本物のお姫様
透はアントンたち護衛と一緒にお昼を食べ、レイラの部屋へ戻った。護衛たちから、目覚めた時に、そばにいてあげて欲しいと頼まれたせいもあるが、目を覚まさないレイラの事が気に掛かったからだ。レイラの眠るベッドの横に、テーブルと椅子を持ってきて、ノートパソコンを開きメールをチェックし、優先順位をつけて返信して行く。1通返信する度に、レイラを見る。レイラが目を覚ますのか透は不安になる。
レイラは最近、透を「お姫様」呼ばわりしているが、レイラの方こそ、子供の頃から真正正銘の「お姫様」だ。眠れる森の美女も、白雪姫も眠りから目を覚まさせるのは王子のキス。透は王子ではないが、レイラの無邪気に目を閉じた顔を見ていたら、たまらなくキスしたくなった。きっと物語の王子たちも、無邪気な美しい寝顔につい、うっかりキスしてしまったのだろうと思った。ただ、全く知らない女性にキスしようとは、透は思わなかったが。
透は近寄って、一瞬躊躇ってから、レイラの唇にそっとキスをした。途端にレイラが、物語のお姫様さながらに、ぱっちりと目を覚ました。
「……ずっと、いてくれたの?」
透は頷いた。よく分からない状態で眠り続けるレイラを見ているのは、辛かった。
「……気分はどう? もしかして、目を覚ましていた?」
「いや、透のキスで目を覚ました」
「起こしてしまって、ごめん。つい、寝顔が綺麗だったから……」
「嬉しいな。怪我、しなかった?」
レイラは心配そうに透に手を伸ばした。透がその手を両手でそっと包んだ。
「大丈夫だよ。庇ってくれて有難う。レイラが刺されたのかと思って、動転してしまったよ。もう、あんな無茶はしないでほしい」
「透が無事なら、いい」
「レイラは国を背負っているのだから、軽はずみな行動をしてはいけない。計画があったなら、最初から話してくれていれば良かったのに。レイラは無茶ばかりする」
(きっと、国と透のどちらかを選べと言われたら、私は透を選んでしまうかもしれない……)
レイラはそう考えて、不安になった。不安を振り切るように、答えた。
「最初から話したら、演技してくれたの? 健斗の前で? スパイの前でも?」
レイラは透が言葉を詰まらせたのを見て、クスクス笑った。
「私も透も演技が下手そうだから、せめてどちらかは、知らない方が良いと思って。だから、代わりに透の紅茶に強いお酒を入れた」
「それは酷いな。ブレーキが効かなかったらどうするつもりだったんだ……」
「そこは信じていた」
「そんなところで、信頼されても、あまり嬉しくないな」
「そんな事だけではなくて、透は何かあったら、絶対に来てくれる、私が困るような事はしない、と信じている」
「じゃあ、困らせてあげようか」
「どうやって?」
真っ直ぐに聞いてきたレイラに、透は白旗を上げるしかなかった。
「また、今度。レイラの体調が万全になったら」
もう大丈夫だと、起き上がるレイラに、透が手を貸した。
「主塔の一番上まで案内するよ。行こう」
レイラは透の手を取って、部屋を出る。レイラの部屋は居住区である主塔の上層部にあるため、もちろん、部外者も見学者も入ってこない。螺旋状の階段を上り切ると、視界が開けた。城を取り囲む森は大航海時代に船を作る材料として伐採されなかったのか、オークが多かった。そのせいか、だいぶ葉が落ち、森の中が所々見えた。あちこちに生き物がいる事がわかる。森の反対側に街がある。街も新しい建物ではなく、古い建物の外観を残しているため、まるで中世にタイムスリップしたような感じだ。
「東京の街とは全く違うでしょ。驚いた?」
「街全体に統一感があって、趣があるね。サファノバは観光も盛んなのかな?」
「そうか、観光! これで悪名を返納できる! 欧州連合に加盟して、行き来がしやすくなるから、これから力をいれることにするね。この街並みや自然に魅力を感じる?」
