そこにいる彼は時計店の主
あたたかい陽が差し込む、午後のある日。
町の商店街から少しだけ外れたところに、一軒の店があった。その古い店は、店そのものだけでなく、看板すらようやく【時計店】と読めるか読めないかくらいにまでツタに侵食されていて、営業しているかどうかも怪しいたたずまいであった。
しいて言えば、【営業中】の看板が傾いたまま下げられているので、営業はしているのかもしれなかった。
実際この店には、店長も店員もいたのである、町の人間が知っているかどうかはさておいて。
店の中では青年がひとり、机について、時々眼鏡をかけ替えては紙にメモをしたり、時計いじりに没頭したりしていた。
そこに、エプロンをつけた可愛らしい少女が、お盆にカップを載せてやってくる。
「お茶ですよう」
青年は少女のほうを見ないで、作業をしながら
「ありがとう。置いておいて」
そう言った。
「はあい」
少女は素直にカップを机に置く。そこには奇妙な沈黙があった。
退屈なのか、少女は青年の周りをちょろちょろと動いてみるが、それはいつものことであるのか、彼は全く気にしていないようであった。
試しに青年のエプロンを引っ張ってみる。反応はない。机にのぼってみる。やはり、反応はない。背中にもたれかかってみる。反応はない。
ついに少女は我慢の限界を超えた。
「つーまーんーなーいー!!」
ばんばんと机にお盆を叩きつける少女。
青年はさすがに驚いて、持っていた部品をどこかに飛ばしてしまった。
「ワアびっくりした。ああ、ネジネジ、ネジがどっか行っちゃったよ……」
「いまそんなことはどうでもいいの!」
「どうでもよくないよ、ネジ一本ないだけでコレ動かなくなっちゃうんだよ」
青年は床にはいつくばって部品――ネジを探す。
少女は何か言いたげにだん、だん、だんと床を踏む。
何か言いたいんだ。青年は既にそれを察していた。
「きょうはずいぶん機嫌が悪いねえ」
ネジを探しながらとぼけたように言う青年に、少女はあくまで冷静を装って言ってみる。だがそれでも、怒りは隠し切れない。
「いまさら? ずーっとナナメです」
「なんで」
「なんで?! それ聞く?」
「聞くよ、わかんないもん」
本当にわかっていないのか、ただとぼけているだけなのか、付き合いはそれなりに長いが、少女に青年の本心はなかなか読みづらかった。じゃあ言うけど、と彼女は前置きして、言った。
「この一ヶ月、お客さん全然こないし、わたしも【お仕事】してないし、ヒマなんですけど」
「うん」
「ヒマなんですけど」
「…………うん」
青年はこっそり逃げかけた。
「ヒマなんですけどっ!!」
少女はほんとうに怒った。青年に馬乗りになってぽかぽかと頭を叩く。
「いたた、わかったわかった、わかってるってば」
「わかってるならもうちょっとショーバイにドンヨクになってほしい」
「……こればっかりはねえ」
「フツーの時計屋さんはもっとハンジョーしてる! ショウが商売ベタなの!」
ショウ、と呼ばれたその青年は、困ったように頭をかいた。
「はっきり言うねえ」
ぷんすかと怒ったままの少女は青年の背中から降りると、腕組みをして仁王立ちになる。
「わたしの【お仕事】もあるんだし、生活はうるおうはずでしょ。なのに何、ここ毎日のごはん。もやし。オンリーもやし。もやしにお塩。のみ!」
「美味しいよねもやし」
「グラム十円、一週間二十一食全部もやしって。たいそうお安いけどどうよそれ」
「浮くよね生活費」
あくまでへらへらと少女の怒りをかわすショウに、彼女はいらいらとしていた。
「ショウ! その時計、ショウのでしょ」
「……そうだよ」
「最後にパーツを見つけたのはいつ? もう、ひと月も前でしょ」
「そうだよ」
「まだ半分以上見つかってないんでしょ!」
「……そうだよ」
「死ぬまで時計直んなくても知らないよ!」
そこまで言われて、ショウは初めてきっぱりと返事をした。
「…………それは、イヤだな」
「でしょう」
ほらやっぱりそこはブレないんだもの、と、少女は安心したように言うと、エプロンを脱いで部屋の奥から上着を持ってきた。
いそいそと上着をまとう彼女を見て、ショウはすこし青くなる。
「……え、ちょっと、何してんの、ホーロ?」
少女――ホーロは、上着を着終わって、元気に宣言した。
「お客さん探してくるの!」
「ハァアァァアア!?」
「待ってたって、お客さん、来ないかもでしょう。じゃあ、こっちから探さなきゃでしょう。思い立ったが吉日っていうじゃない! 行ってきまーす!」
言うが早いか、ホーロの姿はすぐに見えなくなった。
「いやあ、ぼくは「待てば海路の日和あり」のほうが好きだけどな……」
そこまで言って、ショウははっと我にかえる。
「じゃ、ない! ホーロ! ちょっと、君は外に出ちゃだめだよ!」
彼は慌てて店の外に出てみたが、既にホーロの姿はなかった。
「まいったな、あれがないと、あの子、もたないんだけど……」
机に目をやる。さっきまでいじっていた時計――それはぼろぼろの懐中時計であった――をつかむと、ショウはポケットにそれをねじこんだ。
途中で倒れられでもしたらまずい。その前に……。
ショウはホーロを探しに行こうと、ドアへ向かいかける。そのとき、彼は足元に何かを見つけた。
「!」
さっき飛んでいったネジだった。彼はそれもポケットにねじ込むと、店から飛び出した。