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偽り言葉日記  作者: 瀬那鶫
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 「孤独」の対義語って何だと思う?

 というの、母親にも聞いてみたのだけれど、面白いというか、とてもかっこいい答えが返ってきた。


 『束縛と自由の間』


 恥ずかしくなってしまって詳しいことは聞けなかったけれど、母は昔、絵を描くとか、そういったクリエイティブな仕事をしていた人だから、やっぱり、ちゃんと自分の世界と考え方を持っている人だなと改めて思った瞬間だった。

 これを聞いた私の印象は、「束縛」というのは「人間関係」、「自由」というのは「人間関係の外側にいること(束縛がないこと)」だから、人間関係に一喜一憂したり、そういったことの外側にいて好き勝手振る舞ったりする、そのどちらでもなくて、何かに縛られているわけでもなく、だからといって解放されてもいない。何にも属せないから「孤独」なのかな、って勝手に理解したつもりになっているのだけれど、またいつかきちんと聞いてみたいな。


 結局、他のことがそうであるように「孤独」って色々なかたちがあるのだなと思った。

 誰かに、私の孤独を理解してほしいって、分かち合いたいってい思うんだけれど、きっとそれってできないんだろうな、と思う。

 他の人が抱いている孤独を想像することはできても、理解することはできないし、誤魔化すことはできても、埋めることはできないんだろうなと思う。

 でもそしたら、愛とか、喜びとか。

 そういった楽しい感情も、周りで人が笑ってるからって、本当にその人が明るい気持ちを抱いているかわからないってことで、時間は共有できても気持ちまでは共有できないというか。

 どこまでも人間は独りというか。

 時間すらも共有できているつもりなだけで、身体がそこにあるだけで、その人はそこにいないなんてこともあるだろうし、身体に触れられないうんと遠くにいたとしても、そばにいるかのように感じられて、時代という時間を超えても時間を共有したなと感じられることもあるのだろうし、そういった繋がりこそ、その外側にいる人に理解してもらうことはできないだろうけれど、大切にしたいと思う。


 他人を大切にしたいと思うなら、まず自分を大切にしなきゃいけないなと思う今日この頃。

 自分を大切にする方法も知らない人が他人を大切にしようとしたところで、それって結局自分がしてほしかったことを他人に押し付けてるだけのような気がするんだ。

 だから、自分の欠けた部分を補ってくれるのは他者であることが多いし、外に救いを求めることが恥ずかしかったり、大変だったりしても自分の中からそれを探し出すよりはずいぶんと楽なことだから、多用しそうになるんだけれど、一度グッとこらえて、自分の奥深くにまだ忘れ物をしていないかしっかり探すことを忘れないようにしたい。

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