「悪名って……そんなに人気のない国だったのか? こんな綺麗な街並みなら、日本人は喜んでくると思う。まずは治安が良い事と、交通の弁が良いことが重要になるかな。でも交通の弁が悪くても、それ以上に惹きつけられる魅力があれば、世界中から観光客が来ると思う。旅行会社と組んでツアーを作るのもいいかもね。体験型ツアーがあれば、なおいいかな。撮影場所として、映画監督を呼んでもいいかもしれないね」
「そうやって、これからも一緒に考えてくれると有難いな。私たちが当たり前に思っていても、透たちから見たら、不思議に思えたり、価値があったりする事もあるかもしれないから。匠と透には、日本からの観光客を呼ぶ時には、ぜひ活躍してもらわないと。街にも、屋敷があるから、今度来たときにはそっちに泊まって、また何か気がつく事があったら、教えて!」
レイラは図らずも、「今度来た時」と言った。
「そうだね、楽しみにしているよ。今日帰国する」
「……やっぱり、帰るんだね……」
「レイラもだいぶ具合が良くなったようだしね」
「それなら、もう少し具合悪そうにしていれば良かったな」
––大事なものは、大事だからといって手の中に握り込んでいてはいけません。手を緩めて、息が出来る様にしてあげなければいけません。本当に、本当に大事であるならば、自由にして、空に返してあげるのが一番です––
レイラは子供の頃、落ちていた野鳥の雛を拾い、早速可愛がろうとしていた時に、誰かに言われた事を、ふと思い出した。
透が心配そうにレイラを見る。
「大丈夫。帰さないなんて言わないから。何かあったら、透は飛んできてくれる事がわかったし、嬉しかった……。透も匠と一緒に、冬休みには来てくれるんだよね? 冬休みなんて、きっと、あっという間に来るよね」
「冬休みに、匠と来る。約束する」
「冬休みまでに、何かリクエストはある? 部屋の模様替えでも、行きたい所でも、食べたいものでも、なんでも……。あ、そうそう、次来る時に、学校の近くのケーキ屋の、焼き菓子かチョコレートをお土産に持ってきてね。たまに思い出して、食べたくなるから」
珍しく我を抑え、無理に明るい声を出すレイラを、透は抱き寄せた。透は何か言わないと、レイラが泣き出してしまうのではないかと思った。
「お土産は忘れないようにする。他に何か思いついたら、いつでも言って。リクエストは今回食べられなかった、レイラが育った地元のサファノバの料理を食べてみたいな」
「……本当は透を帰したくない。でも、冬休みには戻ってきてくれるんだよね。待っているから……。ほら、そろそろ透は帰国の用意をしないと……。ちょっと、用を思い出したから執務室に行ってくる」
レイラは俯いたまま、透の手を振り解き、階段へと姿を消した。振り解かなければ、ますます帰したくなくなってしまう為、レイラはその気持ちとともに、透の腕から抜け出した。
レイラは透を空港まで、ランドローバーを自ら運転して送ると言って聞かず、護衛たちを困らせた。透は自分が運転しようか、と持ちかけたが、国際免許を持ってきていなかった為、却下された。街中を通る時、目立たぬように公用車ではない車を選んだにもかかわらず、サファノバの人々は女王に気が付き、車に向かって手を振る。レイラは運転しながらも、手を振り返す。危ない事この上ない。
空港ではレイラはサングラスをかけていたにも関わらず、周囲に女王がきているとすぐに気づかれてしまった。国民たちは殺到したりせず、一定の距離から、レイラに向かって手を振ったり、挨拶をしている。レイラもにこやかに、それに応えている。透は護衛に紛れて、歩いたため、注目は免れたが、目敏い国民は透に気がついたようだ。衆目を集めてしまった為、別れの挨拶もそこそこに、透は飛行機に乗った。飛行機を乗り換えるまで、透は見られているような気がして、落ち着かなかった。透はレイラと一緒にいるという事は、常に人目に晒されるという事なのだと、改めて気がついた。




