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救出

 匠は、午後の部活に行くふりをして家を出て、高尾に向かった。誰も警察に通報していない。アントンがどれだけ優秀かわからないが、あのプロレスラーのような五人に対して、いくらアメコミヒーロー体型のアントンであっても、一人で大丈夫だとは思えなかった。匠には何もしないで、家でじっと待っているなんて、到底出来なかった。透に何かあったら、と考えると、匠はいても立ってもいられなくなり、電車に飛び乗った。


 昨日、透が時計を投げた家の周りを一周してみる。雨戸がぴったり閉まっていて、いかにも人の住んでいない空き家。開いているのはトイレの窓だけだ。

 匠は華奢な自分の体と、開いている窓を見比べた。透やアントンには無理だが、匠なら窓から入ることが出来そうだ。雨戸が閉まっているお陰で、中から外の様子は見えない。庭に転がっていたビール箱を窓の下に、慎重に重ねて置き、窓によじ登り、そっと中に入った。運よく、誰にも見つからずに家の中に入る事が出来た。


 夕方だと言うのに、窓のない廊下は雨戸が閉まっているせいか暗い。匠は人の話し声がする方へ少しずつ近寄って行く。廊下の突き当たりの部屋から声がする。

 透が日本語で、五人組が彼らの言葉で話をしているのが匠の耳に入ってきた。翻訳アプリでも使っているのかもしれない。この後、どうしたらいいのだろうと、匠は考えた。アントンが来た時に備えて、玄関の鍵を開けるくらいなら出来るかもしれない。そう思って玄関の方へ向かった時に、透の声が切れ切れに、匠の耳に入って来た。

「女王は私が殺されても、なんとも思わない」

匠は膝をついてしまいそうになった。なんとか壁に寄りかかって、座り込みそうになる自分を支えた。透が殺されるかもしれない。頭の中に刺されて血塗れになった透が浮かぶ。こんな目の前まで来て、そんな事態になるのは嫌だ。

(とにかく、落ち着け。玄関の鍵を開けて、一旦外に出よう)


 匠は自分の心臓の音が大きすぎて、部屋の中まで聞こえているのではないかと、不安になりながら、少しずつ玄関に向かって移動した。玄関の脇の階段の下までついた時には、時間の感覚がなくなっていた。急に部屋の中から足音が聞こえて来たため、匠は慌てて階段の上に身を潜める。ドアが開いて、体格の良い影が先ほど匠が入って来たトイレへと向かって行った。すぐにトイレのドアが開き、影は元の部屋へ戻って行った。匠は呼吸を整え、しばらく様子を伺ってから、玄関の扉にたどり着いた。


 アントンは万が一に備えて、すぐに他の護衛に応援を頼んだ。流石に人質を取られ、一対五では勝ち目がない。相手を倒す事は出来ても、透が怪我をしたり、万が一殺されてしまったりしてはなんの意味もなかった。透は未来の王配になるかもしれない人だ。一番大事な事は、人質を無事に救出する事。応援に向かっている護衛から、先ほど五人組からレイラに電話があったと連絡を受けた。


 アントンは他の護衛が来るまで、家の周りをさりげなく観察していた。すると、玄関のドアがゆっくり開いた。ドアが軋んで音を立てた。この辺りの家は郊外のせいか、周りの家と庭を隔てて空間にゆとりがある。他の家から窓を開け放して、テレビを見ている音が聞こえてくるせいか、ドアの軋んだ音は、中の五人組には聞こえなかった様だ。

 あたりを伺いながら、華奢な少年が出て来て、そっとドアを閉めた。この場所は高尾山の陰が落ちるせいか、日が暮れるのが早い。あたりはだんだん薄暗くなってきていた。アントンは足音を殺して近づき、少年の口を塞ぎ、庭の隅の暗がりへ連れていこうとしたが、少年が不意に腰を落として、技をかけようとしているのに気づき慌てた。

