見習い料理人、家に帰る
「最高指導……え? 違う……?」
ヴィルヘルム国王、フリードリヒの言葉を聞いたサキガケが、目を丸くさせ、驚く。
「ごめん。唐突すぎたかな。……要するに、この国のトップは私じゃあないんだよ」
「でも、〝国王〟って……」
「ヴィルヘルムってほら、帝国だから。つまり、そうなってくると、まずは肩書きからして変でしょ?」
「あ、た……たしかに……」
「この国の名前がヴィルヘルム王国だと、変じゃないんだけどね」
「よく考えてみれば、帝国に……国王はちょっと、違和感があるかもしれぬでござる」
「そう。国王だけど、国のトップではない。……つまり私は、私の上、ヴィルヘルム皇帝から国の統治を任されているだけなんだ。国王というのはただの役職なんだよ」
「そ、そう、なのでござるか……でも、なんか、スッとしたでござる」
「そうかい? それはよかった。……ま、とはいえ、次代の皇帝はほぼ間違いなく、私、なんだけどね」
「え?」
「あっはっは」
「は、はぁ……」
フリードリヒが楽しそうに笑い、サキガケが困ったように相槌を打つ。
ガレイト、イルザードそしてアクアの三人は、何とも言えない顔で俯いていた。
「……あれ? 面白くなかった?」
「はい」
イルザードが隣で臆面もなく、淡々と告げる。
「……ま、いっか。今日ももう遅い。ガレイトとイルザードの詳しい報告はまた明日……」
フリードリヒはそう言って、馬車の外にいるガレイトに視線を送る。
「いや、いいや」
「え?」
ガレイトとイルザードが訊き返す。
「イルザードはともかく、ガレイトは報告する必要はないかな」
「で、ですが……よろしいのですか?」
「うん。さっきも言ったけど、ガレイトってば、いまはただのいち国民だしね。料理人志望の」
「そ、それはそうですが……」
「だから、無し。免除。面倒くさいでしょ? そういうの」
「しかし殿下、私のほうから殿下に、色々とお伺いしたいことが──」
「……まあ、そうだな。それでも何か……報告ついでに気になることでもあったのなら、絵日記とかで報告してくれれば見るけど」
「え、絵日記……ですか……」
「そう。ガレイトが書いてくれるんだったら、高く買わせてもらうよ。……もちろん税金でね。あっはっは!」
楽しそうに笑うフリードリヒ。
「はは……は……は……」
合わせて愛想笑いするガレイトとサキガケ。
すこし遠くのほう、アクアは何とも言えない顔で夜空を見上げている。
「……あれ? またスベっちゃった?」
「はい」
そしてイルザードが淡々と、表情を変えずに言い放つ。
「うん。まあ……とりあえずイルザードは明日から毎日、城のトイレ掃除ね」
「げ」
あからさまにイヤそうな顔をするイルザード。
「それも全部屋」
「げげ」
「私がいいって言うまでね」
「う、うそだ……」
「ウソでも冗談でもないぜ? ……ま、たまには愛想笑いでもして、上司の機嫌も取りましょうよってことで……」
フリードリヒはそれだけ言うと、馬車から降りた。
「このまま乗られないのですか?」
ガレイトがフリードリヒに尋ねる。
「うん。見たところ、定員オーバーだしね」
「なら、俺が歩いて──」
「いや、いい。きみの寮と、私の城は別方向だからね。それに、今夜は星が綺麗だ。ゆっくりと、君が帰って来たニーベルンブルクを歩いてみたい……」
フリードリヒがそう言って空を見上げる。
しかし、空は曇っており、星はまったく見えない。
「がっはっはっは! うひーひひひ! ゲラゲラ! デュクシ! デュクシ!」
馬車の中のイルザードが、手を叩いてわざとらしく笑ってみせる。
「……イルザード」
「あっはっは!」
「イルザード」
「うわぁっはっはっはっは……はい」
「今のはウケ狙いじゃあないんだ」
フリードリヒがそう言うと、イルザードはシュンと俯いてしまった。
「さて、私は夜風を感じながら、歩いて城まで帰るとするよ」
「はい……では、お言葉に甘えて……」
今度は、フリードリヒと入れ替わるように、ガレイトが馬車に乗る。
