彼の想う【時】は遠くにある
「おかえりなさい」
ショウが時計をいじりながら言う。
ホーロはキョウコに時計を返しながら、聞いた。
「どうだった? 【時の間】は」
「どうだった、って……あれはなに?」
「キョウコが後悔してること。戻りたかった時間」
ショウが手を休めて説明する。
「ホーロはね、ひとを【戻りたい時間】に連れていくことができるんだ」
「そこで、しゃべりたいひととしゃべれるの。これから先、後悔のないように」
さっきの光景を、キョウコは思い出していた。
「あれは……おかあさんは、でも、」
「もういないんでしょ。だからね、わたしがおかあさんの姿を借りたの」
さっきの母の姿と、目の前のホーロを比べて、キョウコは慌てた。
「え、ちょっと待って、思い返せばビジュアルがだいぶ違ったけど!」
「ホーロはまだちっちゃいからね。【時の間】では、ちょっと成長するんだ」
「うちではね、普通のお仕事のほかに、こういうこともやってるの」
ホーロが【時の間】に連れて行ったひとは、だいたい、気が晴れたと言って帰っていくのだという。
キョウコもそうだった。母に言いたいことも言えず、家を飛び出して、それきりになってしまった。だから、彼女は、とてもすっきりしていた。
「おかあさんと……親子ゲンカをしたかったのかもしれないね。ありがとう、もやしちゃん」
「わたしもやしじゃなくてホーロっていうんだけどな」
困惑気味に名前を訂正をするホーロに、キョウコは頭をなでながら謝った。
「そうなの? ごめん、ありがとうね、ホーロちゃん。……それにしても……こんなにすごいことできるなら、もっとお客さん増えるんじゃないの?」
「お店がボロいからねぇ」
皮肉気味に聞こえるショウの言葉に、キョウコはしまったーという顔をした。
「お、オシャレに改装すればいいのに」
「お金ないからねぇ」
「じゃあもうちょっとお客さん呼ぶようにしたらいいのに」
「お店がボロいからねぇ」
ショウはもっと皮肉を込めた言い方をした。どうも余程さっきのことを根に持っているらしかった。
「だからもうちょっと……ああ、堂々巡りね、これじゃ。バイトの合間に、飾りつけにきましょうか?」
この話にくいついたのはホーロだった。
「ホント!?」
「これでもね、いま、デザインの勉強してるのよ。きょうのお礼ってわけじゃないけど、ちょっとだけでも手伝わせて!」
「いいよね、ショウ」
ショウは「ぼくは別に構わないけど」と言った後、非常に申し訳なさそうに言葉を続けた。
「……飾りつけのお金とか、お礼金はお支払いできないよ?」
キョウコはそれですっかりテンションが上がったらしく、
「いいのそんなの気にしなくて! あしたからさっそく取りかかるわ、またね!」
言うだけ言って、そのまま走って帰っていってしまった。
「弾丸のような子だねぇ」
そんなショウの声を背中にして、キョウコを楽しそうに見送ったホーロだったが、すぐに暗い表情になった。
「…………ショウ」
「なに。ネジなら、増えたよ」
ショウは言いながら、時計を取り出していじりはじめる。
ホーロはとても言いにくそうに、しかし、はっきりと、言った。
「さっきの【時の間】で、ナナコ……見かけた」
時計をいじっていたショウの手が、一瞬、止まる。
「……ナナコを?」
「やっぱり、出てこれないんだと思う……」
ショウは発言に躊躇した。
「……ホーロ……じゃ、なかった、ロギウムでも、出せない?」
ホーロはさっきよりもはっきりと言う。
「出せるならとっくに出してる」
「……だろうね」
「【時の間】にいるのは間違いないんだけど、でもやっぱり、ショウが直接しゃべらないと、ダメだと思う」
ショウは時計を持ち上げて、「早くこれ、直さないとね」と独り言のように言った。
「でもまだ部品も全然そろってないし、その前にナナコに逢えたらいいのにね……」
彼はホーロのその言葉に、すこし、厳しい表情を見せた。まるで、ホーロに、そう言ってほしくなかったようだった。
「ホーロはそれでいいの?」
少し、間が空いて、ホーロは元気に言う。
「だって、【お仕事】だもの」
それは空元気にも、ショウには聞こえた。だが、何も言わずにおいた。
「……さあ、お夕飯のしたくしなくちゃ。もやしの買い置きあるんでしょ」
「あるよ。……きょうはもやし多めに、ベーコンちょっと混ぜていいよ、お客さん来たしね」
「やった! おしょうゆで味つけていい?」
「いいよ」
「やった!」
ホーロは「ばんざーい」のポーズで、台所へ走っていった。なにしろベーコンが入るのはひと月以上ぶりのことだったから、彼女にはうれしくてたまらなかった。
その背中を見送り、ショウは、修理しかけている時計に、ひとり目を落とした。
「ナナコ…………」
彼は所在なさげに天井を仰ぐ。彼もまた、自身の【時】について、思いを馳せているのかもしれなかった。