「ここで何をしている? 騒がずに答えられるか?」

アントンが質問すると、少年が首を縦に振った為、手を離す。振り返った少年がアントンを見上げる。

「アントン?」

小さな声だったが綺麗な澄んだ声だった。華奢な体つきと声から少年ではなく、少女かと一瞬アントンは思った。

「そうだが、誰だ?」

「透ちゃんの甥の匠。アントンが助けに来ると思って、トイレから入って、玄関のドアを開けて置いたよ」

「有難う。合唱コンクールで歌っていた?」

「うん。見に来てたよね?」

「静実学園の歌は素晴らしかった。感動した」

「有難う。それより、玄関を開けたから、早く透ちゃんを助けてよ」

「今、救援を待っている。五人を伸すだけなら一人で充分だが、万が一、透に何かあったら困る」

言い聞かせる様に、透の甥だという少年を見る。誰かに似ている。

アントンが、自分の顔をじっと見ている事に気づき、匠は慌てて顔を伏せた。それをアントンは、匠がガッカリしているのだと取った。

「大丈夫だ。透は絶対に、無事に助け出す。透が怪我をしたら、嫌だろう? 君まで人質になってしまったら困るから、離れた所で待っていろ」

「せっかく玄関のドアを開けたけれど、役に立たなかったね……」

「そんな事は無い。勇気ある行為だ。いい子だから、外に出ていろ。君が怪我をすれば、透に文句を言われる」

確か、日本語で、どこかに入れても痛く無いとかいうのではなかったか。どこに入れるのだったか。その位、可愛がっていたのは姪っ子だったか、と不意にアントンは思い出した。


 玄関と反対側にある透が囚われている部屋の辺りから物音がした。同時にアントンのスマホが振動した。アントンが応答する。

「玄関が開いている。庭から入る? わかった」

「彼らは廊下の突き当たりの部屋にいる。ちゃんと確認した」

「有難う、匠君はここで待っていろ」


 アントンは玄関から中へ足音を立てずに入って行った。アントンが足音を殺して、廊下を進んでいくと、匠の言った通り、突き当たりに扉があった。ゆっくり少しずつドアを開け、中を窺う。

 五人が透を囲む様に立っている。驚いた事に、先ほどまであった雨戸が無くなり、庭に面した大きなガラスも開け放してあった。アントンが、雨戸が閉まっていると報告した為、金切りカッターか何かで鍵部分を切り開け、開けたのかもしれない。部屋の中は電気が付いている為、薄暗い庭側から見ると、部屋の中はちょっとした芝居の舞台の様にも見える。


 急に視界が良くなったのだろう、中にいた全員が唖然としている様子が目に入った。助かった事に、たいして音がしなかったせいか、周りの家はまだ何事が起きているか、気付いていない様だった。警察に通報されたら面倒な事になる。それは五人組も、アントンたちも同じだ。

 しかし、雨戸を取り払い、庭から部屋を丸見えにするとは、大胆な事をするとアントンは驚いた。同僚の誰が指揮を取っているのだろうと、同僚たちの方へ顔を向けると、真ん中に目出し帽をかぶっている人物が目に入った。早く切り上げないと、惨劇になるとアントンは焦った。


 透はいきなり、舞台の様になった部屋から、庭を見下ろした。中央に目出し帽を被った人物が立ち、その人物を挟んで三人ずつ立っている。人数からしても多分、この五人組の方が不利だろう、と透は思った。考えていたより悪い人物ではなかった五人組が不利にならない様に、交渉しなければならない。透は五人に交渉してみると伝えた。透は後ろから首にナイフを当てられているが、両手は自由だった。


 透の両手が自由であれば、後ろでナイフを突きつけている人物の、ナイフさえ無くせば、透がなんとかするだろう、とアントンは考えた。指揮官が目に入ってから、アントンは焦り始めていた。庭にいる護衛達が動く前になんとかしなければ……。


 アントンはドアを開けて部屋に飛び込み、手近にいた一人の後頭部を殴りつけ昏倒させた。いきなり背後で仲間が倒れる音を聞き、驚いて振り返った四人を、庭にいた護衛達が見逃すはずはなかった。

 指揮官が稲妻のような速さで、真っ先に部屋の中へ飛び込み、透にナイフを突きつけている男が、アントンに気を逸らしている隙に、顎めがけて、透の顔を掠めるように拳をたたき込んだ。呆気にとられている透を、傍に避け、透を人質にしていた男を蹴り飛ばす。蹴り飛ばされた男は壁に激突し、倒れた。一歩間違えれば、透にナイフが刺さると言うのに、よほど自信があったのだろう。隣の男が攻撃する間も与えず、脛を蹴り、蹲るところを鮮やかな回し蹴りで、壁際へ飛ばす。蹴り飛ばされた男は、倒れた男に足を取られ、頭を強かに打った。

