そっと彼女は少女を抱き寄せる
「邪魔しないでくださいー」
キョウコは不服そうにむくれる。
しかしロギウムは至極冷静に言った。
「お前がナナコに「伝える」のはルール違反だ。そもそもそんなことをして、ショウとナナコがうれしいと思うのか」
キョウコはそれを聞き、思わず口をつぐんだ。そうだ。自分が何か言ったところでショウの後悔が消えるわけがない。危うく間違いを犯すところだった。
「ありがとう、キョウコさん。お兄ちゃんの言葉は、お兄ちゃんから聞くわ。でも、ちゃんとお兄ちゃんが、わたしを忘れないでいてくれていることがうれしいの」
「あっちに出てきたのは……」
よくわからない、というふうに、ナナコは悲しげに首を振る。
「ここに残っているのがナナコの想いだけというのはホーロから聞いただろう。ショウにもう一度逢いたい、逢って時計を渡したいという気持ちだけが、ナナコを支えている」
ロギウムが静かに説明する。さっき、ショウたちの目の前に現れたナナコは、霊魂のようなものなのだという。
「あちらの世界ではたまに幽霊がどうしたこうしたと騒ぐようだが、そういうものはみな、【時の間】にたたずむ者たちなのだ」
「ほほう」
ロギウムさん、だてに【時の間】にいるわけじゃないんですね、とキョウコが感心すると、ロギウムはまた、お前たいがいにしろよと脅した。
ナナコはそれを微笑んで見つめてから、キョウコに言った。
「お兄ちゃんに伝えてください。逢って、時計をちゃんと渡せたら、そして、その話ができたら、きっとわたしはここから抜け出せる」
キョウコはそれで、ホーロが言っていたことを思い出した。
「時計! そうだ、時計のフタ、なんか書いてあったんでしょ! いまね、その文字が読めないの、なんて書いてあったの?」
「フタ……」
「覚えてない? ホーロちゃんは、あれが、きっとナナコさんの気持ちの全部だって言ってたの」
ナナコは考え考え、記憶の糸をたどるようにつぶやいた。
「……彫ってもらったの……お兄ちゃんに贈ろうと思って……でも…………」
「記憶がところどころ飛ぶことは、よくあることだ。おそらく時計が完成してしまわなければわかるまい」
ロギウムは冷静に言ってのけた。
キョウコはきーっとロギウムを睨む。
「過去と、未来、を、織り込んだ言葉を彫ってもらったのは覚えてるの……でも、それ以外は……」
過去と未来を織り込んだ言葉。彫り込んであったのは英語。キョウコはそこで、気がついた。当たっているかどうかはともかくとして、彼女には思い当たる言葉があった。だが、口にはしなかった。
「……そっか……うん。さっきの伝言、ショウさんに伝えとくね!」
それだけを言って、キョウコは【時の間】を出ようとした。
「待て」
ロギウムがそれを止める。キョウコは不満そうに振り返った。
「はい?」
「あちらへ戻るのだろう」
「そりゃ戻りますけど」
「お前はいちいち引っかかる言い方をするな」
「ロギウムさんほどではありませんけど」
キョウコのその言葉にやはりロギウムは引っかかるものを感じる。
「ぬう。……まあいい、ホーロと替わるから、お前はまだすこしここにいろ」
「替わる!? でも……」
「心配はいらん。ホーロもここには長居できんし、わたしもあちらには長居できん」
「そういうものですか。でもなんで……」
「いちど、奴の顔を拝んでおくのも悪くない」
秒針の音が聞こえる。その音はキョウコがこれまで聞いたものよりも、ずっとテンポが速かった。
「ちょ、なんか速くない!?」
すぐに、時計の針がかち合う音がした。
キョウコがうろたえている間に、ナナコもロギウムもそこから消えていた。
そのかわりに立っていたのはホーロだった。
「ホーロちゃん!」
「急に、ロギウムから「替われ」って言われたの。……ナナコとは、話せた?」
「うん。話せた」
キョウコはホーロを見る。だが、その視線には、すこしの躊躇があった。
「――あの、フタの文字ね、ナナコさん、覚えてないんだって」
「そっか……」
少し重い沈黙が流れる。キョウコはつとめて明るく言った。
「でもね。たぶんわたし、わかった」
「……え?」
「彫ってあったのは英語だったよね」
と、キョウコは前置きした。その言葉――
「過去は変えられない。だが、未来はあなたの手の中にある――っていう、ずうっと昔の、映画女優か誰かの言葉だったんじゃないかと思うのね」
ナナコの気持ちも、ショウの気持ちも、きっと同じところにある、と、キョウコは思ったし、そして、ホーロにも、そう言った。
ホーロは少し戸惑って、聞く。
「……それ、ショウには?」
「言わない」
どうして? と首をかしげたホーロをやさしく抱きよせて、キョウコは言った。
「それは、時計を直してから、ショウさん自身が、ナナコさんから聞くことよね」
ホーロはもう一度首をかしげる。
キョウコが、一番、聞かれたくなかった言葉だった。
「どうして……わたしには、教えてくれたの……?」
時計が完成することは、ホーロがパーツに戻ること。
たぶん彼女がその言葉を知ることはない。
キョウコは困ったような、迷ったような不思議な顔で、ホーロの頭をなでた。
「……それ、聞く?」
ホーロはなにも言わなかった。
時間だけが、静かに流れていた。