラには楓の話が聞こえていたが、知らん顔を決め込んだ。まだ親子だと公表していないし、匠は、まだすぐにサファノバに来ると言っていない。キーロヴィチが結衣を遮って、ロシア語でレイラに話しかけてきた。
「女王陛下、階段から飛び降りて透殿に受け止められたシーンも使って良いでしょうか。それから明日、透殿が回復したら撮影しても?」
「カメラを回していたのか? 流石というか、呆れたと言うか……。透がいいと言えば良いけれど、嫌だと言いそうな気がする。本人に聞いてみて」
「透殿が承知すれば、いいのですね?」
レイラは頷いた。
「ただし、出来上がったらアップする前に見せて欲しい。許可したくない映像があるかもしれないから」
「それは当然です」
夕食の後、匠の部屋の扉を叩く音がした。出てみると、心配そうな表情の紬が立っていた。
「紬、どうしたの?」
「結衣、来てない?」
「来てないよ」
「やばいな……。言い忘れた事があって、結衣の部屋へ行ったらいなくて、他の二人の部屋にもいなくて、匠のところに来てみたんだけど……。こんな事、匠に言う事じゃ無いかもしれないけれど、結衣、多分、キーロヴィチさんの部屋へ行ってしまったんだと思う。どうするべきかな……」
匠はスマホでアントンを呼んだ。アントンが飛んできた。
「匠君、どうした?」
「結衣が、キーロヴィチの部屋へ行ってしまったらしい……」
アントンはニヤッと笑った。
「なかなか大胆な子だね」
「アントンじゃ話にならないな。レイラに言おうかな」
「あ、待ってくれ。何かまずいのか? もう高校生だろ?」
匠は憤慨した。
「まだ、高校生だよ? まずいに決まってる!」
「わかったから、そんなに興奮しないで……」
「興奮してないっ!」
心配していた紬の方が、匠の様子に苦笑いしている。
「アントンさんの言うとおり、結衣の方から行ったのなら仕方ないかもしれないね……。もう高校生だし……匠は、まだ中学生だから……。別に部屋に行っただけで、話があるだけかもしれないし」
「メンバーは俺が中学生だからって、そればっかし。それって酷い!」
「いや、まぁとりあえず……」
アントンは、レイラが高校1年の時点で、透を攫った事を思い出したが、そんな事は口が裂けても言えない。
「大丈夫だ。キーロヴィチはゲイだ。業界では有名な話だ」
「え? じゃあ、結衣が一人で部屋へ行っても大丈夫って事?」
「まぁ、多分そうだろう」
匠がほっとしたのと反対に、アントンは言ってから気がついた。
(キーロヴィチは透に熱烈な挨拶をした後、レイラ様に問われて「気に入ったからです」と答えていなかったか……。キーロヴィチは透を気に入ったのか)
でも、とアントンは考え直した。
(レイラ様が透を婚約者だと伝えたのだから、手を出すような事はないだろう。
そんな事になったら大変な事になる。レイラ様は健斗に「指一本でも透に触れたら、首と胴体が離れる事になる」と、宣言していたのだし、レイラ様ならやりかねない。キーロヴィチもその辺はわかっているのではないだろうか。いや、透に関するレイラ様の態度は度を超えている事が多い。忠告しておいた方がいいかもしれない)
アントンは思った。
「なら、メンバーみんなで、キーロヴィチの部屋へ押し掛けちゃえば? 有難うって言いに」
匠が呑気に言うと、アントンも頷いた。
「それならば、おかしく無いだろう。通訳がいるなら、一緒に行く」
「じゃあ、匠、先に行ってて。私と、アントンさんで、あとの二人呼んで、すぐに行くから」
匠は頷いて、キーロヴィチの部屋へ向かった。ノックをすると、キーロヴィチが出て来た。
「ドーブルィ・ヴェーチル」
さっきアントンに聞いておいた、「こんばんは」をロシア語っぽく聞こえるように言ってみた。キーロヴィチがにっこり笑って、匠を部屋へ招き入れた。匠は部屋の中を見回したが、結衣はいない。
「結衣は?」
「結衣?」
キーロヴィチは首を振っている。部屋の中に結衣はいない。どうやら、紬の勘違いだったらしい。アントンがいないと会話にならない。匠が困っていると、キーロヴィチがソファに座るよう手招きしている。テーブル上にパソコンがある。キーロヴィチがパソコンを指す。どうやら編集しているらしい。キーロヴィチが動画を再生する。