 透が自由になれば、一安心と、アントンは二人目の男と対峙する。こちらの相手は先ほどの驚きから立ち直り、ボクシングの様なポーズをとっている。アントンに向かってパンチを繰り出す。アントンが紙一重で避けたところを、後ろから指揮官が足払いをかける。指揮官一人で三人倒してしまった。恐るべき強さだ。指揮官の強さと、相手を倒す速さは異様だった。他の護衛たちは、あっけに取られて立っている様に見える。折り重なって倒れていた男の一人が、起きあがろうとした。それを見つけた指揮官は、腰に差してあったナイフを手に取り、振りかぶった。

「止めを刺してやる」

透には、そう聞こえた為、ハッとして指揮官の手からナイフを叩き落とした。


「ちょっと待って! 話を聞いてくれ」

透が声を上げたが、聞こえていない。透は自分を解放してくれた指揮官を、後ろから抱き抱えるよう押さえつけた。やっと指揮官に続いて、庭から部屋へ飛び上がろうとした護衛達の動きが止まる。指揮官が捉えられたと気づいた、護衛たちが透に殺到しようとして、足を止めた。指揮官は喉元には、ナイフを当てられている。透は、人質を取る事に慣れていないのか、力一杯押さえつけている感じではない。指揮官は先ほどの様子からすれば、難なくナイフ奪って、形勢逆転に持ち込めそうなのだが、大人しくしている。


「もっと、しっかり押さえていないと、護衛たちは優秀だから、あっという間に形勢逆転するよ」

忠告するかのように、人質になっている指揮官が、透に囁いた。余裕である。

「わかっている」

透は指揮官だけに聞こえるように、呟いた後、声を張り上げた。

「頼むから、動かないで話を聞いてくれ。アントン、通訳」

透が声をかける。


「透、おかしくなったのか? 我々は透を助けに来たのだぞ! その人は味方だから、今すぐ離すのだ!」

「わかっている。話を聞いてくれれば、すぐにこの人は放す」

アントンは渋々頷く。

「誘拐するというやり方がまずかっただけで、五人組は悪くない。この五人はアレクセイの元近衛隊だ。アレクセイが亡くなってから、身分が無くなった。護衛に入りたかった様だが、入れてもらえなかったようだ。その後、仕事に就けなくて困っている、と言っていた。今後、一人は田舎でレストランをやりたいと言っている。四人はサファノバ警察に入りたいと言っている。アレクセイの近衛隊になりたくてなった訳では無いのだから、見張りを解いて、職業を与えてやっても良いのではないだろうか? 約束してもらえないだろうか?」

アントンが訳す。護衛はざわめいた。アントンが代表して答える。

「透、我々は、今言われた事を約束出来ない。権限がない」

「わかっている。アントン、もう訳さなくていいよ。君に聞いているんだ」


 透は指揮官の喉に当てていたナイフを近くのテーブルに置き、指揮官を自分の方に向かせ、目出し帽を取った。プラチナブロンドの髪がこぼれ落ち、蛍光灯の光にきらめいた。指揮官の瞳が、心なしか潤んでいる。

「大事な時期なのに、わざわざ、自ら日本に来るなんて無茶をしすぎだ、レイラ」

「サファノバはまだ私と、私に関わる人にとって、完全に安全だとは言える状態になっていない。そんな状態で、うっかり透のことを巻き込んでしまったのは私のミスだから、自分で始末をつけに来た。巻き込んでしまって悪かった」


 アントンは、仲間に指示をして取り敢えず、五人組を拘束し始めた。

「あの五人の願いを聞いてあげてもらえないだろうか。何かあったら、私が代わりに罰を引き受けてもいい」

レイラは嘆息した。

「透は甘いな……。まぁ、いい。五人を先ほど言った職に就かせよう。暫くは見張らせてもらうが、問題ない様なら見張りも解く。ただし、向いていない場合、シェフ以外は職を解く。これでいいか?」

