第87話 暴走
〈side刹那〉
「⋯⋯この程度か」
あれから、体感数十分攻撃しては躱されを繰り返した僕に男がそう吐き捨てた。今は男と僕は互いに決定打がなく距離をとっていた。と思っていたのだが、この程度、か⋯⋯。つまり、決定打がなかったのは僕だけで男にはあったと言いたいんだろう。これがブラフかは分からないが、どちらにせよこのままだと僕に勝ち目はない。
いや、これまでこいつを殺すために特訓やらしてきたんだがな⋯⋯。まあ、それがなかったら一瞬で殺されていただろうが⋯⋯。
今、認識の加速は切っている。流石にあの状態を続けるとなると精神が持たないだろう。感覚が異常な状態というのは精神的なストレスになるらしい。
「⋯⋯さあ、僕はお前をゆっくりと殺したいだけだぞ」
僕のこの発言は完全にブラフだ。ここで、マイナスな発言をするわけにもいかない。
「そうかそうか。復讐は楽しみたいのか」
そう言って、何が面白いのか笑う男。
「どうなろうと関係はない。俺にはすべてが分かってるからな」
⋯⋯ブラフだということが分かっているということだろうか。
「いくらお前が早くなろうが、状況を理解できるんだ。神なら必要不可欠だろ?」
そう言って、男は大きく笑う。状況を理解できるか⋯⋯。さっきのブラフだとばれたわけではないんだな。
そして、その力も強い。要するにその瞬間僕がどこにいるのかすべて分かるということだろう。これを話したのも対応策がないに等しい力だからだろう。力にうぬぼれていると言ってもいいが、うぬぼれても仕方のない力だし、僕に対応策がないのも事実だ。
これに対応できるとしたら、文字通りの一瞬で男を殺す必要がある。瞬間を経由しないといけない僕と違って相手は首を切ろうとしたとしても、その一瞬一瞬を理解して切られたそばから治療することができる。大剣のような刀身の太い武器でも曲がって首を直すとかいった芸当もできそうだ。とんでもなく気持ち悪い光景だろうから見たくもないが。
「ひと段落でもついた?また待つと、長くなりそうだから報告に来たけど」
僕らがにらみ合っているときに、後ろからそんな声が聞こえてきた。声質から女だろう。一応、そちらに警戒心を向けつつ、男のほうからは目をそらさない。
「そうか。さっさと殺してしまってもいいが⋯⋯」
そう言って、男は悩む素振りを挟む。殺してもいいが、って本当に手を抜いていただけってことか⋯⋯。正直に言ってしまえば、僕は今ので全力だ。さらに加速させてみるくらいしか手はないが、それだと何も状況は変わらないというのは分かる。相手は認識しているわけじゃなく、分かっているのだから。
「それを見せてやったほうがいいか」
男はそう言って、笑みを浮かべる。
「⋯⋯いやぁ、私が言えたことじゃないけどさ、相当ひどいわね」
後ろから、女の若干引くような声が聞こえてくる。
「⋯⋯お前のほうがよっぽどだと思うが⋯⋯。ともかく、このまま殺すだけじゃつまらんからな」
男は呆れながらにそう言った。こんな時でも隙が無いものだから僕としても攻めることができない。
「にしても、この子さ私の能力効かなくて焦っちゃったよ」
女が、男にそう言った。完全に僕は無視して話している。
「ほう⋯⋯」
男が興味深げにそう声を漏らす。
「まあ、どうにかなったからいいんだけどさ、前もって教えてよ。そういうことは」
女はそう愚痴る。
「いや、俺としてもそれは想定外だった」
男は、愚痴る女に対して男がそう返答した。
「想定外って⋯⋯。あんたにも分からないことがあるのね」
「あぁ。こうして、そろうことになるとはな。似た者同士だ」
男はそう言って、また大きく笑う。そこで僕は接近するが、後ろに飛んで躱される。
「⋯⋯じゃあ、私も立ち去っていいかしら?ここに居たら巻き添えを食らいかねないし」
僕らが戦い始めたのを見てか女がそう声を上げた。
「かまわないが、それは置いて行けよ」
男は女にそう返答する。
「分かってるわよ」
ため息ながらに女がそう言うと同時に、何かがごとりと落ちる音がする。そして、女が立ち去っているであろう足音が聞こえてくる。
「⋯⋯さて、お前に面白いものを見せてやろう」
男はそう前置きをして、僕の後ろへと移動する。
僕は、男を追うために視線を向ける。
そして⋯⋯僕の目に映ったのは男の持ち上げる首だった。⋯⋯それは僕にも間違いなく見覚えのある⋯⋯紛れもなく⋯⋯小雪だったものの首だった。
⋯⋯頭が真っ白になっていく。僕の争いに巻き込まないためにあちらの世界に置いてきたはずの少女が殺されている。そんな状況に。頭が理解することを拒む。こちらに連れてくるべきだったのか⋯⋯。何が正解だったのか⋯⋯。分からなくなっていく。
ただ、無意識的に、僕は立ち去ろうとした女性を鎖で縛りあげる。そのまま急接近し、その喉笛を掻き切る。そして、すぐに男のほうへと向き直る。男は笑っていた。僕が取り乱した様子を見てか⋯⋯そうではないのか。よく分からないが無性にイライラとさせた。
だから僕は、男のほうへ手を向けた。
宵・イ「「今回はなしで」」