夜の森を彷徨うメンバーと匠。前奏曲が始まると、一転して朝の光の中、教室で談笑するメンバーと匠。歌が始まると場所は図書室に、そして大広間に変わっていく。なんでだろうと思いながらも、細かく指示された動作が、こうやって見ると、意味がわかってくる。つなぎ合わせてみると、思ってもいなかったくらい洗練されたMVになっている事に匠は驚いた。サビの前でキーロヴィチが動画を止める。画面を指して、レイラが階段の手すりから飛び降り、透が抱きとめる画を見せる。匠はなんとなく、サビのシーンでこの画像を使いたい事がわかった。キーロヴィチが困った顔をして、画面の中の透を指差した。匠は言いたいことをなんとなく察した。透が映ることを許可するかどうかで、このサビの部分が使用できるかどうか変わるのだろう。
匠はジェスチャーで通じるか心許なかったが、画面の透と自分を交互に指し、手を口の所に持っていき、話す仕草をして見せた。キーロヴィチには通じたようで、嬉しそうに笑った。匠も釣られて笑った。言葉が分からなくても意思は通じるんだ、と匠は嬉しくなった。
一瞬、変な間があった。キーロヴィチが匠をハグした。匠は瞬時にアントンが言ったことを思い出した。焦って押し返して離れようとしたが、大男のキーロヴィチの腕力には敵わない。匠が力一杯、押し返そうとしたがびくともしない。匠は、キーロヴィチが透にした、日本人から見たら驚愕の挨拶を思い出した。キーロヴィチの顔が迫って来た。
「嫌だ! レイラー!!」
無意識に匠はレイラを呼んだ。キーロヴィチの顔を押しのけようと、必死に抵抗するが、全く歯が立たない。
扉が大きな音を立てて開いた。
「キーロヴィチ! 匠を離せ!」
キーロヴィチはその声を聞き、慌てて匠から離れた。レイラが匠に駆け寄って抱きしめた。
「匠、もう大丈夫だ」
レイラが宥めるように、匠の背を撫でる。
「キーロヴィチ、私の子供に何をしようとした?」
レイラが別人のような声で詰問する。キーロヴィチは叱られた子供のように俯いて言い訳をする。
「その子が入って来たから、画像を見せて編集の相談をした。透殿の画像を載せる許可が欲しいと言うと、わかったようで話をしてくれると言ったので、つい嬉しくなって……」
「日本人にはハグする習慣も、キスする習慣もないことを覚えておけ」
(お母さんは、ピンチの時に駆けつけてくる。やっぱり、ヒーローだ)
匠は震えながらも、こっそりそう思った。力強い母の腕の中で、匠は安心した。
キーロヴィチはしゅんとして、項垂れている。レイラの恐さは身に染みて知っているのだ。レイラが匠を抱き上げ、部屋を出ようとした所へ、メンバーがやって来た。波留がシャワーを浴びていて、ノックしたがなかなか出てこなかった為、メンバーを連れてくるのに手間取ってしまい、遅くなったのだ。
「匠、レイラさん、どうしたんですか?!」
「なんでもない」
レイラはそう言い捨てて、さっさと匠を連れて行ってしまった。アントンは匠とレイラの様子を見て状況を把握した。
「結衣はこの部屋にいないようだ。結衣を探しに行こう。この城はそんなに広いわけではないが、迷子になっているかもしれない。夜の森に入ってしまったら、危ない」
「匠、なんでキーロヴィチの部屋へ一人で行ったの?」
匠を匠の部屋へ連れて行くと、なるべく穏やかな声に聞こえるよう、注意深くレイラが質問した。匠は事情を説明した。すぐにメンバーが来ると思っていた事も。間接的であれ、匠を傷つけたのはまたしても、結衣なのかと、レイラは結衣に腹を立てた。
「結衣って子は、匠を傷つけてばかりいる」
レイラがイライラを滲ませて言うのを聞いて、匠は慌てて否定した。
「俺たちが勘違いしたせいだから、結衣は悪くないよ。助けてくれて、有難う。どうしてわかったの?」
「ここはサファノバだし距離も近かったから、感度が良くなっているようで、と言って意味がわかるだろうか? 意識の底の方で繋がっていて、そこから、匠の助けを求める声が聞こえた」
「それ、俺にもできるようになるのかな?」
「練習すれば、出来るようになると思う。ただ、いつでもどこでも誰の事でもわかると言うわけではないけど」
匠はいつの間にか持たされ、手に馴染んでいたホットチョコ入りのマグに口をつけた。
「お母さんは、やっぱりヒーローだね」
匠がしみじみと言うと、レイラはやっと笑った。
「お母さん、という呼ばれ方は新鮮でなかなかいいね」
「もしかして、母上、とかお母様と呼ばなければいけなかった?」
「サファノバ語を習ったら、そう呼んだ方がいいが、日本語では構わない」
(私は匠のヒーローか。悪くはないな)