ガレイトが座席に座り、馬車の扉を閉めようとすると──
「ガレイト」
フリードリヒはそう言って首を横に振り、ゆっくりと、静かに扉を閉めた。
「それじゃおやすみ。またね」
頭を下げるガレイトとサキガケ。
そして──
ゴロゴロゴロ……。
かぽっ、かぽっ。
車輪が回り、馬の蹄が石畳を叩く。
そして、どんどんと、手を振るフリードリヒの姿が遠くなっていった。
◇
「──着きましたよ、ブリギットさん、カミール」
ゆさゆさ。
ガレイトが優しく二人を揺り起こす。
ブリギットは大きく欠伸をすると、寝ぼけまなこでガレイトの顔を見た。
「……ふぁ……ガレイトさん……ここは……?」
「寮です」
「りょお……?」
「はい。ヴィルヘルム・ナイツ、その団員に割り振られている専用の寮です」
「でも……、ガレイトさんはもう……騎士じゃないんじゃあ……?」
「はい。ですが、寮長のご厚意により、俺の名義で残してくれたそうです」
「そう、なんですねぇ……」
「ブリギットさんは先に中へ入っておいてください。俺はカミールを起こしてから行きますから」
「でも、私、どこへいけば……」
「さきにサキガケさんとイルザード、それとアクアが向かいましたので、三人の後に続けば……」
「ふぁい……」
のそのそ。
未だ覚醒しきっていないブリギット。
そんな彼女がふわふわとした口調まま、馬車から這い出る。
よたよた。
目をこすりながら、左右に揺れながら歩いていたブリギットは──
「……へ?」
やがて、大きく目を見開き、覚醒に至る。
「おーい! カミール! 起きるんだ!」
馬車の中。
ガレイトが、眠り続けているカミールの肩を揺らす。
「むにゃむにゃ……もうたべられない……」
「ふふ、まったく。どんな夢を見て──」
「まずすぎて……」
「……俺の料理の夢か」
にこやかだった顔から、スッと真顔になるガレイト。
「……まあいい。ここまでかなりの距離だったからな。このまま担いでいって行ってやるか……」
ガレイトはカミールを優しく抱きかかえると、そのまま馬車を出た。
「が、ガレイトさん、ガレイトさん……! ここ、どこ……?」
そんなガレイトの服の裾を、尋常ではない様子で引っ張るブリギット。
「えっと、はい。ここは俺が住んでいた寮です……けど、どうかしましたか?」
「りょ、寮……ですか? ここが……?」
ブリギットはそう言って、辺りぐるりと見回した。
帝都ニーベルンブルク、ヴィルヘルム・ナイツ特別寮。その一。
周りを緑に囲まれた、縦四〇〇メートル、横一〇〇メートルほどの長方形の土地。
入り口の付近には円形の、白く、巨大な噴水。
そして、その後方には、六段にも連なるテラスがあった。
テラス中央には、奥にある建物へと続く階段があり、それを上がった先──
そこに、まるで小規模な宮殿のような建物があった。
寮である。
寮自体の高さはそれほどではないが、その横幅は土地いっぱいまで展開されていた。
外壁は淡い黄色。
屋根はくすんだ緑色になっている。
寮の窓からは、庭やテラスが一望できる仕様になっていた。
「も、もしかして、ガレイトさんって……王様?」
「……へ?」
ガレイトは目をぱちくりとさせると、やがて楽しそうに笑い出した。
「……す、すみません。ですが、そうですね……騎士を王と呼ぶのも、あながち間違ってはいません」
「ど、どういうこと?」
「はい。大抵の国の〝騎士〟と呼ばれる人間は、小領主であり、貴族……戦時に招集され、戦へと赴き、平時は自領にて待機……するのが普通なのですが……」
「う、うん……」
「ヴィルヘルムはそうではなく、団の本営を帝都に置いているので、騎士、それも俺やイルザード、アクアと言った隊長格には、このような寮が割り振られるのです」
「へー……」
「なので、〝寮〟とは名ばかりで、基本的には俺の自宅だと思っていただければ。……まあ、今の俺は団員ですらないので、本当はここを利用したらいけないのですが……」
「でも、なんでイルザードさんや、アクアさんもここへ?」
「あいつらはただの荷物持ちです」
「な、なるほど……!」