「聞いてくれて、有難う」

「アントン、聞こえたか? 五人組に伝えておいて」

「承知しました」


「さっきはナイフをつき突きつけてしまって、悪かった」

「いい。ああでもしなければ、誰も聞かないから」

「レイラ、もう、止めを刺す、なんて物騒な事は言わないでくれ」

「どうして? 透に、刃物を突きつけたんだよ?」

レイラはキョトンとしている。命を狙われ続けたレイラは、相手を倒さなければ、自分がやられてしまう事が身に染みついていた。

「それでも、もう言わないで欲しい。レイラの口から、そんな言葉を聞きたく無い……同盟に加盟して、しばらくすれば、誰からも命を狙われたりしなくなるから、そんな物騒な言葉は必要なくなるはずだ」

「分かった……」


 透はレイラからそろそろと離れる。アントンが護衛達に身振りで五人組を、乗って来た車に連れて行く様指示を出し、離れた所に止めてある車の方へ移動し始めた。レイラは最後の一人が視界から消えるのを横目で確認して、透に抱きついた。

「無事でよかった……。どこにも怪我は無さそうだね。いても立ってもいられなかった。電話がかかってきた時には、実はもう東京上空だった。護衛が動き始めたから、問い質して、一緒に行く事にした。それが一番安全だから。まだ、こんなにドキドキしている……」

レイラは透の手を掴んで自分の胸に当てようとしたが、透はさっと手を引いた。

「あれだけ大活躍したから」

「違う。透に抱きしめられたから……」

「あれは、人質にしただけだから……アントンたちが戻って来るかもしれないから、離れた方が……」

「護衛達は近くにはいるけれど、庭の方へは戻って来ないから、大丈夫。我が国は同盟に加入した。後は、子供を探すだけ。だから……この間のプロポーズの返事はまだもらえないの?」

透は頷く。

「ごめん、もう少し、待ってもらえるかな……」

「返事をもらえないなら、いっそこのまま、サファノバまで透を攫って行ってしまおうかな」

「それはごめんだ……」

 レイラは透の顔を見上げた。言っている言葉とは裏腹に、透は微笑みながら、レイラの顔にかかった髪を優しくかきあげる。

「今は透を攫えないから……」

レイラが透の首に両腕を回してキスをする。部屋の中の二人の影が伸びて、庭先で重なった。透の腕がレイラの腰に回されようとした時に、がさっと庭木の揺れる音がした。慌てて、透がレイラを後ろに庇う。


 匠が庭に立っていた。

「ご、ごめん、邪魔する気はなかったんだ。声をかけようと思ったんだけど、かけるタイミングがなくて……」

「た、匠……。どうしてここに……。こんな時間に……」

透がしどろもどろになる。

「ああ、だから、ごめんって……。もう帰るから、取り敢えず、無事で良かった。じゃ、また!」

匠も慌てふためきながら、後退りした。レイラも呆然としている。


 アントンが玄関から侵入してすぐ、匠はそっと庭の方へ回った。庭の隅から、透が拉致されている部屋が辛うじて見える庭木の影に、身を小さくして隠れて、一部始終を見ていた。

 アントンは危ないから玄関の方で待っていろと言ったけれど、見えないところで何が起きているのか、わからない方が怖かった。部屋はすっかり雨戸が外され、ガラス戸も開け放たれ、電気が付いていて舞台の様に見えた。

 匠は目出し帽を被った人物が部屋に飛び込んで、透を救いに行く様子をまるで、アクション映画でもみる様な気持ちで眺めていた。思わず拍手してしまいたくなるような、見事なアクションだった。目出し帽を取られて、現れたのは、写真で見た自分の産みの親だった。ヒーロー並みのアクションをした人物が、実母だと知って、匠は驚いた。

 ひと段落して、アントン達が移動して行ったので、匠は庭の隅から、部屋の正面に行き、透の無事を確認する為、近づいて声をかけようとした。その舞台の様な部屋で、自分の母が透に抱きついた。写真では、いかにも女王然とした感じであっただけに、意外だった。抽象的なイメージの「母」が、写真になって二次元となり、やっとこんな人だろうか、あんな人だろうか、とイメージし始めたばかりだったのだ。

 匠が声をかけそびれているうちに、二人がキスをしているのが目に飛び込んできた。嬉しいのか、驚きなのかも、匠には判別がつかないほど、ショックを受けた。透を産みの母に取られてしまった事が、なのか、母を透に取られてしまった事がショックなのか。匠は声をかけるタイミングを完全に失い、よろける様に後退りした途端に、背後の庭木にぶつかってしまった。庭木が、不自然にガサッと大きな音を立てた。

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